日本における死刑囚の一覧
'''日本における死刑囚の一覧'''(にほんにおけるしけいしゅうのいちらん)では、[[日本]]の[[刑事裁判]]で[[死刑]][[判決]]が言い渡された主な[[死刑囚]]の確定順による一覧である。 == 概要 == 死刑囚の項目では、未執行死刑囚と執行済死刑囚の一覧があるが、この項目は[[明治維新]]後[[1870年]]以降に死刑判決が言い渡された死刑囚の確定順の一覧である。そのため、[[恩赦]]で[[無期懲役]]に減刑されたものや、冤罪が指摘されている死刑囚、[[再審]]で[[無罪]]が確定し[[冤罪]]であったとされる元死刑囚も含まれる。 なお「判決確定日」であるが、特記事項がない場合、最高裁ないし下級審の場合には死刑判決が言い渡された判決公判が開かれた年月日が記入されている。地方裁判所の判決を不服として控訴する場合、判決公判から14日とされている([[刑事訴訟法]]第373条)。そのため一審の死刑判決が控訴せずに実際に確定するのは2週間後である。また控訴取下げの場合は、取り下げにより原判決が確定した日である。ただし最高裁判決を「誤りがある」として10日以内に被告人などの当事者が発見した時には、申し出で訂正することができる(刑事訴訟法415条)とあるため、実際に最高裁判決が実際に確定するのは10日後である(刑事訴訟法418条)。ただし現実に最高裁判決が誤りがあるとして死刑判決が訂正されたことはない。 == 一覧 == ===1870年代=== {| class=wikitable |- !width="38%"|事件名(死刑囚名) !width="8%"|事件発生日 !width="10%"|判決確定日 !width="44%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[石鐵県死刑囚蘇生事件]](田中藤作)||1871/8/15|||1872/11||放火犯。死刑執行も、不備により蘇生。再度の死刑執行はされず。 |- |align=left|[[紀尾井坂の変]]([[島田一郎]])||1878/5/14|||1878/7/27||[[大久保利通]]殺害犯、同志5人とともに判決確定1時間後に斬首刑に処せられた。30歳。 |- |align=left|紀尾井坂の変([[長連豪]])||1878/5/14|||1878/7/27||上記共犯で斬首。23歳。 |- |align=left|紀尾井坂の変([[杉本乙菊]])||1878/5/14|||1878/7/27||上記共犯で斬首、30歳。1890年に[[大赦]]される。 |- |align=left|紀尾井坂の変([[脇田巧一]])||1878/5/14|||1878/7/27||上記共犯で斬首。29歳。 |- |align=left|紀尾井坂の変([[浅井寿篤]])||1878/5/14|||1878/7/27||上記共犯で斬首。25歳。1889年に大赦。 |- |align=left|紀尾井坂の変([[杉村文一]])||1878/5/14|||1878/7/27||上記共犯で斬首。18歳。1889年に大赦。 |- |align=left|東京・浅草蔵前古物商強盗殺人事件([[高橋お伝]])||1876/8/23|||1879/1/31||日本で斬首刑に処せられた最後の女性。 |- |} ===1890年代=== {| class=wikitable |- !width="38%"|事件名(死刑囚名) !width="8%"|事件発生日 !width="10%"|判決確定日 !width="44%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[広島護送死刑囚脱獄事件|連続針金強盗殺人事件]](貝原喜勢冶)||1894-1897|||1897/3||連続強盗殺人犯、処刑場に護送中に脱獄し警察官と格闘した際の傷で1897年12月死亡 |- |align=left|連続針金強盗殺人事件(福永友三郎)||1894-1897|||1897/3||上記共犯、護送中に一緒に脱獄し警察官と格闘し首を切り落とされ1897年6月死亡 |- |align=left|連続針金強盗殺人事件(湊蔵蔵)||1894-1897|||1897/3||上記共犯、護送中に一緒に脱獄したが、再逮捕され広島監獄に収監。 |- |align=left|連続針金強盗殺人事件(明石章吉)||1894-1897|||1897/3||上記共犯、護送中に一緒に脱獄し、以後消息不明。 |- |align=left|[[山陽鉄道列車強盗殺人事件]](岩永元吉)||2/27|||1898/12/2||走行中の夜行列車で陸軍大尉を殺害、列車内の殺人は日本国内では最初。1899年10月30日執行。 |- |align=left|山陽鉄道列車強盗殺人事件(中島多次郎)||1899/5/3|||1898/12/2||上記共犯者、一審は無期だったが、検察が控訴し逆転死刑判決。1899年10月30日執行。 |- |} ===1900年代=== ===1910年代=== ====1911年==== {| class=wikitable |- !width="28%"|事件名(死刑囚名) !width="8%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="54%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[幸徳事件]]([[幸徳秋水]])||1|||1910/6||天皇の暗殺を計画した[[大逆罪]]の首謀者として死刑、判決6日後の1月24日に執行、39歳。ただし実際には死刑判決を受けた24人(12人は恩赦減刑)のうち、[[陰謀]]に加担していたのは5人のみであり、幸徳秋水も含む19人は冤罪だったと言われている。政府による[[社会主義]]者弾圧事件であったとされている。 |- |align=left|[[幸徳事件]]([[管野スガ]])||1/18|||1910/6||女性の社会運動家、ひとりのみ1月25日に執行、29歳。実際に陰謀に加担していた。 |- |align=left|幸徳事件([[森近運平]])||1/18|||1910/6||1月24日に執行、30歳。実際は陰謀に加担していたと言われている |- |align=left|幸徳事件([[宮下太吉]])||1/18|||1910/6||1月24日に執行、25歳。実際は陰謀に加担していたと言われている |- |align=left|幸徳事件([[新村忠雄]])||1/18|||1910/6||1月24日に執行、23歳。実際は陰謀に加担していたと言われている |- |align=left|幸徳事件([[古河力作]])||1/18|||1910/6||1月24日に執行、26歳。実際は陰謀に加担していたと言われている |- |align=left|幸徳事件([[奥宮健之]])||1/18|||1910/6||1月24日に執行、44歳。 |- |align=left|幸徳事件([[内山愚童]])||1/18|||1910/6||僧侶の社会主義者。1月24日に執行、36歳。 |- |align=left|幸徳事件([[大石誠之助]])||1/18|||1910/6||1月24日に執行、43歳。 |- |align=left|幸徳事件([[松尾卯一太]])||1/18|||1910/6||1月24日に執行、31歳。 |- |align=left|幸徳事件([[新美卯一郎]])||1/18|||1910/6||1月24日に執行、32歳。 |- |align=left|幸徳事件([[成石平四郎]])||1/18|||1910/6||1月24日に執行、29歳。兄も同罪として死刑判決を受けたが恩赦減刑 |- |align=left|幸徳事件([[高木顕明]])||1/18|||1910/6||住職を務める和歌山県の浄泉寺で幸徳の談話会を寺で開催したことを咎められ死刑判決。後に恩赦減刑されたが1914年に自殺、50歳。判決前に僧籍剥奪処分を受けたが1996年に僧籍復帰の名誉回復が行われた。 |- |align=left|幸徳事件(峯尾節堂)||1/18|||1910/6||死刑判決後、恩赦減刑されたが1919年に獄死。 |- |align=left|幸徳事件(岡本一郎)||1/18|||1910/6||死刑判決後、恩赦減刑されたが1917年に獄死。 |- |align=left|幸徳事件(三浦安太郎)||1/18|||1910/6||死刑判決後、恩赦減刑されたが1916年に自殺。 |- |align=left|幸徳事件(佐々木道元)||1/18|||1910/6||死刑判決後、恩赦減刑されたが1916年に獄死。 |- |align=left|幸徳事件(成石勘三郎)||1/18|||1910/6||弟平四郎とともに同罪として死刑判決を受けたが弟処刑後に恩赦減刑された。1929年仮出所、1931年死去。 |- |align=left|幸徳事件(坂本清馬)||1/18|||1910/6||死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑。1934年仮出所、1947年特赦。1961年に再審請求したが1967年に最高裁で棄却。1975年死去。 |- |align=left|幸徳事件(崎久保誓一)||1/18|||1910/6||死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1929年に仮出所、1955年死去。 |- |align=left|幸徳事件(武田九平)||1/18|||1910/6||死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1929年に仮出所、1932年に事故死。 |- |align=left|幸徳事件(飛松与次郎)||1/18|||1910/6||死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1925年に仮出所、1953年死去。 |- |align=left|幸徳事件(小松丑治)||1/18|||1910/6||死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1931年に仮出所、1945年死去。 |- |align=left|幸徳事件(岡林寅松)||1/18|||1910/6||死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1931年に仮出所、1948年死去。 |- |} ====1914年死刑確定囚==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[愛知貰い子殺人事件]](坂倉しげ)||1914/10/21|||1898-1913||養育できない[[私生児]]を金銭とともに引き取りながら殺害する[[貰い子殺人]]常習犯。犠牲者は200人以上とされる。共犯2人とともに1915年9月9日死刑執行 |- |align=left|愛知貰い子殺人事件(達沖つた)||1914/10/21|||1898-1913||上記共犯者 |- |align=left|愛知貰い子殺人事件(猪飼なか)||1914/10/21|||1898-1913||上記共犯者 |- |} ====1916年死刑確定囚==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[大米龍雲連続殺人事件]](大米龍雲)||1916/5/22|||1905-1915||僧侶による連続強姦強盗殺人事件。被害者の多くが尼僧であったことから「殺尼魔」と報道された。6月26日死刑執行。 |- |} ====1917年死刑確定囚==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[ドイツ海軍大尉婦人殺人事件]](A)||1917/10/26|||1917/2/25||日本軍捕虜となった夫の世話をする為来日していた女性殺害事件。夫は妻の後を追って自殺。犯人は1918年3月11日執行。 |- |} ====1918年死刑確定囚==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[鈴ヶ森おはる殺し事件]](I)||1918/3/31|||1915/4/30||同時期に検察は同じ事件で「単独犯」として2人の裁判を進め、一人は無罪になった。真犯人とされたIは1918年8月17日執行。 |- |} ===1920年代=== ====1924年==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[虎ノ門事件]]([[難波大助]])||1924/11/13|||1923/12/27||摂政宮(後の昭和天皇)暗殺未遂で大逆罪により有罪(法定刑は死刑のみ)確定2日後の11月15日死刑執行。 |- |} ====1926年==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[朴烈事件]]([[朴烈]])||1926/3/25|||1925||天皇暗殺を計画したとして無政府主義者の朝鮮人を有罪になるも4月5日に恩赦により減刑。1945年10月に釈放され[[大韓民国|韓国]]国務委員に就任したが[[朝鮮戦争]]の最中に[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]へ連行され、1974年死亡。 |- |align=left|[[朴烈事件]]([[金子文子]])||1926/3/25|||1925||女性無政府主義者で朴烈の愛人。共犯として死刑宣告も4月5日に恩赦で減刑。7月23日に獄死(当局発表は縊死)した。 |- |align=left|[[関東連続少女殺人事件]]([[吹上佐太郎]])||1926/7/2|||1922-1924||27人を強姦し、うち6人を殺害。1926年9月28日死刑執行。 |- |} ===1930年代=== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[桜田門事件]]([[李奉昌]])||1932/9/30|||1932/1/8||昭和天皇暗殺未遂犯。1932年10月10日死刑執行。 |- |align=left|[[松山城放火事件|西日本13府県連続放火事件]](古川某)||1938|||1932-36||西日本各地で公共施設45箇所を放火。1939年9月15日死刑執行。 |- |} ===1940年代=== ====1945年死刑確定囚(9人?)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[樺太・西柵丹強盗殺人事件]](A)||1945/7/7|||1944/10/22||樺太で発生した強盗殺人事件。死刑確定後、樺太が[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]に侵略され、公判記録が滅失し死刑執行手続きが不能になった特殊事情により恩赦が決定。 |- |} ====1948年死刑確定囚(33人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|強盗殺人事件(A)||1|||?||友人を鉄棒で撲殺 |- |align=left|強盗殺人事件(A)||2|||?||雇い主を斧で殺害 |- |align=left|[[名古屋愚連隊殺人事件]](A)||3/11|||1947/6/21||強盗に入った家人2人を布団で縛りつけ窒息死させた。主犯Aが死刑(控訴取下げで確定)であったが犯行時17歳であったため、少年法改正により1949年3月23日に無期懲役に減刑。 |- |align=left|強盗殺人事件(A)||1|||?||強盗に入った家で夫婦を射殺。 |- |align=left|[[死刑制度合憲判決事件]](A)||3/12|||1946/9/16||犯行時19歳。母妹を殺害。一審は無期懲役だった。最高裁が死刑制度は[[日本国憲法]]に反せず合憲とした[[判例]] |- |} ====1949年死刑確定囚(33人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|奈良・手拭村強盗殺人事件(D)||1949/5/28|||1946/12/11||強盗団4人組による犯行。Dを主犯として死刑が確定し、後に執行されたが、1958年に出所した「従犯」が本当の主犯を恐喝して逮捕されDは濡れ衣であったという真相が発覚。 |- |align=left|[[大津野村強盗殺人事件]](A)||1949/7/31|||1945/12/18||架空の商談話でおびき出した2人を殺害。共犯5人のうち2人が死刑に。 |- |align=left|大津野村強盗殺人事件(C)||1949/7/31|||1945/12/18||上記共犯。 |- |align=left|[[和歌山一家8人殺害事件]](A)||1949/8/18|||1946/1/29||母親を虐待した兄嫁を恨み、兄一家8人を虐殺。死刑確定後1952年に恩赦により無期減刑、1968年に仮出獄。 |} ==1950年-1955年== ====1950年死刑確定囚(25人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|強盗殺人事件(A)||1|||?||無関係の人物を絞殺。控訴取下げ。 |- |align=left|強盗3人殺害事件(A)||2|||?|| |- |align=left|強盗2人殺害事件(A)||2|||?|| |- |align=left|志和堀村両親殺害事件(A)||2|||1948/6/12||犯行時19歳、上告を取り下げにより死刑が確定したが、1952年4月、サンフランシスコ講和条約恩赦で無期に減刑 |- |align=left|強盗2人殺害事件(A)||4|||?|| |- |align=left|拳銃強盗殺害事件(A)||4|||?||控訴取下げ。 |- |align=left|愛人殺害事件(A)||5|||?||控訴取下げ。 |- |align=left|子供2人撲殺強盗事件(A)||5|||?|| |- |align=left|子供2人撲殺強盗事件(B)||5|||?||上記の共犯者 |- |align=left|知人絞殺強盗事件(A)||5|||?|| |- |align=left|強盗事件(A)||5|||?|| |- |align=left|強盗2人殺害事件(A)||5|||?|| |- |align=left|警官ら2人射殺強盗事件(A)||6|||?|| |- |align=left|強盗2人殺害事件(A)||5|||?|| |- |align=left|下宿人大家家族2人殺害事件(A)||7|||?||控訴取下げ。 |- |align=left|知人夫婦強盗殺害事件(A)||7|||?|| |- |align=left|警官射殺事件(A)||9|||?|| |- |align=left|知人2人ハンマー撲殺強盗事件(A)||10|||?|| |- |align=left|知人殺害事件(A)||10|||?|| |- |align=left|雇用主殺害事件(A)||11|||?||控訴取下げ |- |align=left|強姦殺人事件(A)||11|||?|| |- |align=left|知人親子3人殺害事件(A)||12|||?||最高裁が下級審の判決を破棄し死刑判決。 |- |} ====1951年死刑確定囚(32人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[菅野村強盗殺人・放火事件]](A)||1951/7/10|||1949/6/10||犠牲者1人。戦後初の女性死刑囚。結核と精神病を罹患し1969年恩赦減刑、1978年病死、63歳。 |- |align=left|[[小田原一家5人殺害事件]](A)||1951/9/18||1949/9/14||大量殺人犯でありながら1952年恩赦減刑。1970年に仮出獄も、1984年に殺人未遂事件を起こし、懲役8年と仮出獄取消しで収監。2009年10月27日獄死。 |- |align=left|強盗3人刺殺事件(A)||12|||?|| |- |align=left|拳銃強盗事件(A)||12|||?||一審は無期懲役だった |- |align=left|強盗2人撲殺事件(A)||12|||?||友人を殺害。 |- |align=left|強盗強姦殺人事件(A)||12|||?||一審は無期懲役。強姦したうえ絞殺。 |- |align=left|[[免田事件]]([[免田栄]])||1951/12/25|||1948/12/28||[[1983年]]7月、再審で無罪確定。冤罪事件。 |- |align=left|強盗殺人事件(A)||12|||?||知人を紐で絞殺。 |- |align=left|強盗2人殺害事件(A)||12|||?||知人2人を木刀とマフラーで殺害 |- |align=left|強盗2人殺害事件(B)||12|||?||上記事件の共犯 |- |align=left|強盗殺害事件(A)||12|||?||知人を棒で殺害。一審は無期懲役だった。 |- |align=left|強盗強姦致死事件(A)||12|||?||通行人ら2人を強姦し扼殺。犯行時少年だった。 |- |} ====1952年死刑確定囚(41人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|福岡連続強盗殺人事件(S)||4/21|||1951/05-06||事件当時19歳。裁判では自分は見張り役で主犯は逃亡していた古谷惣吉だと主張。Sの死刑施行後に古谷は逮捕され、懲役10年が確定。出所後に[[古谷惣吉連続殺人事件]]を起こす。 |- |} ====1953年死刑確定囚(25人)==== ====1954年死刑確定囚(21人)==== ==1955年-1959年== ====1955年死刑確定囚(14人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[帝銀事件]]([[平沢貞通]])|||5/7||1948/1/26||1987年5月10日獄死、95歳 |- |align=left|[[三鷹事件]](竹内景助)||6/22|||1949/7/15||電車顛覆致死等事件で6人死亡。ただし冤罪が指摘されている。1967年獄死、45歳 |- |align=left|新宿家政婦殺害事件(A)||12/20|||1951/5/25||上告棄却、金銭の貸主宅に侵入し、同家の家政婦を殺害 |- |align=left|福島警察官殺害事件(A)||12/26|||不明||上告棄却、一審は無期懲役。駐在所巡査を殺害 |- |align=left|長野・松尾村強盗致死事件(A)||12/26|||不明||上告棄却、1人を刺殺 |- |align=left|門司3人殺人事件(A)||12/26|||不明||上告棄却、幼児3人を惨殺 |- |align=left|[[福岡・豊津村一家8人殺害事件]](A)||12/26|||1953||上告棄却、同居していた一家8人を惨殺 |- |} ====1956年死刑確定囚(14人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[福岡事件]](A)|||1956/4||1947/6/17||1975年6月17日執行、60歳 |- |align=left|福岡事件(B)|||1956/4||1947/6/17||1975年6月17日恩赦により無期減刑。1989年仮出獄、2008年11月死去、91歳 |- |} ====1957年死刑確定囚(27人)==== {| class=wikitable |- !width="25%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="55%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[財田川事件]](Y)||1/22|||1950/2/28||[[高松地方検察庁]]で保存されていた捜査資料が破棄され死刑執行手続きが不可能になったうえに、[[古畑種基]]による証拠鑑定の杜撰さや被疑者に対する[[拷問]]といった問題点が明らかになった為、1984年3月12日に再審無罪となり放免された。 |- |align=left|親族殺人事件(A)||2|||不明||鎌と棍棒で殺害し強奪。犠牲者1人、控訴棄却 |- |align=left|強姦強盗殺人事件(A)||4|||不明||通行人1人を強姦の上刺殺。少年犯罪、一審は無期懲役。上告棄却 |- |align=left|強姦強盗殺人事件(A)||4|||不明||通行人1人を強姦の上扼殺。上告棄却 |- |align=left|我孫子女子中学生殺害事件(A)||4/26|||1955/9||通行人1人を扼殺。控訴取下げ。1959年11月11日執行 28歳 |- |align=left|強盗殺人事件(A)||6|||不明||1人を縄で絞殺、控訴取下げ |- |align=left|強盗殺人事件(A)||6|||不明||知人1人を日本刀で惨殺 |- |align=left|[[人違いバラバラ殺人事件]](F)||7/19|||1954/9/5||一審は無期懲役、控訴審最終尋問で証人を負傷させたことが問題に。1959年5月27日執行、40歳 |- |align=left|[[藤本事件]](Y)||8/23|||1952/7/6||死刑囚が[[ハンセン病]]患者であったため、不正な捜査と裁判、もしくは冤罪であると当時から指摘されていたが、1962年9月14日執行、40歳。2005年になって「到底、憲法の要求を満たした裁判であったとはいえまい」と、国のハンセン病問題に関する検証会議がまとめた最終報告書のなかで事実上不正な裁判であったと指摘した。 |- |align=left|北海道・千歳強盗殺人事件(A)||8/30|||1954/1/2||一審は無期懲役、侵入先で夫婦を惨殺し子供1人を負傷させる。犯行時18歳4か月で確定時も21歳であり、ともに戦後最年少記録だった。犯行年齢最年少は[[光市母子殺害事件]](判決確定2012/02/20)により18歳1か月に更新されている。 |- |align=left|十二銭五厘強盗殺人事件(A)||9/3|||1955/12/9||手提金庫にあった硬貨を掴んだ際に83歳女性にみつかり「口封じ」のために殺害しボストンバッグを持って逃走。硬貨は法的には既に通用しない古銭だった。 |- |align=left|[[梅田事件]](H)||11/14|||1950,51||Hは2件の強盗殺人の首謀者であるが、無関係の第三者を2人も巻き込み、そのうちUが無期懲役で服役し後に再審無罪になった冤罪事件でもある。[[青地晨]]の「魔の時間」によればHはUを巻き込むことで共犯を守ろうとした可能性を指摘している。1960年6月20日執行、37歳。 |- |} ====1958年死刑確定囚(21人)==== ====1959年死刑確定囚(12人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|強盗殺人事件(A)||2|||不明||一審確定、侵入先一家3人を惨殺 |- |align=left|杉並重役婦人殺害事件(A)||4/16|||1957/4/24||一審は無期懲役で上告棄却、侵入先で1人を刺殺 |- |align=left|銀座雑貨商殺害事件(A)||4/16|||1955/3/5||上告棄却、侵入先で1人を殺害 |- |align=left|[[品川トランク詰殺人事件]](A)||9/18|||1956/6/30||共犯の女性は懲役15年 |- |align=left|中野友人殺害事件(A)||9/18|||1956/12||上告棄却、ネクタイで友人を絞殺。共犯は有期の懲役刑 |- |align=left|宇部市兄一家4人殺害事件(A)||9/18|||1957/3||上告棄却、同居していた兄嫁と子供3人を惨殺 |- |align=left|北海道・羽幌強盗放火殺人事件(A)||12/4|||1956/4/4||上告棄却、金に困り侵入先一家3人を惨殺 |- |align=left|横浜女性殺害事件(A)||12/15|||1954/7/4ほか||上告棄却。殺人2件のほか婦女暴行31件の余罪 |} ==1960年-1964年== ====1960年死刑確定囚(33人)==== {| class=wikitable |- !width="35%"|事件名(死刑囚名) !width="7%"|確定月日 !width="8%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[日光中宮祠事件]](A)||6/10|||1946/5/4||強盗放火殺人、犠牲者6人も警察は一家心中と処理し、1955年まで真相が判明せず。1974年6月6日執行。 |- |align=left|日光中宮祠事件(B)||6/10|||1946/5/4||上記共犯。1974年6月6日執行。 |- |align=left|京都・大映部長一家殺傷事件(K)||6|||不明||1962年執行。 |- |align=left|宮城自動車販売店外交員殺人事件(A)||7/15|||1955/11/4||購入したオート三輪の支払いに困り、代金の取立てに来た販売店の外交員を殺害し、手形を奪い死体を近所のりんご畑に埋めた。 |- |align=left|熊本質屋女性主人殺害事件(I)||8/4|||1958/10/30||1962年執行。 |- |align=left|[[広島・八本松タクシー強盗殺人事件]](A)||8/4|||1957/1/29||銀行強盗に使おうとタクシー運転手を射殺しタクシーを強奪。また1961年4月に拘置所から脱獄し18時間後に拘束される事件も起こした。 |- |align=left|[[松山事件]](斎藤幸夫)||11/1|||1955/10/18||強盗放火殺人事件であるが、再審で捜査当局によって証拠の捏造と自白の強要が証明され冤罪として無罪になったのは、1984年7月であった。 |- |align=left|[[島田事件]](A)||12/5|||1954/3/10||女子児童誘拐殺人事件であるが、自白調書作成と証拠鑑定<ref>[[東京大学]]教授の[[古畑種基]]による被害者の殺害方法についての鑑定が、再審時の鑑定とまったく一致しないばかりか、目撃証言と元死刑囚の体格が一致していなかったことが判明。</ref>で問題が数多くあったことが再審で判明、1989年8月に無罪放免となった。[[静岡県警察]][[警部]]であった「拷問王」[[紅林麻雄]]による冤罪犠牲者<ref>拷問と虚偽の捏造した証拠によって自白調書を作成する捜査手法をとることで静岡県警で「捜査の神様」といわれた紅林の関わった冤罪事件は[[幸浦事件]]、[[二俣事件]]、[[小島事件]]など多数あるが、死刑判決が確定したのは島田事件が唯一だった。最高裁でも見向けなかったのは古畑の誤鑑定の評価ミスだった。もっとも現在では証拠能力を否定する刑事訴訟法の法理である違法収集証拠排除法則が確立しているため、真実の自白や証拠であったとしても証拠能力が否定され刑事裁判の維持が不可能になる。</ref>のひとりとされている。 |- |align=left|[[熊本饅頭屋夫妻殺人事件]](M)||12/16|||1956/1/12||上告審で被告人側弁護人が「死刑が相当」と「求刑」したのが問題に。1962年12月21日執行、26歳。 |- |} ====1961年死刑確定囚(24人)==== {| class=wikitable |- !width="35%"|事件名(死刑囚名) !width="7%"|確定月日 !width="8%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|和歌山愛人爆殺事件(H)||2|||不明||元愛人ら2人を[[ダイナマイト]]で殺害。裁判時62歳。執行日不明。 |- |align=left|[[下関養父母殺害逃亡事件]](A)||3/30|||1955,56,57||養父母殺害後、身代わりにするため2人も殺害。1965年月日不明執行。 |- |align=left|高岡質屋女性主人殺人事件(A)||6/6|||1960/3/14||質屋の女性主人を殺害し、現金23,000円と時計を強奪。 |- |align=left|[[小松川事件]](A)||8/17|||1958/4.8||犯行時18歳、犠牲者は女性2人。1962年11月26日執行、22歳。 |- |align=left|愛知農協宿直員殺人事件(A)||8/17|||1958/3||農協に押し入り宿直していた者を撲殺。一審は無期懲役。 |- |} ====1962年死刑確定囚(13人)==== {| class=wikitable |- !width="35%"|事件名(死刑囚名) !width="7%"|確定月日 !width="8%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|横浜船長父子殺人放火事件(A)||1962/2/16||1959/2/8|| |- |align=left|釧路ハイヤー運転手強盗殺人事件(A)||1962/2/20||1957/11/5|| |- |align=left|岡山・児島幼姉妹わいせつ殺傷事件(A)||1962/3/1||1960/02/19||控訴せず確定 |- |align=left|岐阜鉱山主殺人事件(A)||1962/04/06 ||1957/09/16||在日コリアンによる事件、1970年10月執行 |- |align=left|佐世保雑貨商夫婦強盗殺人事件(A)||1962/05/08||1959/04/14||1970年9月19日執行 |- |align=left|新潟県農家強盗殺人事件([[島秋人]])||1962/6/1|||1959/4/5||凶悪事件の累犯であったが、農家の妻を殺害。裁判中から死刑囚の感情を読んだ短歌を歌壇に数多く発表、島はその筆名である。1967年11月2日執行、33歳 |- |align=left|長崎奈留島雑貨商殺人事件(A)||1962/5/29||1955/9/28||1974年1月24日獄死 |- |align=left|山口同僚強盗殺人事件(A)||1962/06/29||1958/10/10|| |- |align=left|[[闇屋連続4人殺害事件]](I)||1962/7/17|||1946||生活に困窮した夫婦が闇屋を連続して殺害。事件発覚後逃亡し11年後に逮捕。一審は共に無期懲役だったが、犯行を持ちかけたのは妻であったにもかかわらず夫が逆転死刑。1967年11月16日執行、68歳 |- |align=left|北海道・赤平母子殺人事件(A)||1962/10/18||1960/01/17|| |- |align=left|広島・加計町強盗殺人事件(A)||1962/10/09||1957/07/12||被害者3人 |- |align=left|広島・加計町強盗殺人事件(B)||1962/10/09||1957/07/12||上記共犯 |- |align=left|静岡清水村老婆強盗殺人事件(B)||1962/12/11||1960/12/30|| |- |} ====1963年死刑確定囚(17人)==== {| class=wikitable |- !width="35%"|事件名(死刑囚名) !width="7%"|確定月日 !width="8%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|箕面社長一家殺傷事件(A)||1962/12/14||1959/3/16||犠牲者1人 |- |align=left|[[バー・メッカ殺人事件]]([[正田昭]])||1960|||1959/7/22||当時のマスコミはアプレゲール犯罪の典型として大きく報道した。共犯2人も有期の懲役刑、なお正田は獄中で小説家として名声を得ていた。1969年12月9日執行、40歳 |- |align=left|西宮雇い主一家3人殺害事件(A)||1963/2/8||1958/8/7||犯行時19歳 |- |align=left|葉山主婦強盗殺人事件(A)||1963/3/28||1959/4/21|| |- |align=left|北海道豊頃村一家4人殺害事件(X)||1963/4/12||1960/8/26||下記共犯Yも死刑 |- |align=left|中野刑務所看守殺人事件(A)||1963/03/28 ||1961/1/21||共犯(無期)とともに脱獄時に看守を殺害、1967年執行 |- |align=left|[[女性連続毒殺魔事件]](A)||1963/3/28||1960/12||女性死刑囚。1970年9月19日執行。 |- |align=left|看護婦強盗殺人・共犯内妻刺殺事件(A)||1963/4/30||1960/10||控訴するも直後に取り下げ |- |align=left|北海道豊頃村一家4人殺害事件(Y)||1963/4/12||1960/8/26||上記X(死刑)の共犯 |- |align=left|神戸重役夫人殺人事件(A)||1963/4/23||1958/12/08|| |- |align=left|[[岩槻一家7人殺害事件]](A)||1963/4/30|||1958/7/27||家庭環境に疲れ果てた男が自宅を放火し一家全員を焼死させた。一審は無期懲役であったが控訴審で逆転死刑となり上告も棄却。執行日不明。 |- |align=left|熊本警官毒殺・タクシー運転手射殺事件(A)||1963/5/10||1961/5/31||犯行時18歳、1969年10月18日執行 |- |align=left|愛知一宮女性事務員殺人事件(A)||1963/5/14||1961/6/30|| |- |align=left|上尾老夫婦殺人放火事件(A)||1963/6/27 ||1959/6/23|| |- |align=left|松島老堂守殺人事件(A)||1963/6/25||1961/4/15 || |- |align=left|東伊豆ダイナマイト殺傷事件(A)||1963/9/5|||1960/10||盗みに入った家で顔を見られたため「口封じ」のためダイナマイトで一家5人を皆殺しにしようとし、主人を殺害。 |- |align=left|福岡県立築上西高校警備員2人殺害事件(A)||1963/10/1||1960/1/19||共犯は無期、1967年10月21日執行 |- |} ====1964年死刑確定囚(9人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|目黒母子殺人事件(A)||1964/1|| 1963/1/17||控訴取下げ確定 |- |align=left|南千住宿直員父子殺人事件(A)||1964/1/8||1960/5/14|| |- |align=left|[[大阪・住吉実母殺人事件]](O)||1964/2/7|||1960/6/8||強盗殺人の従犯で懲役15年(7年で仮出所)の前科あり。1967年11月16日執行、42歳 |- |align=left|大和タクシー運転手強盗殺人事件(A)||1964/2/18||1954/12/11|| |- |align=left|一宮大叔母強盗殺人事件(A)||1964/4/2||1961/12/4|| |- |align=left|伊那たばこ店老夫婦毒殺事件(A)||1964/7/14||1956/4/1|| |- |align=left|新潟新聞販売店一家3人殺人事件(A)||1964/7/16|||1960/4/25||かつて勤めていた新潟市の読売新聞販売店に押し入り、店主と養母、女中の3人を殺害したが、たまたま通りかかった消防車のサイレンに驚き逃走。 |- |align=left|新潟新聞販売店一家3人殺人事件(B)||1964/7/16|||1960/4/25||上記事件の共犯者。 |- |align=left|愛媛城辺老夫婦強盗殺人事件(B)||1964/12/08||1960/06/13 || |} ==1965年-1969年== ====1965年死刑確定囚(7人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|三浦タクシー運転手強盗殺人事件(A)||1965/1||1962/6/5||最高裁1965年12月25日判決、翌年確定 |- |align=left|三浦タクシー運転手強盗殺人事件(B)||1965/1||1962/6/5||上記事件共犯者 |- |align=left|新宿女性殺人事件(A)||1965/1/22||1962/9/14|| |- |align=left|横浜一家3人殺傷事件(A)||1965/6/29||1963/4/16|| |- |align=left|世田谷クリーニング店夫婦殺人事件(A)||1965/7/13||1963/6/17|| |- |align=left|清水一家4人殺傷事件(A)||1965/7/20||1960/2/3|| |- |align=left|横須賀廃品回収業者殺人事件(A)||1965/9/17||1961/2/13|| |- |} ====1966年死刑確定囚(13人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|横浜女児殺人事件(W)||1965/12/17||1963/06/16|| |- |align=left|釧路雑貨商夫婦殺人事件(B)||1966/02/04||1963/11/06||犯行時未成年、1967年執行 |- |align=left|横浜韓国人夫婦殺人事件(C)||1966/2/26||1964/08/05||控訴せず確定、定住外国人死刑囚としては昭和時代最後の事例 |- |align=left|[[ 四国連続強盗殺人事件]](M)||1966/03/31||1964/10||6人殺害。軍隊時代に脱走する際同僚を殺害しようとしたとして軍法会議で無期懲役になった前科あり。1970年10月29日執行 |- |align=left|[[西口彰事件]]||1966/08/15||1963||5人殺害、1970年12月11日執行 |- |align=left|宮崎刑務所仲間両親殺人事件||1966/08/11||1965/09/29||控訴せず確定、1969年12月19日執行 |- |align=left|[[ホテル日本閣殺人事件]](A子) ||1966/07/14||1952,1960||戦後2番目の女性死刑確定囚。1952年にも前夫を毒殺していたことが発覚。1970年6月11日執行、女性としては戦後初の死刑執行。 |- |align=left|ホテル日本閣殺人事件(B)||1966/07/14||1960||上記共犯。1970年6月11日執行 |- |align=left|厚木親方一家4人殺人事件(H)||1966/12/01||1964/10/25||1969年執行 |- |} ====1967年死刑確定囚(13人)==== {| class=wikitable |- !width="40%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="40%"|備考(執行日など) |- |align=left|九州・女性3人殺害事件(A)||1967/1/12||1952,1962|| |- |align=left|東京・中野靴職人殺人事件(A)||1967/4||1958/2/17|| |- |align=left|[[福神丸殺人事件]](A)||1967/4||1965/3|| |- |align=left|宮崎・知人両親殺害事件(A)||1967/4||1965/9/17|| |- |align=left|東京・バーマダム殺人事件(A)||1967/4||1965/9/17|| |- |align=left|[[雅樹ちゃん誘拐殺人事件]](本山茂久)||1967/5/25||1960/5/16||歯科医の死刑囚、1971年執行。 |- |align=left|大阪・幼女殺人事件(A)||1967/6/22||1960/2/3|| |- |align=left|船橋・夫婦強盗殺害事件(A)||1967/8/5||1964/2/27||被害者2人に対し強盗団3人とも死刑 |- |align=left|船橋・夫婦強盗殺害事件(B)||1967/9/5||1964/2/27||上記共犯者 |- |align=left|船橋・夫婦強盗殺害事件(C)||1967/9/5||1964/2/27||上記共犯者 |- |align=left|盛岡・強盗殺人放火事件(A)||1967/9/8||1965/1/14|| |- |align=left|八王子金融業者夫婦殺害事件(A)||1967/10/10||1963/7/5|| |- |align=left|静岡・中学生強姦殺害事件(A)||1967/10/18||1965/10/14|| |- |align=left|[[吉展ちゃん誘拐殺人事件]](小原保)||1967/10/13||1963/3/31||1971年12月23日執行、38歳。 |- |} ====1968年死刑確定囚(14人)==== ====1969年死刑確定囚(11人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|熊本雑貨商一家3人強殺事件(K)||1969/03/25||1958/02/18||共犯は無期懲役、1975年7月11日執行 |- |align=left|秋田元同僚強殺人事件(S)||1969/04/25||1966/02/21|| |- |align=left|田無・春日部連続強盗殺人事件(N) ||1969/06/28||1966/09||控訴取下げ、1973年10月12日執行 |- |align=left|兵庫衣料品店夫妻強殺事件(K)||1969/07/11||1968/05/24|| |- |align=left|鶴見上司バラバラ殺人事件(N)||1969/08/22||1966/12/17|| |- |align=left|門真一家3人殺害事件(M)||1969/10/21||1968/08/07||元同棲相手の家族を殺害 |- |align=left|[[少年ライフル魔事件]](K)||1969/10/02||1965/07/29||犯行時18歳、1972年7月21日執行、享年25歳 |- |align=left|東京切り裂きジャック事件(T)||1969/11/14||1967~1968||被害者2人、殺人前科あり、1972年8月執行 |- |align=left|宇都宮保険金殺人事件(O)||1969/11/06||1967/04/19|| |- |align=left|八戸農婦強姦殺人事件(I)||1969/12/05||1966/04/14|| |- |align=left|昭島老女強盗殺人事件(S)||1969/12/16||1965/02/19||逮捕直後の5月に脱獄前科あり |- |} ==1970年-1974年== ====1970年死刑確定囚(14人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|長崎質店夫婦強盗殺人事件(Y)|| 1969/12/12||1966/12/23||1975年10月3日執行 。 |- |align=left|[[筑後市ボーナス毒殺事件]](T)||1969/12/23||1964/12/15||死刑執行予定日当日の1975年10月3日に自殺。以後日本では死刑囚に死刑執行の事前通告を一切しなくなったといわれている。 |- |align=left|浜松義妹殺人事件(I)||1970/02/20||1968/01/10||犠牲者一人、執行日不明。 |- |align=left|川越一家3人殺傷事件(A)||2/19|||1965/8/24||交際を求めていた女性の家族に反対され、逆上し姉夫婦を殺害し実弟に重傷を負わせた<ref>朝日新聞1970年2月19日夕刊</ref>。 |- |align=left|町田警察官殺害事件(O)||1970/03/26||1967/10/05||執行日不明 |- |align=left|福岡二人連続殺傷事件(K)||1970/03/26||1966,1967||前述のTと同じ日に死刑執行予定であったが中止。二日後の1975年10月5日執行、享年37歳。 |- |align=left|[[広島拘置所尾道拘置支所脱獄事件|三原食堂女主人強盗殺害事件]](H)||1970/05||1963/01/20||殺人前科に余罪多数。1965年に留置場から脱獄しその際窃盗や傷害の余罪を起こし別件で懲役15年が確定。1975年死刑執行 |- |align=left|弘前宝石商殺人事件(N)||1970/04/16||1967/08/10||共犯は無期懲役、執行日不明。 |- |align=left|北海道知人強盗殺人事件(N)||1970/6||1968/10/19||控訴取下げ、執行日不明。 |- |align=left|秋田・五城目夫婦殺人事件(A)||6/11|||1968/7/23||強盗に入りマサカリで夫婦を撲殺し金品を奪った<ref>朝日新聞1970年6月11日夕刊</ref>。 |- |align=left|女性美容師殺人事件(A)||8/20|||1967/1/26||犯行時19歳。内縁の妻がいるのに、結婚すると騙して金をとった女性が邪魔になった為、連れ出した矢板市で殺害し、死体を玉川上水に遺棄した。1968年に一時脱走の前科あり。 |- |align=left|日暮里用務員夫婦殺人事件(T)||1970/09/22||1966/08/10||執行日不明 |- |align=left|[[川端町事件]](O)||11/12|||1966/12/5||強盗放火殺人で有罪になったが、放火と殺人については「強盗したが、ストーブを倒していない」と冤罪を主張。死刑確定後収監年数39年は帝銀事件の平沢を上回る世界記録。 |- |align=left|栃木連続少女殺人事件(U)||1970/12/15||1962,1963、||殺人前科あり、執行日不明 |- |} ====1971年死刑確定囚(7人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|横浜団地主婦殺害事件(W)||1971/02/23||1967/06/09||執行日不明 |- |align=left|静岡同僚妻殺害放火事件(M)||1971/03/09||1967/04/29||執行日不明 |- |align=left|[[横須賀線電車爆破事件]](純多摩良樹)|| 1971/04/22||1968/06/16||犠牲者一人、獄中で「純多摩良樹」の筆名で短歌を寄稿。1975年12月5日執行、32歳。 |- |align=left|[[新潟デザイナー誘拐殺人事件]](Y)||1971/05/11|||1965/01/13||1977年5月21日自殺、35歳 |- |align=left|栃木呉服店一家3人強盗殺人事件(M)||1971/08/17||1969/01/03||犯行時19歳、執行日不明。 |- |align=left|横浜母子強盗殺人事件(H)||1971/10/26||1967/03/14||1975年12月7日執行、37歳。 |- |align=left|愛知義妹夫婦殺人事件(F)||1971/12/21||1969/02/20||1976年執行。 |- |} ====1972年死刑確定囚(7人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[名張毒ぶどう酒事件]](奥西勝)||1972/06/15||1961/03/28||再審請求中 |- |} ====1973年死刑確定囚(5人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[大久保清事件]]||1973/03/09||1971||8人を殺害、被害者多数。一審で確定、1976年1月22日執行 |- |align=left|福岡農協強盗殺傷事件(A)||1973/03/02|| 1967/06/20||1976年9月2日執行、 |- |align=left|富山少女殺人事件(T)|| 1973/10/18||1970/03/29||1977年執行 |- |align=left|山口家政婦殺害事件(B)||1973/09/27||1967/02/14 ||1978年執行 |- |align=left|神奈川3人連続毒殺事件(H)||1973/12/13||1969/12||最高裁は1974年2月に判決訂正申立棄却 |- |} ====1974年死刑確定囚(2人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|大田原女性セールスマン殺人事件(A)||7|||1971/8||知人女性を撲殺。一審は無期懲役だったが二審で逆転死刑。上告取下げで確定。1975年9月5日に東京拘置所でシーツで首を吊り自殺、34歳 |- |align=left|沼津金融業者殺人事件(A)||12/20|||1969/2||上告棄却。共犯二人とともに、静岡県内の金融業者を誘い出し睡眠薬を飲ませ絞殺。死体を箱根山中に埋めた。裁判中に自動車の排気ガス機構に関する特許権を取得している。1977年死刑執行。 |- |} ==1975年-1979年== ====1975年死刑確定囚(3人)==== ====1976年死刑確定囚(1人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[波崎事件]](T)||1976/4/1|||1963/08/26||2003年9月3日病死 |- |} ====1977年死刑確定囚(3人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|沖縄一家殺傷事件(O)||1977/04/26||1973/3/30 ||1980年12月16日執行 |- |align=left|[[ピアノ騒音殺人事件]](A)||1977/4/16|||1974/08/28||死刑執行を望み前年10月に自ら控訴を取り下げ確定も、30年以上経過した現在も執行されず生存中<ref>控訴取下げの時点で精神異常をきたしていたといわれており、心神喪失のため執行できない可能性もあるが、実際のところ現状不明。</ref> |- |align=left|北九州組員4人連続殺人事件(K)||1977/06/07||1975||控訴取下げで確定したが、5ヵ月後の1977年11月16日に執行。戦後確定から執行までの期間が短かった記録。 |- |} ====1978年死刑確定囚(4人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[正寿ちゃん誘拐殺人事件]](K) ||1977/12/20||1969/09/10||犯行時19歳、1979年10月執行、29歳。 |- |align=left|東京連続少年誘拐殺人事件(K)|| 1978/01/26||1966,1970||4年間に少年2人を殺害、1981年1月執行、55歳 |- |align=left|愛知武豊一家3人強盗殺人事件(O) ||1978/04/17||1971/05/01||1985年5月31日執行、53歳。 |- |align=left|群馬2女性強盗殺人事件(N)||1978/06/22||1968,1971||1984年10月30日執行、54歳。 |- |} ====1979年死刑確定囚(4人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|大分福岡女性連続殺人事件(A)||1979/1||1977||控訴取下げ、1985年7月25日執行。 |- |align=left|[[古谷惣吉連続殺人事件]](古谷惣吉)||1978/11/28||1965||8人殺害、過去に2人殺害しているため生涯で10人殺害している。1985年5月31日 執行、70歳。 |- |align=left|芦屋親子殺人事件(A)||1979/4/17||1976/12/24||1987年9月30日執行 |- |align=left|熊本義兄一家殺傷事件(A)||1979/7/10||1970/7/4||1989年11月10日執行 |- |} ==1980年-1984年== ====1980年死刑確定囚(7人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[上野消火器商一家殺人事件]](K)||1980/01/05|||1974/02/06||最高裁判決訂正申立せず。1986年5月20日執行、52歳 |- |align=left|上野消火器商一家殺人事件(T)||1980/01/16|||1974/02/06||上記共犯。1986年5月20日執行、49歳 |- |align=left|[[銚子民宿母子殺人事件]](Y)||1980/03/22|||1976/06/14||殺人の前科あり。1987年9月30日執行、35歳 |- |align=left|[[山林売買殺人事件]](K)||1980/05/19|||1970/07/28, 1971/05/20||1993年3月26日執行、55歳 |- |align=left|徳島母子強姦殺人事件(A)||1980/7||不明||一審は無期懲役、1988年6月16日執行、 |- |align=left|寝屋川強盗殺人事件(A)||1980/11|||1975/8/23||拾った合鍵で侵入し夫婦を殺害。1988年6月16日執行、 |- |align=left|[[袴田事件]]([[袴田巌]])||1980/12/10|||1966/06/30||東京拘置所在監中、冤罪との指摘もある。 |- |} ====1981年死刑確定囚(3人)==== {| class=wikitable |- !width="20%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="60%"|備考(執行日など) |- |align=left|釧路薬局一家殺人事件(A)||3/19|||1974/8/7||一家3人を殺害し金銭を強奪。1993年11月26日執行、61歳 |- |align=left|[[長崎雨宿り殺人事件]](A)||6/16|||1977/9/24||1999年12月17日執行、62歳 |- |align=left|[[愛媛・松前保険金殺人事件]](A)||6/26|||1971,1972||保険金目的で実母を殺害し、口封じの為妻も殺害。別々に審議され死刑と無期懲役が確定。共犯2人も有罪確定。1993年3月26日執行、62歳 |- |} ====1982年死刑確定囚(1人)==== {| class=wikitable |- !width="20%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="60%"|備考(執行日など) |- |align=left|世田谷老女殺人事件(F)||9/1|||1977/12/3||不動産売主を殺害し、二審で確定。共犯は懲役13年。1993年11月26日執行、47歳 |- |} ====1983年死刑確定囚(1人)==== {| class=wikitable |- !width="20%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="60%"|備考(執行日など) |- |align=left|徳島2女性殺人事件(F)||1983/5|||1978||控訴取下げで確定。知的障害者で自分が死刑になる事を理解できなかったとの指摘もある。1995年5月26日執行、40歳 |- |} ====1984年死刑確定囚(3人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[大阪電解事件]](K)||1984/04/27|||1974||勤務先上司2人を殺害、1993年11月26日執行、70歳 |- |align=left|大阪電解事件(T)||1984/04/27|||1974||上記共犯、1993年11月26日執行、56歳 |- |align=left|近畿連続強盗殺人事件 (T)||1984/09/13|||1975||7府県で強盗をし3人を殺害、1993年3月26日執行、48歳。執行時統合失調症であった可能性がある。 |- |} ==1985年-1989年== ====1985年死刑確定囚(2人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[群馬3女性殺人事件]](A)||1985/04/26|||1977/04/16||1994年12月1日執行。国家賠償訴訟中だった |- |align=left|[[青森旅館殺人事件]](S)||1985/07/01|||1984/09/09||1958年に強盗殺人で無期懲役となった前科がある。控訴取り下げで確定。1994年12月1日執行 |- |} ====1986年死刑確定囚(0人)==== ====1987年死刑確定囚(8人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[裕士ちゃん誘拐殺人事件]](S)||1987/01/19|||1986/05/09||被告控訴取り下げで確定。1995年5月26日執行 |- |align=left|[[連続企業爆破事件]]([[大道寺将司]])||1987/03/24|||1974/08/30 - 1975/05/04||共犯の一部が超法規措置で出国 |- |align=left|連続企業爆破事件([[片岡利明]])||1987/03/24|||1974/08/30 - 1975/05/04||同上 |- |align=left|[[名古屋保険金殺人事件]](I)||1987/03/31|||1979/11/19 - 1983/12/25||二審で確定。1998年11月18日執行。共犯のHは1993年確定 |- |align=left|[[名古屋女子大生誘拐殺人事件]](K)||1987/07/09|||1980/12/02||1995年12月21日執行 |- |align=left|[[秋山兄弟事件]](A)||1987/07/17|||1975/08/25||2006年12月25日執行。再審請求中だった。 |- |align=left|[[東村山署警察官殺人事件]](T)||1987/10/23|||1976/10/18||1995年5月26日執行 |- |align=left|[[和歌山女子中学生誘拐殺人事件]](H)||1987/12/18|||1979/3/28、5/15||1名死亡の強盗殺人でも起訴。1995年12月21日執行 |- |} ====1988年死刑確定囚(11人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[九州連続保険金殺人事件]](H)||1988/03/08|||1978/03/24 - 1979/05/09|| |- |align=left|[[福岡病院長殺人事件]](S)||1988/04/15|||1979/11/04||死者1名 |- |align=left|福岡病院長殺人事件(Y)||1988/04/15|||1979/11/04||同上 |- |align=left|[[日立女子中学生誘拐殺人事件]](W)||1988/04/28|||1978/10/16|| |- |align=left|[[群馬女性農夫連続殺人事件]](S)||1988/05/20|||1981/10/02、1982/07/03||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1995年12月21日執行 |- |align=left|[[大阪風俗従事者連続殺人事件]](W)||1988/06/02|||1967/4/24 - 1973/3/20||4件の犯行の内、2件は未成年時によるもの。一審は無期懲役だった。 |- |align=left|[[神田ビル放火殺人事件]](I)||1988/07/11||1981/07/06||1996年7月11日執行 |- |align=left|[[夕張保険金殺人事件]](夫H)||1988/10/11|||1984/05/05||犯人は夫婦。今上天皇即位に伴う恩赦を期待して控訴取り下げ、確定。恩赦はされず、1997年8月1日執行 |- |align=left|夕張保険金殺人事件(妻H)||1988/10/11|||1984/05/05||同上 |- |align=left|[[東京港区連続強盗殺人事件]](H)||1988/10/22|||1978/05/21、6/10||今上天皇即位に伴う恩赦を期待して上告取り下げ、確定。恩赦はされず、1996年12月20日執行 |- |align=left|[[元昭和石油重役一家殺害事件]](I)||1988/10/22|||1983/01/29||今上天皇即位に伴う恩赦を期待して上告取り下げ、確定。恩赦はされず、1996年12月20日執行 |- |} ====1989年死刑確定囚(5人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[日建土木事件]](N)||1989/03/28|||1977/01/07||1998年11月19日執行。 |- |align=left|[[埼玉連続強盗殺人事件]](I)||1989/06/13|||1973/08/04、1974/09/13|| |- |align=left|[[「殺し屋」連続殺人事件]](F)||1989/10/13|||1970/02/13 - 1973/04/15||旧姓S |- |align=left|[[父親等3人殺人事件]](K)||1989/11/20|||1985/03/08||1997年8月1日執行 |- |align=left|[[伊勢崎女子中学生殺人事件]](U)||1989/12/08|||1976/04/01||旧姓T |- |} ==1990年-1994年== ====1990年死刑確定囚(7人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|東京港区連続強盗殺人事件(N)||1990/02/01|||1978/05/21、6/10||共犯のHは1988年に上告取り下げで確定している。1996年12月20日執行 |- |align=left|[[熊本主婦殺人事件]](K)||1990/04/03|||1979/09/11||18歳のときに強盗殺人を起こした前科がある |- |align=left|[[永山則夫連続射殺事件]]([[永山則夫]])||1990/04/17|||1968/10/11 - 11/05||犯行時19歳。1997年8月1日執行 |- |align=left|[[長崎3人殺人事件]](M)||1990/4/27|||1978/03/21||1998年6月25日執行 |- |align=left|[[空知連続女性殺傷事件]](H)||1990/09/13|||1972/05 - 1974/05||2004年6月4日病死。再審請求棄却に対する異議申立中だった。 |- |align=left|[[三崎事件]](A)||1990/10/16|||1971/12/21||2009年9月3日病死。再審請求審理中だった |- |align=left|[[福岡県直方市強盗殺人事件]](T)||1990/12/14|||1980/04/23||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1998年6月25日執行 |- |} ====1991年死刑確定囚(4人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[自殺偽装夫殺害事件]](M)||1991/09/31|||1974/08/08、1978/04/24||別の男性殺害でも起訴。2007年7月17日病死。再審請求中だった |- |align=left|[[パチンコ景品商殺人事件]](S)||1991/02/05|||1983/01/16||1950年に強盗殺人で無期懲役の判決を受けている。1998年6月25日執行 |- |align=left|[[秦州くん誘拐殺人事件]](T)||1991/06/11|||1984/02/13||1998年11月19日執行 |- |align=left|[[大宮母子殺人事件]](S)||1991/11/29|||1981/04/04||共犯は逃亡中の1997年に病死。1999年12月17日執行 |- |} ====1992年死刑確定囚(5人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[市原両親殺害事件]](S)||1992/01/30|||1974/10/30||再審請求中 |- |align=left|[[東京都北区パチンコ店幼女殺害事件]](S)||1992/02/18|||1979/07/28||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1999年9月10日執行 |- |align=left|[[福島女性飲食店経営者殺人事件]](T)||1992/06/18|||1990/05/02||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。控訴せず確定。1999年9月10日執行 |- |align=left|[[熊本母娘殺人事件]](M)||1992/09/24|||1985/07/24||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1999年9月10日執行 |- |align=left|[[赤穂同僚妻子殺害事件]](N)||1992/09/29|||1983/01/19||2007年4月27日執行。再審請求準備中だった |- |} ====1993年死刑確定囚(7人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|連合赤軍事件([[坂口弘]])||1993/02/19|||1971 - 1972/02||共犯の一部が超法規措置で出国 |- |align=left|連合赤軍事件([[永田洋子]])||1993/02/19|||1971 - 1972/02||同上。2011年2月5日獄死。65歳。 |- |align=left|[[山中湖連続殺人事件]](S)||1993/07/07|||1984年10月11日 - 25日||死刑再開への抗議のため上告取り下げ、確定。共犯のIは1995年に確定。2008年2月16日病死。再審請求中だった |- |align=left|[[栃木覚醒剤殺人事件]](F)||1993/09/09|||1981/03/29||2006年12月25日執行。再審請求中だった |- |align=left|名古屋保険金殺人事件(H)||1993/09/21|||1979/11/19 - 1983/12/25||旧姓T。共犯のIは1987年に確定。2001年12月27日執行。恩赦出願準備中だった |- |align=left|[[北九州母娘殺傷事件]](M)||1993/11/16|||1990/03/12||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。控訴取り下げで確定するが公判再開申立、再審請求、前科の事件について控訴取り下げ無効を申し立てるも福岡高裁に即時抗告中の2009年1月29日執行 |- |align=left|[[平取猟銃一家殺人事件]](O)||1993/12/10|||1979/07/18||1999年11月8日、拘置所で入浴中にカミソリ自殺 |- |} ====1994年死刑確定囚(3人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[勝田清孝事件]](勝田清孝)||1994/01/17|||1972年9月 - 1982年10月||後に藤原に改姓。2000年11月30日執行 |- |align=left|[[岐阜前妻一家殺人事件]](M)||1994/03/18|||1989/02/14||上告取り下げ、確定。2000年11月30日執行 |- |align=left|[[北海道庁爆破事件]]([[大森勝久]])||1994/07/15|||1976/03/02|| |- |} ==1995年-1999年== ====1995年死刑確定囚(3人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[佐賀隣人一家殺人事件]](O)||4/21|||1983/5/16 ||2000年11月30日執行、55歳 |- |align=left|[[山梨・新潟連続殺人事件]](F)||6/8||1986/3|| |- |align=left|[[山中湖連続殺人事件]](I)||7/3||1984/10|| |- |} ====1996年死刑確定囚(4人)==== {| class=wikitable |- !width="23%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="17%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[徳島3人射殺事件]](I)||1996/03/04|||1986/6/3||2007年12月7日執行 |- |align=left|[[不動産会社連続殺人事件]](Y)||1996/10/25|||1982年3月21日 - 3月25日|| |- |align=left|[[練馬一家5人殺害事件]](A)||11/14|||1983/6/27||2001年12月27日執行 |- |align=left|[[姫路市母子殺害事件]](M)||12/17|||1985/11/29・12/3||2003年9月12日執行 |- |} ====1997年死刑確定囚(4人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[大阪宝石商殺人事件]](N)||1997/01/28||1982/05/20||2008年4月10日執行 |- |align=left|[[徳島・愛知主婦連続強盗殺人事件]] (M)||4/23|||1987/9||2008年2月1日執行 |- |align=left|[[福岡内妻一家4人殺害事件]](O)||9/11||1976/6/13||旧姓A |- |align=left|[[警察庁広域重要指定115号事件]](J)|||12/19||1984/9/4||旧姓H |- |} ====1998年死刑確定囚(6人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[熊本大学生誘拐殺人事件]](H)||1998/04/23|||1987/09/14||2002年9月18日執行 |- |align=left|[[坂祝町一家殺害事件]](H)||6/3|||1994/06/03||2002年9月18日執行 |- |align=left|[[富山・長野連続女性誘拐殺人事件]](M)|||1998/09/04||1980/02 - 03|| |- |align=left|[[中村橋派出所警官殺害事件]](S)||1998/09/17||1989/05/16||元陸上自衛官により警察官2名殺害。 |- |align=left|[[宮代事件]](M)||1998/10/08||1980/03/21|| |- |align=left|[[群馬妙義山連続殺害事件]](M)||1998/12/01||1990/12/04、1991/07/06|| |- |} ====1999年死刑確定囚(4人)==== {| class=wikitable |- !width="25%"|事件名(死刑囚名) !width="8%"|判決確定日 !width="17%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[埼玉友人3人殺害事件]](T)||1999/02/25||1972/02、1974/02|| |- |align=left|[[熊本保険金殺人事件]](S)||1999/03/09|||1988/03||2004年9月14日執行 |- |align=left|[[高知女性3人連続殺人事件]](F)||1999/06/25|||1978、1980、1981||2006年12月25日執行 |- |align=left|[[安中親子3人殺害事件]](M)||1999/09/13||1980/3/21||一時期、姓がNだったが元に戻した。1975年に起こした殺人の前科あり |- |} ==2000年-2004年== ====2000年死刑確定囚(6人)==== {| class=wikitable |- !width="35%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="45%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[千葉・高知連続強盗殺人事件]](K)||2000/02/04||1983/08、1989/02||2005年9月16日執行 |- |align=left|[[広島タクシー運転手連続殺人事件]](H)||2000/02/09|||1996/04~09||控訴せず確定。2006年12月25日執行 |- |align=left|[[福岡連続保険金殺人事件]](O)||2000/03/15||1990/12/25、26||控訴取り下げで確定。2007年4月27日執行 |- |align=left|[[大阪兄弟連続強盗殺人事件]](M)||2000/04/04||1990/09 - 1991/09||共犯の兄は逮捕前に自殺 |- |align=left|[[4都県連続4人殺害事件]](T)||2000/09/08||1984、1988、1989、1991||旧姓M。恩赦請求提出直前の2007年4月27日執行 |- |align=left|[[栃木連続3人殺害事件]](T)||2000/12/11||1990/09、1993/07||上告せず確定。2007年8月23日執行 |- |} ====2001年死刑確定囚(5人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[富山社長夫婦殺人事件]](S)||2001/01/30|||1991/05/07||2007年8月23日執行 |- |align=left|[[東京連続強盗殺人事件]](I)||2001/02/01|||1996/06/10、1999/07/08||控訴取り下げで、確定。2007年8月23日執行 |- |align=left|[[愛知連続殺人事件]](U)||2001/09/20|||1993/02/16、03/03||2003年2月28日獄死 |- |align=left|[[市川一家4人殺人事件]](S)||2001/12/3|||1992/3/5||犯行時19歳 |- |align=left|[[大阪地下鉄短大生強盗殺人事件]](M)||2001/12/06|||1988/01/15||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。2008年9月11日執行 |- |} ====2002年死刑確定囚(3人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[多摩市パチンコ店強盗殺人事件]](B)||2002/6/11|||1992/5/30||中国籍、戦後来日外国人として初の死刑囚。共犯逃亡中 |- |align=left|多摩市パチンコ店強盗殺人事件(C)||2002/6/11|||1992/5/30||同上 |- |align=left|[[川口バラバラ殺人事件]](A)||2002/10/25|||1999/1/9||上告取下げ、確定。1978年9月にも強盗殺人事件を起こし無期懲役判決を受けて服役し、1998年1月に仮出所していた。 |- |} ====2003年死刑確定囚(2人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[江戸川老母娘強盗殺人事件]](F)||2003/1||1999/4/19|||2人殺害のほか別件で詐欺事件も起こしていた。上告取り下げ。2007年12月17日執行 |- |align=left|[[附属池田小事件]]([[宅間守]])||2003/8/28|||2001/6/8||控訴取り下げ。2004年9月14日執行 |- |} ====2004年死刑確定囚(15人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[警察庁広域重要指定121号事件]](W)||2004/04/19||1992/03/05||共犯のMは2005年確定 |- |align=left|[[神奈川2連続強盗殺人事件]](I)||2004/04/27||1988/12/28、1989/01/01||2009年10月27日獄死 |- |align=left|[[藤沢母娘殺人事件]](F)||2004/6/15||1981/10~82/6 ||2007年12月7日執行 |- |align=left|[[警察庁広域重要指定118号事件]](O)||2004/6/25||1986-1991|| |- |align=left|警察庁広域重要指定118号事件(K)||2004/6/25||1986-1991||上記共犯者。2008年に東京拘置所に移送。2011年1月29日に病死、67歳<ref>朝日新聞2011年1月30日</ref>。 |- |align=left|警察庁広域重要指定118号事件(S)||2004/6/25||1986-1991||上記共犯者 |- |align=left|[[徳之島・実兄一家殺傷事件]](N)||2004/08/26||1997/04/18||控訴取り下げで確定。2008年2月1日執行 |- |align=left|[[滋賀元同僚強盗殺人事件]] (N)||9/9||2004/1986-1991||2008年4月10日執行 |- |align=left|[[コスモ・リサーチ強盗殺人事件]](O)||2004/9/13||1988/1/9||旧姓K |- |align=left|コスモ・リサーチ強盗殺人事件(S)||2004/9/13||1988/1/9||上記共犯者 |- |align=left|[[JT女性社員逆恨み殺人事件]](M)||2004/10/13|||1997/4/18||一審は無期懲役。殺人の前科あり。2008年2月1日執行 |- |align=left|[[群馬女子高生誘拐殺人事件]](S)||2004/10/29||2002/7/19||一審は無期懲役。控訴審で逆転死刑も上告せず確定。2008年4月10日執行 |- |align=left|[[高知連続保険金殺人事件]](S)||2004/11/19||1987-1992/8||死刑確定時77歳、保険金殺人で共犯3人は懲役刑。女性死刑囚としては最高齢。2011年1月27日、肝臓がんのため83歳で獄死 |- |align=left|[[福岡県連続強盗殺人事件]](H)||2004/12/2||1995/4/18|| |- |align=left|[[フィリピン人女性殺害事件]](M)||2004/12/14||1998/12/25||旧姓S |- |} ==2005年-2009年== ====2005年死刑確定囚(11人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[宮城香川連続保険金殺人事件]](Y)||2005/01/25|||1985/11、1990/03||2008年6月17日執行 |- |align=left|[[茨城同級生殺人事件]](M)||2005/01/27|||1989/08/09 - 09/13|| |- |align=left|[[杉並資産家老女殺害事件]](A)||2005/03/03|||1989/10/01 - 04||2008年4月10日執行 |- |align=left|[[オウム真理教事件]]([[岡崎一明]])||2005/04/07|||1989/02 - 11/03||現姓宮前 |- |align=left|[[警察庁広域重要指定119号事件]](N)||2005/06/07|||1991/12/13 - 1992/01/05||18歳のときに起こした殺人の前科あり |- |align=left|[[警察庁広域重要指定122号事件]](K)||2005/07/08|||1985/05/28 - 1994/03|| |- |align=left|[[群馬パチンコ店員連続強盗殺人事件]](T)||2005/07/13|||2003/02/23、04/01||控訴取り下げで確定。共犯のOは2009年確定 |- |align=left|警察庁広域重要指定121号事件(M)||2005/09/16|||1993/10 - 12||共犯のWは2004年確定 |- |align=left|[[仙台老夫婦強盗殺人事件]](H)||2005/09/26|||1986/02/20|| |- |align=left|[[SMクラブ下克上殺人事件]](M)||2005/10/17|||1995/12/21||2008年6月17日執行 |- |align=left|[[大阪愛犬家連続殺人事件]](U)||2005/12/15|||1992/06/19 - 1993/10/29|| |- |} ====2006年死刑確定囚(20人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]([[宮崎勤]])||2006/01/17|||1988/08 - 1989/06||再審請求準備中の2008年6月17日執行 |- |align=left|[[大阪右翼幹部殺害事件]](T)||2006/02/14|||1992/02/09、1994/04/28||旧姓K |- |align=left|[[三重古物商殺人事件]](Y)||2006/02/24|||1994/03 - 1995/03|| |- |align=left|[[愛知静岡2女性殺害事件]](M)||2006/03/02|||1996/08/31、1997/09/04||旧姓T |- |align=left|[[神戸市夫婦強盗殺人事件]](Y)||2006/03/20|||2005/01/08||2008年9月11日執行 |- |align=left|オウム真理教事件([[麻原彰晃|松本智津夫(麻原彰晃)]])||2006/03/27||1995他||弁護団が控訴趣意書を提出せず棄却 |- |align=left|[[鶴見事件]](T)||2006/03/28|||1988/06/20|| |- |align=left|[[ドラム缶女性焼殺事件]](S)||2006/06/09|||2000/04/04||旧姓N。2009年1月29日執行 |- |align=left|ドラム缶女性焼殺事件(K)||2006/06/09|||2000/04/04||2009年1月29日執行 |- |align=left|[[豊中市2人殺害事件]](N)||2006/06/13|||1992/03/05||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす |- |align=left|[[川崎中国人6人殺傷事件]](C)||2006/06/27|||1999/05/25||中国籍。2009年7月28日執行 |- |align=left|[[市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件]](H)||2006/09/01|||1994/12/19||2008年9月11日執行 |- |align=left|[[堺市夫婦殺害事件]](E)||2006/09/07|||1997/10/30||共犯逃亡中 |- |align=left|[[飯塚事件]](K)||2006/09/08|||1992/02/20||当時の[[DNA鑑定]]は信憑性が低いとして、再鑑定を求めていたが、2008年10月28日執行 |- |align=left|[[宮崎女性強盗殺人事件]](I)||2006/09/21|||1996/08/29、1997/06/13|| |- |align=left|[[奈良小1女児殺害事件]](K)||2006/09/26|||2004/11/17||控訴取り下げで確定 |- |align=left|[[栃木妻・知人殺人事件]](N)||2006/10/12|||1988/11、1989/11|| |- |align=left|[[栃木生き埋め殺人事件]](T)||2006/10/26|||1992/07/23 - 24|| |- |align=left|[[名古屋福岡連続殺人事件]](P)||2006/11/24|||1995/01/12 - 28||2009年1月4日獄死 |- |align=left|[[いわき市母娘強盗殺人事件]](T)||2006/12/20|||2004/03/18||上告取り下げで確定。2008年10月28日執行 |- |} ====2007年死刑確定囚(23人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="8%"|判決確定日 !width="15%"|事件発生日 !width="47%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[長野・愛知4連続強盗殺人事件]](N)||2007/01/11|||2004/01/13 - 09/07||控訴取り下げで確定。2009年1月29日執行 |- |align=left|[[マニラ保険金連続殺人事件]](M)||2007/01/30||1994/12 - 1996/06||双子の兄弟での犯行 |- |align=left|マニラ保険金連続殺人事件(M)||2007/01/30||1994/12 - 1996/06||上記共犯者、双子の兄弟での犯行 |- |align=left|マニラ保険金連続殺人事件(S)||2007/01/30||1994/12 - 1996/06||上記共犯者 |- |align=left|[[宮崎連続強盗殺人事件]](M)||2007/02/06||2001/11 - 12||2012年3月29日執行 |- |align=left|[[宇都宮宝石店放火殺人事件]](S)||2007/02/20||2000/06/11||2010年7月28日執行 |- |align=left|[[名古屋スナック店主強盗殺人事件]](T)||2007/03/22||2002/03/14|| |- |align=left|[[武富士弘前支店強盗殺人・放火事件]](K)||2007/03/27||2001/05/08|| |- |align=left|[[福山市女性強盗殺人事件]](N)||2007/04/10||1992/3/29||殺人の前科あり。 |- |align=left|[[池袋通り魔殺人事件]](Z)||2007/04/19||1999/09/08|| |- |align=left|[[大阪姉妹殺害事件]](Y)||2007/05/31|||2005/11/17||控訴取り下げで確定。16歳のとき[[山口母親殺害事件]]を起こして少年院送致。2009年7月28日執行 |- |align=left|[[太州会内部抗争連続殺人事件]](N)||2007/06/12||1997/10|| |- |align=left|[[春日部・中国人夫婦殺人事件]](S)||2007/06/19||2000/09/22|| |- |align=left|[[自殺サイト殺人事件]](M)||2007/07/5|||2005/02 - 06||控訴取り下げ。2009年7月28日執行 |- |align=left|[[三重連続強盗殺人事件]](H)||2007/07/18||1994/07 - 11|| |- |align=left|[[熊谷4人殺傷事件]](O)||2007/04/10||2003/8/18||控訴取下げ、2010年7月28日執行。執行命令書に署名した法務大臣自身が歴史上初めて立ち会う。 |- |align=left|[[オウム真理教事件]]([[横山真人]])||2007/07/20||1989/11等|| |- |align=left|[[宇都宮監禁強盗殺人事件]](G)||2007/09/28||2000/07 - 08|| |- |align=left|オウム真理教事件([[端本悟]])||2007/10/26||1995/03/20等|| |- |align=left|[[マブチモーター社長宅殺人放火事件]](O)||2007/11/1||2002/08||犠牲者4人。控訴取下げ、共犯も2011年に上告棄却で死刑確定。ノンフィクション作家[[斉藤充功]]の手によって[http://knuckles.cocolog-nifty.com/ 死刑囚獄中ブログ]に手記をアップロードしている。 |- |align=left|[[大和市主婦連続殺害事件]](S)||2007/11/6||2001/08 - 09||上告棄却 |- |align=left|[[横浜一家殺害事件]](F)||2007/11/15||2002/07/31||2012年3月29日執行 |- |align=left|[[岡山女性殺害事件]](U)||2007/11/30|||2007/11/30||殺人罪で服役し仮釈放された元無期懲役囚による再犯。2008年2月7日獄死、68歳。歴史上初めて、法務大臣自身が死亡の事実を記者発表した。 |- |} ====2008年死刑確定囚(10人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[長崎・佐賀連続保険金殺人事件]](S)||2008/01/31||1992/9-1998/10|| |- |align=left|オウム真理教事件([[林泰男]])||2008/02/15||1995/03/20等|| |- |align=left|[[三島女子短大生焼殺事件]](H)||2008/02/29||2002/01/22|| |- |align=left|[[宇都宮実弟殺害事件]](H)||2008/03/17||2005/05||殺人の前科有り。上告取り下げで確定 |- |align=left|[[京都・神奈川親族連続殺人事件]](M)||2008/04/08||2007/01||控訴取り下げで確定 |- |align=left|[[入間暴力団組員5人射殺事件]](Y)||2008/04/23||2003/12/14||2010年1月2日獄死 |- |align=left|[[伊勢原母子殺人事件]](K)||2008/06/05||2001/08/04|| |- |align=left|[[下関通り魔殺人事件]](U)||2008/07/11||1999/09/29||2012年3月29日執行 |- |align=left|[[本庄保険金殺人事件]](Y)||2008/07/17||1995/06/03 - 1999/05/30|| |- |align=left|[[須賀川女性祈祷師信者殺害事件]](E)||2008/09/16||1995/01 - 06||女性死刑囚 |- |} ====2009年死刑確定囚(18人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[高岡暴力団組長夫婦射殺事件]](W)||2009/01/22||2000/07/13||2009年5月2日獄死、56歳 |- |align=left|高岡暴力団組長夫婦射殺事件(I)||2009/03/23||2000/07/13||上記共犯者。取調べの段階で副組長と一緒に殺害を依頼したと供述した。その後、副組長は起訴されて死刑を求刑されたが、一審、二審で無罪判決が言い渡され確定している。 |- |align=left|[[熊本・松橋町強盗殺人事件]](M)||2009/04/3||2003/10/16||上告取り下げ。 |- |align=left|[[闇サイト殺人事件]](K)||2009/04/13||2007/08/24||控訴取り下げ。 |- |align=left|[[和歌山毒物カレー事件]](林眞須美)||2009/04/21|||1998/07/25||女性死刑囚 |- |align=left|[[埼玉愛犬家連続殺人事件]](K夫)||2009/06/05||1993/4/20 - 1993/08/26|| |- |align=left|埼玉愛犬家連続殺人事件(K妻)||2009/06/05||1993/4/20~1993/08/26||上記共犯者、女性死刑囚 |- |align=left|群馬パチンコ店員連続殺人事件(O)||2009/06/09||2003/2/23、04/01||共犯も死刑確定 |- |align=left|[[市原ファミレス暴力団組員射殺事件]](M)||2009/06/15||2005/04/25|| |- |align=left|[[仙台強盗殺人事件]](T)||2009/06/23|||2001/01/08、02/03||旧姓I |- |align=left|[[前橋スナック乱射事件]](K)||2009/07/10|||2003/01/25|| |- |align=left|[[オウム真理教事件]]([[早川紀代秀]])||2009/07/17|||1989/2、1989/11/04|| |- |align=left|オウム真理教事件([[広瀬健一]])||2009/11/06|||1989/2、1989/11/04|| |- |align=left|オウム真理教事件([[豊田亨]])||2009/11/06|||1989/2、1989/11/04|| |- |align=left|[[北見市資産家夫婦殺人事件]](K)||2009/12/04|||1988/10/21|| |- |align=left|オウム真理教事件([[井上嘉浩]])||2009/12/10|||1994/01 - 1995/03|| |- |align=left|[[福岡庄内連続殺人事件]](S)||2009/12/11|||1996/06/08、11/19|| |- |align=left|福岡庄内連続殺人事件(T)||2009/12/11|||1996/06/08、11/19||2010年4月14日病死 |- |} ==2010年以降== ====2010年死刑確定囚(8人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[土浦連続殺傷事件]](K)||2010/01/05||2008/03||2009年12月18日死刑判決。弁護人控訴も本人が死刑願望者であり「完全勝利」のため、控訴取下げ確定。 |- |align=left|[[オウム真理教事件]]([[新実智光]])||2010/01/19||1995/03他多数||上告棄却。一連のオウム真理教事件で11件26人の殺人に関与したとして死刑確定。 |- |align=left|大阪・岐阜連続女性強盗殺人事件(O)||2010/01/29||2005/03 - 04||上告棄却。パチンコに負けた借金に窮して金銭目的で女性2人を殺害。他にも空き巣の余罪あり。 |- |align=left|[[久留米看護師連続保険金殺人事件]](Y)||2010/03/18||1998/01/24、1999/03/27||女性死刑囚 |- |align=left|[[千葉・館山連続放火事件]](T)||2010/09/16|||1998-2004||上告棄却。一連の放火で5人が犠牲に。 |- |align=left|[[茨城・鉾田連続女性強盗殺人事件]](F)||2010/10/14|||2005/1||上告棄却。犠牲者2人。 |- |align=left|[[北九州大分連続強盗殺人事件]](O)||2010/11/8|||2002/1||犠牲者2人。北九州市で強盗放火殺人、大分で殺人。<ref>朝日新聞2010年11月9日朝刊</ref> |- |align=left|北九州大分連続強盗殺人事件(H)||2010/11/8|||2002/1||上記共犯 |} ====2011年死刑確定囚(24人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|[[オウム真理教事件]]([[土谷正実]])||2011/02/15||1995/03他多数||上告棄却。殺害行為に直接関わっていないが[[サリン]]など一連の化学兵器製造に関与しており、大量殺傷事件の[[共同正犯]]で死刑。 |- |align=left|[[渋谷駅駅員銃撃事件|横浜中華街店主銃殺事件]]他(K)||2011/3/1|||2004/5/29||確定時70歳。窃盗罪で服役直後、金銭目的で横浜で強盗殺人のほか、東京駅地下放火、渋谷駅で集金係と思い込んだ地下鉄職員を銃撃、私物を奪い片足麻痺の後遺症を与えるなどの累犯であった。一審は無期だった。 |- |align=left|福岡3女性連続強盗殺人事件(S)||2010/3/8|||2004/12-2005/01||強盗と強姦目的に飯塚市、北九州市、福岡市で凶行に及んだ。 |- |align=left|[[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]](A)||2011/03/10|||1994||犯行時19歳。11日間の間に男性4人を相次いで殺害した。主犯格であるが共犯のうち2人も死刑確定。 |- |align=left|大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(B)||2011/03/10|||1994||犯行時19歳。上記共犯、一審は無期懲役だった。 |- |align=left|大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(C)||2011/03/10|||1994||犯行時18歳。上記共犯、一審は無期懲役だった。 |- |align=left|[[広島・岡山連続強盗殺人事件]](K)||2011/03/24|||2003~2004||上告棄却時79歳。2003年9月に広島県[[比婆郡]][[東城町]](現:[[庄原市]])で91歳女性を、2004年12月に岡山県[[井原市]]で蕎麦屋店主の76歳男性を強盗目的で殺害。一審では広島の犯行を強盗致死と認定し無期懲役としたが、控訴審および上告審では2件とも強盗殺人であると認定し死刑を言い渡した。 |- |align=left|[[東大阪集団暴行殺人事件(K)||2011/03/25|||2006/06/19||被害者2人が男性2人を恐喝・暴行したことに対し、「殺さなければ殺される」と考え仲間9人で岡山県で生き埋めにして殺害。殺害実行犯首謀者が死刑。共犯8人は殺害発案者は無期、最初に暴行された2人は11年と9年、重機を操作した未成年は15年、被害者2人を呼び出した暴力団関係者は17年、見張り役は7年の判決が確定している。また他の2人は未成年で殺人罪で起訴されず家庭裁判所送致になっている。 |- |align=left|[[静岡同僚・妻連続殺人事件]](O)||2011/04/11|||2004,2005||不倫相手を中傷されたことに腹を立てた男が同僚を殺害。また不倫を知って離婚を迫った妻を殺害し遺体をバラバラにして遺棄 |- |align=left|[[宮崎2人連続殺人事件]](F)||2011/04/19|||1999||保険金詐欺常習犯が分け前を巡るトラブルから仲間を殺害。ついで事件の真相を知った税理士を殺害。 |- |align=left|[[広島連続保険金殺人事件]](O)||2011/06/07|||1998-2000||1998年に義父を交通事故を装って殺害。2000年には妻を浴槽につけて殺害し、遺体を遺棄した。いずれも保険金目当ての犯行であった。 |- |align=left|[[横浜港バラバラ殺人事件]](I)||2011/06/16|||2009/6/18-19||麻雀店経営の男性2人を千葉県内のホテルに監禁し、電動ノコギリでバラバラにして殺害。遺体を横浜港や山梨県内に遺棄した。2009年5月に施行された裁判員裁判で初の死刑判決を受けるが、判決を言い渡した裁判長から控訴することを勧められた。その後,弁護側が控訴したが、控訴を取り下げ刑が確定。裁判員裁判で初の死刑確定者である。共犯は現在も指名手配中。 |- |align=left|[[川崎アパート3人殺害事件]](T)||2011/07/04|||2009/5/30||川崎市内のアパートで隣室に住む夫婦を刺殺。さらに被害者の兄で、アパートの大家であった男性を刺殺した。本人控訴取り下げ。裁判員裁判で2例目の死刑確定。 |- |align=left|[[大牟田4人殺害事件]](M)||2011/10/03|||2004/9/16||大牟田市で起きた殺人事件。最高裁にて確定。母親。戦後日本14番目の女性死刑囚。 |- |align=left|大牟田4人殺害事件(T)||2011/10/03|||2004/9/16||上記共犯者。二男。 |- |align=left|大牟田4人殺害事件(S)||2011/10/17|||2004/9/16||主犯の一人。父親。この判決で一家4人が死刑判決が確定するという異例の事態になった。 |- |align=left|大牟田4人殺害事件(T)||2011/10/17|||2004/9/16||共犯者。長男。 |- |align=left|[[福岡一家4人殺害事件]](G)||2011/10/20|||2003/6/20||福岡市で起きた中国人3人組による一家4人殺害事件の主犯。共謀したとされる被告2人はそれぞれ中国で死刑、無期懲役の判決が確定しており、死刑判決の男性はすでに2005年7月12日に執行されている。 |- |align=left|[[オウム真理教事件]]([[中川智正]])||2011/12/8||1995/03他多数||上告棄却。[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]で弁護士の長男を殺害し、[[松本サリン事件|松本]]、[[地下鉄サリン事件|地下鉄]]の両サリン事件では[[サリン]]の製造に関与した。 |- |align=left|オウム真理教事件([[遠藤誠一]])||2011/12/12||1995/03他多数||上告棄却。[[松本サリン事件|松本]]、[[地下鉄サリン事件|地下鉄]]の両サリン事件で[[サリン]]の製造などに関与した。 |- |align=left|[[マブチモーター社長宅殺人放火事件]](M)||2011/11/22|||2005/8/5-11/22||被害者4人。共犯は2007年に控訴取下げで死刑が確定している。 |- |align=left|交際2女性バラバラ殺人事件(K)||2011/11/29|||1999/8/15,2003/5/25||交際していた女性2人を殺害し、バラバラにして遺棄。 |- |align=left|[[北九州監禁殺人事件]](M)||2011/12/12|||1996/2-1998/6||7人殺害(司法の認定では6人は殺人、1人は傷害致死)、殺害実行犯とされた女性は無期。殺害を指示したとされたMが死刑。 |- |align=left|[[ファミレス2人射殺事件]](H)||2011/12/15|||2005/04/25||千葉県市原市にあったフャミリーレストランで暴力団員同士の話し合いがこじれ、2人が射殺された。犯人3人のうち1人は自殺。 |} ====2012年死刑確定囚(3人)==== {| class=wikitable |- !width="30%"|事件名(死刑囚名) !width="10%"|判決確定日 !width="10%"|事件発生日 !width="50%"|備考(執行日など) |- |align=left|岩手母娘強盗殺人事件(W)||2012/01/16|||2006/07/19||岩手県[[洋野町]]の母娘2人くらしの民家に暴行と強盗目的で侵入。金品を強奪し2人を殺害し遺体を山林に埋めた。 |- |align=left|[[光市母子殺害事件]](O)||2012/02/20|||1999/04/14||旧姓F。犯行時の18歳1ヶ月という年齢は、死刑確定囚では最年少。 |- |align=left|本庄市夫婦強盗殺人事件(I)||2012/03/02|||2007/02/21||知人男性の家を訪れて男性と妻を殺害。現金1万円を奪った。 <!--(下はフォーマットです) |- |align=left|事件名(死刑囚名)||確定日|||事件発生日||執行もしくは備考など --> |} == 参考文献 == * 村野薫「増補・改訂版 戦後死刑囚列伝」[[宝島社]] [[2002年]] *[[佐久間哲]]、「死刑に処す-現代死刑囚ファイル-」、[[自由国民社]]、2005年、 *「明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大辞典」、[[東京法経学院出版]]、2002年、 == 脚注・引用 == {{脚注ヘルプ}}{{reflist|3}} == 関連項目 == *[[死刑]] *[[日本における死刑]] *[[死刑囚]] *[[日本における収監中の死刑囚の一覧]] {{死刑囚}} {{DEFAULTSORT:にほんにおけるしけいしゆうのいちらん}} [[Category:死刑囚|*]] [[Category:日本の死刑|*しけいしゆう]]