ヤッシャ・ハイフェッツ
ヤッシャ・ハイフェッツ(ロシア語:Яша Хе́йфец;[1]ラテン文字転写例: Jascha Heifetz, 1901年2月2日(ユリウス暦では1月20日)[2] - 1987年12月10日)は、ロシア出身のヴァイオリン奏者、作曲家[3]。[4]本名はイオシフ・ルヴィモヴィチ・ヘイフェツ(ロシア語:Ио́сиф Ру́вимович Хе́йфец;ラテン文字転写例: Iosif Ruvimovich Heifetz)。[5]
ヴィルナ出身。[6]地元のオーケストラのヴァイオリン奏者であった父[7]ルヴィムの手解きで2歳の頃からヴァイオリンを始めた。[8][9]5歳の頃から地元の音楽学校に通い、[8]イリヤ・ダヴィドヴィチ・マルキン[10]にヴァイオリンを学んだ。音楽学校に入学したその年のうちに学生コンサートに参加し、1908年にはレオポルト・アウアーの前でアンリ・ヴュータンの《バラードとポロネーズ》を演奏して称賛されている。[11]8歳の時にはコブノでコンサートを開き、フェリックス・メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏。[12]1910年にはペテルブルク音楽院に進学し、[8]イオアン・ナルバンディアン[13]にヴァイオリンを師事。1911年にアウアーのクラスに編入し、翌年にはベルリン駐在の音楽評論家のアーサー・アベルの家で行われたプライベート・コンサートでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏して評判を取った。[8]同年、ベルリン高等音楽院の大ホールでリサイタルを開いて公式にベルリン・デビューを飾り、アルトゥル・ニキシュの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演して名を上げた。1914年にはプラハやワルシャワにも足を延ばしたが、第一次世界大戦のために演奏旅行は中断することとなった。[14]1916年にはオスロでのノルウェー王室のための御前演奏会を行い、1917年にはシベリア経由でアメリカに渡り、アンドレ・ブノワのピアノ伴奏によりカーネギー・ホールでデビュー。[6][15]その後、アメリカを本拠に世界各地に演奏旅行に出、[16]1920年にはロンドンやパリに初登場。[17]1925年にはアメリカ国籍を取得。[6]1939年にはレジオンドヌール勲章のオフィシエ章を贈られ、1957年にはコマンドゥール章に昇格した。[8]1941年にはピアノ奏者のアルトゥール・ルービンシュタインとエマヌエル・フォイアマンとで「百万ドル・トリオ」を結成した[18]が、フォイアマンの死後はグレゴール・ピアティゴルスキーに交代した。[19]1958年からカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教鞭を執り、1962年には南カリフォルニア大学に転出した。[8]1972年に演奏活動の第一線を退いた[20]が、南カリフォルニア大学の学生コンサートには出演し続けた。1974年に肩の故障により演奏活動を止めた[8]が、1983年まで南カリフォルニア大学で教鞭を執り続けた。[21]
ロサンゼルスのシダーズ・サイナイ医療センターにて死去。[22]
脚注
- ↑ リトアニア語ではヤッシャ・ハイフェツァス(Jascha Heifetzas)。(アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ)
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- ↑ 作曲家としてはジム・ホイル(Jim Hoyle)の名義を用いた。(アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ)
- ↑ 高橋 (1996) 高橋昭 ヤッシャ・ハイフェッツ 完璧を目指してそれを実現し 自己の演奏様式を通じて音楽のあるべき姿を示した [ クラシック 不滅の巨匠たち ] 音楽之友社 1996 9784276960039 164-167
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- ↑ 6.0 6.1 6.2 高橋 1996 164
- ↑ ハルトナック (1998) ハルトナックヨーアヒム ヤッシャ・ハイフェッツ 松本道介 [ 二十世紀の名ヴァイオリニスト ] 白水社 1998 9784560037386 231
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
- ↑ 3歳の時に4分の1サイズのヴァイオリンを買ってもらってから父に手ほどきを受けたとする資料もある。(ハルトナック 1998 231)
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- ↑ 1917年には日本にも立ち寄っている。(アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ)
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- ↑ 高橋 1996 166
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