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2014年7月12日 (土) 10:06時点における版
野田線(のだせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から千葉県柏市の柏駅を経て船橋市の船橋駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。ラインカラーは水色、駅ナンバリングの路線記号はTD。沿線に顕正会と霊波之光の施設があり、どちらも勧誘が活発なため、「カルトの温床」と言われている[1]。実際、顕正会本部の最寄り駅である大宮公園駅周辺では勧誘が多発するし、日曜日には「日曜勤行」に参加する信者で電車が混むことがある。
目次
概要
埼玉県南東部から千葉県北西部にかけて、東京30km圏内の東半分を結ぶ路線であり、1930年に全線開通した。郊外路線だが、全線が東京近郊のベッドタウンに位置し、1980年代ごろ以降の沿線宅地化が著しく通勤利用が多いため、東武鉄道では本線(伊勢崎線・日光線)、東上線に次ぐ基幹路線と位置付けている。
当初は野田市駅から柏駅まで醤油を運ぶ貨物輸送のために建設された。かつては野田市のキッコーマン本社内に運搬用の駅が存在し[2]、柏駅からは日本鉄道(現・JR常磐線)経由で日本全国に醤油が輸送されていた。1985年3月14日の国鉄ダイヤ改正に併せて貨物輸送が廃止されるまで、柏駅東武1番線(旧8番線)の場所に貨物列車用の引き込み線が設けられていた[3]。また、大宮方・船橋方とも柏駅から日暮里方に分岐する都合上、スイッチバック構造となっており一部の直通列車をのぞいて運転系統が分離されている。スイッチバックになっているのは後述する歴史的な経緯による名残である。
武蔵野線 南浦和駅 - 西船橋駅間の外郭に当たり、大宮駅 - 高柳駅間は、ほぼ国道16号線に並行する。また、高柳駅 - 船橋駅間は、ほぼ県道船橋我孫子線に並行する。
近年、北総鉄道北総線・成田スカイアクセス線および新京成電鉄新京成線と連絡する新鎌ヶ谷駅と、つくばエクスプレスと連絡する流山おおたかの森駅の開業により、沿線の利便性は大幅に向上し、新鎌ヶ谷駅は鎌ケ谷市、流山おおたかの森駅は流山市で最も乗降人員の多い駅になっているが、この2駅は設置費用を鎌ケ谷市・流山市・都市再生機構が全額負担しており、乗換駅所在地以外の鉄道利用者や事業者にもおよぶはずの乗換利便性向上効果のための費用を、乗換駅所在地の行政および開発主体が拠出する形で整備された。
路線データ
- 路線距離:62.7km
- 軌間:1,067mm
- 駅数:35駅(起終点駅含む)
- 複線区間:大宮駅 - 春日部駅、南桜井駅 - 川間駅の一部、野田市駅 - 梅郷駅の一部、運河駅 - 柏駅 - 逆井駅、六実駅 - 船橋駅
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 最高速度:100km/h(2004年10月19日ダイヤ改正以降)
- 車両基地所在駅:七光台駅
- 電車留置線所在駅:岩槻駅、春日部駅、野田市駅、高柳駅、六実駅
歴史
千葉県営鉄道
千葉県は、東葛飾郡野田町(現・野田市)の醤油醸造業者から舟運に頼るだけの交通の不便さを訴えられたため、1910年(明治43年)8月3日に東葛飾郡千代田村(現・柏市) - 野田町間他1線について軽便鉄道敷設免許申請を鉄道省に提出した。建設費は県債を募集して充てることとし、醸造組合は20万円でその県債を引き受けた[4]。
当初、軌間は軍用軽便鉄道で使用していた600mmを予定していたが、野田醤油醸造組合では鉄道院線(現・JR東日本線)と同軌間でなければ常磐線柏駅で貨車の直接乗り入れができず不便である点を主張し、その結果1067mmに変更して着工することになった[5]。同年8月31日に免許が下りると同時期に工事が着工され、1911年(明治44年)5月9日千葉県営軽便鉄道柏 - 野田町間(現・野田市駅)9マイル10チェーン (14.7km) が開業した。
北総鉄道・総武鉄道
1921年(大正10年)、千葉県当局は路線維持を前提に県営鉄道の払い下げを行う方針を打ち出した。野田線の場合、野田醤油醸造組合が野田町 - 船橋間に列車の直通運転を計画し、京成電気軌道専務取締役本多貞次郎を中心に払い下げ運動を展開した。同年、この千葉県から払い下げられた路線(野田町 - 柏間)の経営と柏 - 船橋間の新線を敷設する目的で北総鉄道(北総線を営業している1972年設立の北総鉄道とは無関係)を発起し、11月21日に免許が下りた。
1922年(大正11年)4月5日に創立総会を開き、本社所在地を東京市本所区押上町(現・東京都墨田区押上)に、取締役社長は本多貞次郎が就任し、資本金150万円で北総鉄道を設立した。同月に千葉県東葛飾郡船橋町(現・船橋市)九日市に本社を移し、柏 - 船橋間の測量や用地買収にかかった。1923年(大正12年)北総鉄道は柏 - 船橋間19.6kmの工事に着手し、12月27日に船橋線 船橋 - 柏間が開業した。なお、同年7月には県営鉄道を41万円で譲り受け、翌8月より同社野田線(柏 - 野田町間14.7km)として営業を開始している。また、柏 - 船橋間の路線の駅は柏駅の東側にあり、柏 - 野田を結ぶ路線の駅は柏駅の西側にあって、常磐線をサンドイッチするような配置となっていた。
1926年(大正15年)、野田町駅(現・野田市駅)から東武鉄道粕壁駅(現・春日部駅)を経て省線大宮駅までを結ぶ新線敷設の構想が北総鉄道社内から持ち上がり、同年5月31日に敷設免許を受けた。同年7月に本多貞次郎から斎藤三郎に取締役社長が変わり、12月に本社を千葉県東葛飾郡柏町(現・千葉県柏市)豊四季に移転した。1928年(昭和3年)9月に資本金を450万円に増資して工事に着手した。最初から将来の北総鉄道の電化を睨み、全線を電気運転をするという認可を受けた。
1929年(昭和4年)9月1日、野田町駅(現・野田市駅) - 清水公園駅間1.3マイル(約1.9km)が開通し、同年11月17日大宮仮停留所(大宮駅から北大宮駅方331m付近。現在の埼玉県道さいたま春日部線大栄橋付近) - 東武鉄道粕壁駅(現・春日部駅)9.5マイル (15.3km) が開通した。この大宮 - 粕壁駅間の開通に当たって粕壁駅構内に変電施設を設置し、北総鉄道線で初の電車運転を開始した。その後大宮駅構内の工事が進み、同年12月9日に省線大宮駅まで乗り入れた。大宮 - 粕壁間が開通し、路線が下総北部にとどまらず、総・武両地方にわたるようになったことから、1929年(昭和4年)11月22日に北総鉄道から総武鉄道(総武本線を開業させた1889年設立の総武鉄道とは無関係)に社名変更した。
大宮 - 粕壁、野田町 - 清水公園の新線敷設工事と併せて既設線の電化工事も進められ、1929年(昭和4年)12月に野田変電所が竣工、同年12月30日から清水公園 - 柏間の電気運転を開始した。電気運転開始に当たって電気機関車3両、電車10両、そして未電化区間にはガソリンカーを1929年に3両、1930年に2両購入し、旅客営業や貨物営業に就いた。
粕壁 - 清水公園間は江戸川架橋工事の竣工とともに1930年(昭和5年)10月1日開通し、全線開通となった。この時に大宮 - 柏間の直通電車の運転を開始した。これに先立ち8月30日には、船橋線の駅を常磐線西側に移転することで船橋線・野田線の駅を統合している。また、船橋線の船橋口では京成電気軌道と連絡線の工事が進められ、1929年(昭和4年)12月25日に京成海神停留場を連絡駅とし船橋 - 海神間にガソリン客車による旅客営業が開始されたが、収益が上がらず1933年(昭和8年)9月に営業を休止、翌1934年(昭和9年)4月3日に営業を廃止した。
1935年(昭和10年)7月1日、埼玉県南埼玉郡岩槻町(現・さいたま市岩槻区)の岩槻自動車株式会社(乗合自動車事業)を買収、また乗合自動車9両と貸切自動車1両を購入し野田町 - 越谷・草加駅間で乗合自動車事業を開業した。1936年(昭和11年)4月2日には北足立郡大宮町・上尾町・原市町近郊(現・さいたま市大宮区、北区、見沼区、上尾市)で乗合自動車事業を展開する大宮自動車商会を買収するなど、総武鉄道沿線の中小乗合自動車事業者の買収を積極的に進めた。
1937年(昭和12年)には個人経営の利根川渡船事業(現・野田市目吹あたり)も買収し、茨城県旧岩井町および現・坂東市方面に向けた渡船事業も展開した。北総鉄道が発行した路線図には清水公園駅より岩井町に到るバス路線が記載されたほか[6]、戦後は芽吹大橋の架橋により愛宕駅・北越谷駅より東武バスが運行され、両駅は長らく茨城県西部への主要な乗換駅として機能した。現在でも、つくばエクスプレスの開業による減便はあるものの系列の茨城急行自動車による運行で健在である。
東武鉄道
1943年(昭和18年)12月28日、東武鉄道の臨時株主総会にて東武鉄道と総武鉄道との合併が承認され、翌1944年(昭和19年)3月1日東武鉄道と合併した。元々総武鉄道は京成電気軌道の傍系企業であったが、本多貞次郎が取締役社長を辞任したころから徐々に京成との関係が薄くなっていき、キッコーマンの傍系企業としての結び付きが強くなったようである。そして陸上交通事業調整法が遠因となって東武鉄道に合併された。当初は大宮 - 柏間が野田線、柏 - 船橋間が船橋線の呼称であったが、のちに大宮 - 船橋間の全線が野田線と改称されている[7]。なお、乗合自動車事業(路線バス)も鉄道事業と同様に東武鉄道に合併された。
戦後は1957年(昭和32年)に北大宮 - 大宮公園間が複線化されたのを皮切りに、大宮・柏・船橋を起点に複線化が進められた。また車両の近代化(旧型車両→3000系列→5000系列(→2080系)→8000系)・駅舎の改築も順次進められている。
2007年から各駅に順次、発車メロディが導入されている(2009年にすべて完了)。
年表
- 1911年(明治44年)5月9日 千葉県営軽便鉄道野田線 柏 - 野田町(現・野田市)間開業。
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)4月1日 法典駅を馬込沢駅に改称。
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)8月1日? 永沼駅を移転し南桜井駅に改称[8]。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)4月3日 船橋 - 海神間を廃止。
- 1939年(昭和14年)6月10日 岩槻町駅を岩槻駅に改称。
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)3月1日 陸上交通事業調整法に基づき、東武鉄道が総武鉄道を吸収合併。
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)
- 3月1日 柏 - 船橋間電化(現在の野田線の電化完了)
- 7月16日 土井停留場廃止。
- 1948年(昭和23年)4月16日 野田線と船橋線を統合して大宮 - 船橋間を野田線とする。
- 1949年(昭和24年)9月1日 粕壁駅を春日部駅に改称
- 1950年(昭和25年)
- 5月30日 野田町駅を野田市駅に改称。
- 7月5日 武州川辺駅廃止。
- 8月1日 加倉駅廃止。
- 1955年(昭和30年)7月5日 北柏駅廃止。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)9月26日 北大宮 - 大宮公園間複線化。
- 1958年(昭和33年)2月16日 江戸川台駅開業。
- 1960年(昭和35年)10月1日 運河 - 初石間複線化。
- 1964年(昭和39年)3月12日 塚田 - 新船橋間複線化。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)
- 7月29日 七里 - 岩槻間複線化。
- 12月1日 東岩槻駅開業。
- 1971年(昭和46年)8月6日 大和田 - 七里間複線化。
- 1974年(昭和49年)2月22日 大宮公園 - 大和田間複線化。
- 1978年(昭和53年)11月14日 初石 - 柏間複線化。
- 1980年(昭和55年)12月17日 塚田 - 船橋間高架化。
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)7月21日 柏 - 増尾間に新柏駅開業。新柏 - 増尾間複線化。
- 1984年(昭和59年) 貨物列車廃止(柏駅に常磐線との連絡線があった)
- 1985年(昭和60年)11月19日 増尾 - 逆井間複線化。
- 1989年(平成元年)11月28日 六実 - 新鎌ヶ谷信号所(現在の新鎌ヶ谷駅とは位置が異なる)間複線化。
- 1991年(平成3年)11月26日 柏 - 新柏間複線化。
- 1992年(平成4年)12月1日 3000系置き換えにより野田線の全車両が大型(20m車)冷房車化完了。
- 1999年(平成11年)11月25日 六実 - 鎌ヶ谷間に新鎌ヶ谷駅開業、新鎌ヶ谷信号所廃止、岩槻 - 東岩槻間・鎌ヶ谷 - 馬込沢間複線化。
- 2004年(平成16年)10月19日 東岩槻 - 春日部間・鎌ヶ谷 - 新鎌ヶ谷間複線化、5000系置き換えにより最高速度100km/hへ引き上げ。
- 2005年(平成17年)
- 2007年(平成19年)3月17日 東日本旅客鉄道(JR東日本)との通過連絡運輸を廃止(連絡運輸自体は継続)
- 2009年(平成21年)
- 11月20日 柏 - 船橋間に運行管理システムを導入。
- 11月27日 大宮 - 豊四季間に運行管理システムを導入。
- 12月1日 全駅の業務を東武ステーションサービスに委託(春日部駅をのぞく)
- 2011年(平成23年)
- 4月 野田市 - 梅郷間の一部複線化。
- 7月23日 柏駅・船橋駅の番線表記が変更。ダイヤ変更で柏駅での日中の乗り継ぎ時間が2分から6分に改善。
- 2012年(平成24年)
- 3月17日 駅ナンバリング導入。
- 4月26日 新型車両2編成12両の導入を発表。
- 11月6日 新型車両の型式を「60000系」とし、2013年度に就役と発表。
運行形態
大宮駅 - 春日部駅 (15.2km)、南桜井駅 - 江戸川橋梁付近(約1.3km)、梅郷駅付近(0.9km)、運河駅 - 柏駅 - 逆井駅 (14.8km)、六実駅 - 船橋駅 (10.8km) の各区間が複線で、残りは単線である。単線区間ではすべての駅で上下列車の列車交換が可能である。早朝、深夜をのぞいてほぼ全駅で列車交換を行っており、ネットダイヤを形成している。そのためこれ以上の増発はほぼ不可能である。
なお野田線では、大宮から柏・船橋方面に向かう列車を下り、船橋から柏・大宮方面に向かう列車を上り、と定めている。
このように2つの県をまたぎ長距離で運転されるにもかかわらず、特急・急行といった優等列車はなく(追い抜き可能な駅もほとんどない)、全列車が8000系6両編成による各駅停車のみの運行であり、船橋 - 大宮間の移動は野田線を乗り通す(約90分、780円)よりも、JR線を乗り継いだ方が運賃は高いが所要時間は短い(約70分、890円)。最高速度は2004年10月19日ダイヤ改正以後は100km/hである。
柏駅がスイッチバック状の配線のため、運行区間は大宮 - 柏間と柏 - 船橋間に大別される。ただし、早朝を中心に大宮 - 船橋間直通列車のほか、七光台 - 船橋間の出入庫列車など、柏駅を跨いで運転される列車も数本存在している。
大宮 - 柏間は、以前は直通列車のほか、大宮 - 岩槻・春日部間や柏 - 運河・清水公園間など多数の区間列車が設定され、毎時4 - 8本と区間ごとに輸送力のばらつきがあったが、2007年3月10日のダイヤ改正より日中時間帯は10分間隔で毎時6本、全列車大宮 - 柏間運行に統一されるとともに、一部の駅では安全側線の設置・弾性ポイントへの取り替えによる通過速度向上などの改良が行われ、所要時間が3 - 4分短縮された。
柏 - 船橋間は以前より日中10分間隔で運転されており、ダイヤ改正により柏駅を跨いでの野田線乗り継ぎが待ち時間を2分にまで短縮、均一化により容易になった。2011年7月23日のダイヤ変更時には、待ち時間が6分に拡大されている。単線区間での列車交換は基本的に高柳駅で行う。朝方に六実駅で長時間停車する列車があり、車掌によっては保温・保冷のため4つのドアのうち中2つを閉めることがある。
乗務は七光台乗務管区の乗務員が担当する。
日光線・鬼怒川線直通列車
1965年(昭和40年)ごろ、大宮市(現・さいたま市)周辺の自治体が大宮 - 東武日光・鬼怒川温泉の直通列車を要望した。東武鉄道ではこの要望に応える形で1969年(昭和44年)より春・秋の観光シーズンを中心として大宮駅 - 春日部駅 - 東武日光駅・鬼怒川温泉駅間の臨時急行列車「きりふり」・「りゅうおう」(「きりふり」は東武日光行、「りゅうおう」は鬼怒川温泉行)を設定したが、利用客が少なく1972年(昭和47年)秋シーズンの運転をもって打ち切りとなった。春日部駅で配線の都合上折り返しが必要となり、東北本線・日光線を経由する国鉄の急行「日光」などより所要時間を要したことや、野田線には単線区間が多く線路容量に余裕がなかったことも原因と考えられる。
その後も「大宮駅から野田線を経由して日光・鬼怒川への直通特急の新設を」という要望が繰り返し出され、1990年(平成2年)8月28・29日には1720系「DRC」を使用して大宮駅 - 東武日光駅間に大宮市市制施行50周年を記念した団体列車「大宮市民号」が運転された。この年に就役した100系「スペーシア」の乗り入れと、大宮市と友好都市を結んでいる福島県南会津郡舘岩村(現・南会津町)の玄関口となる会津鉄道会津線会津田島駅への列車の運行が期待されたが、東武側は「利用が見込めない」として要望を断っている。
1999年(平成11年)3月16日より特急「けごん」・「きぬ」の一部列車が春日部駅に停車するようになり、2001年(平成13年)3月28日からは全列車の停車を開始した。2004年(平成16年)10月19日に大宮 - 春日部間の複線化が完成し直通列車再開の準備が整ったかに見えたが、東武日光線とJR東日本宇都宮線(東北本線)を相互直通運転する特急の運行が発表され、2006年(平成16年)3月18日より「日光」・「(スペーシア)きぬがわ」として運転が開始されたことにより、さいたま市はこれを「事実上の再開」とみなして件の要望を取り下げている。
千葉県側からも、昭和40 - 50年代の春秋に、船橋市・鎌ケ谷市の市立小学校の日光修学旅行輸送などのため、団体臨時列車「たびじ」が運転されていた。ただし、こちらも当時単線区間が多かったために線路容量に余裕がなかったことと、船橋駅が高架駅化および駅ビル(東武百貨店船橋店)建設により駅構内が狭隘をきわめていたことから、大半は船橋からは運転されず柏からの発着となっていた。また同時期の鬼怒川温泉向け団体臨時列車では、車両運用の関係で5700系電車が柏 - 船橋間を一般客混乗列車として走ったことが数回ある。平成に入ると修学旅行の出発が早朝になることが増え、柏駅に長時間停車できなくなり野田市駅からの発着となっていた。
東武スカイツリーライン直通列車
上記のように日光・鬼怒川方面への直通列車は過去に運行例があったものの、逆方向となる浅草方面への運行は長らく行われていなかった。しかし2012年(平成24年)、同年開業した東京スカイツリーと東京スカイツリータウンへ向かう旅客のアクセス確保と東武博物館で動態保存されることになった8000系リバイバルカラー編成のお披露目を兼ねて、8月29日から9月3日までの間、大宮 - とうきょうスカイツリー間の直通運転を行った(途中停車駅は春日部駅のみ)[9]。この時は東武トラベルが主催した東京スカイツリー開業100日記念ツアーの参加者のみ乗車できた一種の貸切電車であったが、別途9月29日から11月25日の土・休日に同じ区間で臨時列車を運行することを発表した[10](途中停車駅は春日部までの各駅と北千住駅のみ。ただし、11月17・18日は、リバイバルカラー編成が東上線の記念ツアーに使用されるため、通常車両での運行)。
また、2012年12月以降は、6050系電車を改造した展望列車634系「スカイツリートレイン」[11]により、土曜日に大宮発とうきょうスカイツリー・浅草行き臨時特急「スカイツリートレイン4号」を運行することが発表され[12]、1972年以来40年ぶりに、一般向け臨時優等列車が設定されることとなったが、大宮行きは設定されなかった。
女性専用車
2005年6月20日より女性専用車が導入された。平日の初電から9時までの上り・下りの全列車・全区間を対象とし、9時をもって一斉に打ち切られる。対象車両は上り・下りともに柏方先頭の6号車となっている。
半環状線の野田線では朝ピーク時の混雑区間は多岐に渡り、また柏でのスイッチバックも絡み、大宮発船橋行などのように柏駅を跨ぐ列車が数本あるため、何両目を女性専用車とするかには紆余曲折があった。最終的に、野田線で最も混雑する車両は大宮に到着する列車の、改札口に近い先頭の1号車と判断され、女性専用車は最も混雑度が低いとされる最後尾の6号車に導入が決定された。
柏と船橋に到着する列車も大宮と同様に混雑するが、両駅は改札へ続く階段がホームに満遍なく設置されているので、車両毎の混雑度はある程度平準化されており、1号車、6号車どちらにあったとしても問題はないとされた。ただし、新柏駅のように1か所のみの階段に最も近い車両が女性専用車(6号車)となっているケースもある。
また、柏駅の大宮方面と船橋方面を行き来する連絡通路が女性専用車(6号車)付近となっており、それ以外の車両(特に1-3号車)からは遠回りをして連絡通路を使うか階段を使用せざるをえない状況である。
使用車両
2012年度鉄道事業投資計画によれば、8000系の代替を目的として同年度に野田線用の新型車両「60000系電車」を2編成12両新造、2013年度から導入することが決定した[13][14]。
導入予定車両
かつての使用車両
- 東武鉄道
- 3000系・3050系・3070系
- 2080系
- 5000系・5050系・5070系
- 7800系・7820系(1960年代まで約10年ほど在籍した)
- 5700系(前述の「きりふり」と「りゅうおう」に充当)
- ED5010形
- 総武鉄道
- 総武形モハ1000型・総武形クハ1200型制御車(後に高松琴平電気鉄道に譲渡され880形・9000形に)
- 総武形コハ500型客車
- 総武形デキ1号型電気機関車(後に東武ED3000形に)
- 総武形キハ101型ガソリン気動車
- 総武形コッペル社製形式3号蒸気機関車
- 総武形雨宮製作所製C型タンク4号・5号蒸気機関車
- 総武形雨宮製作所製C型タンク6号・7号蒸気機関車
- 北総鉄道
- バルカン社製1B1形(No.1・2号)蒸気機関車
- 客車は1924年に木製ボギー車3両を新製(雨宮)1925年に武州鉄道より木製単車を1両譲受。1926年に鉄道省よりボギー客車3両(日本最初のボギー客車コハ6500形)払下。
- 千葉県営鉄道
留置線のある駅
廃駅
- 加倉駅(現・七里 - 岩槻間 1931年10月13日 - 1950年7月31日)
- 渋江駅(現・岩槻 - 東岩槻、当時は岩槻 - 豊春間 武州鉄道の乗換駅)
- 土井停留所(現・春日部 - 藤の牛島間、当時は粕壁 - 藤の牛島間 1933年5月10日 - 1947年7月15日)
- (旧)南桜井駅(旧・永沼停留所、現・藤の牛島 - 南桜井間、当時は藤の牛島 - 米島間、1930年12月9日 - 1956年12月22日、米島駅と統合され同駅の位置に移転)
- 武州川辺駅(現・南桜井 - 川間間 1930年12月6日 - 1950年7月4日)
- 北柏駅(現・豊四季 - 柏間 1933年 - 1955年7月4日、開業時は柏競馬場前駅、常磐線の北柏駅とは別)
- 北総鉄道船橋線柏駅(現・柏駅の東口 1923年12月27日-1930年8月30日。北総鉄道野田線柏駅と同船橋線柏駅は当初国鉄柏駅を挟んで東西に分かれていた。運用の統一をはかるためオーバークロスを作って西口側に統合し廃止)
- 海神駅(現・京成電鉄海神駅 1929年12月25日 - 1934年3月31日、船橋 - 海神間に総武鉄道海神連絡線があった)
専用線など
- 下総航空基地 : 六実駅南側より旧日本陸軍藤ヶ谷飛行場(→アメリカ空軍白井基地→現・海上自衛隊下総航空基地)へ通じる単線の専用線が存在した。
- 新京成線連絡線 : 昭和の一時期、新京成線の初富 - 松戸間の建設に際し、資材輸送用の連絡線が現・鎌ケ谷市内に存在した。
乗降人員
2010年度の各駅の1日当たりの乗降人員を以下に示す。(単位:人)
- 大宮駅 - 131,977
- 北大宮駅 - 5,740
- 大宮公園駅 - 9,835
- 大和田駅 - 18,274
- 七里駅 - 20,346
- 岩槻駅 - 34,908
- 東岩槻駅 - 19,365
- 豊春駅 - 13,847
- 八木崎駅 - 10,064
- 春日部駅 - 71,063
- 藤の牛島駅 - 7,020
- 南桜井駅 - 15,347
- 川間駅 - 18,247
- 七光台駅 - 4,802
- 清水公園駅 - 3,892
- 愛宕駅 - 9,202
- 野田市駅 - 9,964
- 梅郷駅 - 15,980
- 運河駅 - 22,628
- 江戸川台駅 - 25,176
- 初石駅 - 18,425
- 流山おおたかの森駅 - 46,998
- 豊四季駅 - 14,663
- 柏駅 - 137,213
- 新柏駅 - 19,443
- 増尾駅 - 13,135
- 逆井駅 - 14,094
- 高柳駅 - 12,127
- 六実駅 - 15,662
- 新鎌ヶ谷駅 - 34,315
- 鎌ヶ谷駅 - 22,466
- 馬込沢駅 - 26,458
- 塚田駅 - 13,408
- 新船橋駅 - 4,322
- 船橋駅 - 107,712
今後の予定
- 2013年度をめどに新型車両「60000系」が導入され、2編成12両が就役する予定。
- 清水公園 - 梅郷間が高架化される(2017年度完成予定)[17]。
- 春日部駅付近の連続立体交差事業が計画されているが、着工にはまだ至っていない(2005年度 着工準備採択)[18][19]。
- 逆井 - 六実間の複線化が計画されているが、着工にはまだ至っていない[20]。
- 柏 - 新柏間[21]、馬込沢 - 塚田間[22]にそれぞれ新駅の設置が要望・検討されているが、具体的な目処は立っていない。
脚注および出典
- ↑ 東武野田線はカルトの温床Part1
- ↑ TBS『がっちりマンデー!!』2007年7月8日放送分による
- ↑ 国土交通省の公開する過去の航空写真では、貨物引き込み線2本(現在の東武1番線含む)が駅ビルの下を北柏方に抜けており、常磐快速線に合流していることが確認できる。
- ↑ 『ちばの鉄道一世紀』 (p.214) より。
- ↑ 『ちばの鉄道一世紀』 (p.215) より。
- ↑ 岩井市史によればバスを渡船にそのまま積載して航送を行ったが、のちに転落事故が発生し航送は取りやめられたという。
- ↑ http://www.city.funabashi.chiba.jp/kurashi/koutsu/0004/p000362.html
- ↑ 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1』新潮社、2008年、p.28
- ↑ 8000系リバイバルカラー車両 イベント列車を運行します!PDF - 東武鉄道、2012年8月22日
- ↑ 8000系リバイバルカラー車両が、土休日に臨時列車として運行開始!PDF - 東武鉄道、2012年9月20日
- ↑ 10月27日(土) 展望車両634むさし型 「スカイツリートレイン」がデビュー!PDF - 東武鉄道、2012年9月27日
- ↑ 展望車両634型「スカイツリートレイン」が臨時特急列車として運行PDF - 東武鉄道、2012年10月22日
- ↑ 2012年度の鉄道事業投資計画PDF - 東武鉄道ニュースリリース 2012年4月26日
- ↑ 野田線(大宮〜船橋間)に新型車両「60000系」を導入します!PDF - 東武鉄道ニュースリリース 2012年11月6日
- ↑ 2012年度の鉄道事業投資計画PDF - 東武鉄道ニュースリリース 2012年4月26日
- ↑ 野田線(大宮〜船橋間)に新型車両「60000系」を導入します!PDF - 東武鉄道ニュースリリース 2012年11月6日
- ↑ 野田線「清水公園 - 梅郷」間の連続立体交差事業(高架化)に着手しますPDF 東武鉄道 2008年7月16日
- ↑ 春日部駅付近連続立体交差事業 春日部市鉄道高架整備課
- ↑ 平成17年度新規事業採択時評価結果 東武伊勢崎線・野田線連続立体交差事業(春日部駅付近)PDF 国土交通省道路局
- ↑ 特定都市鉄道整備事業の実施状況についてPDF 東武鉄道 2004年11月24日
- ↑ [1] 常盤台駅(仮称)誘致促進協議会
- ↑ 船橋市都市計画マスタープラン 3-5 法典地域 船橋市都市計画部都市計画課
参考文献
- 相浦秀也「千葉県営鉄道野田線時代の車両紹介」『流山市史研究』No6、1989年
- 白土貞夫「前史時代の東武鉄道野田線」『鉄道ピクトリアル』No537 1990年12月臨時増刊号
- 白土貞夫『ちばの鉄道一世紀』崙書房、1996年7月10日 第1刷発行、1996年10月15日 第2刷発行、ISBN 978-4845510276
- 大宮市編 大宮市史 近代編
- 大宮市編 大宮のむかしといま
- 岩槻市史編纂室編 岩槻市史 近代資料
- 岩槻市史編纂室編 岩槻市史 新聞史料
- 春日部市史編纂室編 春日部市史 第四巻 近現代資料編I
- 野田醤油株式會社 20年史
- 東武鉄道65年史
関連項目
- 東武伊勢崎線
- 東武鉄道運転士懲戒解雇事件
- ミステリー列車 - 日本初のミステリー列車(行先不明列車)は野田線経由(当時は総武鉄道)で運転された。
- 船橋鉄道
- キッコーマン - 東武野田線の前身である総武鉄道・北総鉄道の経営に関与していた。
- 日本のダービーマッチ(Jリーグ)