「澤井修一」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(ページの白紙化)
(221.10.102.203 (トーク) による編集を 118.20.158.131 による直前の版へ差し戻しました)
 
1行目: 1行目:
 +
'''澤井修一'''(さわい しゅういち、[[1911年]] - [[2003年]])は、日本の[[銀行家]]。 [[山形しあわせ銀行]](現・[[きらやか銀行]])元頭取。[[藍綬褒章]]-(1974年) 
  
 +
==略歴==
 +
*[[1933年]]-[[山形師範学校]](現・[[山形大学]]地域教育文化学部)卒業
 +
*[[1950年]]
 +
**1月 松ヶ岡ガラス工業社長就任。 
 +
**10月 金升酒造取締役就任。 
 +
**12月 両羽協同製糸(現 松岡株式会社)取締役就任。
 +
*[[1951年]]-出羽木材社長就任。
 +
*[[1952年]]-山形相互銀行入行、取締役就任
 +
*[[1953年]]-社長就任
 +
*[[1989年]]-普銀転換、頭取就任
 +
*[[1991年]]-会長就任
 +
*[[1998年]]-相談役就任
 +
*[[2003年]]
 +
**12月 老衰により逝去。享年93
 +
 +
==人物==
 +
[[庄内藩]]で[[松ヶ岡開墾場|松ヶ岡開墾]]に従事した、藩士の家系、沢井辰三郎の長男として[[山形県]][[鶴岡市]]に生まれる。
 +
 +
教職に奉職後、実業界入りし、松ヶ岡ガラス工業社長等を経て、[[1952年]]山形相互銀行に入行。翌年より、社長、頭取を39年あまり務め、80歳を迎えたのを期に、若返りをはかるため、[[1991年]]、頭取の職を四男である誠介に委ね自身は、会長に就任した。 トップ在任時は、[[1960年]]の、資金量5000億円達成。[[荘内銀行]]と[[エスワイコンピューターサービス]](SYC)を共同で設立し、[[1975年]]より、第一次[[オンラインシステム]]の実現等の施策を講じた。 
 +
 +
長年の地域経済の振興発展に寄与、 教育にも情熱を注いだことから、逝去後の[[2004年]]、[[鶴岡市]]より市政功労の表彰を受けた。また、[[安岡正篤]]に傾注し生涯教育を実践したほか、荘内南洲会の設立にも尽力した。
 +
 +
子に[[澤井誠介]][[きらやか銀行]]相談役がいる。
 +
 +
==関連項目==
 +
*[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B4%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE 南洲神社]
 +
 +
==外部リンク==
 +
*[http://www1.ocn.ne.jp/~x48ue66i/data/frame.htm 荘内南洲会]
 +
*[http://www.e-yamagata.com/newsflash/20040904/index.htm  庄内ニュースフラッシュ]
 +
 +
==参考文献==
 +
*ニッキン縮刷版1992年 日本金融通信社
 +
 +
== 出典 ==
 +
* [http://ja.wikipedia.org/ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』]
 +
 +
{{DEFAULTSORT:さわい しゆういち}}
 +
[[Category:日本の銀行家]]
 +
[[Category:山形県出身の人物]]
 +
[[Category:1911年生]]
 +
[[Category:2003年没]]
 +
{{People-stub}}

2015年7月17日 (金) 10:03時点における最新版

澤井修一(さわい しゅういち、1911年 - 2003年)は、日本の銀行家山形しあわせ銀行(現・きらやか銀行)元頭取。藍綬褒章-(1974年) 

略歴[編集]

  • 1933年-山形師範学校(現・山形大学地域教育文化学部)卒業
  • 1950年
    • 1月 松ヶ岡ガラス工業社長就任。 
    • 10月 金升酒造取締役就任。 
    • 12月 両羽協同製糸(現 松岡株式会社)取締役就任。
  • 1951年-出羽木材社長就任。
  • 1952年-山形相互銀行入行、取締役就任
  • 1953年-社長就任
  • 1989年-普銀転換、頭取就任
  • 1991年-会長就任
  • 1998年-相談役就任
  • 2003年
    • 12月 老衰により逝去。享年93

人物[編集]

庄内藩松ヶ岡開墾に従事した、藩士の家系、沢井辰三郎の長男として山形県鶴岡市に生まれる。

教職に奉職後、実業界入りし、松ヶ岡ガラス工業社長等を経て、1952年山形相互銀行に入行。翌年より、社長、頭取を39年あまり務め、80歳を迎えたのを期に、若返りをはかるため、1991年、頭取の職を四男である誠介に委ね自身は、会長に就任した。 トップ在任時は、1960年の、資金量5000億円達成。荘内銀行エスワイコンピューターサービス(SYC)を共同で設立し、1975年より、第一次オンラインシステムの実現等の施策を講じた。 

長年の地域経済の振興発展に寄与、 教育にも情熱を注いだことから、逝去後の2004年鶴岡市より市政功労の表彰を受けた。また、安岡正篤に傾注し生涯教育を実践したほか、荘内南洲会の設立にも尽力した。

子に澤井誠介きらやか銀行相談役がいる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • ニッキン縮刷版1992年 日本金融通信社

出典[編集]