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'''株式会社ユニクロ'''(英:''UNIQLO CO., LTD'')は、「'''UNIQLO(ユニクロ)'''」の店・ブランド名で、実用(カジュアル)[[衣料品]]の生産販売を一括して展開する[[日本]]の[[会社]]である。
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<nowiki>'''株式会社ユニクロ'''(英:''UNIQLO CO., LTD'')は、「'''UNIQLO(ユニクロ)'''」の店・ブランド名で、実用(カジュアル)[[衣料品]]の生産販売を一括して展開する[[日本]]の[[会社]]である。
  
 
登記上の本店を[[山口県]][[山口市]]佐山に、実質的本社となる東京本部を[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]([[ミッドタウン・タワー]])に置いている。[[ファーストリテイリング]]の完全子会社。
 
登記上の本店を[[山口県]][[山口市]]佐山に、実質的本社となる東京本部を[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]([[ミッドタウン・タワー]])に置いている。[[ファーストリテイリング]]の完全子会社。

2020年1月8日 (水) 03:55時点における版

'''株式会社ユニクロ'''(英:''UNIQLO CO., LTD'')は、「'''UNIQLO(ユニクロ)'''」の店・ブランド名で、実用(カジュアル)[[衣料品]]の生産販売を一括して展開する[[日本]]の[[会社]]である。 登記上の本店を[[山口県]][[山口市]]佐山に、実質的本社となる東京本部を[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]([[ミッドタウン・タワー]])に置いている。[[ファーストリテイリング]]の完全子会社。 == ユニクロ社員が不幸になる”合理的な”理由 == ユニクロ社員が不幸になる”合理的な”理由グローバルカンパニーとして高成長を続けてきたファーストリテイリング。だが一方で、そのひずみは確実に現れてきている。3年以内5割の新卒社員が辞めていく高い離職率、慢性化するサービス残業、深刻化する[[うつ病]]罹患……。 全国各地のユニクロ店舗で忙しそうに働いているスタッフたち。あの人たちは幸福なのか。これからも幸せな職業生活が送れるのだろうか。 === 辞める時に「どんな顔をしている」か? === 辞めること自体に問題があるのではない。近年の日本は転職市場も発達している。次の職場で活躍すればいいのだ。だからこそ、辞めるときに「どんな顔をしているのか」が重要だと思う。 うつ気味になって暗い顔で退職していく社員が、ユニクロには多すぎる。彼らが他人と一緒に働く自信を取り戻すのには、長い歳月が必要になるだろう。僕は結局、独りきりで働く道を選んだ。 大げさだと言うならば、退職して数年以内に別の会社で生き生きと働いているユニクロ卒業生を挙げてみてほしい。あなたの周りに、例えば学生時代の知り合いに、一人でもいるだろうか。意気揚々とユニクロに入社したはずなのに、退職後は音信不通になってしまう人が少なくないはずだ。いったいなぜなのか。 ユニクロ社員の8割が不幸になってしまうのは、むしろ合理的すぎることに起因していると感じている。 柳井社長が時折ブチ上げる途方もない必達目標(2020年の売上高5兆円!など)は別として、ユニクロは「完全実力主義」の人事方針に恥じない徹底した合理主義で貫かれている。商品の生産から販売スタッフの採用まで、すべてが理路整然としているのだ。 過去の失敗や成功はほとんど問われず、つねに4半期ごとの業績で評価される。SKIP事業を撤退した後にジーユー事業で復活した柚木治社長の例もある。逆に、どのような役職にあっても、業績を上げ続けなければ店舗勤務の平社員に降格されかねない。年齢や経歴は関係ない。 もちろん、平社員にも甘さはない。配属先の店舗でスタッフを適切に導いて売り場を切り盛りすることができなければ、「なぜできないのか、いつまでにどうやって改善するのか」という厳しい追及の対象になり続ける。そして、自信と気力を少しずつ失っていく。 === ユニクロはプロスポーツチームのような会社? === 常に結果を求められるプロスポーツチームのような会社なのだ。離職率の高さで言えば、[[外資系]]の[[金融機関]]や[[コンサルティングファーム]]と似ているかもしれない。アジア諸国のグローバル企業も同じようなものだ、という声もある。ただし、ユニクロに新卒入社する場合は、「20代で自信喪失して退職する」リスクを背負う割には、給与面でもキャリア面でも見合ったリターンは得られない。 高給やキャリアアップは期待できなくてもいい。信頼し支え合える仲間たちと一緒に安心して働き続けられる職場ならば、人は幸せを感じることができる。しかし、ユニクロ社員にはそれすら許されていない。 新卒入社した若者の8割を「排出」しながら高い利益水準と急成長を維持するユニクロ。 「最初から『完全実力主義です』と謳っているんだから、実力のない人が退職するは当たり前でしょう。辞めたければ辞めればいい。私は(ユニクロを)辞めたいと思ったことはまだないけれど、辞めたくなったらすぐ辞めますし、仕事ができない同僚にはすごく腹が立ちます。『早く辞めろ!』と内心では思っています。そういう人に限って、なかなか辞めないんですけどね。会社は家族じゃない。仕事なんだから、結果を出さないとお金をもらう資格はありません。私は仕事だと割り切っています。だから、結果が出なければ徹夜してでもやり遂げます」 なお、この社員は「プライベートではユニクロ服は着たくない」と別の国内ブランドの洋服で全身を固めていた。 あなたはこの会社で働きたいだろうか。自分の子どもを入社させたいだろうか。もし入るならば、「幸せな2割」になり続けることを祈るばかりだ。 == ユニクロ休職者の42%が精神疾患 == [[日本共産党]]の[[山下芳生]]議員は2013年[[5月14日]]の[[参院予算委員会]]で、新卒社員の「使い捨て」を繰り返す悪質な「ブラック企業」の実態を示し政府に本腰を入れた対策を求めた。 山下氏は、ブラック企業が有名企業にまで広がっていると強調。新卒の若者を大量採用、長時間・過密労働、パワハラなどで駆り立て、精神的にも追い詰めて大量退職に追い込むやり口を、大手衣料品販売店「ユニクロ」を例に告発した。 ユニクロは入社後3年以内に50%以上が離職、休職者の42%がうつ病などの精神疾患と報じられている。山下氏は、20歳代の社員が半年で店長となって目標達成からアルバイト管理まで過酷な労働を強いられ、3カ月でうつ病になり、退職に追い込まれた実態を紹介。離職率の高い企業名を公表することや採用募集時に離職率の明示義務付けを行うよう求めた。 [[安倍晋三]]首相は「採用した以上、経営者も責任をもって育てていく姿勢が求められる」と答弁。「若者がさまざまな情報を取得して、参考にしながら就職できるよう研究したい」と述べた。 山下氏は、ブラック企業が広がる土壌には、労働法制の規制緩和で非正規雇用が広がり、“代わりはいくらでもいる”といって正社員を目指す過酷な競争に駆り立てる仕組みがあると指摘。そのうえ安倍内閣は、解雇を自由化し、残業代ゼロで長時間労働を野放しにし、非正規雇用を増大させる新たな労働規制の緩和を検討しており、「『ブラック企業』根絶どころか逆に拡大する」と批判した。 安倍首相は「企業が生き残る中で、なんとか雇用を確保していきたいと考えている」などと答弁。山下氏は「企業の目先の利益のために若者を使いつぶすことを許す社会に未来はない。労働の規制緩和は中止すべきだ」と主張した。 == ユニクロ・疲弊する職場。サービス残業が常態化、うつ病の罹患率も高い、新卒社員の3年内離職率は実に5割前後 == 「ユニクロの服を着ている人はスタンドアップ。こういう人が、選考の第1候補だ」 [[2013年]][[2月8日]]、東京・[[六本木]]の[[ミッドタウン・タワー]]。カジュアル衣料大手のユニクロやジーユーを傘下に持つファーストリテイリングの東京本部で、 新卒採用イベント「ユニクロ・ジーユー希望塾」が開かれた。同社の[[柳井正]]会長兼社長が開口一番こう語りかけると、 800人弱の学生たちで埋め尽くされた会場は、どっと沸いた。 「世界一へ。グローバルリーダー募集」と大書された採用パンフレットには、多くの社員たちの笑顔が並ぶ。 「入社1年半で[[フランス]]に赴任」「[[バングラデシュ]]でソーシャルビジネスを起業」といった内容に、学生たちは目を輝かす。 だがこの日のイベントでも、採用パンフレットでも、決して明かされなかった事実がある。 この数年間、ユニクロの新卒社員の3年内離職率は実に5割前後で推移している。数百人単位で新卒社員を採用する大企業としては、極めて異例の高水準だ。日本を代表する急成長企業の裏側で、いったい何が起きているのか。 「日曜日は毎週徹夜でしたね。店を閉めてから、朝までレイアウトの作業計画を作っていました」。 元社員(20代女性、以下Aさん)は話す。別の元社員(20代女性、以下Bさん)も言う。 「とにかくマニュアルを覚えることと、大量の業務に追われていた。ひたすら品出し(陳列作業)と商品整理の毎日だった」。 ユニクロは多くのアパレルとは異なり、在庫があるかぎり、商品は全色・全サイズを店頭に並べている。そのため、「店舗での作業量はほかのアパレルとはまったく異なる多さ」と、元店長(20代男性、以下Cさん)は断言する。 「ユニクロ一色の生活だった」。Bさんは当時を振り返る。 その実情は、「長いときは、開店から閉店業務までずっと店舗にいる。それは正社員ならザラですね」(Bさん)。「最初に配属された大型店のときはそうでもなかったが、社員数の少ない小型店では、毎日14時間拘束が普通だった」(Aさん)。 同社は現在、社員の月間労働時間を最長240時間と定めている。これは月80時間程度の残業を前提にした数字だ。「上限240時間」は、繁忙期だろうと新店オープンだろうと絶対破ってはならない「鉄の掟」とされている。 社員の間でも、もしこの上限を超過したら出勤停止処分となり、厳しく指導されると認識されている。現役店長のDさんは、昨年の12月、1日12時間で23日間勤務し、276時間ほど働いたという。 Dさんは、「そのまま報告すれば、出勤停止となり降格処分も受けかねないので、240時間内で打刻している。残りはサービス残業だ」と打ち明ける。 ユニクロが文芸春秋との訴訟で裁判所に提出した、2010年11月の全店長の月間労働時間一覧によれば、新人店長の労働時間は、ほぼ240時間の上限ギリギリだ。 240時間以内で業務が終わらない場合、処分を回避するためには、必然的にDさんのように、サービス残業でこなすしかない。 ただ同社では、サービス残業も厳しく禁じられている。サービス残業が発覚した場合には、降格、店長資格剥奪など人事による懲戒処分が行われる。 実際、長期間にわたりサービス残業を強要・黙認していた店長には退職勧奨が行われた。 仕事は多いが、残業には上限がある。こうした矛盾を一身に背負うのが店長だ。 同社は店長を「独立自尊の商売人」であるとして、労働時間管理を不要とする労働基準法上の「管理監督者」として一律に扱っている。そのため、そもそも店長にはサービス残業うんぬん以前に、'''残業代そのものがいっさい支払われていない'''。 だが店長の役割を見ると、いわゆる「名ばかり管理職」である疑いが消せない。 同社が示す店長の「月次・週次モデルスケジュール」によれば、店長が責任を負う「管理業務」は週60時間超が課されている。会社は、部下やスタッフ(準社員やパート、アルバイト)への権限委譲を進めれば十分こなせる水準だというが、そもそも小型店だと、「管理業務を行える部下がおらず、委譲しようにもできない」(Cさん)。 さらに店長の仕事のうち、モデルスケジュールの示す管理業務はほんの一部だ。Cさんは「管理業務と現場業務の比率は大体4対6で、現場業務のほうが大きい」と語る。 == 沿革 == === 開店 === [[1984年]][[6月2日]]、それまで山口県[[宇部市]]で「メンズショップOS」([[1992年]]4月までに全店閉店またはユニクロに改装)の名称で男性向け衣料品を取り扱っていた'''小郡商事'''が、[[広島市]][[中区 (広島市)|中区]][[袋町 (広島市中区)|袋町]]に[[ユニセックス]]カジュアル衣料品店「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)を開いたのが始まり。なお、この1号店は現存しない。 ユニクロの呼称はこの店舗名の略称が元になっているが、当初略称の英文綴りはそのまま「UNI-'''C'''LO」であった。[[1988年]]、[[香港]]に現地法人を設立した際、会社[[登記]]の書類に略称の「UNI-CLO」を書き間違えて「UNI-'''Q'''LO」と記入して登録してしまったことがきっかけで、そのまま英文綴りを「UNI-QLO」に変更した商標が採用されることとなった。また、包装紙やテープ等に「U296」と表記をしている時期もあった。 広島への開店当初は地元(広島県[[福山市]])出身の[[小林克也]]を起用し、広島ローカルで[[コマーシャルメッセージ|CM]]を打った。開店以来、ワインレッドをシンボルカラーとした白抜きの[[ロゴタイプ]]を用いているが、かつてはこれと別に手を繋いだ男女のシルエットを[[モチーフ]]とした[[シンボルマーク]]が存在した。[[1991年]]9月、社名をファーストリテイリングに変更。 === 利益拡大と海外進出 === 元々は、[[ナショナルブランド]]衣料品の小売店であった。アメリカン・スタイルの倉庫風の建物内にクラシックな映画ポスターや有名スターの[[人物写真|ポートレイト]]を展示した特徴的な店舗(右記写真の店舗例2の姪浜店参照)を全国に展開し、またいち早く[[中華人民共和国|中国]]に優良な工場を持ち、低価格で調達するモデルを構築。その点では、メジャーになる前から業界筋の間で知られていた。 [[1997年]]頃から、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の衣料品小売店、[[ギャップ (企業)|GAP]](ギャップ)をモデルとした[[製造小売業|製造型小売業 (SPA)]]への事業転換を進め、経済の状況にマッチした低価格・高品質商品の展開、また[[広告代理店]]と提携、クリエイティブディレクターに[[タナカノリユキ]]を招き明確なメッセージを発信したPRなど、戦略を次々と刷新。そして[[1998年]]、2 - 3万枚売ればヒットと言われる[[フリース]]を目標200万枚、[[1999年]]には850万枚でいずれも完売。[[2000年]]秋冬にはCMモデルに[[松任谷由実]]らを起用し51色に展開、2,600万枚という驚異的セールスを樹立した。この現象は「[[フリース]]旋風」と評され、衣料品流通業の[[革命]]を席巻し社会現象を起こす。[[2001年]]8月期には売上、経常利益ともピークに達し、[[イギリス]]へ進出した。 === 業績の低迷、買収による業績回復 === [[2002年]]頃から日本では在庫が急増、英国での業績も振るわず2002年、[[2003年]]8月期と利益が大きく落ちこむ。その後、「theory([[セオリー (ファッションブランド)|セオリー]])」、「[[ナショナルスタンダード]]」といった国内外の[[ブランド]]の買収、[[ファッション雑誌]]との共同企画(コラボレーション)商品の開発、[[藤原紀香]]など有名[[タレント]]の起用、外部[[デザイナー]]などとの提携などの[[テコ入れ]]が行われ、[[2004年]]度には業績が上向いた(現在、[[ロンドン]]支店の業績は黒字に転じている)。[[東アジア]]では、2002年9月に中国[[上海市]]に出店し、[[2005年]]9月には[[香港]]に、そして[[ロッテ]]との[[合弁事業|合弁]]で[[大韓民国|韓国]][[ソウル特別市|ソウル市]]にも出店した。 2005年には雑誌「relax」([[マガジンハウス]])との共同で、東京・北青山に期間限定の「セレクロ」([[セレクトショップ]]あるいは[[セレブリティ|セレブ]]の位置付け)が開設された。また、大阪[[心斎橋]]に平均価格帯を引き上げた「ユニクロプラス」も開店したが、その後プラスの名称をはずし、現在は銀座店を中心に7店舗の大型店を運営。[[2006年]]11月には、[[ニューヨーク]]の[[ソーホー (ニューヨーク)|ソーホー]]にグローバル旗艦店を出店する他、[[上海市|上海]]にもアジア旗艦店を出店し、世界進出を加速する(後述)。 2005年11月に、ファーストリテイリングは衣料品の製造・小売に関する営業を[[会社分割|会社分割(吸収分割)]]により[[ゴルフ]]練習場を経営していた完全[[子会社]]のサンロード株式会社(当社)に承継させ、[[持株会社]]制に移行した。同日、サンロードは社名をユニクロに変更した。 === 現在の展開状況 === 2010年5月末現在、日本国内で約809店舗、海外で約135店舗、合計944店舗を展開している(海外店舗は、現地法人による運営)。日本国内では郊外型店舗やビルテナントとしての出店の他、1,000坪クラスの超大型店舗やユニクロを核としたショッピングセンター「[[ミーナ (商業施設)|ミーナ]]」などを展開している。 2006年11月のニューヨーク旗艦店オープンの際、店舗のクリエイティブディレクションを担当した[[佐藤可士和]]により、ユニクロの新たなロゴデザインが作成されている。新ロゴは英語表記とカタカナ表記によるもので、従来のワインレッドから赤を基調としたものとなり、2006年以降海外の新店舗を中心に展開、国内では2009年頃からCMや広告、新規店舗・リニューアル店舗でのロゴ表記などに用いられている(従前からの店舗には、引き続き以前のデザインを使用している)。 海外出店は2001年のイギリスから始まり、海外でユニクロを出店している国・地域は[[中華人民共和国|中国]]、[[香港]]、[[大韓民国|韓国]]、[[シンガポール]]、[[イギリス]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[フランス]]、[[ロシア]]、[[マレーシア]]と[[中華民国|台湾]]となっており、グローバル化を一段と加速させている。海外ユニクロ事業は、2006年においては香港を除きほとんど赤字であったが、2008年8月期から黒字化し、2010年8月期の売上高は前年比倍増の730億円、営業利益は前年比4倍の65億円を見込んでいる。会社組織としてもグローバル化を進めており、社内公用語(母語が異なる人が対象の資料や会議)を英語とすることとして、本社社員と店長の約3000人に対して業務として「[[国際コミュニケーション英語能力テスト|TOEIC]]700点以上」を義務付けしているほか、日本人以外の採用にも積極的である。 日本国内では、2007年[[4月28日]]にはユニクロ原宿店を改装し、T-シャツ専門店「UT STORE HARAJUKU.」を新たにオープンさせた(2012年に銀座店に統合)。2009年[[3月9日]]には春のパーカキャンペーンに合わせて、グラフィティマガジンズの雑誌「[[東京グラフィティ]]」とのコラボレーション雑誌「TOKYO FASHION MAP with UNIQLO」を全国で発売した。 2010年7月、バングラデシュの[[グラミン銀行]]と10月に同国で合弁会社を設立すると発表した。合弁会社「グラミン ユニクロ」をバングラデシュの首都ダッカに設立し、3年後に2,000人の雇用を目指すという。 今後は、2020年までに国内の店舗を1,000店体制に拡大する予定であり、このうち売り場面積約3,300m²級の「超大型店」を[[札幌市]]、[[仙台市]]、[[名古屋市]]、[[広島市]]、[[北九州市]]、[[福岡市]]、[[熊本市]]、[[鹿児島市]]の主要8都市にて新たに開業する方針を示している。 === グローバル旗艦店 === グローバル旗艦店は、ユニクロにおいて最高水準の商品・ビジュアルマーチャンダイジング (VMD)・サービスなどを意識した、世界的情報発信の拠点となる大型店舗であり、2006年に[[ニューヨーク]]に「ソーホー ニューヨーク店」を開店して以降、ヨーロッパ・アジアの各地に展開している。2010年10月には、「世界に向けた店舗デザインやレイアウト」を特長とする“世界視点”が日本に逆輸入される形で、[[大阪市|大阪]]の[[心斎橋]]に5番目のグローバル旗艦店をオープン、2012年3月には9番目のグローバル旗艦店を[[東京]]・[[銀座]]にオープンしている。 * ソーホー ニューヨーク店(ニューヨーク・[[ソーホー (ニューヨーク)|ソーホー]]地区) - 2006年[[11月10日]]オープン。 * 311オックスフォードストリート店([[ロンドン]]・[[オックスフォード・ストリート]]) - [[2007年]][[11月7日]]オープン。 * パリ オペラ店([[パリ]]・[[2区 (パリ)|2区]]オペラ地区) - [[2009年]][[10月1日]]オープン。 * 上海 南京西路店([[上海市|上海]]・[[静安区]]南京西路街道) - [[2010年]][[5月15日]]オープン。 * 心斎橋店(大阪市[[中央区 (大阪市)|中央区]][[心斎橋]]) - 2010年10月1日オープン。 * 明曜百貨店([[台北市]][[大安区]]忠孝東路四段) - 2011年9月23日オープン。 * ニューヨーク5番街店(ニューヨーク・[[マンハッタン]][[5番街 (マンハッタン)|5番街]]53丁目) - 2011年10月14日オープン。 * 明洞中央店([[ソウル特別市]][[中区 (ソウル特別市)|中区]][[忠武路]]) - 2011年11月11日オープン。 * 銀座店(東京都[[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]) - 2012年3月16日オープン。 === ビックロ === {{Main|ビックロ}} 2012年9月、[[ビックカメラ]]新宿東口新店(新宿[[三越]]アルコット跡)のテナントとして出店するにあたり、同店舗をビックカメラとのコラボレーション店舗「ビックロ」として展開することを発表した。「素晴らしいゴチャゴチャ感」をコンセプトに佐藤可士和のトータルプロデュースが行われ、ビックカメラとユニクロの両店舗で共通のデザインロゴ・スタッフユニフォームを使用し、ユニクロのマネキンにビックカメラで販売する家電製品を持たせ、ユニクロのフロアの一角で家電製品を扱うなど、ビックカメラとユニクロのシームレス感を強調した店舗となる。店舗規模約2,900m²はグローバル旗艦店である心斎橋店をしのぎ、銀座店に次ぐ日本国内2番目の規模となるが、同店は「'''グローバル繁盛店'''」という独自業態として位置づけられており、世界中から注目される「東京の新名所」を目指すという。同店舗は9月27日にオープンし、開店時には4000人ほどの行列が出来たという。 == 歴史 == {{Vertical images list |幅=200px |1=Uniqlo Haramachishop.JPG |2=ユニクロの店舗例1<br/>(現在の標準的なロードサイド店、[[南相馬市]]・[[原町市|原町]]店) |3=ユニクロ姪浜2.jpg |4=ユニクロの店舗例2<br/>(初期のロードサイド店、[[福岡市]][[西区 (福岡市)|西区]]・[[姪浜]]店<br/>画像の店舗は2代目であり、隣接地にあった初代の店舗は[[書店]]を経て解体され現在[[ローソン]]になっている。また、写真の建物も後に解体され新店舗(3代目の姪浜店)が建設されている。) |5=Uni-qlo fukasakuten1.jpg |6=ユニクロ 旧ロゴ店舗例([[さいたま市]]・深作店)<br />閉店直前の[[2005年]][[6月19日]]に撮影。 |7=Uni-qlo fukasakuten2.jpg |8=ユニクロ 旧ロゴ(さいたま市・深作店)<br />閉店直前の2005年6月19日に撮影。 |9=Ex UNIQLO hukuromachi.JPG |10=ユニクロ1号店があった場所<br/>([[広島市]][[中区 (広島市)|中区]][[袋町 (広島市中区)|袋町]]) |6d= }} === 1940 - 1980年代 === 柳井がGAPなどを視察し、カジュアルウェア専門店チェーンの展開を決意した。 * [[1949年]]3月 山口県宇部市にて「メンズショップ小郡商事」を個人営業にて創業 * [[1963年]]5月 法人化し、小郡商事株式会社設立 * [[1984年]] ** 6月 ユニクロ第1号店を[[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]に出店 ** 9月 柳井正が代表取締役社長に就任 === 1990年代 === 生産基地・中国の工場管理を強化し、SPA化を進めた。300店舗到達を機に多角化に着手したが、失敗。本業でも既存店の売上げ低迷が続いた * [[1991年]]9月 行動指針を表象するため、商号を小郡商事株式会社から株式会社ファーストリテイリングに変更 * [[1992年]]4月 直営店舗数が50店舗を超える(直営店53店舗、[[フランチャイズ]]店7店舗) * [[1994年]]4月 直営店舗数が100店舗を超える(直営店109店舗、フランチャイズ店7店舗) * [[1995年]]3月 直営店舗数が150店舗を超える * [[1996年]]3月 直営店舗数が200店舗を超える(直営店205店舗、フランチャイズ店10店舗) * [[1997年]] ** 4月 東京証券取引所第2部に株式上場 ** 11月 直営店舗数が300店舗を超える(直営店305店舗、フランチャイズ店11店舗) * [[1998年]] ** 11月 東京初の都心型店舗・ユニクロ原宿店を[[東京都]][[渋谷区]]に出店。 ** 12月 フリースを200万着販売 * [[1999年]] ** 2月 東京証券取引市場第1部銘柄に指定 ** 4月 SS(スーパースター)店長制度を発足 ** 7月 アメリカの広告代理店、Wieden+Kennedy社と提携し、ブランド構築を開始 ** 9月 新たな販売チャンネル開拓のため、カタログによる通信販売業務の試験的運用を実施 ** 11月 1,900円フリースを800万着販売 === 2000年代 === 従来のパターンを止め、グローバル企業の経営方式を採用した。経営陣の若がえりを図り、単品をベースにしたマーチャンダイジングと現代的なマーケティングを展開することによって、大量生産・販売の高収益体制を構築した。 * [[2000年]] ** 4月 直営店舗数が400店舗を超える(直営店417店舗、フランチャイズ店12店舗) ** 6月 海外におけるユニクロ展開の布石として、イギリスに子会社を設立 ** 10月 [[インターネット]]通信販売を開始 ** 12月 [[東日本旅客鉄道]]及び東日本キヨスク(現[[JR東日本リテールネット]])との業務提携により、新小型店舗第1号店ユニクロキヨスク新宿南口店をオープン * [[2001年]] ** 4月 *** JOC(財団法人[[日本オリンピック委員会]])オフィシャルパートナーシップに合意 *** 直営店舗数が500店舗を超える(直営店503店舗、フランチャイズ店12店舗) ** 8月 ユニフォーム・チームウェア事業を開始 ** 9月 日本国外初の出店となるイギリスユニクロ店4店舗をオープン * [[2002年]] ** 4月 デザイン機能強化のため、ユニクロデザイン研究室を[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[青山 (東京都港区)|青山]]に設立。デザインに特化した独立組織で、元[[三宅一生|イッセイミヤケ]]社長の[[多田裕]]を室長に起用 ** 8月 インターネット店、[[モービル|モバイル]]店で特別サイズの商品の販売を開始 ** 11月 社長が[[玉塚元一]]常務に交代し[[集団指導]]体制へ。柳井が代表取締役会長兼[[最高経営責任者|CEO]]に * [[2005年]] ** 7月 玉塚社長を解任。柳井が社長に復帰。 ** 9月 ニュージャージー州にアメリカへの初店舗を出店 * [[2006年]] ** 4月 株式会社京阪ザ・ストア業務提携により、関西初の駅中ユニクロ京阪守口店をオープン ** 11月10日 ニューヨーク・[[ソーホー (ニューヨーク)|ソーホー]]に1,000坪の広さを誇るグローバル旗艦店をオープン。 ** 12月8日 アジア最大級の旗艦店となる「ユニクロ 上海正大広場店」を、[[上海市|上海]]・浦東地区の正大広場にオープン。 * [[2007年]] ** 4月28日 原宿店をTシャツ専門店『UT STORE HARAJUKU.』にリニューアル(2012年3月12日閉店)。 ** 12月14日 ユニクロのフランス第1号店がオープン、この店舗はユニクロのブランドメッセージを伝える「コンセプトショップ」としての位置付けであった。 * [[2008年]] ** 3月29日 中国本土へ2年ぶりの再出店となる「ユニクロ北京西単店」を[[北京市|北京]]・西城北大街にオープン。 * [[2009年]] ** 4月9日 [[シンガポール]]のタンピネス地区に初出店。この出店は、不動産会社のWing Tai Holdingsと共同出資で出店される。 * [[2010年]] ** 10月 [[JR九州リテール]]との業務提携によりユニクロ博多デイトス店をオープン * [[2010年]] ** 4月2日 [[ロシア連邦|ロシア]]1号店となる「ユニクロ アトリウム店」を[[モスクワ]]に開店。 ** 4月 株式会社GOVリテイリングの[[会社分割]]により、同社の靴小売事業を承継。 ** 8月 靴小売事業の店舗ブランドを「CANDISH」に統一。商品ブランドも「CANDISH」「UNIQLO SHOES」の2つに集約。 ** 10月7日 [[台湾]]1号店となる「ユニクロ [[統一阪急百貨]] 台北店」[[台北]]のショッピングエリア信義地区にオープン。 ** 11月4日 [[マレーシア]]1号店となる「ファーレンハイト88店」を[[クアラルンプール]]のブキ・ビンタンエリアにオープン。 * [[2012年]] ** 3月16日 日本語、英語、中国語、韓国語、フランス語、スペイン語の6か国語に対応した接客ができるグローバル旗艦店「ユニクロ銀座店」がオープン。 ** 9月27日 [[ビックカメラ]]とのコラボレーション店舗である新宿東口店(通称「ビックロ」)をオープン予定。 **10月16日 テニス選手の[[ノバク・ジョコビッチ]]を広告塔に起用した10億円規模の慈善基金『Clothes for Smiles(クローズ・フォア・スマイル)』が発足。ユニクロ史上初の基金運営となる。 === Tシャツデザイン著作権は「ユーザーのもの」批判受け放棄(2014年5月) === ファーストリテイリングが展開するカジュアル衣料品店のユニクロは20日、前日の19日からサービスを開始したばかりの新サービス「UTme!(ユーティーミー)」の利用規約を急遽変更した。[[スマートフォン]]で自分だけのTシャツをデザインできるサービスだが、デザインの著作権をユニクロに無償で譲渡すると規定したことに批判が相次ぎ、「著作権はユーザーに帰属」すると変更した。 このサービスは、ユニクロの[[アプリ]]を使って自由に[[Tシャツ]]をデザインできる点が売りだが、利用規約には「投稿データ(デザイン)について、その著作権に関する全ての権利を、投稿その他送信時に当社(ユニクロ)に対し、無償で譲渡」とあった。 このため、ユーザーが創作したデザインにもかかわらずユニクロが自由に活用できる上、デザインしたユーザーは何ら権利を行使できなくなるとして、ネットの投稿サイトなどで批判が相次ぎ、ユニクロも対応を迫られた。 ユニクロは「著作権をユーザーのものにすることで、もっと手軽にこのサービスを活用してもらえることを期待している」(PRチーム)と説明している。 == 商品の展開・背景・影響・品質等 == 基本的には、過度に個性のない[[デザイン]]の商品が多い。SPA(製造小売業)への転換後、良品質のカジュアル衣料を低価格で提供する路線を進めてきた事もあり衣料品としての完成度は高く評価されている部分がある。1,900円の[[フリース]]や2,900円の[[ジーンズ]]などが、[[価格破壊]]の象徴として[[マスメディア]]などにも紹介されて爆発的にヒットしたが、あまりに大量に売れ着用している人が多かったため、ユニクロの衣料を着用しているのが判明してしまう「ユニバレ」と呼ばれる現象が広がり、ユニクロ服を着ていると「ダサい」「恥ずかしい」との印象が広がり、経営悪化の原因となった。 [[2004年]]頃からユニセックスや「お手頃価格」路線は堅持しつつもある程度の脱却を図り、外部と組んだメッセージ性を持つ共同企画商品の開発(特にレディース物)や買収したブランドのノウハウ移入、乳幼児向け商品の開発も行っている。 デザイナーの間でも品質の高さについて一定の評価を得ており、[[2006年]]8月から世界各国の著名デザイナーとの[[コラボレーション]]により「デザイナーズインビテーションプロジェクト」を立ち上げ、通常数万円もするようなデザイン性の高い商品を1万円未満の低価格で販売している。[[ジーンズ]]もリング製法を使ったものなどを出している。 過去に柳井自身が「ユニクロは国民服」(「多くの国民に品質の良い物を安く提供したい」との意図)等、衣服として[[ファッション]]性を軽視していると採られかねない誤解を生むような発言を行ったこともあったが[[ニューヨーク]]に[[旗艦]]店を立ち上げるにあたり[[ベーシック]]な商品を大量に販売するスタンスは維持しつつファッション性を強めた商品を提案し、接客を重視する方向性に転換しつつある。 玉塚が社長を退き、再び柳井が社長に復帰した2006年頃から、「ヒートテック」(保温性を高めた下着)や「ブラトップ」([[ブラジャー]]のカップを内蔵した[[キャミソール]]、[[タンクトップ]]など)など、機能性を重視した商品に加え女性ものの商品に力が注がれている。一例としては、[[東京ガールズコレクション]]に[[山田優]]と組んで[[ワンピース]]などを出展したり、[[イメージキャラクター]]に[[藤原紀香]]を起用した「スリムボトムス」(足が細く長く見えるパンツ)を販売したりするなど、積極的に女性客の取り込みに繋がる展開と商品の充実化を行い、その効果が出てきたことから、以前は手薄だった女性用部門がユニクロの基幹事業へと成りつつある。 == ユニクロへの批判 == ; ユニクロのビジネスモデルについて : ビジネスモデルとしてのユニクロの低価格・大量販売戦略については賛否両論がある。エコノミストの[[浜矩子]]は、「[[文藝春秋]]」2009年10月号に「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という論文を発表、ユニクロのように企業が低価格で商品を販売することが企業の利益を縮小させ、ひいては人件費の切り下げにつながっているとしてユニクロのような経営を「[[利己主義|自分さえ良ければ病]]」であると批判、「せめて安いモノを買うことが自分と他人の値打ちを互いに下げていることに思い至ってほしい」と主張している。これに対し、経済学者の[[池田信夫]]は自身のブログ上で、ユニクロの低価格モデルが相対価格の変化であり、「ユニクロは日本を滅ぼすどころか、日本企業がグローバル化するロールモデル」と浜の意見に反論している。 ; 2012年の中国における反日活動への対応について : 2012年9月15日、「支持釣魚是中国固有領土」([[尖閣諸島|釣魚島]]は[[中華人民共和国|中国]]固有の領土であることを支持します)と、ユニクロ([[上海市|上海]]に複数ある店舗のひとつとされている)の店頭のウィンドーに張り紙をする写真が、ウェイボー(中国版[[ミニブログ]])に投稿された。[[尖閣諸島国有化]]に[[2012年の中国における反日活動|抗議するデモが中国各地で暴徒化している]]ことを受けたものと見られ、店舗側がどのような判断で行ったかといった詳しい事情は分かっていないが、この行為をユニクロの政治的姿勢と受け取ったネットユーザーの間で「売国企業だ」「不買運動を起こすべき」と批判する声があがった一方で、「大型ガラス守るためなら、俺が店長でも同じことする」「これしておかないと(店が)襲われる」などと店側の判断を擁護する意見も見られた。 : これについてユニクロは、2012年9月18日付のプレスリリースにおいて「当該店舗の現地従業員が独自の判断により、上記内容の張り紙を掲示し、約40分後、撤去していた」「本件は会社の指示によるものではなく、また、他の店舗におきまして、このような事は一切起きておりません」「一私企業が政治的外交的問題に関していかなる立場も取るべきではないと考えており、このような行為があったことは大変遺憾であると考えております」とのコメントを発表したが、同21日付のプレスリリースにて「張り紙の掲示は地元警察の要請によるもの」「他店舗での張り紙は全て第三者によって外側から行われたもの」などといった説明を新たに追加し、18日付のプレスリリースは同社ウェブサイト上から削除された。 ; サービス業務の疑いについて : ユニクロでは、社員の労働時間の上限を240時間と定めており、上限を超えた場合は適当な処分が行われるが、この処分を回避する為に[[サービス残業]]が常態化して行われているとの指摘がある。新人店長の場合、業務内容や給与的にも[[名ばかり管理職]]の疑いの声がある。 == 障害者の雇用 == ユニクロで特筆されるものとして、[[障害者]]([[身体障害|身体障害者]]、[[知的障害|知的障害者]])の積極的な[[雇用]]が挙げられる。 [[聴覚障害者]]の勤務する[[沖縄県]][[那覇市]]の店舗でのサービス向上事例をきっかけに[[企業の社会的責任]](CSR)も兼ね、[[2001年]]頃から各店舗に最低1人の障害者を雇用する方針が打ち出された。その結果、2004年以降、[[障害者の雇用の促進等に関する法律|障害者雇用促進法]]による民間企業の法定雇用率1.8%をはるかに超える7%台の障害者雇用率を誇っている。これは、従業員5,000人以上の企業では突出した高率である(2006年を対象に[[厚生労働省]]が行った調査では、従業員5,000人以上の民間企業でトップ(7.42%)。2位は[[日本マクドナルド]]の2.94%、3位は[[しまむら]]の2.83%)。 勤務する障害者は知的障害者が多く、バックヤードでの納入された商品のチェックや分別、品出し作業や開店前や閉店後の店内の清掃などの作業に従事していることがほとんどのため、一般の来店客には存在が目につかないことが多い。聴覚や[[視覚障害者|視覚]]や[[肢体不自由者|肢体]]などの障害を持つ人も、[[健常者]]に混じって勤務している。障害者の雇用に留まらず、[[スペシャルオリンピックス]]の支援などの活動が認められ、[[内閣府]]から再チャレンジ支援功労者表彰を受けた。 その後の2008年6月時点の厚生労働省の同様の調査では、さらに比率を8.06%に高めている。常用労働者約11,000人のうち約700人の障害者が勤務しているという(雇用率としては2人分と算定される重度障害者も含め、約890人と算定されている)。2位は[[エームサービス]]の5.67%(総従業員数が5,000人に達したことから登場)、3位は[[すかいらーく]]の2.86%。 == スポーツ支援 == 旧ファーストリテイリング時代から、アマチュアスポーツを中心としたスポーツ支援を行っていることでも知られる。 本業関連では[[長野オリンピック]]([[1998年]])、[[ソルトレイクシティオリンピック]]([[2002年]])、[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]](2004年)と[[近代オリンピック|オリンピック]]の開会式や移動用の日本代表公式[[ユニフォーム]]の提供を行ったほか、[[サッカー]][[日本プロサッカーリーグ|J2]][[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]にも、2003年から2005年までユニフォーム提供を行っている。 社会人スポーツとしては、女子[[陸上競技]]部を有する。山口県の地場スーパー・[[丸久]]の陸上競技部を引き継いだもので、山口市の本社そばに専用のトラック・練習場を設けて活動を行っている。[[全日本実業団対抗女子駅伝競走大会]]には5回の出場を数える。 かつては、[[マラソン]]ランナーの[[早田俊幸]]が社員(ユニクロ広島庚午店に在籍)として勤務していた時期もある(上記の陸上部とは別に活動を行っていた)。 2009年8月には、プロ[[車いすテニス]]プレーヤーの[[国枝慎吾]]と所属契約を締結している。また、2011年1月にはプロテニスプレーヤーの[[錦織圭]]と5年間のスポンサー契約を締結し、ユニフォームの提供などを行っている。 == 撤退した事業 == ;スポーツウエア・ファミリーウエア販売 :1997年から1998年にかけてスポーツウエア専門の「スポクロ」、ファミリーカジュアル専門の「ファミクロ」を立ち上げるも、細分化により業績が不安定なためユニクロに一本化して撤退。 ;青果販売 :2002年9月から2004年3月にかけて子会社により「SKIP」(スキップ)のブランドで野菜果実の会員制宅配事業を実施。ユニクロ店舗で会員加入促進を行うも採算が合わず撤退。 ;靴小売専門店 :2010年4月1日にグループ内のGOVリテイリング(現・[[ジーユー]])が手がけていた靴専門店事業について、専門店の店舗ブランド「CANDISH」とユニクロ店舗で扱う靴部門「UNIQLO SHOES」に再編した上で、GOVリテイリングから承継。業績回復が見込めないことから専門店事業については2011年度中に全店閉店となる予定。 == 主な役員 == * [[柳井正]]:代表取締役会長兼社長 ([[最高経営責任者|CEO]]) == 広告・CMに出演した有名人 == {{colbegin|4}} *[[相沢紗世]] *[[鮎川誠]] *[[新垣結衣]] *[[井浦新|ARATA]] *[[杏 (ファッションモデル)|杏]] *[[アンジェラ・アキ]] *[[伊勢谷友介]] *[[イッセー尾形]] *[[今井美樹]] *[[上野樹里]] *[[オーランド・ブルーム]] *[[王友良]] *[[大沢たかお]] *[[大杉漣]] *[[大橋のぞみ]] *[[片岡涼乃]] *[[加藤ローサ]](カタログ) *[[加瀬亮]] *[[ガレッジセール]] *[[Crystal Kay]] *[[栗山千明]] *[[黒木メイサ]] *[[CHEMISTRY]] *[[小池栄子]] *[[小出恵介]] *[[高良健吾]] *[[小林克也]] *[[小林繁]] *[[五明祐子]](チラシ) *[[桜庭和志]] *[[佐藤江梨子]] *[[佐藤隆太]] *[[シーナ&ザ・ロケッツ|シーナ]] *[[シャーリーズ・セロン]] *[[寿里]] *[[JOSI]](チラシ) *[[ジョン・レグイザモ]](ウェブ) *[[シンディ・ローパー]] *[[スチャダラパー]] *[[須藤元気]] *[[TAO]] *[[武田真治]] *[[多部未華子]] *[[ダレン・クリス]](ウェブ) *[[知花くらら]] *[[千原兄弟]] *[[土屋アンナ]] *[[妻夫木聡]] *[[テリー伊藤]] *[[トータス松本]] *[[土岐麻子]] *[[仲間リサ]](チラシ) *[[長瀬智也]] *[[永瀬正敏]] *[[中田大輔]] *[[中谷美紀]] *[[中村修二]] *[[夏木マリ]] *[[野本かりあ]] *[[hyde]] *[[Bahashishi]] *[[はな (タレント)|はな]] *[[ハローキティ]] *[[池畑慎之介|ピーター]] *[[東野翠れん]] *[[東山紀之]] *[[ピストルバルブ]] *[[黄秀一]] *[[吹石一恵]] *[[藤原紀香]] *[[BLACK BOTTOM BRASS BAND]] *[[フルカワミキ]] *[[辺見えみり]] *[[本田圭佑]] *[[松下奈緒]] *[[松田龍平]] *[[松任谷由実]] *[[松山ケンイチ]] *[[松雪泰子]] *[[マリエ (モデル)|マリエ]] *[[三浦皇成]] *[[水木しげる]]と[[ゲゲゲの鬼太郎|目玉おやじ]] *[[水原希子]] *[[MiChi]] *[[森且行]] *[[森本稀哲]]<!--([[北海道日本ハムファイターズ]])--> *[[矢沢永吉]] *[[山崎まさよし]] *[[山口智子]] *[[山田優]] *[[ユースケサンタマリア]] *[[ゆず (音楽グループ)|岩沢厚治]](ゆず) *[[ユンソナ]] {{colend}} == エピソードなど == *[[1984年]][[6月2日]]にオープンしたユニクロの1号店は初日早朝6時のオープンで、開店待ちの列を作った客に対してはユニクロが[[朝食]]として[[あんパン]]と[[牛乳]]を無料で振る舞ったという。[[2009年]][[11月21日]]には、ファーストリテイリング創業60周年記念の企画として、テナント内店舗などを除く全国約400店舗が朝6時開店となり、各店舗先着100名にあんパンと牛乳の朝食サービスが1日限定で復活した。当日は目玉商品を目当てに、徹夜で並んだ客もいたという。なお、2010年以降も創業記念キャンペーンとして行っている。 *かつては「購入後の商品の返品・交換が可能」であることをアピールするために、中年の女性([[辻イト子]])がレジカウンターの前で着用していたユニクロ製品を突然脱ぎ出すという大胆なCMを放映したことがある。 *[[1995年]]10月には、全国紙・週刊誌に「ユニクロに[[悪口]]言って100万円」という一面広告を掲載した。売上も伸び、店舗数も増えていくにつれ、商品の品質チェックがあまり行き届かなくなり、質の悪い商品を提供するケースが増えていったことへの危惧から企画されたもので、実際に約1万通の[[クレーム]]が届き、1名に100万円が贈呈されたとのこと。企業がクレームを[[顧客満足度]]の向上に生かした例として取り上げられることが多い。 *2003年に[[矢沢永吉]]が出演し[[日本武道館]]で撮影したCMで、矢沢が靴を履いたままシートもなしに床を歩いていたことから、[[武道]]関係者から「神聖なる床の上を土足で歩くというのはいかがなものか」という抗議がユニクロに多数寄せられ、同社広報部が「迂闊だった」との声明を発表している。また、撮影に場所を提供した日本武道館にも同様の抗議が相次いだが、それにまつわる広告代理店や日本武道館の声明はないまま自然収束している。 == ユニクロ出身の人物== * [[澤田貴司]] - リヴァンプ代表取締役・代表パートナー * [[玉塚元一]] - リヴァンプ代表取締役 * 有本均 - 元マクドナルド・ハンバーガー大学学長 バーガーキング社長 力の源カンパニー 現:[http://g-aca.com/index 株式会社ホスピタリティ&グローイング・ジャパン]代表取締役社長 * 有賀誠 - 日本ヒューレット・パッカード株式会社執行役員人事統括本部長 * 吉澤広和 - 株式会社ドーム人事総務部部長 == 関連項目 == * [[熊木杏里]] - [[コマーシャルソング|CMソング]]として、[[2007年]]の『朝日の誓い』(Wide Leg)や『ひみつ』(ヒートテックインナー)などが起用された。 * [[考える人 (雑誌)]] - ユニクロの協力で創刊された[[雑誌]]であり、入っている広告のほとんどが同社のものである。ユニクロを題材にした記事も毎号必ず掲載される。 * [[ファストファッション]] * [[スマートファッション]] * [[UT]]、[[UJ]] - ユニクロが展開する主な[[ブランド]]の名称。 * [[ユニコーン (バンド)|ユニコーン]]、[[PUFFY]]、[[浅井健一]]、[[THE YELLOW MONKEY]] - 単なる広告の役ではなく、[[記念]][[Tシャツ]]などで[[コラボレーション]]に起用されている。 * [[ギャル]]系雑誌 * [[フェアトレード・タウン]] * [[ジル・サンダー]] - [[ドイツ]]のデザイナー。2009年にユニクロとの[[デザイン]][[コンサルティング]]を契約し、「+J」のブランドを提供。 == 外部リンク == * [http://www.uniqlo.com/jp/index.php uniqlo.com - 株式会社ユニクロ] * [http://www.fastretailing.com/jp/index.html 株式会社ファーストリテイリング] * {{Twitter|UNIQLO_JP}} * {{Google+|118196572751899798724|UNIQLO|page=posts}} * {{Facebook|UniqloCo|UNIQLO}} * [http://www.fastretailing.com/jp/about/photolibrary/ フォトライブラリー | FAST RETAILING CO., LTD.] - ユニクロ1号店も含む各種業態店舗の拡大カラー写真を公開。 {{DEFAULTSORT:ゆにくろ}} [[Category:日本のファッションブランド]] [[Category:日本の衣料品店]] [[Category:山口市の企業]] [[Category:港区 (東京都)の企業]] [[Category:広島県発祥の企業]]<!--1号店は広島市なので--> [[Category:多国籍企業]] [[Category:ファーストリテイリング]] [[Category:ブラック企業]]