「生まれついての殺し屋」の版間の差分
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2015年10月21日 (水) 23:06時点における版
{{独自研究}} '''生まれついての殺し屋'''(うまれついてのころしや)とは、[[戦争]]中、[[殺人]]という一般的に嫌悪する行為を[[ストレス]]なく平然と行うことのできる類型の[[人間]]のことである{{要出典}}。 人間は、その属する文化の枠組みの中で、モラルという概念が発達しているため、同じ[[ホモ・サピエンス]]である人間をいきなり殺すことにまず躊躇する。特に現代文化では全てのヒトが自分と同様の人間であるという概念が発達しているため、その傾向は著しい。また、初めて殺人を行うと極度の嫌悪感から吐いたり、夜が眠れなくなったりといった様々な[[ストレス]]を経験する。 その証拠に、[[第二次世界大戦]]での[[アメリカ]]軍の発砲率は半分以下だったと言われている。 そのため現代の軍隊では、[[ゲーム]]などを用いた訓練によって、条件反射的に発砲が行えるように訓練し、発砲率90%近くを達成しているし、歴史的に見ても様々な文化圏に見られた戦士文化では、敵の殺害を平然と行うことができるような心理に誘導する文化装置や訓練法が発達してきた。例えば[[日本]]の[[武士]]は江戸時代中期になって太平の世に慣れ、殺伐の気風が薄れるまでは粗相をした奉公人の斬殺を日常的に行ったり、中世には[[絵巻物語]][[男衾三郎]]絵詞に 「馬庭のすゑに生首たやすな切り懸よ」と 描写されているように、領内を通過する乞食修業者などと呼ばれる民間[[宗教家]]などを捕縛して射殺、斬首することを日ごろのたしなみとするなど殺害に慣れる訓練が常態であった。また[[東アフリカ]]のボディなどの牛遊牧民には、[[男性]]が青少年期に特定の牛に自己同一化した後にその牛を生贄にし、その耐え難い心の喪失感を他部族の殺害で埋めさせて殺戮に駆り立てるなどの文化装置が知られている。 従って、普通の人間は軍隊に入隊して長らく、厳密に言えば60日以上、前線で過ごすと、ほぼ全員が[[戦場神経症]]にかかるなど、極限にまで[[精神]]が[[疲労]]してしまう。 しかし、こういった者とは別に、戦場で何の嫌悪感も躊躇も無く、人を撃ち殺すことができる人間もいる。その数は男性で3% - 4%、[[女性]]では1%、男女平均して全体の2%ほどである{{要出典}}。このような人物が生まれついての殺し屋と呼ばれている。生まれついての殺し屋には前述したストレスも無縁であり、60日以上いても戦場神経症にもかかることはない。そして相手国に対する全体の殺傷率が50%を越える。 注意したいのは、普通の社会ではごく普通の人間であり、戦場に出てはじめて自分がそういう人間だったと気づいた人間がほとんど、ということである。普通の人間ができないことを何の躊躇も無くやってのける為、ほとんどの同僚がその人物を[[ヒーロー|英雄]]として扱い、また尊敬する。 なお、[[快楽殺人]]者は[[性欲]]を満たす為に主に殺人を実行する者なので、生まれついての殺し屋とは呼ばない。 ==関連項目== *[[戦争]] *[[心的外傷後ストレス障害]] == 参考文献 == *[[クリス・ヘッジズ]] 『本当の戦争―すべての人が戦争について知っておくべき437の事柄』 [[伏見威蕃]]訳、[[集英社]]、[[2004年]]、221頁。 [[Category:Wikipediaで削除依頼された記事|{{PAGENAME}}]] *[[wiki:生まれついての殺し屋]]