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当時の[[近衛文麿]][[総理大臣]]を研究所代表(総裁)とし、企画院から直接的な指示を受けて、[[日中戦争]]後の総力戦体制における「国策」の「科学的根拠」の「究明」を使命として東アジア全域に関する基礎的・総合的な調査を行なった<ref>石田(2003)pp.100-101、NHK(1994)pp.31-32</ref>。 | 当時の[[近衛文麿]][[総理大臣]]を研究所代表(総裁)とし、企画院から直接的な指示を受けて、[[日中戦争]]後の総力戦体制における「国策」の「科学的根拠」の「究明」を使命として東アジア全域に関する基礎的・総合的な調査を行なった<ref>石田(2003)pp.100-101、NHK(1994)pp.31-32</ref>。 | ||
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2018年1月22日 (月) 00:04時点における版
東亜研究所(とうあけんきゅうじょ)は、1938年に内閣の企画院管下の財団法人として設立された調査機関[1]。満鉄調査部に次ぐ大きな調査機関だった[2]。
活動内容
当時の近衛文麿総理大臣を研究所代表(総裁)とし、企画院から直接的な指示を受けて、日中戦争後の総力戦体制における「国策」の「科学的根拠」の「究明」を使命として東アジア全域に関する基礎的・総合的な調査を行なった[3]。
研究所の本館は東京・駿河台の明治大学の構内に置かれていた[2]。
1939年10月、満州へ渡った日本人と中国人の間に生じる摩擦を軽減するため、興亜院からの要請を受けて第6調査委員会を発足させ、「支那慣行調査(中国の法的・経済的慣行の調査)」計画に着手[4]。
終戦まで活動した[2]。
戦後
戦後、研究者らが中心となって民主化運動が行なわれ、翌1946年3月に解散するまで、従業員組合管理の状態に置かれ、研究所長ではなく「研究会議」が最高意思決定機関になっていた[5]。
1946年1月に外務省管理局から「華人労務者就労事情調査」(いわゆる『外務省報告書』の基となる実態調査)の委嘱を持ちかけられ、「研究会議」の経済部労働班長だった大友福夫ら少なくとも11人が外務省嘱託の調査員として調査を行った[6]。
解散後、東亜研究所の残余財産を継承する形で、財団法人政治経済研究所が設立された[7]。
戦後、研究所本館の建物は明治大学の学生会館となり、70年安保闘争や大学紛争のときには学生の拠点になったが、1980年代前半頃に取り壊された[2]。
侵略戦争に加担したという反省から、戦後日中友好に尽くした関係者も多かった[2]。
所員
- 小林義雄 - 戦後、政治経済研究所の理事長を務めた[8]。
- 大友福夫
- 鶴岡義一
- 北村吉郎 - 第一経済大学教授[9]
- 山田三良、末弘厳太郎、田中耕太郎、我妻栄、平野義太郎、仁井田陞、福島正夫、戒能通孝、磯田進、徳田良治 - 第6調査委員会の学術部委員会に属して華北農村慣行調査(法的慣行調査)を遂行[10]
著作物
所報
- 『東亜研究所報』1939年-1945年、NDLJP:1617565 (閉)
調査報告
- 中国農村慣行調査慣行会(編)『中国農村慣行調査』岩波書店 - 戦時中に第6調査委員会が行なった「華北農村慣行調査」の調査結果をまとめ、戦後刊行された。法学者にとって重要な研究対象になっている。[11]
- 「第1巻 河北省順義県 第1」1952年、NDLJP:2468873 (閉)
- 「第2巻 河北省順義県 第2」1954年、NDLJP:2468874 (閉)
- 「第3巻 河北省欒城県」1955年、NDLJP:2468875 (閉)
- 「第4巻 山東省歴城県、山東省恩県」1955年、NDLJP:2468876 (閉)
- 「第5巻 河北省昌黎県および良郷県」1957年、NDLJP:2468877 (閉)
- 「第6巻 河北省灤県」1958年、NDLJP:2468878 (閉)
付録
外部リンク
脚注
参考文献
- 石田(2003) 石田眞「4 戦前の慣行調査が『法整備支援』に問いかけるもの-台湾旧慣調査・満州旧慣調査・華北農村慣行調査」早稲田大学比較法研究所(編)『比較法研究の新段階 - 法の継受と移植の理論』〈早稲田大学比較法研究所叢書30〉早稲田大学比較法研究所、2003年、pp.93-115
- NHK(1994) NHK取材班『幻の外務省報告書−中国人強制連行の記録』日本放送出版協会、1994年、4140801670