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'''小山 実稚恵'''(こやま みちえ、英:Michie Koyama、[[1959年]]〈昭和34年〉[[5月3日]] - )は日本のピアノ奏者。
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仙台市出身だが、3歳で盛岡市に転居。幼少時からおもちゃのピアノに親しみ、6歳の時にアップライト・ピアノを購入してもらう。当地で吉田見知子にピアノを師事。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校に進学して東京に移り、田村宏に入門。東京藝術大学大学院まで進学し、田村の薫陶を受けた。大学在学中の1980年に日本音楽コンクールに挑戦して3位入賞を果たす。さらに1982年のチャイコフスキー国際コンクールに挑戦してピアノ部門で3位入賞を果たした頃から、職業としてのピアノ奏者の活動を意識するようになり、ショパン国際ピアノ・コンクールで4位入賞を果たした1985年からプロフェッショナルとして演奏活動をするようになった。2017年には紫綬褒章を受章している。
 
仙台市出身だが、3歳で盛岡市に転居。幼少時からおもちゃのピアノに親しみ、6歳の時にアップライト・ピアノを購入してもらう。当地で吉田見知子にピアノを師事。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校に進学して東京に移り、田村宏に入門。東京藝術大学大学院まで進学し、田村の薫陶を受けた。大学在学中の1980年に日本音楽コンクールに挑戦して3位入賞を果たす。さらに1982年のチャイコフスキー国際コンクールに挑戦してピアノ部門で3位入賞を果たした頃から、職業としてのピアノ奏者の活動を意識するようになり、ショパン国際ピアノ・コンクールで4位入賞を果たした1985年からプロフェッショナルとして演奏活動をするようになった。2017年には紫綬褒章を受章している。

2021年4月4日 (日) 02:22時点における版

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小山 実稚恵(こやま みちえ、英:Michie Koyama、1959年〈昭和34年〉5月3日[1] - )は日本のピアノ奏者。

仙台市出身だが、3歳で盛岡市に転居。幼少時からおもちゃのピアノに親しみ、6歳の時にアップライト・ピアノを購入してもらう。当地で吉田見知子にピアノを師事。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校に進学して東京に移り、田村宏に入門。東京藝術大学大学院まで進学し、田村の薫陶を受けた。大学在学中の1980年に日本音楽コンクールに挑戦して3位入賞を果たす。さらに1982年のチャイコフスキー国際コンクールに挑戦してピアノ部門で3位入賞を果たした頃から、職業としてのピアノ奏者の活動を意識するようになり、ショパン国際ピアノ・コンクールで4位入賞を果たした1985年からプロフェッショナルとして演奏活動をするようになった。2017年には紫綬褒章を受章している。

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