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'''下田市'''(しもだし)は、[[伊豆半島]]南部に位置する[[都市]]。明治以前は旧[[伊豆国]][[賀茂郡]]。 == 概要 == [[江戸時代]]には、[[江戸]]・[[大阪|大坂]]間、あるいは[[東廻海運|東]]・[[西廻海運]]の風待ち湊として栄え、「[[伊豆国|伊豆]]の下田に長居はおよし、縞の財布が空になる」(下田ぶし1番)と唄われた。[[東海道]]の[[三島宿]]から[[伊豆半島]]中央部を南北に縦断する[[下田街道]]の終点。僧[[行基]]発見とされる[[蓮台寺温泉]]などがあり、総称して[[下田温泉 (静岡県)|下田温泉]]と称している。 [[1854年]](嘉永7年)、[[日米和親条約]]が締結されると、[[函館市|箱館]]とともに開港(下田は即時開港)。[[吉田松陰]]の米渡航失敗、[[ロシア]]使節[[プチャーチン]]提督乗船の[[ディアナ号]]遭難、米国領事[[タウンゼント・ハリス]]と[[斎藤きち|唐人お吉]]、商業写真の祖[[下岡蓮杖]]など、数々のエピソードを生んだ。 [[1928年]](昭和3年)、[[十一谷義三郎]]『[[唐人お吉 (十一谷義三郎)|唐人お吉]]』や[[川端康成]]『[[伊豆の踊子]]』の小説発表などが下田観光の火付け役となり、[[1933年]](昭和8年)の東京湾汽船(現・[[東海汽船]])の客船就航、伊豆循環道路東海岸線伊東-下田線の完成により、観光客が多数訪れるようになった。さらに、[[1961年]](昭和36年)12月の[[伊豆急行線]](伊東-下田間)開通により、観光客が急増。観光業が産業の中心となり、[[1967年]](昭和42年)には、観光客が500万人を超えた。その後も、地震や水害などの起きた時期を除いて、毎年、多くの観光客を迎え入れていたが、[[バブル経済]]崩壊後は減少に転じ、平成16年度は、観光客が約332万人と低迷。また、[[下田船渠]]解散、企業の営業所・寮の統廃合や流通業の変化による消費の分散傾向が、下田を初めとする賀茂郡の中心であった市内経済に打撃を与え、海水浴やイベント中心型観光都市からの脱皮を模索している。 [[2011年]](平成23年)、[[東日本大震災]]に伴う計画停電、電車の運休、観光自粛ムードにより、観光客が激減。ホテル、旅館、その他観光関連産業の事業所を中心として、従業員、パート・アルバイトの大量解雇が発生。ハローワーク下田は、空前の人数の求職者、雇用保険手続きの失業者であふれた。観光産業に過度に偏った下田市の弱点があらためて露呈した。 == 地勢 == [[ファイル:Shimoda aerial photo.jpg|270px|thumb|上空から見た下田市街地]] [[File:Port of Shimoda Shizuoka Aerial photograph.1976.jpg|thumb|270px|上記俯瞰写真範囲の垂直空中写真。<br/>1976年撮影の6枚を合成作成。{{国土航空写真}}。]] [[稲生沢川]]下流の[[沖積地]]に中心市街が広がる。市の面積の83%は山林・原野。[[天城山]]系から続く急峻な山々と多くの砂浜や入り江を含んだ約47kmに及ぶ海岸線は、美しい景観をみせる。 また、年平均気温は約17℃と温暖で、降水量も年間1900mm余りと豊富。 このような気候と急峻な地形条件により、[[亜熱帯]]系から[[亜寒帯]]系までの幅広い植生を有している。 このため、四季を通して様々な草花や果実が生育し、[[黒潮]]の流れる[[太平洋]]が育む豊富な海産物とあわせて、魅力のひとつとなっている。[[下田港]]9km沖合いの[[神子元島]]は、[[静岡県]]最南端。 蓮台寺、河内、横川、北湯ヶ野などに古くから[[温泉]]がある。 * 山:[[下田富士]](192m)、[[武山]](200m)、[[高根山]](343m)、[[婆娑羅山]](608m)、[[松野山]](445m)、[[相ノ山]](252m) * 河川:[[稲生沢川]](全長20km)、[[大賀茂川]](全長8km) == 歴史 == === 古代 === * [[縄文時代]]:多くの遺跡により、早い時期から人が住んでいたことが分かる。 ** [[縄文時代]]早期:須崎爪木崎遺跡、田牛上の原遺跡など、海岸に隣接する[[海岸段丘]]上に存在することが多い。 ** [[縄文時代]]中期:吉佐美田京山遺跡、柿崎上ノ山遺跡群、河内湯原遺跡、椎原宮の前遺跡など遺跡数が多く、また、大きな集落が営まれていたことが推定される。 * [[古墳時代]] ** [[4世紀]]頃:吉佐美広畑遺跡。 ** [[5世紀]]頃:祭祀遺跡-白浜三穂ヶ崎遺跡、須崎夷島遺跡、吉佐美洗田遺跡。 === 律令時代 === * [[680年]]:[[駿河国]]二郡が分離され、[[伊豆国]]が誕生する。 * [[686年]]:[[大津皇子]]の謀反事件に連座した帳内礦杵道作が市内箕作に流されたといわれる。 * [[701年]]:伊豆国に、田方、那賀、賀茂の3郡が置かれる。賀茂郡家が[[南伊豆町]]下賀茂辺に設置され、賀茂、築間、色日、稲梓、川津、三島などの[[郷]]があった。 * [[735年]]:伊豆国賀茂郡稲梓郷稲梓里の占部石麻呂が[[調]]の麁堅魚を貢納する([[平城京]]出土[[木簡]])。 * [[9世紀]]中頃:稲梓郷は大社郷に改称。 * [[10世紀]]:色日郷は月間郷と合併。 * 10-11世紀:金山遺跡-[[砂鉄]]と[[木炭]]を原料に[[タタラ]]で[[製鉄]]が行われた跡。 === 鎌倉時代から室町時代まで === * [[1180年]]:[[源頼朝]]が、[[平家]]打倒のため、[[韮山]]で挙兵。 * [[1334年]]:現在、河内の重福院にある[[宝篋印塔]]([[静岡県]]指定文化財)が建立される。 * [[1399年]]:「下田村若宮」と刻まれた[[鰐口]]が、下田八幡神社に奉納される。「下田」の地名が出てくる最初の例。 * [[1498年]]:伊勢新九郎([[北条早雲]])、深根城に立て篭もる[[足利茶々丸]]、関戸吉信を滅ぼす。 === 戦国時代から江戸時代まで === * [[1588年]]:[[後北条氏]]は[[下田城_(伊豆国)|下田城]]を築き、[[清水康英]]を城主とする。 * [[1590年]]:[[豊臣秀吉]]の[[小田原城|小田原]]攻めにより、下田城攻防戦。4月末に、落城。[[徳川家康]]麾下の[[戸田忠次]]が下田城主となる。 * [[1601年]]:[[戸田忠次]]の子、[[戸田尊次]]、[[三河国|三河]]に移封。下田、[[天領]]となる。 * [[1616年]]:[[今村彦兵衛正勝]]、初代[[下田奉行]]。須崎に遠見番所を置く。 * [[1623年]]:遠見番所、大浦に移転。 * [[1636年]]:遠見番所を改築して船改番所とし、上下の廻船を検問。入津廻船3千艘といわれ繁栄した。 * [[1645年]]:2代目[[下田奉行]]、[[今村伝四郎正長]]、自俸を投じて武が浜に浪除堤を普請。 * [[1664年]]:3代目下田奉行、石野八兵衛、大浦切通しを開削。 * [[1668年]]:4代目下田奉行、今村伝三郎、町内の水道敷設。 * [[1683年]]:6代目下田奉行、服部久右衛門、井戸水に切り替え、水道木管を辻の木戸とする。 * [[1688年]]:[[日向国|日向]][[佐土原藩]]の御手船「日向丸」、漂着。御用材投棄の責任を取り、全員切腹。[[大安寺]]「薩摩十六烈士の墓」 * [[1721年]]:御番所が[[浦賀]]に移転。下田奉行が廃止され、[[浦賀奉行所]]支配の浦方御用所が置かれる。 * [[1727年]]:餓人2,151人を出し、1人宛荒麦3号60日分の夫食の救済を仰ぐ。 * [[1755年]]:[[白浜 (下田市)|白浜村]]の三之助が[[ルソン]]に漂流後、中国から[[長崎]]に送還。その後、同様に下田の清次郎等4名も帰国。 * [[1793年]]:[[老中]][[松平定信]]が海防検分のため、[[伊豆国|伊豆]]を巡見。 * [[1815年]]:専修念仏行者[[徳本]]が、巡錫。稲田寺、海善寺で説教。 * [[1815年]]:南京船「永茂」が漂着(翌年、[[長崎]]に出航)。 * [[1836年]]:下田町にうちこわし騒動、25人逮捕。 * [[1842年]]:[[下田奉行]]、再置。 * [[1843年]]:幕府、洲佐里崎と狼煙崎に御台場を築く。[[沼津藩]]も三穂ヶ崎に御台場を築く。 * [[1844年]]:幕府、洲佐里崎と狼煙崎の御台場廃止。[[下田奉行所]]廃止。 === 幕末 === [[ファイル:1853 shimoda 01.jpg|thumb|下田での上陸『ペリー提督・[[日本遠征記]]』]] [[ファイル:1854 shimoda 02.jpg|thumb|ペリー軍隊分列式の図・了仙寺『ペリー提督・日本遠征記』]] [[ファイル:ペリー来航記念碑.JPG|thumb|ペリー来航記念碑]] * [[1849年]]:英艦マリーナ号入港、海辺一帯の測量強行。[[韮山代官]][[江川英龍]]が兵40余人と大筒小銃を携えて到着し退去させる。 * [[1853年]]:米使[[マシュー・ペリー]][[浦賀]]に来航、[[開国]]を求める。高馬に[[反射炉]]を築き始めるが、翌年、[[韮山]]に移す。 * [[1854年]]3月:[[日米和親条約]]が[[神奈川宿|神奈川]]で調印。下田が[[箱館]]とともに開港。米使ペリー提督艦隊が下田に入港。[[下田奉行]]設置。[[吉田松陰]]・[[金子重輔]]、米艦での密航を企てる。5月、[[日米和親条約|下田条約]]が[[了仙寺]]で調印。10月、露使[[エフィム・プチャーチン]]、ディアナ号で下田に入港。11月、[[安政東海地震]]による大津波で、下田町は壊滅的な被害を受ける。ディアナ号大破。12月、[[日露和親条約]]、[[長楽寺 (下田市)|長楽寺]]で調印。 * [[1855年]]:プチャーチン、[[戸田村 (静岡県)|戸田]]で建造した[[ヘダ号]]で帰国。中村に、[[下田奉行所]]屋敷が建てられる。 * [[1856年]]:[[タウンゼント・ハリス]]、日本最初の米国[[総領事]]として[[玉泉寺 (下田市)|玉泉寺]]に着任。 * [[1857年]]:[[斎藤きち]]、タウンゼント・ハリスに仕えるが3夜で解雇。[[タウンゼント・ハリス]]、陸路、[[江戸]]に向かい、通商条約締結の談判開始。 * [[1858年]]:[[日米修好通商条約]]、神奈川小柴沖[[ポーハタン (フリゲート)|ポーハタン号]]上で調印(オランダ、ロシア、イギリス、フランスも続いて調印)。英国使節[[エルギン伯爵]][[ジェイムズ・ブルース (第8代エルギン伯爵)|ジェイムズ・ブルース]]搭乗の英蒸気船艦隊下田入港 * [[1859年]]6月:[[横浜港]]開港。玉泉寺の領事館閉鎖。タウンゼント・ハリス[[公使]]となり、[[江戸]][[善福寺]]に移る。12月、下田閉港。 * [[1860年]]:[[下田奉行]]廃止。 * [[1861年]]:[[ヘンリー・ヒュースケン]]、芝赤羽で[[攘夷]]派に襲われ死亡。 * [[1862年]]4月:タウンゼント・ハリス帰国。 * [[1863年]]:第14代将軍[[徳川家茂]]、海路で上洛途中、西風に阻まれ下田の[[海善寺]]に止宿。 * [[1864年]]:[[御蔵島]]に座礁した米船「ヴァイキング号」乗組員や広東人乗員460人が下田に送られる。 === 明治期 === * [[1868年]](明治1年):[[伊豆国|伊豆]]は[[韮山県]]と一部[[菊間藩]]などの支配となる。 * [[1869年]](明治2年):稲生沢、下田、稲梓に[[打ちこわし]]事件が起こる。 * [[1870年]](明治3年):[[神子元島灯台]]完成。※現存する日本最古の現役[[灯台]](国の[[史跡]]に指定)。 * [[1871年]](明治4年):[[韮山県]]廃止により[[伊豆国|伊豆]]は[[足柄県]]の管轄となる。 * [[1872年]](明治5年):7月、下田郵便局設置される。。 * [[1873年]](明治6年):新民学校など、小学校が各地に創立される。 * [[1874年]](明治7年):上大賀茂村と下大賀茂村が合併。大賀茂村となる。7月、下田警察署創置される。 * [[1875年]](明治8年):岡方村、下田町に吸収合併。上大沢村と下大沢村合併、大沢村に。 * [[1876年]](明治9年):[[足柄県]]廃止、[[伊豆国]]は[[静岡県]]に編入、静岡県第九大区とす。須郷深山入会地をめぐり、9か村の争論起こる。「馬場七騒動」(~明治15)。 * [[1877年]](明治10年):本須郷村、新須郷村、芽原野村、北の沢村が合併、須原村となる。 * [[1878年]](明治11年):[[賀茂郡]]所属の[[伊豆諸島]]は、東京府管轄となる。稲生沢橋(下田橋)が初めて架けられた。[[タウンゼント・ハリス]]、[[ニューヨーク]]で死去。 * [[1879年]](明治12年):大小区制廃止、郡制施行。賀茂那賀郡役所設置([[宝福寺]]が仮庁舎)。私立豆陽学校創立(現在の[http://www.edu.pref.shizuoka.jp/shimoda-h/home.nsf/IndexFormView?OpenView 静岡県立下田高等学校])。治安裁判所創置。 * [[1883年]](明治16年):稲生沢川河口浚渫工事が始められた。 * [[1884年]](明治17年):数村を合して戸長役場を置くこととなり、下田、柿崎、須崎、白浜の一町三村の役場を下田に置いた。下田沖に漂着したアメリカ船の船員により、「[[こっくりさん]]」が日本に伝えられたといわれる。 * [[1888年]](明治21年)4月:下田銀行設立。 * [[1889年]](明治22年):市町村制施行、自治制が定められた(今までの戸長、人民惣代、什長等の制度を廃して町長、助役、収入役、書記を置いた)。'''下田町'''、[[稲梓村]]、[[稲生沢村]]、[[浜崎村]]、[[朝日村 (静岡県)|朝日村]]となる。 * [[1890年]](明治23年):[[斎藤きち]](唐人お吉)、稲生沢川門栗で溺死(享年50)。稲生沢橋を改造し、下田橋と称す。 * [[1892年]](明治25年):新民学校を下田尋常高等小学校と改称。 * [[1894年]](明治27年):下田消防組設置。 * [[1895年]](明治28年):下田町役場新築。 * [[1896年]](明治29年):浜崎村より[[白浜 (下田市)|白浜村]]分立。那賀・賀茂郡廃止。新賀茂郡は、[[城東村 (静岡県賀茂郡)|城東村]]・[[宇久須村]]以南に郡域変更。 * [[1897年]](明治30年)6月:[[下田信用組合]]設立。 * [[1898年]](明治31年):9月22日、[[下田船渠]]合資会社設立。 * [[1899年]](明治32年):3月13日、下田倶楽部、下田町の青年有志により発会。郡立中学豆陽学校設置。 * [[1901年]](明治34年):城山公園を開く。武ヶ浜に防風林として松を植栽。神子元島を下田町に払下げ。 * [[1902年]](明治35年)11月11日:[[下田船渠]]㈱設立。 * [[1904年]](明治37年):下田伝染病舎竣工。 * [[1905年]](明治38年):天城新道完成。[[東京湾汽船]]、[[豆州共同汽船]]会社を吸収し、伊豆から東京への航路を独占。5月、町立女子技芸学校設立。 * [[1906年]](明治39年):下田橋改修。 * [[1907年]](明治40年)6月:[[岩崎吉太郎]]、南豆電氣㈱設立。 * [[1908年]](明治41年):[[河津川水力発電]]㈱創立。吉田松陰五十年祭、下田八幡神社で開催。下田町役場主催の開港五十年祭(五十回忌大法会)、玉泉寺で開催。 * [[1911年]](明治44年)1月1日:[[河津川水力発電]]㈱開業。4月5日、賀茂郡役所新築。[[都新聞]]に「洋妾(らしゃめん)物語」(作者:信田葛葉)連載。※唐人お吉について最初の発表。 * [[1912年]](明治45年):6月17日、下田橋洪水で流失。城山御料林の払下げを受け下田町有林となった。(同時に狼煙崎、赤根島、犬走島、みさご島の払下げを受ける)。[[足立鍬太郎]]、賀茂郡立豆陽学校長に着任。 === 大正期から第二次大戦まで === * [[1913年]]([[大正]]2年):下田橋を架設。信田葛葉「薔薇娘」刊行。※「洋妾物語」の単行本化。 * [[1914年]](大正3年):3月3日、[[下岡蓮杖]]死去。6月19日、「伊豆鏡」刊。7月28日、「南豆風土誌」刊。 * [[1915年]](大正4年):2月28日、[[下田自動車]]㈱、開業(静岡県史年表)。4月29日、下田町町會で下田町の紋章を決議。 * [[1916年]](大正5年):2月20日[[下田自動車]]㈱設立。3月23日、下田-[[大仁町|大仁]]間路線運行開始(静岡県史年表)。 * [[1917年]](大正6年):蓮台寺に、[[久原鉱業]]㈱河津鉱業所を開設。12月、須崎町より出火し武ヶ浜類焼する。焼失家屋82。 * [[1918年]](大正7年):9月18日、[[南豆馬車鉄道]]㈱設立(蓮台寺-武ヶ浜間)※静岡県史年表。下田町青年団創立。 * [[1919年]](大正8年):東洋練乳設立(その後、[[森永乳業]])。豆陽中学校、県立移管 * [[1920年]](大正9年):3月1日、蓮台寺鉱山鉱夫スト。全国鉱夫同盟会蓮台寺支部発会。4月、郡立賀茂高等女学校開校(現在の[http://www.edu.pref.shizuoka.jp/shimoda-h/home.nsf/IndexFormView?OpenView 静岡県立下田高等学校])。 * [[1922年]](大正11年):5月27日、下田港、国指定港湾となる。11月、東京湾汽船、清水-下田間航路開設(静岡県史年表)。郡立賀茂高等女学校が県立移管、県立下田高等女学校となる。 * [[1923年]](大正12年):9月1日、[[関東大震災]]。激震15分後、津波3度あり浸水家屋300戸。 * [[1924年]](大正13年):10月1日、雑誌「黒船」創刊。 * [[1925年]](大正14年):開国70年。3月、下田神津島間無線電信局開局。4月16日、[[バンクロフト]]米大使が下田訪問。村松春水、雑誌「黒船」に唐人お吉について発表。下田幼稚園開園。 * [[1926年]](大正15年・昭和1年):3月10日、「下田之友」創刊。9月、仏クローデル大使来訪。 * [[1927年]](昭和2年):9月、下田公園循環道路が和歌の浦まで完成。10月、[[玉泉寺 (下田市)|玉泉寺]]にハリス記念碑建立、除幕式。下田町、武ヶ浜塵芥捨場に衛生上の問題が多く、芥焼場を敷根に設置。昭和自動車設立(のちの[[伊豆下田バス]])。[[昭和金融恐慌]]。 * [[1928年]](昭和3年):[[十一谷義三郎]]、「[[唐人お吉 (十一谷義三郎)|唐人お吉]]」発表。[[川端康成]]、「[[伊豆の踊子]]」出版。[[下岡蓮杖]]碑除幕。 * [[1929年]](昭和4年):十一谷義三郎、「[[時の敗者唐人お吉]]」を[[東京朝日新聞]]に連載。7月13日、田方・賀茂郡町村長会、河津川水力電気㈱電灯料値下げ第1回交渉を元賀茂郡役所で開始。8月、[[真山青果]]「唐人お吉」が[[歌舞伎座]]で[[市川松蔦]]のお吉で初演。循環道路第2期工事(赤根島まで)完成。10月、下田婦人会創立。10月2日、下田町役場新庁舎落成式。10月24日、[[世界恐慌]]始まる。11月3日、第1回町民体育大会開催。11月17日、[[東京航空輸送社]]、東京-下田間の定期航空路開設。 * [[1930年]](昭和5年):5月21日、武山閣開設。11月、下田町で初めての水道給水開始(毎日数時間、共用栓27箇所)。11月26日、豆相大震災強震。 * [[1931年]](昭和6年)4月1日:[[東京航空輸送]]㈱、東京-下田-清水間の定期航空路開設。7月16日、東京湾汽船貨物船次郎丸、大工町河岸にて爆破。焼死者2名。 * [[1932年]](昭和7年)3月:伊豆銀行、下田銀行を合併。9月11日、了仙寺境内に綿吉当主、元下田町長、鈴木吉兵衛の銅像建立。11/11、[[下田自動車]]、[[東海自動車]]に吸収合併。 * [[1933年]](昭和8年)3月:[[森永練乳]]㈱下田工場設立。[[東京湾汽船]]「[[葵丸]]」、東京-大島-下田航路に就航。伊豆循環道路東海岸線伊東-下田間完成。下田銀行、[[伊豆銀行]]に吸収合併。4月21日、[[三井海洋生物学研究所]]落成。6月11日、鍋田海岸に、[[東京文理科大学]](現[[筑波大学]])附属下田臨海実験所開設。[[南豆馬車鉄道]]、旅客営業休止。 * [[1934年]](昭和9年)4月20日 - 5月3日:開港80周年記念、第1回「[[黒船祭]]」挙行。グルー米大使参加。下田幼稚園、町に移管。 * [[1935年]](昭和10年):東京湾汽船「[[橘丸]]」、東京-大島-下田航路に就航。下田温泉㈱、河内から下田に引湯。 * [[1937年]](昭和12年):8月、豆陽中学校プール竣工。8月9日、県、満州農業移民対策協議会開催。下田港新岸壁完成。 * [[1938年]](昭和13年)9月18日:賀茂青年団員約40人、[[ヒトラーユーゲント]]派遣団一行と[[伊豆大島]]三原山頂で交歓会。 * [[1939年]](昭和14年):4月、第6回黒船祭に米軍艦[[アストリア (重巡洋艦)|アストリア]]号乗組員80余名特別参加。7月12日、河津鉱山で朝鮮人労働者が争議。 * [[1941年]](昭和16年):黒船祭中止。伊豆地方豪雨により、下田町浸水250戸、須崎鉱山浸水で閉鉱。 * [[1942年]](昭和17年):賀茂教育会、柿崎に[[吉田松陰]]像建立([[保田龍門]]作)。 * [[1943年]](昭和18年):県下で米英思想撃滅運動。黒船やお吉にちなんだ絵葉書、掲示、歌集などの禁止。 * [[1944年]](昭和19年):雑誌「黒船」廃刊。※黒船が敵性用語として紙の配給停止。 * [[1945年]](昭和20年)3月:海軍第16突撃隊(16嵐部隊)、[[陸軍潜水輸送隊]]が下田に配属。4月 下田町空襲、その後も数回。7月 第57[[震洋]]隊が和歌の浦配備。8月 [[陸軍潜水輸送隊]]8号艇が[[空襲]]で撃沈。第6[[海龍_(潜水艇)|海龍]]隊が下田配備。 === 第二次大戦後 === * [[1946年]](昭和21年):8月、[[南豆馬車鉄道]]、貨物営業休止。 * [[1947年]](昭和22年):7月、第8回黒船祭。 * [[1949年]](昭和24年):下田中学校開校。 * [[1951年]](昭和26年):下田保育所開所。 * [[1954年]](昭和29年):縄地有料道路完成。 * [[1955年]](昭和30年):3月31日、下田町、浜崎村、白浜村、稻梓村、稻生澤村及び朝日村の6か町村合併、下田町となる。 * [[1957年]](昭和32年):新町役場完成(4/1より業務開始)。東伊豆道路の下田区間開通。 * [[1958年]](昭和33年):6月5日、新下田橋完成。8月13日、羽田発名古屋行き[[全日本空輸|全日空]]ダグラス[[DC-3]]が下田沖に墜落。乗客30人、乗員3人全員死亡。10月1日、下田町国民健康保険実施。 * [[1959年]](昭和34年):3月31日、日本鉱業㈱河津鉱業所が操業停止。 * [[1961年]](昭和36年):10月20日、[[伊豆急行]]の伊東-下田間全線完工、12/9、伊東駅で発車式、12/10、営業開始。[http://www.ropeway.co.jp/ 下田ロープウェイ]開業。 * [[1962年]](昭和37年):1月、伊豆下田農協設立。8/24、[[三宅島]]が大爆発、8/29、島民、[[東海汽船]]で下田町へ避難。 * [[1964年]](昭和39年):柿崎武山地先の公有水面埋め立て(昭和40年1月14日竣工認可。現・外ヶ岡。)。 * [[1966年]](昭和41年):5月7日、[[群馬県]][[沼田市]]と姉妹都市提携。9月1日、下田テレビ協会開局。12月16日、下田船渠㈱武ガ浜工場に1,000トン船台完成。 * [[1967年]](昭和42年):下田町消防署庁舎落成。9月15日、第1回[[日米関係民間会議]]([[下田会議]])、反対派抗議。[[下田海中水族館]]開業。南豆衛生プラント落成。 * [[1968年]](昭和43年):[[八百半]]デパート下田店開業。6月、じん芥処理場、現在地に移転。11月1日、第1次住居表示実施(一丁目、二丁目、三丁目の一部)。 * [[1969年]](昭和44年):9月1日、第2次住居表示実施(三丁目の一部、五丁目、六丁目)。 * [[1970年]](昭和45年):5月1日、第3次住居表示実施(柿崎、武ガ浜)。5月6日、落合浄水場竣工。下田町漁協設立。 * [[1971年]](昭和46年):1月1日、市制施行。11月5日、須崎[[御用邸]]完成。 * [[1972年]](昭和47年):1月、下田船渠、大野造船、下田造船が合併。4月5日、武ガ浜-柿崎に渚ライン開通。10月、下田船渠㈱武ガ浜新工場完成(3,000トン船台。12月、4,300トン、昭和48年10月、5000トン、昭和49年10月、7,500トンに拡張)。11月15日、浜崎共同調理場完成。 * [[1973年]](昭和48年):1月11日、観光キャッチフレーズ特選に「伊豆の太陽」が選ばれる。(一席「海と遊ぼう歴史と話そう」、五席「花と波とあなたと・・・」)。4月30日、本郷地区住居表示実施。(東本郷1-2丁目、西本郷1-3丁目、敷根、高馬)。11月、市議会で「伊豆急ショッピングセンター建設に反対する請願」を採択。12月、市が下水道計画を発表。浄化センターは柿崎赤崎海面埋立を予定。地元柿崎地区が反対。 * [[1974年]](昭和49年):1月4日、石油危機の影響により市役所に物資対策本部設置。3月30日、5月9日、[[伊豆半島沖地震]]。建物や商品などに大きな損害。市内被害額およそ20億円。 * [[1976年]](昭和51年):7月11日、豪雨により南豆の道路寸断、観光客は船で脱出。 * [[1977年]](昭和52年):4月20日、[[伊豆急下田駅]]前に、伊豆急ショッピングセンター「サンプラーザ」(現、[[東急ストア]]下田店)開店。初日、1万5千人の人出。 * [[1978年]](昭和53年):1月14日、[[伊豆大島近海の地震]]。 * [[1979年]](昭和54年):6月27日、[[ジミー・カーター|カーター]]米大統領が来下。 * [[1986年]](昭和61年):2月17日、県下田総合庁舎、新築落成。11月21日、[[伊豆大島]][[三原山]]噴火、全島民避難。 * [[1987年]](昭和62年):11日27月、下田船渠解散決議、138人の従業員全員解雇。11月30日、同労組が職場占拠。 * [[1988年]](昭和63年):1月、下田船渠、労組が自主生産開始。9月16日、新下田ドック㈱設立。10月 営業開始。 * [[1989年]](平成元年):4月26日、下田市民文化会館開館。 * [[1991年]](平成3年):9月10日、伊豆半島南部集中豪雨。 * [[1993年]](平成5年):8月31日、新下田ドック㈱、解散。12月、桧沢林道沿いの[[産業廃棄物]]処理施設からの[[公害]]被害が広がる。 * [[1995年]](平成7年):9月、[[石廊崎]]沖で不審な台湾船発見。中国人密航者57人逮捕。10月 桧沢林道沿いの産廃埋立処分場で火災(翌月にも隣接する事業者の処分場で火災)。 * [[1996年]](平成8年):5月、桧沢の産廃施設で火災。7月 産廃公害反対の住民運動「[http://www.geocities.jp/stop_sanpai/ 自然破壊と廃棄物公害を防止する住民連合会]」始まる。 * [[1998年]](平成10年):8月、桧沢の産廃焼却場上空、東電送電線の断線による南伊豆一帯の停電事故発生。9月 産廃埋立処分場の実質的経営者ら4人逮捕。無許可で産廃埋め立てた疑い。10月2日 下田市議会、市民グループから2,842人の署名により[[直接請求]]された「下田市における『外ヶ岡交流拠点』(リープロ施設)建設の是非を問う住民投票に関する条例の制定について」を反対多数で否決(賛成3、反対14)。 * [[1999年]](平成11年):4月、桧沢の産廃焼却施設事業者の産廃収集運搬業・同処分業、特管産廃収集運搬業・同処分業の各許可取消。9月 下田港沖防波堤建設に伴い、[[特殊潜航艇]][[海龍_(潜水艇)|海龍]] が海中で発見される。 * [[2000年]](平成12年):7月、[[三宅島]]噴火。9月 [[三宅島]]漁業関係者が下田市に避難。11月 [http://server1.city.shimoda.shizuoka.jp/baystage/ ベイ・ステージ下田]開館。「伊豆新世紀創造祭」が「チェンジ伊豆2000」を標語として開催。 * [[2003年]](平成15年):12月、[[下田市]]・[[河津町]]・[[南伊豆町]]の法定合併協議会解散。 * [[2004年]](平成16年):6月、南伊豆町議会、[[下田市]]・[[南伊豆町]]合併協議会の設置議案否決。 * [[2006年]](平成18年):10月、[[伊豆下田バス]]営業廃止。南伊豆東海バス・新東海バスに事業譲渡。 * [[2009年]](平成21年):6月、松崎・南伊豆町両議会の合併議案否決により、賀茂地区合併破綻([[下田市]]・[[河津町]]・[[南伊豆町]]・[[松崎町]])。 * [[2012年]](平成24年):5月1日、下田メディカルセンター開院(共立湊病院が下田市に新築移転)。 * [[2014年]](平成26年):9月30日、SHK、小林テレビなど市内CATVが東京民放局4局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・フジテレビ)の区域外再放送終了。各局との協議の結果、県内系列局で同じ放送サービスを行っているという理由。(テレビ東京は9月30日以降も区域外再放送を継続。) == 人口 == {{人口統計|code=22219|name=下田市}} *静岡県内でもっとも人口が少ない市であり、人口減少の歯止めがかからない状況でもある。 == 行政 == '''町長'''(旧六カ町村合併後の下田町) * 初代 鈴木貞雄([[1955年]](昭和30年)4月13日〜[[1962年]](昭和37年)2月26日 2期・辞任) * 2代 外岡文雄([[1962年]](昭和37年)4月10日〜[[1964年]](昭和39年)6月1日 1期・辞任) * 3代 石井基([[1964年]](昭和39年)7月5日〜[[1976年]](昭和51年)7月4日 3期・任期満了)※昭和46年1月1日、市制施行により市長となる。 '''市長'''(下田市制施行後) * 初代 石井基([[1971年]](昭和46年)1月1日〜[[1976年]](昭和51年)7月4日 2期 ※町長・市長を通じ3期・任期満了)。 * 2代 青木義男([[1976年]](昭和51年)7月5日〜[[1984年]](昭和59年)7月4日 2期・任期満了) * 3代 池谷淳([[1984年]](昭和59年)7月5日〜[[2000年]](平成12年)7月4日 4期・任期満了) * 4代 [[石井直樹]]([[2000年]](平成12年)7月5日〜[[2012年]](平成24年)7月4日 3期・任期満了) * 5代 [[楠山俊介]]([[2012年]](平成24年)7月5日〜現職) === 県の機関 === * [[静岡県警察]] [[下田警察署]] == 姉妹都市 == * {{Flagicon|JPN}}[[沼田市]]([[群馬県]]) * {{Flagicon|JPN}}[[萩市]]([[山口県]]) * {{Flagicon|USA}} [[ニューポート (ロードアイランド州)|ニューポート市]]([[アメリカ合衆国]][[ロードアイランド州]]) == 産業 == [[海水浴]]、[[温泉]]と自然、海産物が魅力となっている[[観光]]業関連がほとんどで、[[キンメダイ|金目鯛]]や[[下田S級サザエ]]に代表される水産業も盛ん。農業は、[[柑橘類]]以外は自家用野菜が多い。工業は、下田船渠解散後、零細な食品製造業が大半である。特筆すべきものはない。商業は、[[大規模小売店舗法]]廃止に代表される各種の[[規制緩和]]、道路網の改善や通信販売の発達により、地盤沈下が著しい。 * 下田市観光協会 * 伊豆白浜観光協会 * 下田商工会議所 * 下田市漁業協同組合 * 伊豆太陽農業協同組合 === 漁業 === * [[下田港]] * [[白浜漁港]] * [[外浦漁港]] * [[須崎漁港]] * [[吉佐美漁港]] * [[田牛漁港]] === 海水浴場 === * [[白浜中央海水浴場]] * [[白浜大浜海水浴場]] * [[外浦海水浴場]] * [[九十浜海水浴場]] * [[鍋田浜海水浴場]] * [[多々戸浜海水浴場]] * [[入田浜海水浴場]] * [[吉佐美大浜海水浴場]] * [[田牛海水浴場]] == 地域 == * [[下田地区]] * [[白浜 (下田市)|白浜地区]] * [[浜崎地区]] * [[稲生沢地区]] * [[稲梓地区]] * [[朝日地区]] == 学校 == === 大学の付属機関 === * [[筑波大学]]下田臨海実験センター * [[日本大学]]生物資源科学部下田臨海実験所 === 専門学校 === * [[下田看護専門学校]] === 高等学校 === * [[静岡県立下田高等学校]] === 中学校 === * [[下田市立下田中学校]] * [[下田市立稲梓中学校]] * [[下田市立稲生沢中学校]] * [[下田市立下田東中学校]] === 小学校 === * [[下田市立下田小学校]] * [[下田市立朝日小学校]] * [[下田市立稲梓小学校]] * [[下田市立稲生沢小学校]] * [[下田市立大賀茂小学校]] * [[下田市立白浜小学校]] * [[下田市立浜崎小学校]] * [[静岡県立東部特別支援学校]]伊豆下田分校 小学部・中学部 == 交通 == === 鉄道 === ; [[伊豆急行線]] : [[稲梓駅]] - [[蓮台寺駅]] - [[伊豆急下田駅]] ===路線バス=== *[[南伊豆東海バス]] *[[西伊豆東海バス]] *[[新東海バス]] === 道路 === 【[[日本の高速道路|高速道路]]】 ; [[伊豆縦貫自動車道]]([[河津下田道路]]) : [[須原インターチェンジ|須原IC]](予定)、[[下田北インターチェンジ|下田北IC]](予定)、[[蓮台寺インターチェンジ|蓮台寺IC]](予定)、[[敷根インターチェンジ|敷根IC]](予定)、[[下田インターチェンジ|下田IC]](予定) 【[[一般国道|国道]]】 * [[国道135号]] * [[国道136号]] * [[国道414号]] 【[[都道府県道|県道]]】 * [[静岡県道15号下田松崎線]] * [[静岡県道116号須崎柿崎線]] * [[静岡県道117号下田港線]] * [[静岡県道118号蓮台寺立野線]] * [[静岡県道119号下田南伊豆線]] * [[静岡県道404号河津下田線]] === 港湾 === * [[下田港]] ** 神新汽船:[[神津島]]、[[式根島]]、[[新島]]への[[フェリー]] == 名所・旧跡・博物館・観光施設 == [[ファイル:Shimoda-Kaichu-Suizokukan.JPG|right|thumb|250px|下田海中水族館。]] * 弥冶川界隈(ペリーロード):平滑川河口から[[了仙寺]]に至る川沿いの道。かつては[[花柳街]]だった。[[なまこ壁]]や石造りの民家などがあり、風情あるたたずまいを見せる。 * 下田公園:戦国時代に[[下田城_(伊豆国)|下田城]]があった場所。日本で1. 2を争う[[アジサイ]]の名所。循環道路を歩くのも良い。県指定文化財 * ハリスの小径:下田湾の柿崎にある遊歩道。[[特攻]]艇[[震洋]]の格納壕跡がある。 * [[爪木崎]]:須崎半島にある美しい岬。1月に[[スイセン]]祭が開かれる。 * [[白浜大浜海水浴場|白浜大浜]]:下田市最大の[[海水浴場]]。白砂が美しく、夏は若者でにぎわう。 * 吉佐美大浜:7月中旬、隣接する大賀茂川河口では、[[ハマボウ]]が美しい花を咲かせる。 * [[了仙寺]]:下田条約締結の地。5月には、アメリカジャスミン([[ニオイバンマツリ]])の紫と香りが境内いっぱいになる。国の史跡。 * [[玉泉寺 (下田市)|玉泉寺]]:日本最初の米国領事館。国の史跡 * 宝福寺:[[唐人お吉]]の[[菩提寺]]。 * 吉田松陰寓寄所:米艦での密航を企てた[[吉田松陰]]が、宿泊した民家。県指定文化財 * 安直楼:[[唐人お吉]]が経営した料亭跡。市指定文化財 * 白浜神社([[伊古奈比め命神社]]):[[伊豆]]最古の神社。県指定文化財。めは口+羊。 * [[神子元島灯台]]:明治3年竣工。下田港9km沖合いの[[神子元島]]にある、現存する日本最古の洋式[[灯台]]。国の史跡 * [[下田城 (伊豆国)|下田城]]:下田城址 後北条氏家臣、[[清水康英]]が城主。昭和48年6月12日下田市指定文化財。 * 下田城:隕石などを展示した美術館を併設(休業中)。※歴史上の下田城とは、まったく無関係の娯楽施設。 * 下田開国博物館:開国や下田の民俗を物語る品々を展示。 * [[下田海中水族館]]:世界初の水中に浮かぶ[[水族館]]。[[イルカ]]や[[アシカ]]のショーも行われる。 * 上原近代美術館:[[ピエール=オーギュスト・ルノワール|ルノワール]]、[[アンリ・マティス|マティス]]、[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]など近代西洋絵画や日本画、彫刻など多数展示。 * 上原仏教美術館:現代[[仏師]]の作になる百数十体の木彫仏像、[[平安時代]]の[[十一面観音]]立像([[重要美術品]])、[[鎌倉時代]]の[[阿弥陀如来]]立像、中国[[宋時代]]の菩薩立像などを常設展示。[[平山郁夫]]・[[村上華岳]]らの日本画、平安後期の[[中尊寺経]]([[重要美術品]])も所蔵。 * 道の駅 開国下田みなと(ベイ・ステージ下田):下田の名産や歴史などの魅力が分かる情報館。 == 天然記念物 == * 田牛[[ハマオモト]]自生地 * [[ハマボウ]]樹林 * [[シモダマイマイ]] その他 == 出身者 == * [[中根東里]](1694-1765):陽明学者。 * [[篠田雲鳳]](1810-1883):江戸後期から明治初期、江戸で名をはせた女性儒学者、教育者、詩人。書も能くした奇才で、絶世の美女だったという。 * [[下岡蓮杖]](1823-1914):日本商業写真の祖。 * [[中村岳陵]](1890-1969):日本画家。昭和37年(1962年)、下田町名誉町民。 * [[浦辺粂子]](1902-1989):[[日活]]映画で最初の主演女優、戦後は老婆役で人気。 * [[加藤虎之助]](1903-1934):医師。[[大阪府]][[吹田市]]にあった「三島[[無産者診療所]]」初代所長。 * [[上原小枝]](1909-1996):元[[大正製薬]]名誉会長。 * [[大久保婦久子]](1919-2000):皮革工芸家。平成12年(2000年)、下田市名誉市民 * [[浦岡敬一]](1930-2008):映画編集者。小林正樹監督の「人間の條件」など、多くの映画の編集を手がけた。日本映画・テレビ編集協会初代理事長。 * [[平野ますみ]](1931- ):詩人、児童文学者。著書「もんぺはすてき」。 * [[栗原はるみ]](1947- ):料理研究家。著書「ごちそうさまが、聞きたくて」がベストセラー。 * [[嶋津武仁]](1949- ):福島大学教授。[[ベルリン国際作曲コンクール]]3位入選。 * [[秀男]](1949- ):大相撲、副立呼出し。平成19年秋場所時点で呼出しの最高位。2016年、定年。本名:山木秀人 桐山部屋所属 * [[松本路子]](1950- ):写真家。『Portraits 女性アーティストの肖像』など、ポートレイトで著名。 * [[楠山俊介]](1954- ):下田市長、歯科医師。 * [[鈴木由美子]](1960- ):漫画家。「白鳥麗子でございます!」で有名。 * [[鈴木みそ]](1963- ):漫画家。フリーライターからデビュー。 * [[御法川修]](1972- ):映画監督。映画 『世界はときどき美しい』 (第19回 東京国際映画祭 公式出品) * [[鈴木將義]](1976- ):文化人。マルチメディアクリエイター・デジタルメディア評論家。元[[サクラゲート]]取締役。 == 下田を舞台にした作品 == === 文学・記録・漫画 === * [[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]]:ヨシダ・トラジロウ * [[マシュー・ペリー|ペリー]]:日本遠征記 * [[タウンゼント・ハリス]]:日本滞在記 * [[ヒュースケン]]:日本日記 * [[川路聖謨]]:下田日記 * [[幸田露伴]]:いさなとり * [[蒲原有明]]:豆南豆北 * [[島崎藤村]]:伊豆の旅 * [[梶井基次郎]]:[[冬の蠅]] * [[川端康成]]:[[伊豆の踊子]] * [[中島敦]]:下田の女 * [[十一谷義三郎]]:唐人お吉、時の敗者唐人お吉 * [[真山青果]]:唐人お吉、唐人お吉と攘夷群 * [[山本有三]]:女人哀詞 * [[林芙美子]]:下田港まで * [[井上友一郎]]:唐人お吉 * [[ベルトルト・ブレヒト]]:下田のユーディット * [[松本清張]]:[[天城越え (松本清張)|天城越え]] * [[中山あい子]]:紅椿無惨 * [[三島由紀夫]]:[[月澹荘綺譚]] * [[大南勝彦]]:ペテルブルグからの黒船 * [[ニコライ・ザドルノフ]]:北から来た黒船 * [[オリヴァー・スタットラー]]:下田物語 * [[吉村昭]]:落日の宴-勘定奉行川路聖謨 * [[高橋治]]:片意地へんくつ一本気-下田うなぎ屋風流噺 * [[草野唯雄]]:南伊豆殺人行 * [[島田一男]]:下田子守り唄殺人 * [[西村京太郎]]:下田情死行、南伊豆殺人事件 * [[藤堂志津子]]:海の時計 * [[津村秀介]]:伊豆の朝凪 * [[安部竜太郎]]:お吉写真帖 * [[まつもと泉]]:幕末綿羊娘情史 * [[宮城賢秀]]:伊豆惨殺剣 === 映画 === * [[海に叫ぶ女]] :[[1928年]]、[[松竹]]。監督-[[清水宏]]出演-[[水島亮太郎]]、[[藤野秀夫]]、[[柳さく子]] * [[唐人お吉]] :[[1930年]]、[[日活]]。監督-[[溝口健二]] 出演-[[梅村蓉子]]、[[山本嘉一]]、[[島耕二]] * [[雪の渡り鳥]] :[[1931年]]、[[阪東妻三郎プロダクション]]。監督-[[宮田十三一]] 出演-[[阪東妻三郎]]、[[岡田喜久也]]、[[堀川浪之助]] * 恋の花咲く [[伊豆の踊子]]:[[1933年]]、[[松竹]]。監督-[[五所平之助]] 出演-[[田中絹代]]、[[大日方傅]]、[[小林十九二]] * 唐人お吉 :[[1935年]]、[[新興キネマ]]。監督-[[冬島泰三]] 出演-[[水谷八重子]]、[[沢村田之助]]、[[早川雪州]] * [[下田夜曲]]:[[1936年]]、[[松竹]]。監督-[[宗本英男]] 出演-[[佐分利信]]、[[八雲恵美子]]、[[水島光代]] * [[青い山脈 (映画)|青い山脈]]:[[1949年]]、[[東宝]]。監督-[[今井正]] 出演-[[原節子]]、[[池部良]]、[[杉葉子]] * [[若い人]]:[[1952年]]、[[東宝]]。監督-[[市川崑]] 出演-[[池部良]]、[[久慈あさみ]]、[[島崎雪子]]、[[杉村春子]]、[[二本柳寛]] * [[坊ちゃん社員]] :[[1954年]]、[[東宝]]。監督-[[山本嘉次郎]] 出演-[[小林桂樹]]、[[藤間紫]]、[[伊豆肇]]、[[河内桃子]] * 唐人お吉 :[[1954年]]、[[京映プロ]]。監督-[[若杉光夫]] 出演-[[山田五十鈴]]、[[薄田研二]]、[[下元勉]] * [[雪の渡り鳥]] :[[1957年]]、[[大映]]。監督-[[加戸敏]] 出演-[[長谷川一夫]]、[[山本富士子]]、[[黒川弥太郎]] * [[黒船]] :[[1958年]]、[[20世紀フォックス]]。監督-[[ジョン・ヒューストン]] 出演-[[ジョン・ウェイン]]、[[安藤永子]] * [[たぬき坊主]]:[[1970年]]、監督-[[渡辺祐介]] 出演-[[フランキー堺]]、[[市原悦子]]、[[伴淳三郎]]、[[中村玉緒]]、ロケ地-[[太梅寺]](下田市横川) * [[男はつらいよ 柴又より愛をこめて]]:[[1985年]]、[[松竹]]。監督-[[山田洋次]] 出演-[[渥美清]]、[[栗原小巻]]、[[美保純]] * [[バーバー吉野]]:[[2003年]]、PFFパートナーズ。監督-[[荻上直子]] 出演-[[もたいまさこ]] === 音楽 === * 民謡「下田ぶし」:江戸時代 * 歌謡曲「唐人お吉の唄(黒船篇)」:[[1930年]][[佐藤千夜子]](唄)、[[西條八十]](詞)、[[中山晋平]](曲) * 歌謡曲「唐人お吉小唄(明烏篇)」:[[1930年]] [[藤本二三吉]](唄)、[[西條八十]](詞)、[[佐藤紅華]](曲) * 歌謡曲「下田小唄」:[[1930年]] [[毛利幸尚]](唄)、[[松村又一]](詞)、[[高田守久]](曲) * 歌謡曲「下田しぐれ」:[[1935年]] [[東海林太郎]](唄)、[[藤田まさと]](詞)、[[森義八郎]](曲) * 歌謡曲「下田夜曲」:[[1936年]] [[音丸]](唄)、[[高橋掬太郎]](詞)、[[竹岡信幸]](曲) * 歌謡曲「下田のお吉」:[[1938年]] [[小唄勝太郎]](唄)、[[佐伯孝夫]](詞)、[[清元梅吉]](曲) * 歌劇「黒船」:[[1940年]] [[山田耕筰]](作曲) * 歌謡曲「下田の雨」:[[1951年]] [[林伊佐緒]](唄)、[[若杉雄三郎]](詞)、[[林伊佐緒]](曲) * 歌謡曲「下田夜雨」:[[1951年]] [[市三]](唄)、[[藤田まさと]](詞)、[[阿部武雄]](曲) * 歌謡曲「下田夜船」:[[1952年]] [[野崎整子]](唄)、[[坂口淳]](詞)、[[加藤光男]](曲) * 歌謡曲「下田の雨」:[[1953年]] [[永田とよ子]](唄)、[[英玲二]](詞)、[[上原げんと]](曲) * 歌謡曲「下田エレジー」:[[1953年]] [[三岐麗子 ]](唄)、[[高橋掬太郎]](詞)、[[細川潤一]](曲) * 歌謡曲「下田の千鳥」:[[1956年]] [[島倉千代子]](唄)、[[奥野椰子夫]](詞)、[[平川英夫]](曲) * 歌謡曲「下田港に雨が降る」:[[1957年]] [[藤島桓夫]](唄)、[[松井由利夫]](詞)、[[島田逸平]](曲) * 歌謡曲「下田物語」:[[1958年]] [[島倉千代子]](唄)、[[石本美由紀]](詞)、[[竹岡信幸]](曲) * 歌謡曲「花散る下田」:[[1960年]] [[島倉千代子]](唄) * 演歌「お吉物語」:[[1960年]] [[天津羽衣]](唄)、[[藤田まさと]](詞)、[[陸奥明]](曲) * 歌謡曲「下田港の弥太郎さん」:[[1961年]] [[こまどり姉妹]](唄)、[[石本美由紀]](詞)、[[上原げんと]](曲) * 歌謡曲「船頭可愛や」、「下田夜曲」:[[1961年]] [[花村菊江]](唄) * 歌謡曲「下田ブルース」:[[和田弘とマヒナ・スターズ]]、[[神楽坂とき子]](唄) * 歌謡曲「下田ブルース」:[[1973年]] [[湯原昌幸]](唄) * 歌謡曲「唐人物語」:[[1998年]] [[サザンオールスターズ]](唄)、[[桑田佳祐]](詞・曲)、[[サザンオールスターズ]](編曲) * 演歌「風恋歌」:[[2008年]] [[香西かおり]](唄)、[[里村龍一]](詞)、[[叶弦大]](曲) * 演歌「下田慕情」:[[2014年]] [[竹川美子]](唄)、[[我妻ゆき子]](詞)、[[河合秀郎]](曲) === アニメ === * [[幕末のスパシーボ]](1997年、[[NHKエンタープライズ|NHKエンタープライズ21]]製作・[[マジックバス]]制作) - 幕末の日露交渉と日本人・ロシア人の友好を描いた[[アニメーション映画]]。市が製作協力を行った。 * [[夏色キセキ]](2012年、[[MBSテレビ|MBS]]製作・[[サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ]]制作、[[TBSテレビ|TBS]]・[[静岡放送|SBS]]ほかで放送) - 下田市を舞台に女子中学生4人の日常を描いた[[テレビアニメ]]。本作には市内各地の名所や伝統行事が登場する。そのため市もアニメファンを呼び込もうと積極的なPR活動を行っている。また制作側は[[伊豆急行]]などの地元企業との連携を企画している<ref>[http://www.izukyu.co.jp/kanko/ekicho/natsuiro/ 夏色キセキ駅長|伊豆急「オモシロ駅長」情報!] 伊豆急行公式サイト 2012年7月31日閲覧。</ref>。 [[File:Izukyu Shimoda sta. - Omoshiro Ekicho.JPG|thumb|[[伊豆急下田駅]]、オモシロ駅長]] == 関連項目 == * [[日米和親条約]] * [[幕末]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == {{Commonscat|Shimoda, Shizuoka}} * [http://www.city.shimoda.shizuoka.jp 下田市公式サイト] * [http://www.shimoda-city.info/ 下田市観光協会] {{静岡県の自治体}} {{DEFAULTSORT:しもたし}} [[Category:下田市|*]] [[Category:賀茂郡 (静岡県)]]<!--下田町のカテゴリ--> [[Category:静岡県の市町村]] [[Category:港町]] {{Wikipedia/Ja}}