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− | '''ザブ・ジュダー''' | + | '''ザブ・ジュダー'''(Zab Judah、1977年10月27日生まれ)は、[[アメリカ合衆国]]のプロボクサー。本名はザブディエル・ジュダー。ニューヨーク州ニューヨーク市出身。 |
− | 元WBA・WBC・[[国際ボクシング連盟|IBF]]統一世界ウェルター級王者。元IBF世界[[スーパーライト級|ジュニアウェルター級]] | + | 元WBA・WBC・[[国際ボクシング連盟|IBF]]統一世界ウェルター級王者。元IBF世界[[スーパーライト級|ジュニアウェルター級]]王者。元WBO世界ジュニアウェルター級王者。抜群の反応とハンドスピードが武器のオールラウンダー。「スーパー」の異名を持つ。鋭い左ストレートに加え、左アッパー・右フックなどのカウンターも得意とする。 |
1977年に、マイク・タイソンの出生地でもあるブルックリン区で生まれ、父親のヨエル・ジュダーの手ほどきでボクシングを始めた。アマチュア時代の戦績は115戦110勝。 | 1977年に、マイク・タイソンの出生地でもあるブルックリン区で生まれ、父親のヨエル・ジュダーの手ほどきでボクシングを始めた。アマチュア時代の戦績は115戦110勝。 |
2010年8月15日 (日) 08:54時点における版
ザブ・ジュダー | |
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基本情報 | |
本名 | Zabdiel Judah |
通称 | Super |
階級 | ウェルター級 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1977年10月27日((2024-1977)+((11-10)*100+(27-27)>=0)-1歳) |
出身地 | ニューヨーク州ニューヨーク市 |
死没日 | |
死没地 | |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 47 |
勝ち | 39 |
KO勝ち | 27 |
敗け | 6 |
引き分け | |
無効試合 | 2 |
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ザブ・ジュダー(Zab Judah、1977年10月27日生まれ)は、アメリカ合衆国のプロボクサー。本名はザブディエル・ジュダー。ニューヨーク州ニューヨーク市出身。
元WBA・WBC・IBF統一世界ウェルター級王者。元IBF世界ジュニアウェルター級王者。元WBO世界ジュニアウェルター級王者。抜群の反応とハンドスピードが武器のオールラウンダー。「スーパー」の異名を持つ。鋭い左ストレートに加え、左アッパー・右フックなどのカウンターも得意とする。
1977年に、マイク・タイソンの出生地でもあるブルックリン区で生まれ、父親のヨエル・ジュダーの手ほどきでボクシングを始めた。アマチュア時代の戦績は115戦110勝。
1996年9月20日に18歳でプロデビュー。順調に勝利を重ね1998年6月7日にUSBA全米ジュニアウェルター級暫定王座を獲得した。1999年1月16日にはIBF世界ジュニアウェルター級暫定王座を獲得し、2000年2月12日のヤン・ベルグマンとの王座決定戦で正規王座に即いた。
2001年11月3日に当時WBA・WBC王者のコンスタンチン・チューと王座統一戦を行うが2回TKOで敗れ、試合後にレフェリーのジェイ・ネイディに掴みかかり、リングを降りる際にはイスを投げつけた。このことでネバダ州アスレチック・コミッションから罰金75,000ドルと6か月のライセンス停止処分を受けた。
2003年7月12日にデマーカス・コーリーを判定で破り、WBO世界ジュニアウェルター級王座の奪取に成功した。同タイトルを1度防衛した後、階級を上げるために返上した。
ウェルター級に階級を上げ、2004年4月10日にWBA・WBC・IBF統一王者のコーリー・スピンクスに挑戦するが、12回判定で敗れる。しかし、同年5月15日にラファエル・ピネダを破って空位のWBOインターコンチネンタルタイトルを獲得し、2005年2月5日にコーリー・スピンクスに再戦を挑み、9回TKOで勝利し、WBA・WBC・IBFの3団体統一世界ウェルター級王座を獲得した。
2006年1月7日にWBA・WBC・IBF王座を懸けてアルゼンチンのカルロス・バルドミールと防衛戦を行ったが、判定負けを喫した。ところが、勝ったバルドミールが試合後にWBC以外にはタイトル承認料の支払いを拒否したため、この試合はWBCのみのタイトルマッチということになった。ウェルター級のリミット内での敗戦のためWBA王座は剥奪されたが、IBF王座はジュダーの手元に残った。
2006年4月8日にそのIBF王座を懸けてフロイド・メイウェザー・ジュニアと対戦したが、これも判定負けを喫して王座から陥落した。この試合では2回にメイウェザーのグローブをリングにつかせたが、レフェリーはダウンを取らなかった。10回にはローブローで体勢を崩したメイウェザーに後頭部への反則打、ラビットパンチを打ち、メイウェザーの叔父でチーフセコンドを務めていたロジャー・メイウェザーがリングに入りセコンドと乱闘になった。乱闘は関係者と警備員に止められ、5分後に試合が再開された。
2007年6月9日にはミゲール・コットの持つWBA世界ウェルター級王座に挑戦。1回、3回と攻勢をとる度にコットのローブローを受けてジュダーの攻撃は寸断され、結果は11回TKOで敗れてタイトル奪取はならなかった。
2008年8月2日、IBF世界ウェルター級王座決定戦でジョシュア・クロッティと対戦。9回負傷判定負けを喫し、王座返り咲きに失敗した。2010年7月16日にはホセ・アルマンド・サンタクルスを3回TKOで破り、再起3連勝とした。
関連項目
外部リンク
前王者 テレン・ミレット |
第16代IBF世界ジュニアウェルター級王者 1999年1月16日 – 2001年11月3日 |
次王者 コンスタンチン・チュー |
前チャンピオン デマーカス・コーリー |
第12代WBO世界ジュニアウェルター級チャンピオン 2003年7月12日 – 2004年(返上) |
空位 次タイトルホルダー ミゲール・コット |
前チャンピオン コーリー・スピンクス |
WBA世界ウェルター級スーパーチャンピオン 2005年2月5日 – 2006年1月7日(剥奪) |
空位 次タイトルホルダー N/A |
前王者 コーリー・スピンクス |
第25代WBC世界ウェルター級王者 2005年2月5日 – 2006年1月7日 |
次王者 カルロス・バルドミール |
前王者 コーリー・スピンクス |
第9代IBF世界ウェルター級王者 2005年2月5日 – 2006年4月8日 |
次王者 フロイド・メイウェザー・ジュニア |
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