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2009年12月14日 (月) 10:11時点における版
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酒井 忠寄(さかい ただより)は、江戸時代中期の出羽国庄内藩5代藩主。左衛門尉酒井家7代当主。老中。官位は従四位下、摂津守、左衛門尉、侍従。正室は前田綱紀の養女(浅野吉長の娘)。
庄内藩支藩・出羽松山藩主酒井忠予の次男。本家に嗣子がなかったため養子入りし、4代藩主・酒井忠真の養嗣子となる。庄内藩は蝦夷警備と東北の外様大藩警守が任務で、通常幕府の役職に就かない例だが、忠寄は寛延2年(1749年)46歳のとき老中に抜擢された。老中在任中、宝暦騒動(郡上一揆)始末の担当となり裁判を担当している。
明和3年(1766年)死去。藩主の座は長男・忠温が継ぐ。
経歴
- 1704年(宝永元年) 生まれ
- 1720年(享保5年) 摂津守
- 1731年(享保16年) 父が死去し庄内藩を襲封。左衛門尉。
- 1749年(寛延2年) 9月28日 老中
- 1764年(明和元年) 5月16日 老中辞任
- 1766年(明和3年) 卒(63歳)
出典
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