スーパーファミコン

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スーパーファミコン (SHVC-001)
スーパーファミコン用コントローラ (SHVC-005)

スーパーファミコン(Super Famicom)は、任天堂より発売されていた家庭用ゲーム機である。ファミリーコンピュータの後継機種。発売日は1990年11月21日メーカー希望小売価格は25,000円。 型番はSHVC-001(SHVCはSuper Home Video Computerの略)。略記・略称は SFSFCSuper Famicomの略)、スーファミなど。

概要

機器名称にはファミリーコンピュータの略称として広く親しまれたファミコンの語句を採り入れ、後継機としての位置付けを明確にした。なお、「ファミコン」は「ファミリーコンピュータ」の省略形だが、「スーパーファミコン」の名称内の「ファミコン」は正式なものであり、「スーパーファミリーコンピュータ」という名称のゲーム機は存在しない。

ファミリーコンピュータとくらべ、表示や音源の処理能力が格段に向上していた。ハードウェアのスペックとしては、16bitCPU の搭載、32768色(15bitカラー深度)から選択可能な多数の16色カラーパレットと、それらのカラーを適用可能な16色スプライト、数十個以上のスプライト同時表示数、背景の多重スクロールと拡大・縮小・回転表示機能、ソニーDSPによるPCM音源の採用など、カタログスペックとしては同時代の一線級のものを取り揃えている。

コントローラは、ファミリーコンピュータから変更された点として、本体からの着脱が可能で、I・IIコントローラの区別はない。 右側にあるボタンはA・B・X・Yの4つとなり、上部の左右にはL・Rボタンが追加された。内蔵マイクは廃止された。

「SUPER FAMICOM」のロゴはHandel Gothicの小文字と大文字を混ぜたもの、「スーパーファミコン」のロゴは「ファミリーコンピュータ」と同一のロゴタイプとされる。

仕様

  • CPU: 5A22 65C816互換, カスタム 16bit
    • SRAM: 128KB
    • クロック周波数: 1.79MHz、2.68MHz、3.58MHzの三段階切替え
  • グラフィック: S-PPU1および2(生産途中からワンチップ化)
    • SRAM: 128KB
    • 最大スプライト数: 128
    • 解像度: 256×224 / 512×448
    • 色: 32,768色中4096色 または
    • 画面: スプライトとBG面最大5枚
    • 特殊エフェクト: BG面拡大縮小回転(1軸)、半透明、モザイク、ウインドウ、ラスター
      • 2軸回転はラスターとの組み合わせによる
  • 音源チップ(DSP): ソニーSPC700PCM音源
    • SRAM: 64KB
    • サンプリング周波数: 32KHz
    • 同時発音数: 8チャンネル
    • 16bit PCM ステレオ
  • メディア: カートリッジ式
  • AV出力: RGB21ピン/S端子/ビデオ/RF
  • 拡張コネクタ
  • 寸法: 200×242×72mm
  • 重量: 約1Kg

スーパーファミコンの基板(SNS-RGB-01)に実装されているLSIの例。[1]

シェア

日本での出荷台数約1717万台、日本以外では約3193万台、全世界累計出荷台数約4910万台。対応ソフトは1990年から2000年の間に1388タイトル(非ライセンス品を含まず)発売された。

開発当初は、当時最大の市場シェアを持っていたファミリーコンピュータとの互換性を維持するための開発努力も試みられた。実際に一部では上位互換などとも宣伝されており、発売前のモックアップでは本体横に接続する「ファミコンアダプタ」というもので互換性を保つという案も提示されていた。最終的には互換性の維持を断念し、新規プラットフォームとして発売された。しかしライトユーザーや大手ソフトメーカーの取り込みには成功し、既に発売されていたPCエンジンメガドライブを超える規模のシェアを獲得。結果的に、第二世代、16bitゲーム機の時代でも、任天堂はメインプレーヤーの座を堅持した。

その後、ゲームの大容量化への対応、さらに競合他社への対抗策としてソニーと共同で専用CD-ROMシステムの開発が進められていた。しかし、ソニーが米国のゲームショーでスーパーファミコンとの互換性を持つCD-ROM機を発表し、新聞でも報道された翌日、任天堂は記者会見でフィリップス社とCD-ROM機の共同開発を発表し、ソニーに釘を刺す形となった。ソニーにとって任天堂はスーパーファミコン用の部品を卸していた顧客でもあったため、法的な手段には訴えず交渉を続けた結果、販売元がソニーから任天堂に移行するなど契約の変更が為され、その後、両者は決裂した。

公的な場では、ソニーは任天堂の変心を訴え、任天堂は2倍速のCD-ROMでも、十分な読み込み速度を達成しなかった事を挙げている。その後の1992年に任天堂の山内溥社長(当時)が初心会演説でCD-ROM機に対して否定的なコメントをしている。さらに、フィリップス社とのCD-ROM機が世に出る事もなかった。任天堂とソニーのスーパーファミコン互換CD-ROM機のコードネームプレイステーションであり、ソニーが自社のゲーム機にこの名前をつけたことは、ソニーの意趣返しであると評されることも多い。

ユーザーサイドの評価

当初はスーパーマリオワールドで従来のゲームユーザーを安定して引き寄せたが、同作は堅実な内容ではあったものの、従来のシリーズの焼き直し的な雰囲気が強くそれほど派手なゲームではなかった。しかし、F-ZEROパイロットウイングスは、当時の他のゲーム機には無かった、画像の拡大縮小回転といったスーパーファミコンの性能をフルに生かした内容で、ゲームユーザーに衝撃を与え、スーパーファミコンの性能の高さを多くのゲームユーザーに認識させた。また、初期に発売されたアクトレイザーでは、素晴らしいサウンドでゲームファンを魅了した。アクトレイザーのサウンドに衝撃を受けたスクウェアのスタッフがファイナルファンタジーIVの音源ドライバーを作り直した逸話が残っている[2]

中期以降は、ドラゴンクエストシリーズファイナルファンタジーシリーズの影響もあり、圧倒的なシェアを得た。 どちらかというと、ロールプレイングゲームシミュレーションゲームに名作が多く、それらのジャンル好きのユーザーから高い支持を受けた。特にトルネコの大冒険風来のシレン伝説のオウガバトルタクティクスオウガロマンシング サ・ガなどは評価が高く、熱狂的なファンを獲得した。

しかし、アクションゲームシューティングゲーム好きのユーザーは、PCエンジンメガドライブを支持する傾向が強かった。 本体発売の約1ヵ月後に発売された移植作のグラディウスIIIでは処理落ちが非常に多く、またファイナルファイトでは2人同時プレイができないこともあり、「スーパーファミコンはアクションゲームやシューティングゲームには向いていない」といったイメージが作られる原因になってしまった。 ただし、メーカーがスーパーファミコンの開発に慣れた中期以降はプログラム技術も改善され、アーケードで高い評価を得ていたストリートファイターIIは高い移植度でファンを狂喜させ、パロディウスだ!ソニックウィングスではスーパーファミコンでも十分に優秀なシューティングゲームが作れると言うところを見せた。1993年に発売されたファイナルファイト2でも2人同時プレイが可能となっている。

中期辺りから大容量化やライセンス料の高騰により、ソフトの値段が1万円を超え始める。定価14,800円ほどのものも存在し、ライトユーザーの第1次ゲーム離れの原因にもなった。前世代機のファミリーコンピュータや、次世代機のプレイステーションなどのソフトは主に3,800円~6,800円ほどで販売されていたことを考えると、かなりの割高感があった。

開発サイドから見た問題点

スーパーファミコンでは技術上の制限から性能を発揮するための制約が非常に多く、特にPPUの画面モードによる制限の複雑さと、CPUの特性などがプログラマを悩ませ、決して扱い易い環境とは言えなかった。

サウンドについても、波形メモリやサウンドドライバなども含め使用可能な容量が僅か64KBしか用意されていないなど、PCM音源としては扱いにくく、サウンドコンポーザやプログラマーたちの頭を悩ませた。

開発環境としては、当初ソニーの32ビットワークステーション・NEWS(ニューズ)が用意されたが、当時のワークステーションは非常に高価であり、体力のある大手のソフトメーカー以外は参入しづらかった。

ファミコン時代より高額化したライセンス料金、ROMの大容量化や独占製造による製造コスト増大によりソフトの価格は高額化した。 ソフトメーカーにとっては原価が高額化したソフトを買い取って販売しなければならないため、経営的な負担が増大し、ソフトが予想以上にヒットした場合も、ROMの増産に時間が掛かることによる機会損失の問題が生じた。

それらの問題が元となり、一部の大手ソフトメーカーは競合各社にも参入、また日本国外では他社にリードを許すこととなった。これは、その後のNINTENDO64の不振にもつながった。

歴史

コンピュータゲームの歴史も参照

  • 1990年11月21日 - 発売。当初1989年7月発売予定だったが、秋に延長され、さらに再度延期された。セット内容は本体のほかコントローラ2個と取扱説明書のみで、テレビとの接続ケーブルやACアダプタは含まれていない。これらはファミリーコンピュータと共用できるという理由で同梱されなかった。同時発売ソフトは『スーパーマリオワールド』と『F-ZERO』。人気により売り切れが相次ぎ、品薄状態が続く。
  • 1990年12月 - シャープ よりスーパーファミコン内蔵テレビ「SF-1」発売。画面サイズは14型と21型の2種類。
  • 1991年7月 - 『ファイナルファンタジーIV』発売。本体の普及に大きく貢献する。
  • 1992年 - ゲームの大容量化によりソフトの価格が高騰。定価を1万円程度とするソフトが多くなる。しかし『ストリートファイターII』、『スーパーマリオカート』、『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』などの人気ソフトが相次いで発売されたことでゲーム機市場の主導権を握ることとなった。この状態は次世代機への世代交代となった1996年頃まで続く。
  • 1993年春 - 味の素マヨネーズの懸賞に非売品スーパーファミコンソフト『もと子ちゃんのワンダーキッチン』が登場。以降非売品ソフトを景品として採用する動きが盛んに。
    ファミコン初のスーパーFXチップ搭載ソフト『スターフォックス』発売。
  • 1994年 - ソフトの価格がさらに高騰。1万円を超えるソフトが出始める。
  • 1994年6月14日 - スーパーファミコンを使用してテレビでゲームボーイソフトが遊べるアダプタ「スーパーゲームボーイ」発売。
  • 1995年 - 大多数のソフトが定価を1万円以上としたことでソフトの価格高騰が深刻化。
  • 1995年4月23日 - 任天堂がBS音声放送局セントギガと共同でスーパーファミコン向け衛星データ放送を開始。専用アダプタ「サテラビュー」を接続したスーパーファミコンを受信端末とした。
  • 1995年9月 - プレイステーションセガサターン間で繰り広げられていた次世代機の値下げ競争に合わせ『マリオのスーパーピクロス』に店頭価格より4,000円安く本体が購入できるクーポン券を同梱。以降発売となる『スーパードンキーコング2』『スーパーマリオRPG』『星のカービィ スーパーデラックス』にも同様のクーポン券が同梱される。
  • 1996年1月ごろ - 任天堂が自社ソフトの価格上限を7,800円に引き下げるとともに、ソフト評価機関スーパーマリオクラブで一定の評価を得たサードパーティ製ソフトのロイヤリティを引き下げると発表。ソフト定価を1万円弱に設定した次世代機NINTENDO64の発売を見据えた措置であったが、これによりソフトの価格高騰に歯止めがかかる。
  • 1996年8月 - 希望小売価格を9,800円に引き下げ。すでに店頭実売価格は1万円台で推移していた。
  • 1997年9月 - 東京都内のローソンにてゲーム書き換えサービス「ニンテンドウパワー」開始。順次全国に拡大。
  • 1997年12月1日 - ニンテンドウパワーで『平成 新・鬼ヶ島 前編』『平成 新・鬼ヶ島 後編』『同級生2』の3作が初の書き換え専用新作ソフトとして供給開始。
  • 1998年1月30日 - ポケモン人気を受けスーパーゲームボーイに通信コネクタを追加した上位機種「スーパーゲームボーイ2」発売。
  • 1998年3月27日 - 基本性能はそのままにデザインを一新し、RGB21ピンケーブル、S端子ケーブルによる映像出力、カセットイジェクト機構、サテラビューとの接続端子を廃した廉価機スーパーファミコン ジュニアが発売。セット内容は本体とコントローラ1個、取扱説明書のみだった。同時発売ソフトは『星のカービィ3』。
  • 1999年3月31日 - 任天堂、衛星データ放送事業から撤退。4月以降放送サービスはセントギガのみで継続。
  • 2000年6月30日 - セントギガ、サテラビュー向け衛星データ放送終了。
  • 2000年12月1日 - ニンテンドウパワーにて『メタルスレイダーグローリー ディレクターズカット』書き換え開始。最後のスーパーファミコンソフトとなる。
  • 2002年8月31日 - ニンテンドウパワー、ローソン店頭でのサービスを終了。以降は任天堂本社、各営業所へ引き継がれる。
  • 2003年9月30日 - 部材調達の困難等を理由にファミリーコンピュータとともに本体の生産を打ち切った。累計販売台数は約4,900万台であった。
  • 2007年2月28日 - ニンテンドーパワーサービス終了。

Super Nintendo Entertainment System

Super Nintendo Entertainment System (スーパーニンテンドー エンタテイメントシステム)は、スーパーファミコンの北米およびヨーロッパ版である。

コンソールに Super Nintendo の部分が大きく表記されていたため、現地では「スーパーニンテンドー」の愛称で親しまれた。SNES もしくはSuper NESと略されることが多い。メーカー型番はSNS(北米)および SPAL(ヨーロッパ)。

基本スペックはスーパーファミコンと同一だが、以下の点が異なる。

  • 北米版は本体およびカセットの外形、配色が変更されている。一方ヨーロッパ版の本体・カセット形状はロゴ類を除き日本のスーパーファミコンと共通する。
  • ヨーロッパ版ではPALまたはSECAM出力。
  • CICが異なるため、仕向地の異なるカセット間の互換性はない。ただし、非ライセンス品の変換アダプタの使用や本体もしくはカートリッジの加工で、仕向地の異なるカセットを使うことは可能。

代表的なゲーム

アクションゲーム
レースゲーム
ロールプレイングゲーム
シミュレーションRPG
シューティングゲーム
アドベンチャーゲーム
パズルゲーム
シミュレーションゲーム
その他

周辺機器

スーパーマルチタップ

関連項目

脚注

  1. ※基板バージョンによってはLSIが異なる。
  2. DTM Magazine, 寺島情報企画, Vol.140 Feb. 2006, p.15

外部リンク

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