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その結果が日本国民主権主義の放棄に繋がる。偏愛嗜好者らのこれらの行為は、許されがたい反社会的暴挙である。 | その結果が日本国民主権主義の放棄に繋がる。偏愛嗜好者らのこれらの行為は、許されがたい反社会的暴挙である。 | ||
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2015年4月30日 (木) 21:27時点における版
山崎俊二(やまざき しゅんじ)とは、山梨県在住、朝日新聞のお抱え左翼運動家。外国人偏愛嗜好者でありプロ市民である。
日本への外国人入国管理に反対しており、誰でも自由に入国でき誰でも自由に国家公務員になるべきと主張している。
mytown.asahi.comのマイタウン→山梨に頻繁に紹介されている。
日本への入国ビザは廃止すべき
■「夢」への窓、まだ狭く
サッカー日本代表の監督に就任したザッケローニ氏が、来日して代表メンバーの練習を視察した。監督として「参加」ではなく「視察」。なぜなら、彼には就労ビザが出されていなかったからである。「新監督決まる」と報道され、周知され、実態があっても、「書類」が整い所定の手続きが終了しない限り就労ビザが発給されないことを如実に示した出来事であった。
7月23日から1週間、私が勤務する社会福祉法人「ぶどうの里」で、フィリピンから「プレダ青少年劇場」を山梨県に招待した。プレダ子どもの家は、フィリピンのストリートチルドレンや児童買春の被害児を支援し、青少年劇場は子どもの家の被害児たちによって組織されている。彼らが上演したミュージカルのストーリーは「フィリピンで被害にあった子どもがだまされて日本に来て売春を強要されるが、希望を捨てず、日本の警察や人権団体の力でフィリピンに帰る」というもの。オアシス結成の2年間で救出し、帰国を援助した人たちは100人を超える。海の向こうの被害者と向き合う貴重な時間であった。
しかし、今回書きたいのは、上演のことではない。2カ月以上前から子どもの家と連絡を取り合って日本大使館が必要という書類を送り手続きを進めてきたのだが、いかんせんビザが出ない。来日予定日の10日ほど前に「マニラの日本大使館に飛びます」とぶどうの里の理事長から連絡が入った。
ぶどうの里の会報には、理事長の次のような文書が掲載された。「マニラの日本国大使館は、若いフィリピンの男女が日本へ来てそのままエンターテイナー(芸能人)として不法滞在することを極端に警戒しています。(中略)やむを得ず私が急遽(きゅう・きょ)フィリピンに飛んで、大使館に出頭し、係官にいろいろ書類(当法人の登記簿原本から役員名簿、財産目録まで!)を提出し、説明したところ、『分かりました。では本国の外務省に協議しましょう』ということになりました。エーッ、マニラだけでは決まらないの!とおどろきましたが、幸いその数日後にめでたくビザが発給されました」
ノーベル賞にノミネートされるほどの人物が代表を務める団体が組織し、日本の社会福祉法人が保証し、書類を整えても、なおかつ理事長が飛ばないとならない。「旅行者としてお金を使う外国人にはどんどん来ていただきたい。しかし、住民となる可能性のある外国人はお断りする」というのが本音であろうか。
2国間経済連携協定に基づき、フィリピンとインドネシアから看護師・介護福祉士候補が来日している。3~4年以内に看護師・介護福祉士免許を取得できないと帰国を余儀なくされる。昨年の2月に看護師試験を受験した82人は全員不合格。今年は254人中3人が合格。日本人の受験者は、90%近くが合格する試験である。長年母国で看護師を務めている人たちもいるにもかかわらず、この合格率ではせっかく日本に来ていただいても「夢破れて帰国」となるのは目に見えている。
リーマンショックで私たちは、生産と関係なく巨大な資金が移動していることを知った。そしてそれが一部に偏っており、放置すれば格差はますます増大するであろうことも知った。「外国に行って何とか道を切り開きたい」と思うのは当然である。日系人であるか、研修生になるか。合法的な日本の窓はほんの少ししか開いておらず「人身売買」に見られるようなアンダーグラウンドの窓のみが大きく開いているのである。(やまざき・しゅんじ 山梨外国人人権ネットワーク「オアシス」事務局長)
外国人を警官や自衛隊にしよう
■復興、外国人もともに
未曽有の大災害が東日本を襲った。地震だけでなく津波が押し寄せ、原子力発電所では深刻な事故が発生した。多くの地域で、人々の営みが壊滅しようとしている。胸塞がれる中で書くに値することはあるのか。
いやこ の時期だからこそ書くことがある、と勇気を奮い起こして記載する。地震と津波と原発事故に襲われたのは、そこに居た全ての人々である。性差も、年齢も、弱き者も、強き者も、そして国籍も関係なく、全ての人々である。近隣の韓国や中国、アメリカを始め多くの国からの救助隊が日本に向かった。
だが、そこに住む外国籍市民は消防隊には入れない。警察官にもなれない。自衛隊にも入れない。地域を守るために選挙に打って出ることも、投票も許されない。自らと家族・仲間の生命を守るために活動しようとしても、日本国籍の市民と一緒に地域をつくりあげる一員となれないよう法律が排除しているのだ。
大災害の中ですでに忘れ去られようとしているが、前原誠司・前外相は「違法とされる外国人からの個人献金」が明るみに出て辞任した。「違法行為の責任をとって辞任する」ことはよしとしよう。しかし、外相の職にある者ならば「外国人の献金は違法で日本人なら良いというのは排外主義ではないか」くらいの発言があっても良かったのではないか。
外国人からのものであれ日本人からのものであれ、献金によって何かが 左右されるのであれば、それは政治家の資質の問題であり、献金者の国籍によらないのは自明ではないか。いまや家族の国際化は進み、夫婦で、あるいは親子で国籍が違う家族は普通に存在する。国籍の違う夫が妻に、あるいは父親が息子に献金して何が悪いのか。それらが悪いのであれば、国籍にかかわらず一律に政治献金は規制されるべきだ。未曽有の苦難に対し、各国から義援金が寄せられようとしている。外国人からの献金は悪いが外国からの義援金はもらってもいいのか。
一時期「水源の土地を外国人に売るな」との論調があった。外国人なら悪くて日本人ならいいという根拠は何か。つまるところ「外国人は何をするかわからない」という排外主義に他ならないではないか。土地を売るのは悪くて会社の株を売るのはいいのだろうか。
巨大な災害の中で、なぜこのようなことを書くのか。「がんばれ日本!」の掛け声の中から、一緒に暮らし、学習し、苦難をともにしてきた外国籍市民を排除したくないからである。掛け声が、いつの間にか「がんばれ日本人」に変わり、一緒に地域をつくってきた日本国籍以外の市民が、消防にも警察にも入れないような社会をつくりたくないからである。
(山崎俊二やまざき・しゅんじ 山梨外国人人権ネットワーク・オアシス事務局長)
結局、山崎俊二とは
外国人は言葉も通じず文化的な不慣れもあって異国である日本では弱い立場にある。日本人社会の中で劣等感を感じている日本人の中には、「自分より格下」の外国人に親切にすることで自己の存在意義を確認し、外国人からの称賛や愛情を得たいと考える者もいる。その行為は動物を偏愛し、動物との関わりから愛情を確認したがる人間の心理に似ている。しかし、現実の日本社会は概ね外国人に親切であり、外国人差別は存在しない。そこで外国人偏愛嗜好者は日本国内に「外国人差別がある」と主張する必要を感じ、実際にそう主張する。
外国人偏愛嗜好者は、自己愛の為にありもしない差別を捏造して外国人を欺いて自分の方を向かせようと企て、日本人を侮辱する。
日本在住外国人が日本での生活に慣れるうちにはこのような事実は簡単に露呈することとなり、外国人偏愛嗜好者は在日外国人そのものから無視されるようになるがこのような思想が新聞等で流布されることにより、外国人と接点を持たない日本人、他ならぬ日本人自身が偏愛嗜好者の欺瞞に汚染されていくことになる。
その結果が日本国民主権主義の放棄に繋がる。偏愛嗜好者らのこれらの行為は、許されがたい反社会的暴挙である。