魚津町
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現・魚津市の中心となった町である。かつての魚津城の城下町、北陸街道の宿場町および港町であった。ここでは、町村制施行以前の魚津町についても述べる。
目次
地理
- 現在の魚津市の中心部。松倉城の寺社、町人などが角川と鴨川の間の北陸道沿いに移ったのが、街の始まりである。以後、加賀藩の越中東部の拠点として発展した。
- 市街地が町の面積の大半を占める。
- 1950年時点での人口は15,729人、面積は1.06㎢
歴史
- 1595年 - 小津が現在の魚津に改称される(1476年という説もある)
- 1660年 - 魚津町奉行が設置される。
- 1871年 - 新川県が誕生し、県庁が置かれた(後に富山町へ移る)
- 1889年4月1日 - 町村制施行により、自治体としての魚津町発足。
- 1943年 - 市街地西部で大火発生。
- 1952年4月1日 - 下新川郡内11村と新設合併・市制施行し、魚津市となり消滅。
魚津町にあった町
- 明治期(町村制施行)までにできた町
大町、新塩屋町、住吉町、橋向町、新上猟師町、橋場町、八代町、八幡町、紺屋町、角川町、上新町、上猟師町、岡町、臼屋小路、出丸町、馬出町、荒町、田方町、東小路、真成寺町、寺町、下猟師町、下新町、新下猟師町、餌指町、神明町、金屋町、川原町、金浦町、鴨川町
- 町村制施行時に一部を魚津町に編入(()内は旧村名)
三ヶ町(三ヶ)、新住吉町(住吉)、田地方町(魚津田地方村)、大光寺町(大光寺)、友道町(友道)、本江町(本江)、下村木町(下村木)、上村木町(上村木)
特徴
- 魚津町は下新川郡で最大の町で、郡役所が置かれるほど豊かな町であった。しかし、町の面積があまりにも狭く、一部の魚津町関連の企業、施設は他の町村に置かれていた。(以下に述べる)
- 道下村 - 魚津駅、日本カーバイド工業魚津工場(道下村は市街地北部の延長の街としても発展した)
- 下野方村 - 電鉄魚津駅、魚津高等女学校(建物を魚津西部中学校に明け渡す)→魚津市立西部中学校、吉田工業(現・YKK)(下野方村も、やはり魚津町と接する地域が市街地の延長として発展した)
- 加積村 - 魚津中学校→魚津高等学校(この村も同じく、大字上村木の北陸街道沿いが魚津町市街地の延長として発展)
- 下中島村 - 北陸街道沿いが市街地南部の延長として発展。
このため、魚津町は周辺町村の合併を目指すことになったが、それが実現するのは、1952年になってからである。
関連項目
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