相原貞三尼

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相原 貞三尼(あいはら ていさんに、1792年 - 1865年)は、淘宮術の創始者・横山丸三の直弟子。免許皆伝を受けた6人のうちの1人。[1]

推定寛政4年(1792)生まれ[2]。日高氏に生まれた[2]両国の割烹料理屋の娘だった[3]

浅草蔵前[3]札差「上総屋」を経営していた相原随岸に嫁いだ[2]

天保6年(1835)、43歳のとき、天源淘宮学を称していた横山に入門[2]

寛政5年癸丑(嘉永6癸丑・1853?)皆伝を許され、陽気庵貞讃と号す。のちに「(貞)三」と改めた。[2]

慶応元年(1865)4月14日没。享年73。法名「祥徳院殿讃日詠法尼」。[2]

付録

脚注

  1. 大井 1868 13
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 大井 1868 38
  3. 3.0 3.1 藤田 2019 352 - 日本淘道会『淘道』による。

参考文献

  • 大井 (1868) 大井正元三始氏「淘宮元祖先聖伝記并略年譜」天源淘宮術研究会『天源淘宮術秘訣』松成堂、1909・明治42(原著:慶応4・1868)、pp.4-44、NDLJP 2209062/10
  • 藤田 (2019) 藤田英昭「幕末維新期の大奥と『淘宮術』」『論集大奥人物研究』東京堂出版、pp.345-371、ISBN 978-4490210200