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微視的な量子は、一ヶ所に凝縮され克つ最小単位のある粒子的な性質と、空間的な広がりがあり克つ最小単位のない波の性質の、2つの性質を持つ([[物質波]])を持つことが知られている。
 
微視的な量子は、一ヶ所に凝縮され克つ最小単位のある粒子的な性質と、空間的な広がりがあり克つ最小単位のない波の性質の、2つの性質を持つ([[物質波]])を持つことが知られている。
 
このような性質を説明するために、波が示す確率分布に従って粒子が観測されるとされている([[確率解釈]]、または、確率規則)。
 
このような性質を説明するために、波が示す確率分布に従って粒子が観測されるとされている([[確率解釈]]、または、確率規則)。
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古くから、光は波か粒子か、の論争があった。
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19世紀初頭の[[トーマス・ヤング]]による光の干渉実験により、一時は、光は波であると決着した。
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1864年、[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]は、それまでの電気及び磁気の法則をいくつかの微積分方程式にまとめた([[マクスウェルの方程式]])。
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方程式を解いたマクスウェルは、電磁波の存在を予測し、電磁波の速度も計算した。
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その電磁波の速度の計算値は、当時の光の速度の実測値に非常に近いため、マクスウェルは、光も電磁波の一種であると予測した。
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1905年、[[アルベルト・アインシュタイン]]は、光がプランクの法則に従うエネルギーを持つ粒子であると仮定すれば[[光電効果]]が上手く説明できるとした([[光量子仮説]])。
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1923年、[[アーサー・コンプトン]]が発見した[[コンプトン効果]]は、光量子仮説の裏付けとなった。
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1924年、[[ルイ・ド・ブロイ]]は、光量子仮説とは逆に、粒子にも波の性質があるとする仮説([[物質波]])を発表した。
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1927年の[[クリントン・デイヴィソン]]らによるニッケル単結晶による電子線の回折実験により、電子に物質波が存在することが証明された。
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1926年、[[エルヴィン・シュレーディンガー]]は、物質波を表す[[シュレーディンガー方程式]]を発表した。
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1926年、マックス・ボルンは、波が示す確率分布に従って粒子が観測されるとする[[確率解釈]](または、確率規則)を発表した。
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1927年、[[ヴェルナー・ハイゼンベルク]]は、1つの量子について、2つ以上の[[可観測量]]を同時に克つ正確に測定することは出来ないとする[[不確定性原理]]を発表した。
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1932年、[[ジョン・フォン・ノイマン]]は、"Mathematical Foundations of Quantum Mechanics"([[量子力学の数学的基礎]])と題した書籍で、今日の量子力学の数学理論の基礎となる法則を発表した。
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=== 原子モデル ===
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1911年、[[アーネスト・ラザフォード]]は、[[ラザフォード散乱]]により、[[ジョゼフ・ジョン・トムソン]]の[[原子モデル]]が間違っており、[[原子核]]の周りを[[電子]]が周回するモデルが正しいことを証明した。
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しかし、このモデルでは、マクスウェルの方程式により、電磁波を放出して、[[原子]]が瞬時に崩壊してしまうとされ、理論と現実の差が問題となった。
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1913年、[[ニールス・ボーア]]は、[[水素]]原子の輝線スペクトルが、ほぼ整数比の飛び飛びの値を持つことに気付いて、このことから、原子中の電子は飛び飛びの軌道を取るとする[[ボーアの量子条件]]を発表した。
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ボーアの量子条件を満たす電子の軌道では、物質波が[[定常波]]となり、ボーアの量子条件の強力な裏付けとなった。
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== 隠れた変数理論 ==
  
 
== 注釈 ==
 
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2010年2月5日 (金) 20:08時点における版

量子力学(りょうしりきがく)は、微視的(素粒子、原子、分子等の非常に小さなスケールの)現象を扱う物理学の理論である。

概要

最小単位を持ちそれ以上に分割できない物を量子と呼ぶ。 微視的な量子は、一ヶ所に凝縮され克つ最小単位のある粒子的な性質と、空間的な広がりがあり克つ最小単位のない波の性質の、2つの性質を持つ(物質波)を持つことが知られている。 このような性質を説明するために、波が示す確率分布に従って粒子が観測されるとされている(確率解釈、または、確率規則)。

主な歴史

古くから、光は波か粒子か、の論争があった。 19世紀初頭のトーマス・ヤングによる光の干渉実験により、一時は、光は波であると決着した。 1864年、ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、それまでの電気及び磁気の法則をいくつかの微積分方程式にまとめた(マクスウェルの方程式)。 方程式を解いたマクスウェルは、電磁波の存在を予測し、電磁波の速度も計算した。 その電磁波の速度の計算値は、当時の光の速度の実測値に非常に近いため、マクスウェルは、光も電磁波の一種であると予測した。

1900年、マックス・プランクは、黒体放射の研究から、光のエネルギーに波長とプランク定数で表せる最小単位があることを発見した(プランクの法則)。 1905年、アルベルト・アインシュタインは、光がプランクの法則に従うエネルギーを持つ粒子であると仮定すれば光電効果が上手く説明できるとした(光量子仮説)。 1923年、アーサー・コンプトンが発見したコンプトン効果は、光量子仮説の裏付けとなった。

1924年、ルイ・ド・ブロイは、光量子仮説とは逆に、粒子にも波の性質があるとする仮説(物質波)を発表した。 1927年のクリントン・デイヴィソンらによるニッケル単結晶による電子線の回折実験により、電子に物質波が存在することが証明された。 1926年、エルヴィン・シュレーディンガーは、物質波を表すシュレーディンガー方程式を発表した。 1926年、マックス・ボルンは、波が示す確率分布に従って粒子が観測されるとする確率解釈(または、確率規則)を発表した。

1927年、ヴェルナー・ハイゼンベルクは、1つの量子について、2つ以上の可観測量を同時に克つ正確に測定することは出来ないとする不確定性原理を発表した。 1932年、ジョン・フォン・ノイマンは、"Mathematical Foundations of Quantum Mechanics"(量子力学の数学的基礎)と題した書籍で、今日の量子力学の数学理論の基礎となる法則を発表した。

原子モデル

1911年、アーネスト・ラザフォードは、ラザフォード散乱により、ジョゼフ・ジョン・トムソン原子モデルが間違っており、原子核の周りを電子が周回するモデルが正しいことを証明した。 しかし、このモデルでは、マクスウェルの方程式により、電磁波を放出して、原子が瞬時に崩壊してしまうとされ、理論と現実の差が問題となった。

1913年、ニールス・ボーアは、水素原子の輝線スペクトルが、ほぼ整数比の飛び飛びの値を持つことに気付いて、このことから、原子中の電子は飛び飛びの軌道を取るとするボーアの量子条件を発表した。 ボーアの量子条件を満たす電子の軌道では、物質波が定常波となり、ボーアの量子条件の強力な裏付けとなった。

隠れた変数理論

注釈

関連項目