安田共済事件
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安田共済事件(やすだきょうさいじけん)または安田共済生命会社 内紛事件(やすだきょうさいせいめいかいしゃ ないふんじけん)は、1925年(大正14)の春に、安田保善社(安田共済生命会社)で起きた争議事件[1]。
1924年に安田保善社で労働争議が起き、争議によって大川周明の門人を含む40数名が解雇された。労働者側から依頼を受けて、大川周明と北一輝が調停に入ったが、会社経営陣との交渉中に、北が安田保善社の副社長・結城豊太郎から3,000円を受け取り、争議団を裏切った。[2][1]
このとき北を調停に加えたのは北の門下にいた清水行之助だった。清水は責任を感じて結城と交渉して問題を解決した。[2]
事件をきっかけに、大川は北が手段を選ばずに資金を集めようとする点を嫌い、北と訣別。清水も北の下を離れ、大川と行動を共にするようになった。[3][1]
付録
脚注
参考文献
- 小田部 (1988) 小田部雄次 [ 徳川義親の十五年戦争 ] 青木書店 1988 ISBN 4250880192
- 中野 (1977) 中野雅夫 [ 革命は芸術なり‐徳川義親の生涯 ] 学芸書林 1977 JPNO 78013751
- 徳川 (1973) 徳川義親『最後の殿様 徳川義親自伝』講談社、1973年、JPNO 73011083