長崎市立高等女学校

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長崎市立高等女学校(ながさきしりつこうとうじょがっこう)は、1922年4月8日長崎市下西山町で開校した高等女学校。1938年7月に市内桜馬場跡地に移転。1948年に統合により廃止された。長崎県立長崎東高等学校および長崎県立長崎西高等学校の前身にあたる。

沿革

  • 1922年(大正11)4月8日、長崎市下西山町の西山女児高等小学校校舎の一部に長崎市立高等女学校開校[1]
    • 校舎は近世ゴシック式鉄筋コンクリート造り4階建てで、九州一の校舎といわれた。
    • 同年建てられた鉄筋コンクリート3階建ての校舎は、現在でも一部が上長崎小学校の校舎となっており、長崎市で現存する最古の校舎であると言われている[2]
  • 1938年(昭和13)7月、長崎師範学校(男子校)の西浦上移転に伴い、桜馬場跡地(現在の長崎市立桜馬場中学校の場所)に移転[3]
  • 1945年(昭和20)8月9日、長崎への原子爆弾投下により、112名が死亡。
  • 1947年(昭和22)4月、学制改革により、新制の併設中学校を設置し、高等女学校の2・3年生を収容。高等女学校の募集を停止。
  • 1948年(昭和23)4月、長崎市立女子高等学校(新制高等学校)設立。
  • 同年5月8日定時制課程を開設。
  • 同年11月1日、GHQから派遣されたニブロ教育官の勧告を受けて、長崎高長崎女子高瓊浦高・市立女子高が統合され、長崎県立長崎東高等学校と長崎県立長崎西高等学校が設立された。

付録

脚注

参考文献

  • 編さん委 (1989) 市制百年長崎年表編さん委員会(編)『市制百年長崎年表』長崎市、1989年、JPNO 89055507