「イラク3馬鹿事件」の版間の差分
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なお、この事件に当たっては、[[週刊文春]][[2006年]][[11月2日]]号に掲載された[[作家]]の[[麻生幾]]が執筆した記事によると、[[海上自衛隊]]の[[特殊部隊]]である[[特別警備隊 (海上自衛隊)|特別警備隊]]員をバクダッド駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」計画が立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。 | なお、この事件に当たっては、[[週刊文春]][[2006年]][[11月2日]]号に掲載された[[作家]]の[[麻生幾]]が執筆した記事によると、[[海上自衛隊]]の[[特殊部隊]]である[[特別警備隊 (海上自衛隊)|特別警備隊]]員をバクダッド駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」計画が立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。 | ||
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+ | == 事件の影響 == | ||
+ | 日本の被害日本国、つまり1億数千万人の日本国民全員が被った被害は、以下の通りである。 | ||
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+ | * 救出の費用(税金) 20億円 | ||
+ | * ヨルダンからの債務免除要請額 2000億円 | ||
+ | * 株価暴落による損失 13兆円 | ||
+ | * 3人がイラクで得た自己満足 Priceless | ||
+ | * 国民一人当たり13万円程度の損害を被ったことになる。 | ||
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+ | 当時の論調仮にも誘拐なのだから多少は同情論があってしかるべき所、当時一般人からの同情は皆無。国民の99%は自業自得と考え、人質および人質家族に対して日本中から批判が集中し、自己責任であるとの論調で溢れた。 | ||
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+ | その理由は、この人質家族の言動に大いなる問題があったからである。 | ||
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+ | 政府には国外においても自国民保護に全力を尽くす義務があり、彼らにどのような過失があったとしても同様である。 | ||
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+ | しかしそもそも、憲法22条で日本人は完全な渡航の自由が認められており、政府は法的に渡航の禁止勧告は出来ない。これゆえ政府は危険であれば「退避勧告」を出し国民に自発的な避難を求める。日本国民にもそれは周知されていた。 | ||
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+ | だが彼らは勧告を無視してイラクに入国し、そしてこのような結果になった。問われるべき政府の責任は何もなく、結局は自己責任であり、さらには制止しなかった人質家族にも幾ばくかの連帯責任がある。それでも日本国政府は全力を挙げて彼らの保護・救出活動をした。 | ||
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+ | 政府は、さすがに自業自得とまでは言わぬまでも自己責任であることを主張。そして今回ばかりは反日一辺倒のマスコミも、国民の反感の空気を読んで自己責任論を擁護し、人質らに同調しなかった。 | ||
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+ | 家族家族の主張人質家族は事件報道の翌日朝、東京に集まってマスコミを集め「人質救出のためには自衛隊撤退以外にありえない」との主張を繰り返し、イラクからの自衛隊撤退を要求した。政府はもちろん応じなかったが、それに対しても「見殺しにするつもりか」などの非難を続けた。 | ||
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+ | また、あらゆる手段での解決を要求しながら、米軍特殊部隊突入などの米軍の協力は拒絶を続けた。米軍に潜入されると困る何かがあることは明白で、手段を選り好みしていることは誰の目にも明らかだった。 | ||
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+ | そのような状況で、自分らの責任を棚に上げて「政府の責任」「自衛隊を派遣したせいだ」などと叫び続けるのは、誰が見ても納得致しかねる論である。また、自衛隊派遣つまり人的国際貢献は国民から賛同されていることでもあり、それをたかが数名の意見でねじ曲げようなどというのは、明らかに出過ぎた態度であった。 | ||
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+ | 家族は同情論で国民の支持を獲得し、自衛隊撤退などの反日反米イデオロギーに基づいた政治活動を目論んだようであるが、国民はこれを支持せず、むしろその呆れた態度に憤慨したのである。 | ||
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+ | 家族の政府に対する要求はエスカレートする一方、犯行グループに対する非難は全くなかったことも、国民に疑念を抱かせる主因となっていた。人質を道具に使った政治活動にしか見えなかったのである。 | ||
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+ | 家族の「行動」そもそも、日本国内で事件が報じられ、3人の名が全国に伝えられたのは2010(平成22)年4月8日21:00頃と夜遅い。 | ||
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+ | にもかかわらず、北海道と宮崎県に住む「今まで合ったこともないはず」のこの3家族は、翌日には東京で合流してマスコミを集めて会見を開き、また同時に支援団体が署名活動を始める、などという、極めて手際のよい、奇怪な行動を取っている。 | ||
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+ | またその支援団体も、極左過激派、人間の盾、プロ市民といった、およそ一般人とは相容れない人々であった。 | ||
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+ | これら状況証拠から、事前の準備が強く疑われることになった。 | ||
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+ | 8日ぶりに開放され、マスメディアの前に姿を現わした三名だが、その態度の悪さから、「三馬鹿」の名が決定的となった。 | ||
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+ | 高遠菜穂子に至っては、飴玉を舐めながらインタビューに応じるなどしたことから、彼女の蔑称は「アメウマー」となった。 | ||
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+ | こうして戻ってきた彼らだが、カメラ、時計、パソコン等の金品一切は奪われることなく戻ってきた。誘拐犯が本当に盗賊なのであれば、このようなことは極めて考えにくい。 | ||
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+ | また身なりはきちんとしていたので、服の洗濯や入浴など含め、衣食住は完備されていたものと思われる。身代金目的であるならば、人質に対してそこまでの手厚いもてなしがあるとも考えにくい。 | ||
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+ | このようなことから、この事件は自作自演の「狂言」であろうと、強く疑われる結果となっている。 | ||
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+ | 実際にイラクで拉致され、首チョンパにされ殺害されてしまった[[香田証生]]とは雲泥の差である。 |
2018年7月18日 (水) 15:54時点における版
イラク3馬鹿事件とは、2002年からのイラク戦争に関連して、2004年にイラク武装勢力がイラクに入国していた反日反米活動家の日本人を誘拐・拘束し、自衛隊の撤退などを求めた一連の事件。これは米軍のファルージャ攻撃以後頻発した、数ある外国(非イラク)人拉致事件の一部である。
また、高遠菜穂子、今井紀明、郡山総一郎を「イラク3馬鹿トリオ」という。
事件大要
当然、日本政府は無視できないので救出に尽力、結果、救出に多額の税金が投じられることになった。にもかかわらず、無事に帰国しても彼らは日本国民に感謝することなく、反日活動を継続した。
この邦人人質事件は、事件発生当時から自作自演の「狂言」が強く疑われている。
人質「誘拐」された邦人は以下の三名で、これを「イラク三馬鹿」という。年齢はいずれも当時。
- 郡山総一郎(32) ‐ フォトジャーナリスト =東京都杉並区高円寺南5ノ37ノ19―101=
- 高遠菜穂子(34) ‐ イラクでのストリートチルドレン支援活動家 =北海道千歳市上長都1058=
- 今井紀明(18) ‐ 「NO!!小型核兵器(DU)サッポロ・プロジェクト」メンバー =札幌市西区宮の沢2条2ノ3ノ24=
また、同時期に次の反日反米活動家二名も「誘拐」され、上の三名と同時期に開放されている。
イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊(日本では自衛隊)をイラクから引き上げることを要求するものであった。
被害者がボランティアを目的として入国したとすることについて、その内容の実際が、人質の一人である30代独身女性・高遠菜穂子が個人的に自宅アパートで行っていた10代の男子に限定した物資の提供等であったり、高校を卒業したばかりの海外渡航未経験の未成年者による劣化ウラン弾の絵本書き(なお、この者は出版未経験者であった)のための取材がメインであったことがわかるにつれ、ボランティアとは何かとの論争を起こすきっかけともなった。
メディアの内側においては、一部新聞社が被害者宅の正確な住所を報道したり、報道陣が被害者宅に大挙して押し掛けたことについて、被害者宅すぐそばに練習グラウンドがあるJリーグチームが驚いたとの報道を行ったため、被害者宅が特定された。そのため被害者宅へ手紙や電話・FAXが集中したことや、少なからぬキャスターが批判派・擁護派の一方を肩入れするような報道を行ったりしたことが、報道被害や報道の公正という観点から問題にもなった。
また各メディアの世論調査の数字の異なり(往々にして、メディア各社の報道姿勢に沿った数字が出された)などから、インターネットにおいては、2002年のサッカーワールドカップの日韓共催から始まったといわれる大手メディアの報道姿勢への非難が再燃した。
最初の事件の被害者3名のうち2名が北海道在住であったことから、被害者家族に北海道庁が東京事務所での便宜供与を行い、このため同事務所の電話回線が混雑し通常業務が円滑に働かなくなったり、職員(地方公務員)の残業手当等を含め北海道に相当の額の出費が強いられるなどの影響が出た。そのため、地元北海道では一般道民からの厳しい批判がなされ、地方自治体とボランティアの関係についての一石が投じられる形になった(九州出身の被害者については出身県庁が積極的な便宜を図らなかったためこのような論議は起こらなかったが、後に全国的に地方自治体とボランティアという形で議論がされた)。
なお、この事件に当たっては、週刊文春2006年11月2日号に掲載された作家の麻生幾が執筆した記事によると、海上自衛隊の特殊部隊である特別警備隊員をバクダッド駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」計画が立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。
事件の影響
日本の被害日本国、つまり1億数千万人の日本国民全員が被った被害は、以下の通りである。
- 救出の費用(税金) 20億円
- ヨルダンからの債務免除要請額 2000億円
- 株価暴落による損失 13兆円
- 3人がイラクで得た自己満足 Priceless
- 国民一人当たり13万円程度の損害を被ったことになる。
当時の論調仮にも誘拐なのだから多少は同情論があってしかるべき所、当時一般人からの同情は皆無。国民の99%は自業自得と考え、人質および人質家族に対して日本中から批判が集中し、自己責任であるとの論調で溢れた。
その理由は、この人質家族の言動に大いなる問題があったからである。
政府には国外においても自国民保護に全力を尽くす義務があり、彼らにどのような過失があったとしても同様である。
しかしそもそも、憲法22条で日本人は完全な渡航の自由が認められており、政府は法的に渡航の禁止勧告は出来ない。これゆえ政府は危険であれば「退避勧告」を出し国民に自発的な避難を求める。日本国民にもそれは周知されていた。
だが彼らは勧告を無視してイラクに入国し、そしてこのような結果になった。問われるべき政府の責任は何もなく、結局は自己責任であり、さらには制止しなかった人質家族にも幾ばくかの連帯責任がある。それでも日本国政府は全力を挙げて彼らの保護・救出活動をした。
政府は、さすがに自業自得とまでは言わぬまでも自己責任であることを主張。そして今回ばかりは反日一辺倒のマスコミも、国民の反感の空気を読んで自己責任論を擁護し、人質らに同調しなかった。
家族家族の主張人質家族は事件報道の翌日朝、東京に集まってマスコミを集め「人質救出のためには自衛隊撤退以外にありえない」との主張を繰り返し、イラクからの自衛隊撤退を要求した。政府はもちろん応じなかったが、それに対しても「見殺しにするつもりか」などの非難を続けた。
また、あらゆる手段での解決を要求しながら、米軍特殊部隊突入などの米軍の協力は拒絶を続けた。米軍に潜入されると困る何かがあることは明白で、手段を選り好みしていることは誰の目にも明らかだった。
そのような状況で、自分らの責任を棚に上げて「政府の責任」「自衛隊を派遣したせいだ」などと叫び続けるのは、誰が見ても納得致しかねる論である。また、自衛隊派遣つまり人的国際貢献は国民から賛同されていることでもあり、それをたかが数名の意見でねじ曲げようなどというのは、明らかに出過ぎた態度であった。
家族は同情論で国民の支持を獲得し、自衛隊撤退などの反日反米イデオロギーに基づいた政治活動を目論んだようであるが、国民はこれを支持せず、むしろその呆れた態度に憤慨したのである。
家族の政府に対する要求はエスカレートする一方、犯行グループに対する非難は全くなかったことも、国民に疑念を抱かせる主因となっていた。人質を道具に使った政治活動にしか見えなかったのである。
家族の「行動」そもそも、日本国内で事件が報じられ、3人の名が全国に伝えられたのは2010(平成22)年4月8日21:00頃と夜遅い。
にもかかわらず、北海道と宮崎県に住む「今まで合ったこともないはず」のこの3家族は、翌日には東京で合流してマスコミを集めて会見を開き、また同時に支援団体が署名活動を始める、などという、極めて手際のよい、奇怪な行動を取っている。
またその支援団体も、極左過激派、人間の盾、プロ市民といった、およそ一般人とは相容れない人々であった。
これら状況証拠から、事前の準備が強く疑われることになった。
8日ぶりに開放され、マスメディアの前に姿を現わした三名だが、その態度の悪さから、「三馬鹿」の名が決定的となった。
高遠菜穂子に至っては、飴玉を舐めながらインタビューに応じるなどしたことから、彼女の蔑称は「アメウマー」となった。
こうして戻ってきた彼らだが、カメラ、時計、パソコン等の金品一切は奪われることなく戻ってきた。誘拐犯が本当に盗賊なのであれば、このようなことは極めて考えにくい。
また身なりはきちんとしていたので、服の洗濯や入浴など含め、衣食住は完備されていたものと思われる。身代金目的であるならば、人質に対してそこまでの手厚いもてなしがあるとも考えにくい。
このようなことから、この事件は自作自演の「狂言」であろうと、強く疑われる結果となっている。
実際にイラクで拉致され、首チョンパにされ殺害されてしまった香田証生とは雲泥の差である。