「日本協同党」の版間の差分
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− | + | 出典:村川・石上(1995)頁番号欠、衆議院・参議院(1990)頁番号欠 | |
− | + | == 参考文献 == | |
− | + | *村川・石上(1995) [[村川一郎]]・[[石上泰州]]『日本の政党』〈丸善ライブラリー153〉丸善、1995年3月、ISBN 4-621-05153-9 | |
+ | *衆議院・参議院(1990) [[衆議院]]・[[参議院]]編『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月、ISBN 4-17-164810-6 | ||
+ | *小田部(1988) 小田部雄次『徳川義親の十五年戦争』青木書店、1988年、ISBN 4250880192 | ||
+ | == 脚注 == | ||
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2017年9月6日 (水) 21:41時点における最新版
日本協同党(にほんきょうどうとう)は、1945年12月18日に結成された、協同組合主義、労使協調を標榜した保守的政党。船田中、赤城宗徳、井川忠雄など、主に護国同志会の出身者を中心に千石興太郎、黒沢酉蔵らを加えて結成された。
1946年1月4日に所属議員23人のうち21人が公職追放されたため、山本実彦が委員長に就任。1946年5月24日、日向民主党、日本農本党、無所属の議員と合同し協同民主党となった[1]。
党史[編集]
結党[編集]
1945年8月16日以降、有馬頼寧は三宅正一ら旧日本労農党グループを支援し、旧社会大衆党を中心に、船田中や学者、外部の人士を集めての新党結成を構想した[2]。しかし、同年9月11日に有馬は三宅と訣別[3]。
船田中をはじめとする旧護国同志会、翼壮議員同志会の指導者と、井川忠雄ら産業組合関係の指導者らは、社会党とは別に、議会内少数派による第三党「日本協同党」結成を目指すことになった[4]。
1945年12月18日に中央亭(丸の内中央亭か)で結党式が行なわれた[5]。
執行部役員表[編集]
委員長 | 副委員長 | 書記長 | 政務調査会長 |
---|---|---|---|
山本実彦 | 北勝太郎 | 井川忠雄 | 船田享二 |
出典:村川・石上(1995)頁番号欠
歴代委員長[編集]
日本協同党委員長
代 | 委員長 | 在任期間 |
---|---|---|
1 | 山本実彦 | 1945年12月18日 - 1946年5月24日 |
出典:村川・石上(1995)頁番号欠、衆議院・参議院(1990)頁番号欠
参考文献[編集]
- 村川・石上(1995) 村川一郎・石上泰州『日本の政党』〈丸善ライブラリー153〉丸善、1995年3月、ISBN 4-621-05153-9
- 衆議院・参議院(1990) 衆議院・参議院編『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月、ISBN 4-17-164810-6
- 小田部(1988) 小田部雄次『徳川義親の十五年戦争』青木書店、1988年、ISBN 4250880192