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'''木村 沙織'''(きむら さおり、[[1986年]][[8月19日]] - )は、[[日本]]の女子[[バレーボール]]選手。ニックネームは'''サオリ'''。[[トルコ]]バレーボールリーグ・[[ワクフバンク・テュルクテレコム]]所属。[[マネジメント]]契約先は[[スポーツビズ]]。
 
'''木村 沙織'''(きむら さおり、[[1986年]][[8月19日]] - )は、[[日本]]の女子[[バレーボール]]選手。ニックネームは'''サオリ'''。[[トルコ]]バレーボールリーグ・[[ワクフバンク・テュルクテレコム]]所属。[[マネジメント]]契約先は[[スポーツビズ]]。
  

2020年1月8日 (水) 04:55時点における版

rxy=森谷辰也=LTA:ASPELTA:DCHANCELTA:SASHOという動かせない事実。[[Image:木村沙織1.jpg|350px|thumb|木村 沙織]] '''木村 沙織'''(きむら さおり、[[1986年]][[8月19日]] - )は、[[日本]]の女子[[バレーボール]]選手。ニックネームは'''サオリ'''。[[トルコ]]バレーボールリーグ・[[ワクフバンク・テュルクテレコム]]所属。[[マネジメント]]契約先は[[スポーツビズ]]。 == 来歴 == === 幼少期 === [[Image:木村沙織2.jpg|350px|thumb|木村 沙織]] [[埼玉県]][[八潮市]]生まれ。その後父親の仕事の都合で大阪、東京と転々とした後、[[東京都]][[あきる野市]]の多西小に通う。バレーボールをしていた両親(特に母親)の影響を受け、小学校2年生の時に秋川JVCに入団し、バレーボールを始める。秋川JVCは守備練習中心のチームで、この頃レシーブ練習を数多くこなした事が、現在のレシーブ力に生かされていると本人は言っている。チームでは主にレフトを務め、小学校6年生時には東京新聞杯で優勝している。小学校4年生の頃に「週末に思う存分友達と遊んでみたい」との理由で2週間ほどチームを辞めているが、バレーボールから離れたのはこの期間だけである。 === 中学時代 === 中学校は名門、[[下北沢成徳高等学校|成徳学園中学校]]に進学。ここで[[大山加奈]]、[[荒木絵里香]]、[[大山未希]]など、以後チームメイトとなる選手達と出会う。中学校入学時には163cmとさほど高くはなかった身長は、中学3年間で約15cmも伸びた。以後ポジションはセンターとライトを務める事が多くなり、主力選手として全日本中学校バレーボール選手権大会優勝、[[全国都道府県対抗中学バレーボール大会]](アクエリアスカップ)でJOC杯受賞。Bクイックは得意技と言えるほどに上達し、プレーに幅が出た。 中学校2年生の頃、バレー人生で初の骨折(左手中指の付け根)。全治2週間と軽度だったため大事には至らなかった。 === 高校時代 === [[2002年]]、超名門として知られる成徳学園高校(現・[[下北沢成徳高等学校]])に進学。高校2年生になるとライトで主力選手となり、[[2003年]][[全国高等学校バレーボール選抜優勝大会|春高バレー]]で優勝を収め、成徳の2連覇に貢献した。同年8月開催の[[全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会|インターハイ]]は3位に終わり連覇を逃したが、インターハイ閉幕と同時に[[バレーボール全日本女子|全日本代表]]から強化合宿に招集され、同年9月の[[バレーボールアジア選手権|アジア選手権]]に出場。当初はセッター登録であった。そして11月開催の[[2003年ワールドカップバレーボール|ワールドカップ]]に故障の[[鈴木洋美]]の代役として出場した。 12月の全国私学大会で下北沢成徳高は大会初の3連覇を達成。[[2004年]][[全国高等学校バレーボール選抜優勝大会|春高バレー]]では大会3連覇を目指し決勝に進出したが、第1セット、[[スパイク]]を決めた直後に味方選手である[[横山友美佳]]と接触し転倒、右足首を捻挫。[[応急処置]]を施したのちに足を引きずりながらプレーを続行したが、結局[[九州文化学園高等学校|九州文化学園]]に1-3で敗戦し準優勝であった。 [[2004年]][[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]最終予選で再度全日本代表に招集され、初戦の[[バレーボールイタリア女子代表|イタリア]]戦で代表初スタメン出場を果たし、14得点をマークすると共に持ち前の性格とあどけない笑顔で'''「スーパー女子高生」'''の呼び名でブレイクした。全日本女子チーム2大会ぶりのオリンピック出場に大きく貢献した。 6月にインターハイ関東予選に出場したが予選敗退。全日本[[ヨーロッパ]]合宿に招集されイタリア4ヵ国対抗戦などに出場。7月からは1ヵ月にわたるワールドグランプリに出場するも、日本は予選落ち。目立った活躍は出来なかった。 [[アテネオリンピック (2004年) におけるバレーボール競技|アテネオリンピック]]は[[8月14日]]からの開幕であったが、腰の状態は最悪で立つこともままならない状態だった(アテネで他競技のトレーナーから[[椎間板ヘルニア]]と診断された)。そのため出場機会がほとんど無いまま、初めてのオリンピックを終えた。しかし、決勝戦の[[バレーボール中華人民共和国女子代表|中国]]対[[バレーボールロシア女子代表|ロシア]]戦を会場で観戦し最高峰のプレーを目の当たりにした事で、初めてメダルへの執着心が生まれる。 オリンピック終了後、[[スリランカ]]で開催されたアジアジュニア選手権に出場。[[2004年]]12月、高校最後の大会となる全国私学大会の頃には腰痛がさらに悪化していた。決勝戦の第2セット終盤に出場するが、得点を決めることなく自身の高校バレー生活に幕を閉じた。 === 東レ時代 === [[Image:木村沙織3.jpg|350px|thumb|木村 沙織]] [[Image:木村沙織4.jpg|350px|thumb|木村 沙織]] [[2005年]]7月開催の女子ジュニア世界選手権U-20では、全試合レギュラー出場し得点王に輝き、復活を遂げる。[[9月1日]]からのアジア選手権では、当時[[セリエA (バレーボール)|イタリアリーグ]]へ派遣移籍していた[[NECレッドロケッツ]]・[[高橋みゆき]]の代役を担ってエースとして活躍した。 自身初のリーグとなった第12回Vリーグでは、開幕戦ライトでスタメン出場を果たす。この試合でのアタック決定率はチームトップの52.0%、サービスエースも2本決め、初白星に貢献。その後もレフト・ライトでスタメン出場を続け、リーグ前半のチーム快進撃の原動力となった。リーグ後半に入ると、アタック決定率は比較的安定していたが、サーブを集中して狙われ、攻撃パターンを封じられた。また腰痛の影響からかキャッチの不安定さもみられたが、アタック決定率リーグ6位、サーブ効果率リーグ9位という成績で新人賞を受賞した。 [[2006年バレーボール世界選手権|2006年世界選手権]]出場、[[2007年]][[2007年バレーボール女子アジア選手権|アジア選手権]]では日本の優勝に大きく貢献し、ベストサーバー賞を獲得。同年[[2007年ワールドカップバレーボール|ワールドカップ]]に出場した。 [[2007年]]、[[天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会]]で優勝し初代チャンピオンとなった。 [[2008年]]、 2007-08[[プレミアリーグ (バレーボール)|プレミアリーグ]]において東レのリーグ初優勝に貢献し、ベスト6賞を獲得した。同年8月、[[北京オリンピックにおけるバレーボール競技|北京オリンピック]]に出場した。 [[2009年]]、 2008-09プレミアリーグにおいて女子史上初の二連覇に貢献し、前年に引き続きベスト6賞を獲得した(日本人ベストスコアラー)。同年5月、第58回[[黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会]]で優勝し、自身初となる黒鷲賞(最高殊勲選手)とベスト6賞を獲得した。 妹・[[木村美里]]も2010年より同チームに所属している。 [[2010年]]、 2009-10プレミアリーグにおいて女子史上初の三連覇に貢献し、自身初のMVPに輝くとともに、3年連続ベスト6賞を獲得した。また、[[熊前知加子]]の持つ最多得点部門の記録を塗り替え、レギュラーラウンドで合計566点(アタック496点、ブロック43点、サーブ27点)を記録し、Vリーグ日本記録賞(最多得点部門)を受賞した。同年5月、第59回[[黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会]]で優勝し、2年連続となる黒鷲賞とベスト6賞を獲得した。決勝のJT戦では、3セット目に一人で14点を稼ぐ大活躍を見せた。 ワールドグランプリ2010では、故障明けの[[栗原恵]]が不参加だったため、臨時で副キャプテンを務めた。攻守の中心となりチームを引っ張り、予選ラウンドでは165得点、決勝ラウンドでは105得点を挙げ、予選・決勝ともにベストスコアラーに輝いた。チームはイタリアに2度勝利したり、9年ぶりにブラジルに勝利するなど大健闘したが、最終順位は5位に終わった。同年11月開催の[[バレーボール世界選手権|世界選手権]]では、32年ぶりの銅メダル獲得に大きく貢献した。エースとしてほぼフル出場し、ベストスコアラーランキングではトルコの[[ネスリハン・ダルネル|ネスリハン]]に次ぐ第2位で、アタック本数、サーブ受数、サーブ本数においては全選手の中で一番の数字であった。 [[2011年]][[11月2日]]、[[日本文化出版]]から自身初めてとなるフォト&エッセイ「Saori」が発売された。[http://www.getsuvolley.net/e/hotnews/38db3aed920cf82ab059bfccbd02be6a.html] 発売を記念して編集担当者が管理するtwitter(木村沙織フォト&エッセイ『Saori』)が期間限定で更新された。[https://twitter.com/#!/photoessaysaori]木村本人がつぶやくことはなかったが、制作時の裏話や彼女の近況などを編集者を通して伺い知る事が出来た。また、その中で木村本人への質問を募り、バレーボール専門誌[[月刊バレーボール]]誌上で回答を行うという企画が行われた。 [[2011年ワールドカップバレーボール|ワールドカップ2011]]では早いトスに挑戦した(ワールドカップ時は本来のトスに戻した)影響や、直前の中心メンバーの離脱などもあり、チームも彼女自身も序盤は調子が上がらなかった。若手の台頭などがあり徐々にチームが固まっていき、最終的には当時、世界ランキング1位のブラジルや2位のアメリカをストレートで破るなど、怒涛の巻き返しをみせ、5連勝で大会を締めくくった。しかし惜しくも最終順位は4位となり、上位3チームまでに与えられるロンドン五輪出場権獲得にはあと一歩届かなかった。彼女自身も序盤こそ苦しんだものの、その後は安定した活躍をみせ、最終的にはベストスコアラー第4位、ベストアタッカー第5位、ベストブロッカー第13位、ベストサーバー第11位、ベストレシーバー第3位、ベストディガー第10位という攻守にバランスの取れた個人成績を残した。特にベストレシーバーとベストディガー部門においては守備専門選手のリベロを除くと共に最上位であり、彼女の守備能力の高さを証明する結果となった。 [[2012年]]、 2011-12プレミアリーグにおいて、東レアローズ4度目の優勝に貢献した。決勝戦では両チーム最多の20得点をあげ、5年連続のベスト6賞を受賞した。 シーズン途中の2レグ終盤、チームでの練習中に足首を捻挫し、全治3週間という診断を受けた。2012年2月11日、12日に行われた岐阜大会ではチームに帯同はせず、翌週の山形大会からベンチ復帰した(試合には出場しなかった)。実質的な復帰戦であった2月25日の岡山シーガルズ戦では絶不調でアタックで2得点しかあげる事が出来ず、2セット目の途中で交代を余儀なくされた。チームメイトのセッター[[中道瞳]]によると、翌日の朝練習で木村は非常にピリピリとした雰囲気で一言も口を利かなかったという。こんなことは初めてで、[[中道瞳|中道]]はその日の試合(2月26日久光製薬戦)で出来るだけ彼女にトスを上げることを心がけたという。故障開けにもかかわらず彼女は試合にフルセットフル出場し、チーム最多の24得点をあげ、チームは勝利を収めた。 2012年6月、[[ロンドンオリンピック (2012年) におけるバレーボール競技|ロンドンオリンピック]]の代表メンバーに選出された。準々決勝の対中国戦では[[江畑幸子]]と共にチーム最多の33得点を叩き出す活躍で、これまでの五輪で1セットも取る事が出来なかった相手にフルセットの激戦の末勝利を収めた。[[ロンドンオリンピック (2012年) におけるバレーボール競技・女子3位決定戦|3位決定戦]]で韓国をストレートで破り、日本女子バレボール代表28年ぶりの銅メダル獲得の立役者となった。中心選手として全試合にフル出場し、北京オリンピックに引き続き日本人ベストスコアラーとなった。全体でもベストスコアラー部門3位にランクインし、ベストスパイカー12位、ベストレシーバー12位、ベストディガー部門で8位だった。 === ワクフバンク・テュルクテレコムへの移籍 === [[Image:木村沙織5.jpg|350px|thumb|木村 沙織]] 2012年7月10日、ロンドンオリンピック終了後の2012年 - 2013年シーズンより[[トルコ女子バレーボールリーグ|トルコリーグ]]のワクフバンク・テュルクテレコムへ移籍することが発表された。年俸は1億円。 同年8月16日、[[スポーツビズ]]とマネジメント契約を締結。9月7日に成田空港からトルコへ向け出発した。空港では記者会見を行い「いろんな面で成長できるように頑張りたい」と抱負を述べた。同日、トルコに行っている期間だけ更新するという『木村沙織オフィシャルブログ「木村沙織のトルコ奮闘記」[http://ameblo.jp/k-saori819/]』を[[アメーバブログ]]にて開始。10日にはイスタンブールでの入団会見に出席し、新チームでの抱負を述べた。また、本人の希望で決まったという背番号「18」のユニフォーム姿も初披露した。9月末を持って東レ株式会社を退社(東レアローズを退団)した。 2013年1月31日、寝具メーカーである[[西川産業|東京西川]]とスポンサー契約を締結したことが発表された。3月12日には[[トルコ航空]]とオフィシャル・エアライン・パートナー契約を締結したことが発表された。 2013年3月、[[欧州チャンピオンズリーグ]]において優勝を果たした。予選ラウンドではスタメンで起用されることが多かったが、主にスパイク面で苦労し、PLAYOFF12以降はピンチサーバーからの守備固めで起用される事が多くなった。決勝の[[ラビタ・バクー]]戦では3セット全てで途中出場し、サーブや後衛でのサーブレシーブで貢献した。決勝戦後には「絶対勝ちたいと思って臨んだので、優勝して本当によかった。すごくラッキーだなと思います。サーブで攻めて流れをいい方に変えるなど、(チームの)いいリズムをキープするのが一番の役割だと思っていた。」と語った。指揮官である[[ジョバンニ・グイデッティ]]監督からは「ほぼ完璧」と賞賛された。 準決勝では[[佐野優子]]の移籍先である[[ガラタサライ女子バレーボールチーム|ガラタサライ・ダイキン]]と対戦し、史上初となるFINAL4での日本人対決が実現した。その準決勝と決勝戦の模様は[[BSフジ]]にて生中継された。ワクフバンクはトルコカップ、トルコリーグも制覇し、公式戦無傷の47連勝で3冠を達成し、最高の形でこのシーズンを終えた。 2013年5月13日、[[眞鍋政義]][[バレーボール全日本女子|全日本女子]]監督に指名され、2013年度の全日本キャプテンに就任。2012/13シーズン限りで現役引退を決めていたが、眞鍋から熱心に勧誘され翻意したことを公表した。 == 演じた女優 == * [[相武紗季]] - [[2010年]][[10月25日]]、[[TBSテレビ|TBS]]系列で、親友だった[[横山友美佳]]の著書を原作としたドラマ「[[明日もまた生きていこう]]」が放送された(木村を[[相武紗季]]が、横山を[[比嘉愛未]]が演じた)。 == 発言・エピソード == [[Image:木村沙織6.jpg|350px|thumb|木村 沙織]] * 「'''[[菅山かおる|姫様]]、直球だから'''」(2005 月刊バレーボールのインタビューで、[[菅山かおる]]に「サオリの声ってオカマみたいだね」と言われたエピソードを語った際) * 「'''う~ん……、忘れました'''」(2006 TBS『ニッポンチャ×3』で。柳本監督に言われた思い出の一言をいつ頃言われたかを聞かれて) * 「'''沙織から出てる……'''」(2006 TBS『J SPORTS』で。高橋みゆきに「(部屋が)いいにおいがするね。なんで?」と聞かれて。その後、高橋に「フェロモン?」と返され胸の匂いをかがれる) * 「'''△です'''」(2006 ワールドグランプリ・ポーランド戦後のインタビューで、インタビュアーから自身の今日の点数を聞かれ、「えぇぇ、点数は…難しい…」と言った後に) *「'''アラキング'''」(2007年のジャンクスポーツにて2つ上の先輩、[[荒木絵里香]]に対してそう呼んでいる) * [[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]開会式では、入場行進で全日本女子チームが日本選手団の先頭を陣取り、チームメイトと談笑する姿がたびたび映し出された。その中には[[福原愛]]と一緒に写真を撮るシーンもあった。 * [[2005年]][[3月14日]]放送の[[関口宏の東京フレンドパークII]]([[TBSテレビ|TBS]]系)では、一般観覧席最上部で下北沢成徳高校のチームメイトらと座っている姿が見られた。 * 「'''もともとこんな声なんですけど'''」( [[2010年]][[3月7日]][[Vプレミアリーグ]][[久光製薬スプリングス]]戦のインタビューで、「声がかすれているがゲーム中に大きな声を出したからか?」とふられての一言) * 「'''MVPとV6(ブイシックス)を・・・あれ?'''」(2009/10シーズンVプレミアリーグ3連覇の祝勝会で「○○を受賞した(名前)です」という感じの自己紹介で) * 2009/10シーズンのVプレミアリーグでは連覇した前2シーズンとは違い、外国人選手がチームにフィットしなかったため、攻守両面にわたり木村にかかる負担が増えた。プレッシャーから寝つきが悪くなったり食事が喉を通らない事もあり、体重は昨年から5kg減った。決勝会場のある東京までの移動中、夢の中には対戦相手であるJTのエース、[[キム・ヨンギョン]]が出てきた。寝ながら、思わずレシーブの手を出して、隣に座っていた[[宮田由佳里]]を驚かせた。「ごめん、ヨンギョンのスパイクが夢に出てきちゃって」「サオリさん、(レシーブ)上がりました?」「うん、上がった。もうバッチリ」。寝ても覚めてもバレーのことばかり考えていた。こんなことは、初めてだったという。 * 「'''チームのたいしゅうせい…いや、集大成になるので悔いのないように'''」 ([[2012年]][[4月5日]]ロンドン五輪世界最終予選兼アジア予選の記者会見で) * 「'''えっと1カ月。あ、間違えた、1時間です'''」( [[2012年]][[7月8日]]ロンドン五輪壮行会でストレス解消法を問われ、「長風呂が好きです」と答えた後入浴時間を問われ) * 「'''私、泳げないんです。([[下北沢成徳高等学校|成徳学園中学校]]には)プールがなかったから決めました。'''」( [[2012年]][[9月23日]] [[BS日本|BS日テレ]]の「アスリートの輝石」より) * 単独から複数のものまで含め、[[バレーボール]]専門誌「[[月刊バレーボール]]」の表紙を14ヶ月連続で飾った。2011年09月号から2012年10月号までで、1人の選手が1年以上に渡り表紙に登場し続けたのは極めて異例なことである。 時差ぼけしたことがある。 このことは2013年 11月7日のスッキリで語っており このことがクイズにされた == 球歴 == [[Image:木村沙織7.jpg|350px|thumb|木村 沙織]] * 所属チーム履歴 : 多西小(秋川JVC)→成徳学園中→[[下北沢成徳高等学校]]→[[東レ・アローズ (女子バレーボール)|東レ・アローズ]](2005年 - 2012年)→[[ワクフバンク・テュルクテレコム]](2012年 - ) * [[バレーボール全日本女子|全日本代表]] - 2003年- * 全日本代表としての主な国際大会出場歴 ** [[オリンピックバレーボール競技|オリンピック]] - 2004年、2008年、2012年 ** [[バレーボール世界選手権|世界選手権]] - 2006、2010年 ** [[バレーボールワールドカップ|ワールドカップ]] - 2003年、2007年、2011年 * 受賞歴 ** [[2005年]] - 第13回世界ジュニア女子(U-20)選手権大会 ベストスコアラー賞 ** [[2006年]] - 第12回[[Vリーグ]] 新人賞 ** [[2007年]] - [[2007年バレーボール女子アジア選手権|アジア選手権]] ベストサーバー賞 ** [[2008年]] - 2007/08[[Vプレミアリーグ]] ベスト6 ** [[2009年]] - 2008/09[[Vプレミアリーグ]] ベスト6 ** 2009年 - [[日韓Vリーグトップマッチ]] MIP ** 2009年 - 第58回[[黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会]] 黒鷲賞(最高殊勲選手)、ベスト6 ** 2009年 - [[2009年バレーボール女子アジア選手権|アジア選手権]] ベストサーバー賞 ** [[2010年]] - 2009/10[[Vプレミアリーグ]] MVP(最高殊勲選手)、ベスト6、Vリーグ日本記録賞(最多得点部門) ** 2010年 - [[日韓Vリーグトップマッチ]] MVP ** 2010年 - 第59回[[黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会]] 黒鷲賞(最高殊勲選手)、ベスト6 ** 2010年 - トリノ国際大会 MVP、ベストサーバー賞 ** 2010年 - ワールドグランプリ2010 ベストスコアラー ** [[2011年]] - 2010/11 Vプレミアリーグ 敢闘賞、ベスト6 ** 2011年 - 第60回黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会 ベスト6 ** 2012年 - 2011/12 プレミアリーグ ベスト6 == アドバイザリースタッフ契約先 == * [[ミズノ]] == 広告出演 == * [[京阪電気鉄道|京阪電鉄]] 京阪マナーポスター 「ファインプレー宣言」(2007年) * [[ゼビオ]] 女子部活動応援サポーター(2013年) == メディア出演等 == [[Image:木村沙織8.jpg|350px|thumb|木村 沙織]] * [[バース・デイ]] (2011年7月23日、2012年11月17日 [[TBSテレビ|TBS]]) * [[情熱大陸]] (2011年11月20日、2012年5月27日 [[MBSテレビ|MBS]]制作・[[Japan News Network|TBS系列]]) * [[アスリートのチカラ〜one secret piece〜]] (2012年12月23日 [[BSフジ]]) * [[アスリートの魂]] (2012年4月9日 NHK-BS1、総合) * [[裸のアスリート〜ROAD TO LONDON〜]] (2012年5月15日 [[BS-TBS]])  * [[はなまるマーケット]] (2012年9月4日 TBS系列) * [[関根勤のスポパラ]] (2012年9月9日、2012年9月23日 [[文化放送]]) * [[アスリートの輝石]] (2012年9月23日 [[BS日本|BS日テレ]]) * [[BS民放5局共同特別番組『STEP FORWARD 〜前進、その先へ〜』]] (2012年12月29日、2013年1月5日、2013年1月14日 BS日テレ、[[ビーエス朝日|BS朝日]]、BS-TBS) * [[グラジオラスの轍]] (2013年1月28日 [[フジネットワーク|フジテレビ系列]]) * [[スポーツドキュメント 英雄たちの決断]] (2013年2月5日 BS-TBS) スッキリ、(2013年11月7日。VTR出演) エヴリィ (2013年11月8日。VTR出演 日本テレビ) 目覚まし。(2014年8月20日。VTR。フジテレビ)じゃんけんに出演 == 著書 == [[Image:木村沙織9.jpg|350px|thumb|木村 沙織]] * Saori―木村沙織フォト&エッセイ [[日本文化出版]]、[[2011年]]。 ISBN 978-4890841950 == 関連項目 == * [[横山友美佳]](下北沢成徳の1学年後輩) * [[佐田樹理]](木村沙織のサイン字体を考案) == 外部リンク == * [http://jp.volley24.com/volleyball-women/player-jw/volley/kimura////1/5.html プレーヤーのプロフィール - JP.Volley24.com] * [http://www.vleague.or.jp/team_player_detail/id=35906 Vリーグ 公式プロフィール] * [http://www.sports-biz.co.jp/athlete/index.cgi?actmode=AthleteDetail&id=91 スポーツビズ 木村沙織公式プロフィール] * [http://ameblo.jp/k-saori819/ 木村沙織 オフィシャルブログ 「木村沙織のトルコ奮闘記」] Powered by [[アメーバブログ|Ameba]](2012年9月7日 - ) == 木村沙織の画像 == <gallery caption="木村 沙織" widths="300px" heights="400px" perrow="3"> Image:木村沙織10.jpg Image:木村沙織11.jpg Image:木村沙織12.jpg Image:木村沙織13.jpg Image:木村沙織14.jpg Image:木村沙織15.jpg Image:木村沙織16.jpg Image:木村沙織17.jpg Image:木村沙織18.jpg Image:木村沙織19.jpg Image:木村沙織20.jpg Image:木村沙織21.jpg Image:木村沙織22.jpg Image:木村沙織23.jpg Image:木村沙織24.jpg Image:木村沙織25.jpg Image:木村沙織26.jpg </gallery> {{デフォルトソート:きむら さおり}} [[Category:日本の女子バレーボール選手]] [[Category:全日本女子バレーボール選手]] [[Category:オリンピックバレーボール女子日本代表選手]] [[Category:日本のオリンピック銅メダリスト]] [[Category:東レ・アローズ (女子)の選手]] [[Category:埼玉県出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1986年生]] [[Category:巨乳]] [[Category:画像が多い記事]]