ポスドク
ポスドクとは、博士号(ドクター)取得後に任期制の職に就いている研究者や、そのポスト自体を指す語である。英語圏での略称であるpostdocに倣ってポスドクと称されたり博士課程の単位は取得しながら、博士論文が未提出で博士号を持たない者もいる。こういう人は厳密には博士研究員やオーバードクターの範疇には入らないが、日本では文系の場合、最近まで課程博士号の取得が困難であったという特殊事情から、通常は単位取得退学の場合でもこの範囲に含めて考えられている。博士後研究員とも呼ばれる。
目次
概要
欧米では博士号取得後の若手研究者にとって一般的なキャリアパスであり、1カ所あるいは2カ所の研究室でポスドクを経験し様々な技術を習得した後、自分で研究室を主宰して研究を継続する、あるいは企業に移って研究をしたりマネージメントの職種に就くことになる。しかし継続的に研究を続けることが出来る人は限られており、競争的研究費を獲得できないと離職せざるを得ない場合も生ずる。
一方、日本ではポスドク制度が本格的に運用されるようになってから日が浅く、キャリアパスが十分に整備されているとは云えない状態が続いている。「高齢ポスドク」問題等、深刻な混乱が生じているのが現状である。
日本の状況
もともと日本では、大学院を修了し博士ないし修士の学位を取得した後における大学での職は助手であった(明治時代には、学部卒業後すぐに講師、助教授、教授になった例もある)。これらは基本的に任期の限定がない職であり、定年までの身分が保証されている。最近は任期が3年から5年程度に限られた採用が増えつつあるが、それでも多くの大学では、これらの任期付き採用は「再選を妨げない」ものであるため、よほどの事情(社会人としてあるまじき行為をした場合など)が無い限りは定年まで身分が保障されるのである。
その一方で、大学院生と助手の間に位置づけられた任期付きのポジションが増えてきた。これらを一般にポスドクと呼び、日本学術振興会特別研究員(学振PD)や21世紀COE研究員などがポスドクの身分として有名である。
旧文部省の旗振りで1990年代から始まった大学院重点化計画によって大学院の定員が増え、その結果博士号取得者が増加した。増加した博士号取得者の職を補う形として、科学技術基本計画の一部であるポストドクター等一万人支援計画が実施されポスドクの人数は増加し、ポスドクの質の低下をまねいた。一方、ポスドクを経験した博士号取得者の行き先として考えられる大学・研究所の定員は増えていないうえ、企業等の博士号取得者採用数が極小化の一途をたどっていることから、将来の展望を確立できないまま年を重ねた博士号取得者が毎年大量に溢れることとなっている。同時に、日本国外の日本人ポスドクが日本で就職できる機会も限られてきており、結果として頭脳流出が起きている。
こうした状況に対応するため文部科学省では2006年(平成18年度)から「キャリアパス多様化事業」を開始した。しかし、2008年8月4日・5日の両日、自民党「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」の主催で行われた「政策棚卸し」作業では、いわゆる自己責任論を標榜する立場から「無駄な事業」との厳しい否定的な意見が多数表明される結果となっている。
「高齢ポスドク」問題
大学院修了後の職をとりあえずポスドクに求めた大量の博士号取得者の就職問題が深刻化している。2008年現在で国内のポスドクのうち最年長といえる者が40代半ばに達しようとしている。このままではそのような状況に置かれる者が年々増大していくと危惧されている。
高齢ポスドク(こうれいポスドク)は、広義には高齢のポスドクを意味するが、狭義においては35歳以上のポスドクを意味する。
経緯
2000年代前半にポスドク一万人計画によって大量にあふれたポスドクのうち、研究の世界で生き残れる条件として、教授たちの間にあった「35歳までに助手にならなくてはならない」という認識に由来する。実際に当時の助手の公募においても35歳以下という条件がつけられることが多かった。もともとこれは文部科学省からの通達にあった「大学院卒業後は競争的環境にあることがのぞましく35歳までには常勤職に就くことが望ましい」という記述に由来する。2000年代後半には35歳を越えたポスドクが数多く増えるにつれ「35歳までに助手に」という発言自体があまりにも高齢ポスドクを刺激することから言われることはなくなった。現実には35歳を超えた者が助教(助手)に就任することもある。
問題点
高齢ポスドクの問題は、35歳を超えると助教を含めたアカデミックなポジションに就ける可能性が著しく減少するのみならず、それ以外の職への転出も極めて困難になる点にある。公務員試験も多くの場合は年齢制限が30歳以下に設定されている。民間でも高齢者を新規雇用するケースはあり、高齢者を対象にした公務員試験区分も存在してはいるが、これらはほとんど一定水準以上の実務経験を有することを必須条件としており、ポスドクでは対応が難しい。民間企業も35歳を超えた者の採用に消極的な姿勢をとることが多い。
アメリカでは年齢による雇用差別を行ってはいけないと法律で定められているが、最近まで日本におけるアカデミックポストの人事公募、特に助教(助手)では35歳以下などの年齢制限のあるものが多数を占めた。
動向
35歳を過ぎた高齢ポスドクは、アカデミアを去ることはなく、その職を日本国外に求め、アメリカやイギリスのみならず、最近はシンガポールや台湾などでもポスドクとして活躍する場合がある。
一方で、特任教員の採用が可能となり、特任助教として採用されるケースが増えてきており一時的な問題の緩和が起こっている。しかし特任教員は期限付きの職であり、一方で新たな余剰博士は従来のペースで生まれていることから、制度の構造的矛盾の解消の出口はいまだ見えていない。
ポスドクの高齢化は進行しており、約3人に1人が35歳を超えているという状況になっている。
任期付き若手研究者、契約が更新されない「雇い止め」の不安広がる
先端研究に任期付きで従事している若手研究者の間で、契約が更新されない「雇い止め」の不安が広がっている。5年を超えて同じ職場で働いた有期雇用の社員に無期雇用の道を開く「労働契約法改正案」が成立した場合、雇用主が先回りして5年以内に契約更新を拒む動きが出るとの観測があるためだ。
科学技術政策の司令塔を担う政府の総合科学技術会議は不安に応えるため、同法を所管する厚生労働省に意見書を提出するなど、改善に向けた検討を始めた。
生命科学や先端技術など、研究費を集中投下して世界級の成果を狙う「プロジェクト型」と呼ばれる研究は多くの人手が必要だが、国立大や研究機関では人件費に充てる国の交付金が毎年削減され、正規雇用できる人数は限られるため、有期雇用が一般的だ。
多くは30代で、3~5年の任期で契約したり、1年ごとに契約を更新したりしている。東京大では教員の約2割に当たる901人、大阪大は約15%の493人(いずれも11年5月1日現在)が有期雇用。 研究を支える人材でありながら、無期雇用より低賃金で身分も不安定だ。
同会議が2012年4月19日に実施した若手研究者からの聞き取りでは、東北大の住井英二郎准教授が「大学は無期雇用を増やすのが難しく、現状では雇い止めになる恐れが大きい」と訴えた。
博士号を取得しても正規雇用で就職できず任期付きで働く「ポストドクター」の問題に詳しい近畿大の榎木英介講師は「若者はリスクを取らない傾向があり、5年で首を切られる研究職は避けるだろう。本来、正規と非正規の格差をなくすべきで、法改正で問題は解決しない」と指摘した。
改正案は非正規労働者の雇用安定を目的に今国会に提出されたが、審議入りは未定。研究者を多く雇用する京都大iPS細胞研究所の山中伸弥所長が2012年3月、古川元久科学技術担当相に「若い研究者は将来に不安がある。既婚者は家族の希望で条件のいいところへ転職してしまい、優秀な人が先端研究の現場から逃げてしまう」と申し入れている。
現在のポスドク環境
いま43歳ぐらいまでの人たちは博士課程を修了する前に終身雇用の助手としてどこかに押し込んでもらえた。だいたい1996年ぐらいまでの話。
それから任期制導入の議論が進められて、結局下っ端だけ任期制導入ということになった。最初は教授から助手まで全部任期制導入という案だった。
法律は1997年から施行されたが、東大などの都心の大学限定で、地方大や私立大では実際の導入は遅れた。そのために43歳未満の人たちは非正規雇用が導入された東大などの有力大から逃げて、公立大や私立大の正規教員ポストへ散っていった。研究にこだわって東大に居座った人たちは悉く非正規のポスドクとなった。
研究にこだわって東大に居座ったはずの人たちの多くは、プロジェクトの終了とともに追い出され、さらに地方大のポスドクとなった。地方大ではポスドクを指導できるほどの教員はほとんど居ないため、単なるコマとしてこき使われ、たいした業績も出ないまま使い捨てられた。
一つのプロジェクトが終了したら、他の大学のプロジェクトへ移ってまた非正規の仕事を続ける。彼らは公共事業における日雇い労働者(いわゆる土方)と同じ階層に居ることを認識し、ピペット土方などと自嘲するようになる。
運良く研究能力のあるボスのプロジェクトに参加できたとしても、そこには非正規のポスドクが何人も、いや何十人も集められ、誰も非正規のポジションから抜け出ることができなかった。労働力が十分な研究室では、雇用する側の教員に、特定の人物を正規職員に引き上げる動機がないからだ。
それでもトップジャーナルに論文を揃えたポスドクたちは、各地方大の公募で勝ち残り、終身雇用の助教や専任講師、あるいはテニュアトラック制度の教員として採用された。これはアメリカ型の大学人事制度を再現する理想的なキャリアパスの一つだ。
問題は、研究能力のあるボスのプロジェクトに参加できなかったポスドクたちだ。アメリカとちがうのは、研究能力のない地方大の教員などにも予算をばら撒いてしまったために、英文の論文を一度も書いたことがないような教員が、ポスドクを雇用するようになってしまったことだ。
研究能力のない教員でも、ポスドクの任期を更新するかどうか判断する権利を握っているため、絶対に成果が出ないような思いつきのプロジェクトを強制することができる。そして成果が出なかったときには、ポスドク本人の責任にして雇い止めをすることも可能だ。
ポスドクは反論するかも知れないが、そのような内部事情に世論や官僚たちは興味を示さない。そして研究成果が出ないまま各地を転々として、現在42歳ぐらいになる非正規第一世代は年齢制限による行き止まりの前で呆然としている。
社会の反応
オーバードクター参照
近年マスコミ報道等でポスドクを終えても一定の職に就けない余剰博士問題が問題視されており、実際のところ最初期の地位である助教への就任すら困難な場合がある。
2004年(平成16年)に文部科学省から発表されたデータによると、博士課程修了者のうち「不詳、死亡」等の者の割合は11.45 %となっている。このような現状を皮肉った「博士(はくし)が100にんいるむら」という作者不明の創作童話がインターネット上に公開され話題になった。また、2007年には日本学術会議でポスドクの将来等に関する公開シンポジウムが開かれ、大学関係者の間でも一定の危機感が共有されている。一方で、2008年6月5日に議員立法で成立した研究開発力強化法(研究開発システムの改革の推進等による研究開発能力の強化及び研究開発等の効率的推進等に関する法律)が2008年10月21日施行され、研究開発型独立行政法人におけるポスドクの雇用促進などが進められようとしている。
北米・欧州の状況
米国やカナダでは博士の学位取得後、半数が研究を継続するためポスドクにすすみ、そのうち大学のFacultyと呼ばれる研究室主宰者になる人は3分の1と云われている。所謂ポスドクの正式な職名としてはPostdoctoral Research Assistant、Postdoctoral Research Associateが使われ、時にはResearch Assistant Professorと呼ばれることもある。アメリカ国立衛生研究所から毎年ポスドクに対する標準給与が勧告されているが、半年から5年程度の経験年数でその給与は3万ドルから4万ドルとなっている。なお、実際の給与は個々の契約によって大きく異なる。ポスドクの研究環境で特に際立っている点は100%の時間を研究にさける点で、研究室主宰者になると平均の研究時間は40%程度に減少し、それ以外は教育や雑用にさかれることになる。米国の場合ポスドクの研究分野は生命科学分野が半分以上で最大を占め、米国以外の出身国はロシアを含むヨーロッパ諸国、中国、インド、日本の順番となっている。ポスドクのその後はおおよそ最長7年以内で研究室を主宰するPrincipal investigator (PI) になるのが最初の関門と云われている。しかしこれはまだTenure(終身雇用)ではなく所謂Tenure trackと呼ばれるポジションで、その後再審査を受けながらFull Professorを目指すことになる。大学でのポジションとして "Non-tenure-track" なProfessor、Adjunct Professor、Lecturer、Instructor、Visiting Professorと呼ばれる職に就く場合もある。なお、米国にはポスドクの協会がありポスドク同士の情報交換などで成果を上げている。
英国などについては、欧州での研究経験のある著者がヨーロッパでのポスドクの状況を述べている記述がある。