「オールスターゲーム (日本プロ野球)」の版間の差分

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<nowiki>'''オールスターゲーム'''とは[[日本]][[日本プロ野球|プロ野球]]の対抗試合である。毎年7月に行われ、監督推薦やプロ野球ファンによる投票で選抜された選手が出場する。'''球宴'''(きゅうえん)とも呼ばれる。
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[[rxy]]=[[森谷辰也]]=[[wiki:LTA:ASPE|LTA:ASPE]]、 [[wiki:LTA:DCHANCE|LTA:DCHANCE]]、[[wiki:LTA:SASHO|LTA:SASHO]]という動かせない事実。<nowiki>'''オールスターゲーム'''とは[[日本]][[日本プロ野球|プロ野球]]の対抗試合である。毎年7月に行われ、監督推薦やプロ野球ファンによる投票で選抜された選手が出場する。'''球宴'''(きゅうえん)とも呼ばれる。
  
 
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== 歴史 ==

2020年1月8日 (水) 04:43時点における版

rxy=森谷辰也=LTA:ASPELTA:DCHANCELTA:SASHOという動かせない事実。'''オールスターゲーム'''とは[[日本]][[日本プロ野球|プロ野球]]の対抗試合である。毎年7月に行われ、監督推薦やプロ野球ファンによる投票で選抜された選手が出場する。'''球宴'''(きゅうえん)とも呼ばれる。 == 歴史 == 前身として[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[メジャーリーグベースボール]]を手本に1リーグ時代の[[1937年]]から「'''[[職業野球東西対抗戦]]'''」という大会名で本拠地別に配分した東西オールスターとして行われたのが始まりとされている。1リーグ時代はシーズン終了後に行われていた。 2リーグ制になった[[1950年]]は実施されず、[[1951年]]から[[セントラル・リーグ]]と[[パシフィック・リーグ]]の対抗方式で実施されている。シーズン終了後は[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]が行われることから、時期を夏場に移しての開催となっている。スタート当初は年度により2試合と3試合とでばらつきがあったが、[[1960年代]]以降は3試合で定着してきた。しかし、アメリカのオールスターが年1試合なのに対し、日本の3試合は多いのではないかという[[日本プロ野球選手会|選手会]]からの要望もあり、[[1989年]]以降は原則2試合となった。但し基本的に[[夏季オリンピック]]開催年については3試合を維持し、[[1992年]]以降は第3戦を地方開催することとなった。 [[2001年]]シーズン(第1戦[[福岡ドーム]]、第2戦[[横浜スタジアム]]、第3戦[[札幌ドーム]])を最後に3試合制は原則として消滅、[[2002年]]以降は完全2試合制となり、隔年で2試合のうち1試合(原則第2戦)を地方開催する形となった。 なお、開催に際しては12球団持ち回りで開催権が与えられ、その球団のホームスタジアムで開催となるが[[ナイター]]開催が可能な照明設備を有する収容人員3万人以上の[[野球場]]での開催が義務付けられているため、以前[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]が[[藤井寺球場]]と[[日本生命球場|日生球場]]を本拠にしていた頃、藤井寺は照明設備がなく([[1984年]]に照明設備設置)日生は収容人員が2万人強と規定を満たしていなかったため、近鉄が主管球団となったシーズンには[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]の本拠地・[[大阪球場]]で振り替えて開催した。これは近鉄に限ったことではなく[[2002年]]のオールスター第2戦は[[広島東洋カープ]]が開催権を持っていたが、ゲームが開催されたのは[[広島市民球場]]ではなく[[松山中央公園野球場|松山坊っちゃんスタジアム]]で、[[2003年]]のオールスターは[[阪神タイガース]]が開催権を持っていたが[[甲子園球場]]ではなく[[大阪ドーム]]でそれぞれ開催された。その他、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]が[[1973年]]から[[1977年]]に宮城球場をフランチャイズとしていた時代はロッテの主管試合は開催されなかった。理由は宮城球場のキャパシティが上述の3万人以上収容の規定に満たなかったことや周辺施設の問題による。 [[1988年]]より[[三洋電機]]が特別協賛して[[冠大会]]となり大会の名称も「'''サンヨーオールスターゲーム'''」としていたが[[2006年]][[12月1日]]、三洋本体の業績悪化が理由で2006年限りでの撤退が決定。19年間に渡って開催したサンヨーオールスターゲームの歴史に幕が下ろされた。[[2007年]]からの新・冠スポンサーが同年[[4月4日]]に中古車販売大手の[[ガリバーインターナショナル]]に決定し、大会名も「'''ガリバーオールスターゲーム'''」となった。 近年では「オールスターでは変化球を投げづらい」や「真剣勝負=直球勝負」とする風潮があり、真の真剣勝負が見られないという意見が増えている。 == 過去の地方開催 == * [[1992年]] - [[県営宮城球場|仙台・県営宮城球場]](主管球団・ロッテ。後に[[フルキャストスタジアム宮城]]に球場名を変更。[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の本拠地になる) * [[1996年]] - [[富山市民球場アルペンスタジアム]](主管球団・中日) * [[1999年]] - [[岡山県倉敷スポーツ公園野球場]](マスカットスタジアム 主管球団・阪神) * [[2000年]] - [[長崎県営野球場]](長崎ビッグNスタジアム 主管球団・ダイエー) * [[2001年]] - [[札幌ドーム]](主管球団・西武。後に[[北海道日本ハムファイターズ]]の本拠地になる) * [[2002年]] - [[松山中央公園野球場]](坊っちゃんスタジアム。主管球団・広島 後に[[四国アイランドリーグ]]の1チーム/[[愛媛マンダリンパイレーツ]]の本拠地になる) * [[2004年]] - [[長野オリンピックスタジアム]](主管球団・西武) * [[2006年]] - [[宮崎県総合運動公園硬式野球場]](サンマリンスタジアム宮崎 主管球団・ソフトバンク) * 2004年4月、[[新潟市]]に建設予定の[[新潟県立野球場]](仮称)での[[2008年]]のオールスター開催が内定していたが同年夏の水害(7・13水害)や[[新潟県中越地震]]などの災害復興事業を優先させる必要に迫られ野球場の着工に目途が立たなくなったことから、新潟県は[[2005年]]7月に開催返上を決定。同月末に日本野球機構に開催辞退の申請を提出し、[[8月1日]]に行われた実行委員会で正式に開催辞退が承認された。オールスターゲームの地方開催を辞退するのは史上初めてのケース。しかし2006年に球場建設のめどがついたことから、[[2010年]]の開催が内定した。 * [[2012年]] - 松山中央公園野球場(予定。開催が実現すれば(宮城・札幌を除いて)史上初めて地方球場で2回目の開催となる) == 開催概要 == === 選出方法 === 公式投票はがき、市販の官製・私製はがき、インターネット(パソコン、携帯電話)から投票する。インターネット投票では、同一サーバーから1日5回までという投票制限がある。 ※公式投票はがきは公式戦の開催会場や[[コンビニエンスストア]]、[[三洋電機|サンヨー]]商品取り扱い店などで配布され、公式戦会場など一部では直接投票できる(切手不要)投票箱が設置されている。[[2004年]]まではコンビニエンスストアにも投票箱を設置していたが、[[2005年]]は設置を取りやめた。一説には[[個人情報保護法]]による影響と言われており、[[2006年]]以降は個人情報を記載しなくてもよい公式投票はがきが導入されたことからコンビニエンスストアに投票箱が復活した。 途中経過は投票開始日から数えて概ね1週間経過してから締切日までほぼ毎日(土・日曜日は除く)発表される。締め切り後1週間程度をメドに最終集計を公表。ファン投票により、外野手のみ上位3名まで、そのほかのポジションについては1位の選手が選出される。翌日発表の監督推薦(前年リーグ優勝球団監督が担当)を併せて両チーム28名ずつ(計56名)がメンバーとして登録される。 [[1986年]]までは18名([[1975年]]の指名打者制度投入後は19名)連記、あるいは1名のみの単記・または18名連記のどちらか等投票方式の変化をたどってきたが、[[1987年]]以後は単記・連記自由で、連記の場合は19名(セ・9人、パ・10人)までであれば自由となった([[#歴代のファン投票の方式|下記]]参照)。 投手についてはその後ルール改正で「先発」「中継ぎ」「抑え」の3人ずつまで投票できるため、連記の場合は23人(セ・11人、パ・12人)までなら良い。但し、各リーグ・各ポジションにつき1名(外野3名まで)は厳守することとなっている。 公式投票はがきからの投票の場合、マークシート方式であらかじめノミネートされた選手の中から選んで塗りつぶす方式が取り入れられている。 2005年よりファン投票において得票数トップとなった選手には「最多得票プレーヤー」として表彰される。表彰は出場選手発表後、所属チームのホームゲーム開催球場にて実施され、認定証、盾などが贈呈される。 基本的にファン投票で選出された選手は出場を辞退することが出来ない。辞退した場合は野球協約86条により球宴終了後の後半戦開始から10試合、選手登録が出来なくなる。例外として「顕著な傷病等により出場できなかったものとコミッショナーが認めたときは、出場登録できるまでの期間を短縮することができる」とあり、故障による出場辞退の場合は出場停止期間の短縮もしくは免除を受けることができたが、明確な適用基準がなく悪用の恐れがあるとのことから2006年をもって廃止された。この制度の適用を受けたことがある選手は[[2003年]]の[[川崎憲次郎]]、2006年の[[福留孝介]]・[[小久保裕紀]]の3人である。福留は後半戦開幕から活躍したため制度の悪用との批判があった(この年所属球団の中日がリーグ優勝している。福留は出場選手登録抹消を含めてオールスター戦前のまでの15試合中14試合を欠場していることから、感情的批判の域を出ないという見方も強い)。そのため、少々の軽傷ならば強行出場もしくは1打席のみの代打出場をする選手が出てきているのも現状である。 ==== 歴代のファン投票の方式 ==== * 1951、52年 18名連記 市販のはがき使用による郵送のみ * 1953年 単記(1名のみ) はがき郵送のみ * 1954、55年 単記・18名連記のどちらでも可(市販のはがきの郵送の他、新聞刷り込み投票用紙、はがき大の画用紙でも投票と持ち込みも可能) * 1956年 はがきの場合は単記・18名連記どちらも可。新聞刷り込み投票用紙は18名連記のみ 何れも郵送のみ受付で小包は使用不可 * 1957 - 70年 はがき、新聞刷り込み投票用紙とも18名連記のみ 何れも郵送のみで小包使用不可 * 1971、72年 両リーグとも同じ守備位置・選手を1つ(1名)ずつ選ぶ準単記方式(即ち投手を投票したいのであればセ・パそれぞれの投手の中から1名ずつ選ぶ) はがき・専用投票用紙による郵送のみ * 1973 - 75年 両リーグとも投票者が各自守備位置を選び2名ずつ投票する準単記方式 はがき・専用投票用紙による郵送のみ * 1976 - 86年 19名連記(守備位置と背番号の数字と球団の英略を併記) はがき・専用投票用紙による郵送のみ * 1987年 - 現在 単記・連記どちらも可。連記の場合は19名(その後投手を3つに分類したため現在は23人)までの範囲であれば自由に投票できるようになった はがき・専用投票用紙による郵送、球場などでの直接持ち込み、その後[[インターネット]]([[パソコン通信|パソコン]]、[[携帯電話]])からの投票も可能となる ==== 現在のファン投票の問題点 ==== * インターネット投票の導入により、安易に大量投票が可能になったため、故障で試合出場のなかった選手が選ばれたり、そのポジションを経験したことのない選手が票を集めるといった不可解な結果が多くみられるようになっている(2003年度の[[川崎祭]])。好意的解釈をするか否定的に受け止めるかは人それぞれだが、[[阪神タイガース|阪神]]に所属していた[[トレイ・ムーア]]に一塁手での投票が入っていたり、当時[[千葉ロッテマリーンズ|千葉ロッテ]]に所属していた[[リック・ショート]](現[[東北楽天ゴールデンイーグルス|東北楽天]])にほとんど守ったことのない遊撃手(ショート)での票が多く入っていたこともある。 * ノミネートされた選手への投票に比べて、その他の選手への投票は手間がかかるため、ノミネート外選手が選出されることは少ない。そのため、シーズン途中からレギュラーになった選手、ノミネートされていない選手は選ばれにくい。また、シーズン中にポジションの変更が行われた選手も変更前のポジションでの得票が圧倒的に多い。 * 先発と中継ぎを兼任している投手、代打・代走・守備要員のようなスーパーサブが選出されることはまずない。 * 先発・中継ぎ投手は1球団あたり5~6人ずついるが、枠はそれぞれ1つずつしかないため監督推薦でなければ出場は難しい。 * もともとは「ファン投票で人気のある選手を、監督推薦で実力のある選手を選ぶ」という趣旨があったらしいが、そこまで拘られてはいない。が、ファン投票で特定球団ばかりから選出されたのを監督推薦で調整しているように、監督推薦がファン投票の下位的存在になっていることを問題視する向きもある。 * 応援する球団の選手や有名選手にのみ投票するファンが多いため、人気球団の選手やマスコミへの露出が多い選手ばかりが選出されがちである。[[1990年代]]では巨人、[[2000年代]]では阪神にその傾向が強い。チームスポーツの性質上、ある程度は仕方ないという意見もある。 * 票が入りやすいという条件さえあれば、故障選手・2軍調整中選手まで選出されてしまう危険性がある(2007年の[[松本輝]]など)。 * また、稀に球団自らがチームへの関心を喚起する事を目的としてファンに対して投票を呼びかけた場合、結果的に当該球団所属選手への大量の得票に繋がってしまうケースがあり、特にその球団のシーズン成績が不振である場合には非難の対象となりやすい([[1978年]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]、[[1995年]]の[[横浜ベイスターズ|横浜]]など。特に前者の場合は一部選出選手が出場辞退に追い込まれている)。 * これらの問題の改善策として、ノミネート制度の廃止やポジション別での選出の見直しなどが議論されている。 === 守備位置の数字 === * 先発投手 1-1 * 中継ぎ投手 1-2 * 抑え投手 1-3 * 捕手 2 * 1塁手 3 * 2塁手 4 * 3塁手 5 * 遊撃手 6 * 外野手 7,8,9 * 指名打者 DH === 投票で使う球団略号 === ==== セ・リーグ ==== * [[中日ドラゴンズ]](D) * [[大阪]]→[[阪神タイガース]](T) * [[日本国有鉄道|国鉄]]→[[産経新聞|サンケイ]]→[[ヤクルト]]→[[東京ヤクルトスワローズ]](S) * [[読売ジャイアンツ]](G) * [[広島東洋カープ]](C) * [[横浜ベイスターズ]](YB) ==== パ・リーグ ==== * [[北海道日本ハムファイターズ]](F) * [[南海電気鉄道|南海]]→福岡[[ダイエー]]→[[福岡ソフトバンクホークス]](H) * [[西日本鉄道|西鉄]]→太平洋クラブ→クラウンライター→[[西武ライオンズ]](L) * [[千葉ロッテマリーンズ]](M) * [[オリックス・バファローズ]](Bs) * [[東北楽天ゴールデンイーグルス]](E) ==== 過去に使われた略号 ==== * 大洋→横浜大洋ホエールズ(W) * [[毎日新聞|毎日]]→毎日大映→[[東京]]→[[ロッテ]]オリオンズ(O) * [[東京急行電鉄|東急]]→急映→東急→[[東映]]→[[日拓ホーム]]フライヤーズ→[[日本ハム]]ファイターズ(Fs) * [[近畿日本鉄道|近鉄]]→大阪近鉄バファローズ(Bu) * [[阪急電鉄|阪急]]→オリックス・ブレーブス(B) * [[オリックス (企業)|オリックス]]・ブルーウェーブ(BW) * [[サンケイ]]アトムズ→アトムズ→ヤクルトアトムズ(A) === 出場対象選手 === * 原則として5月末までに支配下登録されている選手を対象とする。 * 2004年から1軍の試合実績のない選手への投票を抑制すること、また組織票防止の観点から、打者は10試合以上、若しくは20打席以上出場、投手は5試合以上、若しくは10回以上の登板(出場)実績のない選手は選考の対象から外される事となった([[川崎祭]]を参照)。 * 外国人選手はファン投票に関しては推薦の上限を設けない(試合出場に際しては同時出場の場合上限あり)。 * また、投票期間中の選手移籍に関しては、同一リーグ内の場合は前所属球団の分と併せて得票数に計算。異なるリーグへの移籍となる場合は、前所属球団の分はそのまま「移籍前」扱いとして残して、移籍先球団の所属するリーグでは改めて0の段階から得票をカウントしていく。 === 試合方式 === * 2試合とも[[指名打者]]制。 * 9イニングで終了、[[延長戦]]は無し。引き分け再試合も無し。 * [[投手]]は3イニングを超えて登板することはできない(ただしイニング途中から登板した場合はそのイニングを含まない。よってノーアウトで交代した場合記録上最大4イニング登板可能である)。 * 試合の審判は、セパ両リーグから3人ずつ選ばれた[[審判員]]による。 * 明確に規定されているわけではないが、開催球場を本拠地とする投手が先発を務めることが慣例になっている([[山本昌]]が自身の公式ページで言及していた)。例としては[[2003年]]第1戦([[大阪ドーム]])の先発投手は、全セが[[阪神タイガース|阪神]](当時)の[[井川慶]]、全パが[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]](当時)の[[岩隈久志]]だった(この年の主管球団は大阪ドームを本拠地にする近鉄ではなく、阪神である)。 :地方球場での試合では、その球場の主管球団の投手が先発を務めることが多い。こちらの例は、[[2006年]]第2戦([[宮崎県総合運動公園硬式野球場|サンマリンスタジアム宮崎]])の先発が、全セは、キャンプ地[[読売ジャイアンツ|巨人]]の[[内海哲也]]で、全パは、地元九州(キャンプ地でもある)[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]の[[斉藤和巳]]だった。 ==== 過去の試合方式 ==== {{節stub}} === 各種表彰 === * 最優秀選手賞(各試合につき1名ずつ) 賞金200万円 * 優秀選手賞(各試合につき4名ずつ) 賞金100万円 * SANYO賞→ガリバー賞(各試合で最もファンの共鳴を与えたファインプレーをした選手。SANYO賞のときは随時表彰(賞金10万円)だったが、ガリバー賞は2試合を通して1名にガリバー提供の中古車が贈られる。2007年度の審査員長は[[萩本欽一]]・[[茨城ゴールデンゴールズ]]監督が勤める) * ホームラン賞(各試合でホームランを打った選手に随時) 賞金3万円(テレビの中継では、金額の詳細は略され「賞金が贈られます。」と紹介される) * サンヨーオールスター新人賞→ガリバーオールスター新人賞(全試合を通してこの年オールスターに初出場を果たし、活躍した選手を各リーグから1名ずつ) 賞金30万円 *三洋電機が協賛した時には各賞受賞者に副賞として三洋家電製品が贈呈された。また各試合の勝利リーグ、試合前のアトラクション出場選手に対する参加賞、またオールスター選出選手全員にも出場記念品として三洋製品が贈られた。 * また、ファン投票において得票数トップとなった選手を「最多得票プレーヤー」として表彰。 == 過去の名場面 == ; [[1952年]][[7月3日]](第1戦・[[西宮球場]]) : オールスター史上最長の延長21回、試合時間4時間30分。 ; [[1962年]] : [[尾崎行雄 (野球)|尾崎行雄]]が17歳でオールスター出場([[1962年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1962年のオールスター]]の項参照)。 ; [[1971年]][[7月17日]](第1戦・西宮球場) : 全セの先発[[江夏豊]]([[阪神タイガース|阪神]])が規定の3イニングを投げ、9者連続[[三振|奪三振]]を達成。全セはその後継投した4投手([[渡辺秀武]]=[[読売ジャイアンツ|巨人]]、[[高橋一三]]=同、[[水谷寿伸]]=[[中日ドラゴンズ|中日]]、[[小谷正勝]]=[[横浜ベイスターズ|大洋]])も安打を許さず、継投による[[ノーヒットノーラン]]を達成。この試合、江夏はMVPとなる。 ; [[1974年]][[7月21日]](第1戦・[[後楽園球場]]) : 全パ1点ビハインドの9回裏、最強の代打男である全パの[[高井保弘]]([[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]])が[[松岡弘]]([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]])から史上初の代打逆転サヨナラ2ランホームランを放ちMVP。 ; [[1978年]][[7月22日]](第1戦・[[広島市民球場]]) : 全セの[[エイドリアン・ギャレット|ギャレット]]([[広島東洋カープ|広島]])が、[[高橋直樹 (野球)|高橋直樹]]([[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]])・[[藤田学 (野球)|藤田学]]([[福岡ソフトバンクホークス|南海]])・[[柳田豊]]([[大阪近鉄バファローズ|近鉄]])からそれぞれホームランを放ち1試合3本塁打を達成。[[7月25日]]の第3戦([[後楽園球場]])では全セの[[掛布雅之]](阪神)が[[佐伯和司]](日本ハム)・[[佐藤義則]]([[オリックス・バファローズ|阪急]])・[[山口高志]](阪急)から3打席連続[[本塁打|ホームラン]]を放つ。 ; [[1981年]][[7月26日]](第2戦・[[横浜スタジアム]]) : 全セ1点ビハインドの9回裏、バッターは[[山本浩二]]、マウンドには江夏豊(日本ハム)が上がっており、かつてのチームメイト同士の対決が実現。結果は山本がセンターバックスクリーンへ値千金の同点ホームラン。その後試合は延長に入り12回裏、阪神・掛布雅之が近鉄・柳田豊からライトスタンドへ[[サヨナラホームラン]]を放つ。掛布自身、'''現役14年間でペナントレースにおいて1本もサヨナラ打を打っていないため、これが現役生活唯一のサヨナラホームラン'''。 ; [[1984年]][[7月24日]](第3戦・[[ナゴヤ球場]]) : [[江川卓 (野球)|江川卓]](巨人)が8者連続奪三振を達成。しかし9者連続奪三振がかかった最後の打者・[[大石大二郎]]([[大阪近鉄バファローズ|近鉄]])は二ゴロで歴代タイ記録は逃した。このとき投げたのは江川の持ち味である直球ではなくカーブであった[http://www.youtube.com/watch?v=JbxnzAR__Eo]。 ; [[1986年]][[7月20日]](第2戦・[[大阪球場]]) : 監督推薦で阪神の[[川藤幸三]]が'''現役19年目で初のオールスター'''[[代打]]で出場。近鉄・[[小野和義]]から安打を放つも、一塁コーチャー[[王貞治]]が腕をグルグル廻して二塁への走塁を指示。結果二塁でタッチアウトとなり、記録はシングルヒット。コーチと選手が別球団のため、走力を考慮しないでコーチの指示が出されたオールスターならではのシーンである。川藤はこの年を持って引退。 ; [[1987年]][[7月28日]](第3戦・[[阪神甲子園球場]]) : 共に[[PL学園中学校・高等学校|PL学園]]出身の同級生、[[桑田真澄]](巨人)対[[清原和博]](当時[[西武ライオンズ|西武]])プロ入り初対決。結果は清原がレフトへホームランを放ち清原の勝ち。 ; [[1988年]]7月26日(第3戦・[[東京ドーム]]) : 同点の延長12回裏全セの攻撃。1死[[満塁]]絶好のサヨナラのチャンス。野手を全て使い果たした全セは[[横浜ベイスターズ|横浜大洋]]、[[中山裕章]]の打順に巨人の[[投手]][[水野雄仁]]を代打に。水野は[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]、[[牛島和彦]]からセンターへ[[犠牲フライ]]を放ち全セがサヨナラ勝ち。史上初投手による犠牲フライでサヨナラ勝ちとなった。なお、この試合では[[広島東洋カープ|広島]]の投手[[大野豊 (プロ野球選手)|大野豊]]も代走として出場している。 ; [[1991年]]7月24日(第2戦・広島市民球場) : 全パの[[秋山幸二]]が[[自打球]]を左目に当て、そのまま[[負傷]]退場。この時点で全パは野手を全て使い果たしていたため投手の[[野茂英雄]]を代打に送った。結果は見逃し三振。しかしツーストライクからの代打なので記録は秋山に付いた。秋山が守備についていたレフトにはこれまた投手の[[工藤公康]]を入れたが、その後[[駒田徳広]]が工藤のいるレフトへフライを打ち上げ、へっぴり腰で構える工藤のそばへセンターの[[愛甲猛]]がカバーに行きゆっくりぶつかるも、工藤が辛くもレフトフライを捕球した。そして全セも、試合が[[延長戦]]に入ったため第1戦勝利投手の[[槙原寛己]]を緊急[[リリーフ]]のマウンドへ。その槙原は、ホーム用ユニフォームのクリーニングが間に合わなかったため、練習用ユニフォームを着用してマウンドへ上がった。これを受け、この年を最後にオールスターゲームでの[[延長戦]]は廃止。また全控え野手が出場した後に負傷等で野手が交代を余儀なくされた場合は一度退いた野手の再出場を認めるという特例が定められた(2007年現在、適用された例はない)。 ; [[1992年]][[7月19日]](第2戦・[[千葉マリンスタジアム]]) : 全セの[[古田敦也]](ヤクルト)がオールスター史上初のサイクルヒットを達成。[[1991年]]に続き、2年連続のMVPを獲得。 ; [[1996年]]7月21日(第2戦・東京ドーム) : 最終回全パの[[西崎幸広]](日本ハム)が全セの[[大豊泰昭]](中日)をサードフライに打ち取ったところで、[[仰木彬]]監督はセンターの[[イチロー]]をマウンドへ。[[松井秀喜]]の打順だったが、全セの野村監督はこれを対戦相手への侮辱と捉え、相手となるはずだった松井の立場を考慮し、投手の[[高津臣吾]]([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]])を代打に送った。 ; [[2001年]] : 松井秀喜・[[中村紀洋]]がオールスター史上初となる同一年度での3試合連続本塁打を達成。 ; [[2004年]][[7月11日]](第2戦・[[長野オリンピックスタジアム]]) : 捕手[[矢野輝弘]]が[[福原忍]](いずれも阪神)の投球を返球した瞬間、三塁ランナーだった全パの[[新庄剛志|SHINJO]](日本ハム)が単独[[盗塁|ホームスチール]]を敢行し、見事成功。オールスター史上初の単独ホームスチールとなった。この時のヒーローインタビューで、SHINJOは「これからは、パリーグです」と答え、[[プロ野球再編問題 (2004年)|プロ野球再編問題]]に揺れるプロ野球ファンの心を大きく掴む。その新庄のパフォーマンスに象徴されるとおり、この頃からオールスターゲームはただのお祭りという趣向が薄れ、パリーグとセリーグが互いの矜恃を賭して戦う真剣勝負の様相を呈し始める。 ; [[2005年]] : この年のオールスターは両試合共に[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]から出場した[[審判員]]がオールスターモデルの赤シャツで試合を裁き、異彩を放った。全セ清原和博が全パ[[西口文也]]から右中間へホームランを放ち、オールスター歴代単独2位となる通算13本塁打を達成。 ; [[2006年]]7月21日(第1戦・[[明治神宮野球場]]) : 1回表、この年限りでの現役引退を表明していた全パのSHINJO(日本ハム)が虹色の輝きを放つバットを手に登場。投手の[[川上憲伸]]が打ち合わせどおりの大暴投をすると、腰のベルトに取り付けられた電光掲示板のスイッチをオン。「NEVER MIND WHATEVER I DO FAN IS MY TREASURE(ほっとけオレの人生だ。ファンはオレの宝物)」というメッセージが流れた。この電光掲示は[[7月23日]](第2戦・[[宮崎県総合運動公園硬式野球場|サンマリンスタジアム宮崎]])では「'''I ♥ U'''」や「夢は見るものではなくてつかむもの」、「ここまで野球ができたのもファンのおかげ」(いずれも実際は[[片仮名]]での表記)というものに変わっていた。[[森本稀哲]]は第1戦で[[ドラゴンボール]]の[[ピッコロ (ドラゴンボール)|ピッコロ大魔王]]に扮したメイクで、第2戦には自分が[[円形脱毛症]]だったことを意識してか[[フランシスコ・ザビエル]]に似せたカツラを被って登場。ロッテ・[[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]との重盗によるホームスチールを決めた。この年屈指の好勝負が[[藤川球児]]対[[アレックス・カブレラ|カブレラ]]と藤川対[[小笠原道大]]の対戦。藤川は'''全球予告ストレート'''で挑み、カブレラは三振(4球)、小笠原もファウルで6球粘ったが最後は三振。計10球 ; [[2007年]]7月20日(第1戦・東京ドーム) : 全セが史上初めて1人1回投手リレー([[上原浩治]](巨人)→[[高津臣吾]](東京ヤクルト)→[[林昌範]](巨人)→[[木塚敦志]](横浜)→[[岩瀬仁紀]](中日)→[[黒田博樹]](広島)→[[久保田智之]](阪神)→[[マーク・クルーン|クルーン]](横浜)→藤川球児(阪神)を行い、初回先頭打者・西岡の内野安打1本のみに抑えての完封勝ち。 ; 2007年7月21日(第2戦・[[県営宮城球場|フルキャストスタジアム宮城]]) : この年のオールスターの第2戦は午後2時10分のプレイボールとデーゲームでの開催。日中開催は[[1955年]]の第5回記念大会以来、実に52年ぶり。 : この試合は、史上初の降雨[[コールドゲーム]]となった。 == 過去の放送順(21世紀以降) == * [[地上波]]放送・[[衛星放送]]共に[[民間放送]]が中継。[[日本放送協会|NHK]]は冠スポンサー(2006年まで三洋電機、2007年から[[ガリバーインターナショナル]])の宣伝になってしまうため、放送しない。 ** 2001年は[[テレビ西日本]]([[福岡ドーム]],[[FNN]])→[[東京放送|TBS]]([[横浜スタジアム]],[[JNN]])→[[札幌テレビ放送]]([[札幌ドーム]],[[NNN]]) ** 2002年は[[テレビ朝日]]([[東京ドーム]],[[ANN]])→[[広島テレビ放送]]・[[南海放送]]([[松山中央公園野球場|松山・坊っちゃんスタジアム]],NNN) ** 2003年は[[朝日放送]]([[大阪ドーム]],ANN)→TBS([[千葉マリンスタジアム]],JNN) ** 2004年は[[東海テレビ放送|東海テレビ]]([[ナゴヤドーム]],FNN)→[[信越放送]]([[長野オリンピックスタジアム]],JNN) ** 2005年はテレビ朝日([[西武ドーム|インボイスSEIBUドーム]],ANN)→朝日放送([[阪神甲子園球場]],ANN) ** 2006年は[[フジテレビジョン|フジテレビ]]([[明治神宮野球場]],FNN)→[[宮崎放送]]([[宮崎県総合運動公園硬式野球場|サンマリンスタジアム宮崎]],JNN) *** フジテレビ系列は地上波と[[BSフジ]]の同時放送で生中継を実施。 *** TBS系列は地上波では生中継を行い、CS放送[[TBSニュースバード]]では深夜に2時間のダイジェスト形式で録画中継を放送した。 ** 2007年は日本テレビ([[東京ドーム]],NNN)→[[東北放送]]([[県営宮城球場|フルキャストスタジアム宮城]],JNN) *** TBS系列は地上波と[[ビーエス・アイ|BS-i]]の同時放送で生中継を行い、CS放送TBSニュースバードでは深夜に3時間の録画中継を放送した。 === オールスターの地方開催と中継権 === * オールスターゲームの地方開催が解禁となった[[1992年]]以後、TBS(JNN)系列及び[[日本テレビ放送網|日本テレビ]](NNN)系列では地方開催で行われる試合の中継権を持つことが比較的多い。 * TBS(JNN)系列では、1992年第3戦([[県営宮城球場]]=共同制作[[東北放送]])、[[1996年]]第3戦([[富山市民球場]]=共同制作[[チューリップテレビ]])、[[2004年]]第2戦(長野オリンピックスタジアム=共同制作[[信越放送]])、[[2006年]]第2戦(サンマリンスタジアム宮崎=共同制作[[宮崎放送]])の4試合を担当している。 * 日本テレビ放送網(NNN)系列では、[[2000年]]第3戦([[長崎県営野球場|長崎ビッグNスタジアム]]=制作協力[[長崎国際テレビ]])、[[2001年]]第3戦(札幌ドーム=制作協力[[札幌テレビ放送]])、[[2002年]]第2戦([[松山中央公園野球場|松山坊ちゃんスタジアム]]=制作協力[[広島テレビ放送]]・[[南海放送]])の3試合を担当している。 * なお、[[1999年]]第3戦([[岡山県倉敷スポーツ公園野球場|マスカットスタジアム]])はフジテレビと[[岡山放送]]が中継を担当している。 === 各局の中継傾向 === * [[日本放送協会|NHK]]:かつてはテレビ・ラジオ両方とも放送していたが、前述の理由でテレビは[[1994年]]、ラジオは[[2003年]]をもってオールスター中継から撤退した。 ** テレビ:[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]で[[1954年]]から[[1978年]]までは生中継の放送を実施していたが、それ以降[[1994年]]までは「オールスターハイライト」と題した40分程度の録画中継番組を深夜のスポーツニュース内包(一部年度独立番組)として放送していた。実況アナウンサーとNHK[[野球解説者|解説者]]のやり取りに重点を置くので中継ゲストは登場させなかった。また解説者は東京のスタジオにいたので「[[カラ出張]]」放送だった。なおテレビでの1局単独中継は[[1971年]]が最後である。ちなみに年間に公式戦80試合以上中継する[[NHK衛星第1テレビジョン|衛星第1テレビ]]は放送開始当初から[[MLBオールスターゲーム]]関連番組を放送するため中継しない。 ** ラジオ:[[NHKラジオ第1放送|NHKラジオ第1]]([[1962年]]までは[[NHKラジオ第2放送|第2]])で放送され、基本的コンセプトはテレビと同じ。[[1996年]]のみ[[アトランタオリンピック]]中継のため中継しなかった。しかし、[[2004年]]に全面撤退。 * [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列:かつては[[読売ジャイアンツ|巨人]]中心の中継スタイルが随所見られたが、野球中継の視聴率低下とともに薄れる傾向にあるが、元巨人選手をクローズアップする点は現在も変わらない<ref name="オールスター">[[1974年]]第3戦は[[広島テレビ放送]]と[[広島ホームテレビ]]の並列放送だったが、この時は広テレ(日テレとフジ系の[[クロスネット局|クロスネット]])がフジ系列の中継を行い、UHTはテレビ朝日系ながら広テレの編成都合で放送できなかった日テレ系の番組配信を行っていたので、日テレ系の中継を行った(解説者も日テレから派遣)。また[[1966年]]第3試合と[[1970年]]第3試合は、広テレ製作のフジ系全国放送の分と、広テレが[[裏送り]]する形(技術協力)を結んだ日テレ系全国放送の分の2ラインをとって放送した(当時UHT、TSSは未開局)。</ref>。 * [[東京放送|TBS]]系列:テレビは[[JNN]]、ラジオは[[Japan Radio Network|JRN]]で全国ネットをカバーしている。 ** テレビ:[[1975年]]の[[ネットチェンジ#大阪準キー局「腸捻転」の解消|腸捻転解消]]以前は[[朝日放送]]製作分もネットしていた。一時期、浴衣姿の女性アナウンサーを大量投入させていたが、近年はTBSの[[ザ・プロ野球|プロ野球中継]]のテーマソングを歌った歌手をゲストに呼ぶ傾向にある。例としては、[[2003年]]第2戦で[[島谷ひとみ]]が、[[2006年]]第2戦で[[PUFFY]]が其々ゲスト出演していた。 ** [[TBSラジオ&コミュニケーションズ|ラジオ]]:以前は[[東京放送|TBS]]系列局で解説を行なっていた現役コーチをゲストで招いたが、現在は基本的に実況アナと解説者以外は出演していない。 * [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列:[[1960年代]]から芸能人を中継ゲストに呼んでいた。[[1989年]]の第1戦では人気芸能人を一度に7人出演させた。その後[[2001年]]の第1戦でスタジオタレントと現役選手のやり取りが選手会・視聴者の反感を買い、一時、オールスター中継を自粛した。また[[1970年代]]から解説者を大量動員してのベンチ裏・観客席リポートが特徴である。 * [[テレビ朝日]]系列:腸捻転時代は[[毎日放送]]中継分もネットしていた。また[[1990年代]]初頭まではフジ系列同様、自局の番組に出演する芸能人をゲスト出演させていた。現在の特色としては投手出身の解説者にネット裏球種解説が挙げられる。 * [[テレビ東京]]系列:ネット局が少ないためにオールスター中継は[[1971年]]の第2戦のみである<ref>本来[[1971年]]の第2試合は[[中部日本放送]]発のTBS系列全国放送をすることになっていたが雨天中止となり、その予備日の放送がCBC系列では編成の都合で実施できなかった。その関係で当初は放送予定がなかった系列局がない独立局の時代の東京12チャンネルが中継権を得た。この時は東京12チャンネルの[[番販]]ネットを行った[[三重テレビ放送]]と[[岐阜放送|岐阜テレビ]]が共同技術協力して放送した</ref>。その後、[[1979年]]から[[1993年]]まで[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスターゲーム(現・フレッシュオールスター)]]を中継していた。ジュニア中継は始球式に登板したアイドルなど若手芸能人がゲスト出演していた。また[[1980年代]]は毎年のように[[宍戸錠]]が登場していた。 * [[文化放送]]:基本的に実況アナと解説者とリポートアナが出演する形式だが、[[1980年代]]の一時期、平日の試合で解説者を置かず実況アナのみで中継するスタイルが取られた。それ以前、他局に先駆けて[[1955年]]から芸能人をゲストに呼んでいる。 * [[ニッポン放送]]:1980年代、[[ビートたけし]]が毎年登場していた。現在は極たまにに現役監督がゲスト解説に登場する。 * [[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ日本]]:他のラジオ局同様実況アナと解説者のやり取りが多い。[[1970年代]]は現場の監督・コーチを招いていた。 * [[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI]]:日本短波放送時代の1955年から[[1962年]]までの8年間とラジオたんぱ時代の[[1978年]]から[[1985年]]までの8年間中継していた。1955年に限り、デーゲームの模様を当日夜に録音放送した。 == オールスターゲームの視聴率 == オールスターゲームの[[視聴率]]も[[1970年代]]末期から[[1980年代]]までは30%台を記録し[[1990年代]]までは20%台をキープしていたがここ数年は10%台に下がる傾向にあり、2005年度にはついにオールスターゲーム史上過去最低視聴率を記録してしまった。[[関東地区]]では低下傾向であるものの[[関西地区]]などでは依然高い数字を記録し、[[西高東低]]となってきている。 いずれも関東地区平均([[ビデオリサーチ]]調べ)。 ;世帯別平均が高視聴率の試合 :1978年:第1戦(7月22日、TBS系)34.6% :1979年:第1戦(7月21日、TBS系)34.6%、第2戦(7月22日、TBS系)32.9%、第3戦(7月24日、フジテレビ系)33.5% :1981年:第2戦(7月26日、TBS系)32.8%、第3戦(7月28日、フジテレビ系)29.8% :1983年:第1戦(7月23日、フジテレビ系)32.5%、第2戦(7月24日、フジテレビ系)32.5% :1984年:第1戦(7月21日、日本テレビ系)30.9% :1988年:第1戦(7月24日、フジテレビ系)30.5% ;過去10年間の世帯別平均視聴率 :1998年:第1戦(7月22日、TBS系)21.2%、第2戦(7月23日、TBS系)21.0% :1999年:第1戦(7月24日、テレ朝系)27.6%、第2戦(7月25日、テレ朝系)23.6%、第3戦(7月27日、フジ系)16.7% :2000年:第1戦(7月22日、日テレ系)22.0%、第2戦(7月23日、フジ系)22.0%、第3戦(7月26日、日テレ系)19.8% :2001年:第1戦(7月21日、フジ系「[[27時間テレビ|FNS ALLSTARS27時間笑いの夢列島]]」内)15.2%、第2戦(7月22日、TBS系)16.0%、第3戦(7月24日、日本テレビ系)14.5%(第2部) :2002年:第1戦(7月12日、テレビ朝日系)16.3%、第2戦(7月13日、日本テレビ系)18.1%(第2部) :2003年:第1戦(7月15日、テレビ朝日系)14.7%、第2戦(7月16日、TBS系)14.3% :2004年:第1戦(7月10日、フジテレビ系)14.7%、第2戦(7月11日、TBS系)15.4% :2005年:第1戦(7月22日、テレビ朝日系)11.9%、第2戦(7月23日、テレビ朝日系)10.3% :2006年:第1戦(7月21日、フジテレビ系)12.6%、第2戦(7月23日、TBS系)12.2% :2007年:第1戦(7月20日、日本テレビ系)13.5%、第2戦(7月21日、TBS系)8.2% ※過去最低視聴率 == 今後の開催スタジアム == ** [[2008年]] [[7月31日]]・[[大阪ドーム|京セラドーム大阪]]、[[8月1日]](予備日[[8月2日]])・[[横浜スタジアム]] **: 2008年は[[北京オリンピック]]代表強化期間とも重なるため(予定)、オールスターの開催が初めて8月に行われる。 ** [[2009年]] [[札幌ドーム]]、[[広島東洋カープ]]の[[広島市民球場#新球場|新本拠地球場]](予定) ** [[2010年]] [[福岡ドーム|福岡Yahoo!JAPANドーム]]、[[新潟県立野球場]](建設予定) ** [[2011年]] [[ナゴヤドーム]]、[[千葉マリンスタジアム]] ** [[2012年]] [[明治神宮野球場]]、[[松山中央公園野球場|松山坊ちゃんスタジアム]] ** [[2013年]] == 主なオールスター記録 == (太字名は現役選手、所属チーム名は記録達成時のもの) === 出場に関する記録 === * 通算出場回数21:[[野村克也]]([[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]、[[西武ライオンズ]]) * ファン投票最多得票1,588,712票:'''[[今岡誠]]'''([[阪神タイガース]])[[2003年]] * 同一球団最多ファン投票選出9人 ** 阪神タイガース('''[[井川慶]]'''、'''[[矢野輝弘]]'''、'''[[桧山進次郎]]'''、'''[[今岡誠]]'''、'''[[ジョージ・アリアス]]'''、'''[[藤本敦士]]'''、'''[[金本知憲]]'''、'''[[赤星憲広]]'''、'''[[濱中治]]''')[[2003年]]※濱中治は怪我で出場辞退した。  * 同一球団最多出場9人:阪神タイガース(濱中を除く上記ファン投票選出選手+監督推薦により[[伊良部秀輝]])2003年 * 最長期間未選出選手16年:'''[[木田優夫]]'''(読売ジャイアンツ-[[東京ヤクルトスワローズ]])[[1990年]][[7月24日]]・第1戦[[横浜スタジアム]]-[[2006年]][[7月21日]]・第1戦[[明治神宮野球場|神宮球場]] === 年齢に関する記録 === * 最年少ファン投票選出選手17歳:[[尾崎行雄 (野球)|尾崎行雄]]([[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]])[[1962年]] * 最年長登板[[投手]]:42歳2ヶ月、'''[[工藤公康]]'''(読売ジャイアンツ)[[2005年]][[7月23日]]・第2戦[[阪神甲子園球場|甲子園球場]] * 最年少登板投手:17歳10ヶ月、[[尾崎行雄 (野球)|尾崎行雄]]([[北海道日本ハムファイターズ#東映・日拓ホーム時代|東映フライヤーズ]])1962年[[7月24日]]・第1戦[[平和台球場]] * 最年長[[勝利投手]]:39歳8ヶ月、[[村田兆治]](ロッテオリオンズ)[[1989年]]7月25日・第1戦神宮球場 * 最年少勝利投手:17歳10ヶ月、尾崎行雄(東映フライヤーズ)1962年[[7月26日]]・第2戦広島市民球場 * 最年少敗戦投手:18歳8ヶ月、'''田中将大'''(東北楽天ゴールデンイーグルス)2007年7月21日・第2戦フルキャストスタジアム宮城 === 通算記録 === * 通算最多試合出場58:[[王貞治]]([[読売ジャイアンツ]]) * 通算最多[[MVP]]7:'''[[清原和博]]'''([[西武ライオンズ]]、[[読売ジャイアンツ]]) * 通算最多[[安打]]48:野村克也 * 通算最多[[二塁打]]15:野村克也 * 通算最多[[三塁打]]4:[[柴田勲]](読売ジャイアンツ) * 通算最多[[打点]]34:'''清原和博'''(西武ライオンズ、読売ジャイアンツ) * 通算最多[[得点]]26:[[福本豊]]([[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]])、'''清原和博'''(西武-巨人) * 通算最多[[本塁打]]14:[[山本浩二]]([[広島東洋カープ|広島カープ]]) * 通算最多[[盗塁]]17:福本豊(阪急ブレーブス) * 通算最多[[四死球]]33:王貞治(読売ジャイアンツ) * 通算最多[[三振]]38:'''清原和博'''(西武ライオンズ-読売ジャイアンツ-オリックス・バファローズ) * 通算最多[[登板]]28:[[金田正一]]([[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]]-読売ジャイアンツ) * 通算最多登板[[イニング]]64回2/3:金田正一(国鉄-巨人) * 通算最多勝利投手7:[[山田久志]](阪急ブレーブス) * 通算最多[[敗戦投手]]4:金田正一 * 通算最多[[セーブ]]6:[[江夏豊]](広島カープ、日本ハムファイターズ) * 通算最多[[三振#奪三振|奪三振]]84:金田正一 === 連続記録 === * 連続フル出場試合17:'''[[イチロー]]'''([[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]])1994年7月19日・第1戦[[西武ドーム|西武球場]]-2000年7月26日・第3戦[[長崎県営野球場]] * 連続打数安打6:ロベルト・ペタジーニ(ヤクルト)下記第2戦第1打席-7月24日・第3戦[[札幌ドーム]]第1打席 * 連続試合安打11:'''イチロー'''(オリックス)1996年7月23日・第3戦[[富山アルペンスタジアム]]-2000年7月26日・第3戦長崎県営野球場 * 連続打席本塁打3:掛布雅之(阪神タイガース)1978年[[7月25日]]・第3戦[[後楽園球場]] * 連続試合本塁打3 **'''清原和博'''(西武ライオンズ)1992年7月21日・第3戦[[県営宮城球場]]-1993年7月21日・第2戦[[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]] **'''[[松井秀喜]]'''(読売ジャイアンツ)[[2001年]][[7月21日]]・第1戦[[福岡ドーム]]-[[7月24日]]・第3戦[[札幌ドーム]] **'''[[中村紀洋]]'''(近鉄バファローズ)上記・松井秀喜と同じ試合 * 最多連続三振4:'''江藤智'''(広島カープ)1993年7月21日・第2戦グリーンスタジアム神戸-1995年7月25日・第1戦横浜スタジアム === 1試合チーム記録 === * 1試合チーム最多安打17:1970年7月18日・第1戦神宮球場でのパ・リーグ * 1試合チーム最多打点12:パ・リーグが2回 **1970年7月18日・第1戦神宮球場 **1984年7月21日・第1戦後楽園球場 * 1試合チーム最多得点14:1984年7月21日・第1戦後楽園球場でのパ・リーグ * 1試合最多本塁打8:[[1979年]][[7月24日]]・第3戦神宮球場 ** 王貞治(読売ジャイアンツ)、山本浩二(広島カープ)各2本 ** [[白仁天]]、[[レオン・リー]]、[[有藤道世]](共に[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]])、[[柏原純一]]([[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]])各1本 * 1試合チーム最多三振16:1971年7月17日・第1戦西宮球場でのパ・リーグ * 1試合最多継投9人:2007年のセ・リーグ('''[[上原浩治]]'''(巨人)-'''[[高津臣吾]]'''(ヤクルト)-'''[[林昌範]]'''(巨人)-'''[[木塚敦志]]'''(横浜)-'''[[岩瀬仁紀]]'''(中日)-'''[[黒田博樹]]'''(広島)-'''[[久保田智之]]'''(阪神)-'''[[マーク・クルーン]]'''(横浜)-'''[[藤川球児]]'''(阪神))[[2007年]][[7月20日]]・第1戦東京ドーム === 1試合個人記録 === * 1試合個人最多安打5:[[ロベルト・ペタジーニ]]([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]])2001年7月22日・第2戦[[横浜スタジアム]]、第1打席から2安打、四球を挟み第4-第6打席までの計5安打 * 1試合個人最多打点6 ** [[土井正博]](近鉄バファローズ)[[1967年]][[7月25日]]・第1戦神宮球場 **[[エイドリアン・ギャレット]](広島カープ)1978年7月22日・第1戦[[広島市民球場]] ** [[ロバート・ローズ]]([[横浜ベイスターズ]])[[1999年]]7月25日・第2戦[[阪神甲子園球場]] * 1試合個人最多本塁打3 **[[エイドリアン・ギャレット]](広島カープ)[[1978年]][[7月22日]]・第1戦[[広島市民球場]] **[[掛布雅之]](阪神タイガース)1978年[[7月25日]]・第3戦[[後楽園球場]] * 1試合個人最多三振3 **土井正博(近鉄バファローズ)[[1971年]][[7月17日]]・第1戦[[西宮球場]] **'''[[江藤智]]'''(広島カープ)1993年7月21日・第2戦グリーンスタジアム神戸 * 1試合個人最多奪三振9:江夏豊([[阪神タイガース]])[[1971年]][[7月17日]]・第1戦[[西宮球場]] * 1試合個人連続奪三振9:江夏豊(同上) :なお、江夏は[[1970年]]のオールスター登板を5連続奪三振で終えており、当該試合を経て第3戦の6回に登板。1三振([[江藤慎一]])を奪ったのち、野村克也にセカンドゴロで阻止されるまで、3試合合計で15連続奪三振を達成したことになる * 1試合個人最多失点7:'''[[黒木知宏]]'''([[千葉ロッテマリーンズ]])[[1999年]][[7月25日]]・第2戦阪神甲子園球場 * 1試合最長登板イニング5回:[[斉藤明夫]]([[横浜ベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]])[[1982年]][[7月25日]]・第2戦[[西武ドーム|西武ライオンズ球場]] :通常一投手3イニングまでの登板とされているが、延長戦イニングに入った場合はその規定の対象外となっていたため * 1試合最多盗塁刺殺3:[[古田敦也]](ヤクルトスワローズ)[[1991年]][[7月23日]]・第1戦[[東京ドーム]] === その他 === *[[本塁打#定義|ランニングホームラン]] **[[カールトン半田|半田春夫]](南海ホークス)[[1960年]][[7月26日]]・第2戦[[後楽園球場]] **[[遠井吾郎]](阪神タイガース)[[1970年]][[7月21日]]・第3戦[[広島市民球場]] **[[藤原満]](南海ホークス)[[1978年]][[7月25日]]・第3戦後楽園球場 **[[大友進]](西武ライオンズ)[[1999年]][[7月24日]]・第1戦[[西武ドーム]] *[[サイクルヒット]]:古田敦也(ヤクルトスワローズ)[[1992年]][[7月19日]]・第2戦[[千葉マリンスタジアム]] *単独[[ホームスチール]]:[[SHINJO]]([[北海道日本ハムファイターズ]])[[2004年]][[7月11日]]・第2戦[[長野オリンピックスタジアム]] *史上最速投球160km/h:'''マーク・クルーン'''(横浜ベイスターズ)[[2006年]][[7月23日]]・第2戦[[宮崎県総合運動公園硬式野球場|サンマリンスタジアム宮崎]] *コールドゲーム:2007年[[7月21日]]・第2戦[[県営宮城球場|フルキャストスタジアム宮城]] == これまでの試合結果 == {| border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" style="background:#f9f9f9; text-align:center" |-style="background:#f2f2f2" !回!!開催日!!勝利チーム!!スコア!!敗戦チーム!!開催球場!!MVP |- |[[1951年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1]]||[[1951年]][[7月4日]]<br>     [[7月7日]]<br>     [[7月8日]]||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||2-1<br>4-2<br>4-3||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||[[阪神甲子園球場]]<br>[[後楽園球場]]<br>後楽園球場||[[川上哲治]]<br>[[野口明]]<br>[[林義一]] |- |[[1952年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2]]||[[1952年]][[7月3日]]<br>     [[7月5日]]||(引き分け)<br>パ・リーグ||2-2<br>8-1||(引き分け)<br>セ・リーグ||[[西宮球場]]<br>後楽園球場||---<br>[[飯島滋弥]] |- |[[1953年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|3]]||[[1953年]][[7月1日]]<br>     [[7月6日]]<br>     7月8日||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||2-0<br>2-0<br>3-0||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||後楽園球場<br>阪神甲子園球場<br>[[ナゴヤ球場|中日スタヂアム]]||[[飯田徳治]]<br>[[平井三郎]]<br>[[堀井数男]] |- |[[1954年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|4]]||[[1954年]]7月3日<br>     7月4日||パ・リーグ<br>パ・リーグ||5-2<br>2-1||セ・リーグ<br>セ・リーグ||西宮球場<br>後楽園球場||[[中西太]]<br>[[山内一弘]] |- |[[1955年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|5]]||[[1955年]][[7月2日]]<br>     7月3日||パ・リーグ<br>セ・リーグ||2-0<br>9-4||セ・リーグ<br>パ・リーグ||[[大阪球場]]<br>阪神甲子園球場||山内一弘<br>[[西沢道夫]] |- |[[1956年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|6]]||[[1956年]]7月3日<br>     7月4日||パ・リーグ<br>セ・リーグ||8-0<br>2-0||セ・リーグ<br>パ・リーグ||後楽園球場<br>後楽園球場||[[森下整鎮|森下正夫]]<br>[[吉田義男]] |- |[[1957年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|7]]||style="text-align:right"|[[1957年]][[7月11日]]<br>[[7月13日]]||パ・リーグ<br>セ・リーグ||5-2<br>5-4||セ・リーグ<br>パ・リーグ||中日スタヂアム<br>中日スタヂアム||[[大下弘]]<br>[[宮本敏雄]] |- |[[1958年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|8]]||style="text-align:right"|[[1958年]][[7月27日]]<br>[[7月29日]]||セ・リーグ<br>パ・リーグ||5-2<br>8-3||パ・リーグ<br>セ・リーグ||[[平和台球場]]<br>[[広島市民球場]]||宮本敏雄<br>中西太 |- |[[1959年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|9]]||style="text-align:right"|[[1959年]][[7月28日]]<br>7月29日||パ・リーグ<br>セ・リーグ||9-0<br>6-4||セ・リーグ<br>パ・リーグ||西宮球場<br>大阪球場||山内一弘<br>[[中登志雄|中利夫]] |- |[[1960年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|10]]||style="text-align:right"|[[1960年]][[7月25日]]<br>[[7月26日]]<br>7月27日||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||3-1<br>5-4<br>6-5||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||[[川崎球場]]<br>後楽園球場<br>後楽園球場||森下整鎮<br>[[金田正一]]<br>[[張本勲]] |- |[[1961年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|11]]||style="text-align:right"|[[1961年]][[7月18日]]<br>[[7月19日]]||パ・リーグ<br>パ・リーグ||3-0<br>4-2||セ・リーグ<br>セ・リーグ||中日スタヂアム<br>阪神甲子園球場||[[広瀬叔功]]<br>[[田宮謙次郎]] |- |[[1962年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|12]]||style="text-align:right"|[[1962年]][[7月24日]]<br>7月26日||パ・リーグ<br>パ・リーグ||7-0<br>5-4||セ・リーグ<br>セ・リーグ||平和台球場<br>広島市民球場||[[ジャック・ブルーム]]<br>張本勲 |- |[[1963年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|13]]||style="text-align:right"|[[1963年]][[7月22日]]<br>[[7月23日]]<br>7月24日||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||6-4<br>11-9<br>8-5||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||後楽園球場<br>[[東京スタジアム (野球場)|東京スタジアム]]<br>[[明治神宮野球場]]||[[近藤和彦]]<br>[[王貞治]]<br>[[古葉竹識|古葉毅]] |- |[[1964年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|14]]||style="text-align:right"|[[1964年]][[7月20日]]<br>[[7月21日]]<br>7月22日||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||1-0<br>5-1<br>10-2||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||川崎球場<br>中日スタヂアム<br>大阪球場||金田正一<br>[[ジム・マーシャル (野球選手)|ジェームス・マーシャル]]<br>[[ジョー・スタンカ]] |- |[[1965年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|15]]||style="text-align:right"|[[1965年]][[7月19日]]<br>[[7月20日]]<br>7月21日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>(引き分け)||5-2<br>6-3<br>1-1||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>(引き分け)||後楽園球場<br>西宮球場<br>平和台球場||[[ダリル・スペンサー]]<br>[[高倉照幸]]<br>[[江藤愼一]] |- |[[1966年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|16]]||style="text-align:right"|[[1966年]]7月19日<br>7月20日<br>7月21日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||6-2<br>6-3<br>5-1||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||東京スタジアム<br>阪神甲子園球場<br>広島市民球場||広瀬叔功<br>[[榎本喜八]]<br>[[古葉竹識]] |- |[[1967年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|17]]||style="text-align:right"|[[1967年]]7月25日<br>7月26日<br>7月27日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||9-4<br>7-3<br>9-6||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||明治神宮野球場<br>中日スタヂアム<br>大阪球場||[[土井正博]]<br>[[長池徳士]]<br>[[大杉勝男]] |- |[[1968年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|18]]||style="text-align:right"|[[1968年]]7月23日<br>7月24日<br>7月25日||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||2-1<br>8-3<br>5-4||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||川崎球場<br>後楽園球場<br>西宮球場||江藤愼一<br>[[柴田勲]]<br>[[小池兼司]] |- |[[1969年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|19]]||style="text-align:right"|[[1969年]]7月19日<br>7月20日<br>7月22日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>(引き分け)||7-6<br>6-3<br>4-4||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>(引き分け)||東京スタジアム<br>阪神甲子園球場<br>平和台球場||土井正博<br>[[船田和英]]<br>--- |- |[[1970年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|20]]||style="text-align:right"|[[1970年]]7月18日<br>7月19日<br>7月21日||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||13-9<br>4-1<br>8-6||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||明治神宮野球場<br>大阪球場<br>広島市民球場||長池徳士<br>[[江夏豊]]<br>[[遠井吾郎]] |- |[[1971年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|21]]||style="text-align:right"|[[1971年]][[7月17日]]<br>7月19日<br>7月20日||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||5-0<br>4-0<br>3-2||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||西宮球場<br>中日スタヂアム<br>後楽園球場||江夏豊<br>長池徳士<br>[[加藤英司|加藤秀司]] |- |[[1972年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|22]]||style="text-align:right"|[[1972年]]7月22日<br>7月23日<br>7月25日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||5-2<br>4-0<br>1-0||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||東京スタジアム<br>川崎球場<br>阪神甲子園球場||[[野村克也]]<br>[[阪本敏三]]<br>[[池田純一]] |- |[[1973年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|23]]||style="text-align:right"|[[1973年]]7月21日<br>7月22日<br>7月24日||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||9-3<br>1-0<br>2-1||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||明治神宮野球場<br>大阪球場<br>平和台球場||[[若松勉]]<br>[[福本豊]]<br>[[山崎裕之]] |- |[[1974年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|24]]||style="text-align:right"|[[1974年]]7月21日<br>7月22日<br>7月23日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||3-2<br>6-3<br>1-0||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||後楽園球場<br>西宮球場<br>広島市民球場||[[高井保弘]]<br>福本豊<br>張本勲 |- |[[1975年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|25]]||style="text-align:right"|[[1975年]]7月19日<br>7月20日<br>7月22日||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||8-0<br>4-3<br>3-0||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||阪神甲子園球場<br>中日スタヂアム<br>明治神宮野球場||[[山本浩二]]<br>[[松原誠]]<br>土井正博 |- |[[1976年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|26]]||style="text-align:right"|[[1976年]]7月17日<br>7月18日<br>7月20日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||3-1<br>11-1<br>5-1||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||川崎球場<br>後楽園球場<br>大阪球場||[[有藤道世]]<br>[[門田博光]]<br>[[吉田孝司]] |- |[[1977年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|27]]||style="text-align:right"|[[1977年]]7月23日<br>7月24日<br>7月26日||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||2-1<br>4-0<br>4-3||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||平和台球場<br>西宮球場<br>明治神宮野球場||若松勉<br>野村克也<br>王貞治 |- |[[1978年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|28]]||style="text-align:right"|[[1978年]]7月22日<br>7月23日<br>7月25日||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||7-5<br>9-0<br>8-5||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||広島市民球場<br>阪神甲子園球場<br>後楽園球場||[[エイドリアン・ギャレット]]<br>[[簑田浩二]]<br>[[掛布雅之]] |- |[[1979年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|29]]||style="text-align:right"|[[1979年]]7月21日<br>7月22日<br>7月24日||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||11-2<br>3-1<br>7-5||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||大阪球場<br>ナゴヤ球場<br>明治神宮野球場||王貞治<br>[[ボビー・マルカーノ]]<br>山本浩二 |- |[[1980年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|30]]||style="text-align:right"|[[1980年]]7月19日<br>7月20日<br>7月22日||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||7-6<br>3-1<br>2-1||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||西宮球場<br>川崎球場<br>後楽園球場||[[岡田彰布]]<br>[[平野光泰]]<br>江夏豊 |- |[[1981年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|31]]||style="text-align:right"|[[1981年]]7月25日<br>7月26日<br>[[7月28日]]||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||5-3<br>6-3<br>6-0||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||阪神甲子園球場<br>[[横浜スタジアム]]<br>明治神宮野球場||[[藤原満]]<br>掛布雅之<br>[[山倉和博]] |- |[[1982年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|32]]||style="text-align:right"|[[1982年]]7月24日<br>7月25日<br>7月27日||パ・リーグ<br>(引き分け)<br>セ・リーグ||7-2<br>5-5<br>3-2||セ・リーグ<br>(引き分け)<br>パ・リーグ||後楽園球場<br>[[西武ドーム|西武球場]]<br>大阪球場||福本豊<br>[[柏原純一]]<br>掛布雅之 |- |[[1983年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|33]]||style="text-align:right"|[[1983年]]7月23日<br>7月24日<br>7月26日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||5-3<br>4-3<br>4-1||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||明治神宮野球場<br>西宮球場<br>広島市民球場||門田博光<br>[[梨田昌孝]]<br>[[落合博満]]<br> |- |[[1984年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|34]]||style="text-align:right"|[[1984年]]7月21日<br>7月22日<br>7月24日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||14-5<br>6-5<br>4-1||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||後楽園球場<br>阪神甲子園球場<br>ナゴヤ球場||簑田浩二<br>[[ブーマー・ウェルズ]]<br>[[江川卓 (野球)|江川卓]] |- |[[1985年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|35]]||style="text-align:right"|[[1985年]]7月20日<br>7月21日<br>7月23日||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||2-0<br>6-5<br>10-2||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||明治神宮野球場<br>川崎球場<br>[[藤井寺球場]]||[[高木豊]]<br>[[ウォーレン・クロマティ]]<br>[[松永浩美]] |- |[[1986年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|36]]||style="text-align:right"|[[1986年]]7月19日<br>7月20日<br>7月22日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||6-4<br>4-3<br>5-3||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||後楽園球場<br>大阪球場<br>広島市民球場||[[山本和範]]<br>[[清原和博]]<br>[[吉村禎章]] |- |[[1987年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|37]]||style="text-align:right"|[[1987年]]7月25日<br>7月26日<br>7月28日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||7-4<br>8-3<br>9-7||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||西武球場<br>横浜スタジアム<br>阪神甲子園球場||[[高沢秀昭]]<br>[[石毛宏典]]<br>清原和博 |- |[[1988年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|38]]||style="text-align:right"|[[1988年]]7月24日<br>7月25日<br>7月26日||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||3-1<br>4-1<br>4-3||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||西宮球場<br>ナゴヤ球場<br>[[東京ドーム]]||ブーマー・ウェルズ<br>[[岡田彰布]]<br>[[正田耕三]] |- |[[1989年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|39]]||style="text-align:right"|[[1989年]]7月25日<br>7月26日||パ・リーグ<br>セ・リーグ||6-0<br>4-1||セ・リーグ<br>パ・リーグ||明治神宮野球場<br>藤井寺球場||[[村田兆治]]<br>[[彦野利勝]] |- |[[1990年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|40]]||style="text-align:right"|[[1990年]]7月24日<br>7月25日||パ・リーグ<br>パ・リーグ||7-0<br>12-7||セ・リーグ<br>セ・リーグ||横浜スタジアム<br>平和台球場||[[ラルフ・ブライアント]]<br>清原和博 |- |[[1991年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|41]]||style="text-align:right"|[[1991年]]7月23日<br>7月24日||セ・リーグ<br>(引き分け)||1-0<br>3-3||パ・リーグ<br>(引き分け)||東京ドーム<br>広島市民球場||[[古田敦也]]<br>[[広澤克実|広沢克己]] |- |[[1992年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|42]]||style="text-align:right"|[[1992年]]7月18日<br>7月19日<br>7月21日||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||6-1<br>6-4<br>4-2||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||阪神甲子園球場<br>[[千葉マリンスタジアム]]<br>[[県営宮城球場]]||[[石井浩郎]]<br>古田敦也<br>[[駒田徳広]] |- |[[1993年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|43]]||style="text-align:right"|[[1993年]]7月20日<br>7月21日||パ・リーグ<br>セ・リーグ||10-8<br>10-8||セ・リーグ<br>パ・リーグ||東京ドーム<br>[[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]]||清原和博<br>[[トーマス・オマリー]] |- |[[1994年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|44]]||style="text-align:right"|[[1994年]]7月19日<br>7月20日||パ・リーグ<br>セ・リーグ||8-1<br>7-3||セ・リーグ<br>パ・リーグ||西武球場<br>ナゴヤ球場||[[秋山幸二]]<br>[[グレン・ブラッグス]] |- |[[1995年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|45]]||style="text-align:right"|[[1995年]]7月25日<br>7月26日||(引き分け)<br>セ・リーグ||4-4<br>7-6||(引き分け)<br>パ・リーグ||横浜スタジアム<br>広島市民球場||落合博満<br>[[松井秀喜]] |- |[[1996年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|46]]||style="text-align:right"|[[1996年]]7月20日<br>7月21日<br>7月23日||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||7-4<br>7-3<br>4-2||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||[[福岡ドーム]]<br>東京ドーム<br>[[富山市民球場]]||山本和範<br>清原和博<br>[[金本知憲]] |- |[[1997年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|47]]||style="text-align:right"|[[1997年]]7月23日<br>7月24日||パ・リーグ<br>セ・リーグ||5-0<br>6-3||セ・リーグ<br>パ・リーグ||[[大阪ドーム]]<br>明治神宮野球場||[[松井稼頭央]]<br>清原和博 |- |[[1998年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|48]]||style="text-align:right"|[[1998年]]7月22日<br>7月23日||セ・リーグ<br>(引き分け)||4-1<br>3-3||パ・リーグ<br>(引き分け)||[[ナゴヤドーム]]<br>千葉マリンスタジアム||[[川上憲伸]]<br>松井秀喜 |- |[[1999年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|49]]||style="text-align:right"|[[1999年]]7月24日<br>7月25日<br>7月27日||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||8-4<br>9-5<br>2-1||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||西武ドーム<br>阪神甲子園球場<br>[[岡山県倉敷スポーツ公園野球場|マスカットスタジアム]]||松井秀喜<br>[[ロバート・ローズ]]<br>[[新庄剛志]] |- |[[2000年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|50]]||style="text-align:right"|[[2000年]]7月22日<br>7月23日<br>7月26日||セ・リーグ<br>セ・リーグ<br>セ・リーグ||5-4<br>12-4<br>9-3||パ・リーグ<br>パ・リーグ<br>パ・リーグ||東京ドーム<br>神戸球場<br>[[長崎県営野球場|長崎ビッグNスタジアム]]||[[ロベルト・ペタジーニ]]<br>[[山崎武司]]<br>清原和博 |- |[[2001年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|51]]||style="text-align:right"|[[2001年]]7月21日<br>7月22日<br>7月24日||パ・リーグ<br>セ・リーグ<br>パ・リーグ||7-1<br>12-6<br>8-4||セ・リーグ<br>パ・リーグ<br>セ・リーグ||福岡ドーム<br>横浜スタジアム<br>[[札幌ドーム]]||松井稼頭央<br>ロベルト・ぺタジーニ<br>[[中村紀洋]] |- |[[2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|52]]||style="text-align:right"|[[2002年]][[7月12日]]<br>7月13日||セ・リーグ<br>パ・リーグ||4-1<br>4-2||パ・リーグ<br>セ・リーグ||東京ドーム<br>[[松山中央公園野球場|松山坊っちゃんスタジアム]]||[[ジョージ・アリアス]]<br>[[的山哲也]] |- |[[2003年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|53]]||style="text-align:right"|[[2003年]][[7月15日]]<br>[[7月16日]]||(引き分け)<br>セ・リーグ||4-4<br>5-3||(引き分け)<br>パ・リーグ||大阪ドーム<br>千葉マリンスタジアム||[[高橋由伸]]<br>金本知憲 |- |[[2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|54]]||style="text-align:right"|[[2004年]][[7月10日]]<br>7月11日||パ・リーグ<br>パ・リーグ||6-3<br>2-1||セ・リーグ<br>セ・リーグ||ナゴヤドーム<br>[[長野オリンピックスタジアム]]||[[松坂大輔]]<br>SHINJO |- |[[2005年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|55]]||style="text-align:right"|[[2005年]]7月22日<br>7月23日||セ・リーグ<br>セ・リーグ||6-5<br>5-3||パ・リーグ<br>パ・リーグ||インボイスSEIBUドーム<br>阪神甲子園球場||[[金城龍彦]]<br>[[前田智徳]] |- |[[2006年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|56]]||style="text-align:right"|[[2006年]]7月21日<br>7月23日||セ・リーグ<br>セ・リーグ||3-1<br>7-4||パ・リーグ<br>パ・リーグ||明治神宮野球場<br>[[宮崎県総合運動公園硬式野球場|サンマリンスタジアム宮崎]]||[[青木宣親]]<br>[[藤本敦士]] |- |[[2007年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|57]]||style="text-align:right"|[[2007年]]7月20日<br>7月21日||セ・リーグ<br>セ・リーグ||4-0<br>11-5||パ・リーグ<br>パ・リーグ||東京ドーム<br>フルキャストスタジアム宮城||[[アレックス・ラミレス]]<br>[[阿部慎之助]]  |} == 注釈 == <references/> == 関連項目 == * [[日本野球機構]] * [[野球]] * [[フレッシュオールスターゲーム]] * [[MLBオールスターゲーム]] * [[日本選手権シリーズ]] == 外部リンク == * [http://www.npb.or.jp/allstar/index.html オールスター・ゲーム]([http://www.npb.or.jp/index.html 日本野球機構オフィシャルサイト]より) * [http://allstar.221616.com/index.html ガリバーオールスターゲーム(応援サイト)] {{オールスターゲーム (日本プロ野球)}} {{日本プロ野球}} {{DEFAULTSORT:おおるすたあけえむ}} [[Category:日本のプロ野球]] [[Category:オールスターゲーム (日本プロ野球)|*]] [[Category:7月]] <div style="margin:0.5em 0; background-color:#f6f6f6; border:1px solid #ccc; padding:3px; font-size:80%"> このページは[http://ja.wikipedia.org/wiki/ Wikipedia日本語版]由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は[http://ja.wikipedia.org/wiki/オールスターゲーム_(日本プロ野球) '''オールスターゲーム (日本プロ野球)''']にあります。執筆者のリストは[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=オールスターゲーム_(日本プロ野球)&action=history 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