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2017年10月2日 (月) 19:56時点における版
上九一色村(かみくいしき-むら)とは、かつて山梨県南部、西八代郡にあった村であり、山梨県にとっての黒歴史。市町村合併の中で甲府市と富士河口湖町に分割、併合された後も「宗教法人による町おこしの失敗例」として現在も語り継がれている。
概要
青木ヶ原樹海や精進湖と本栖湖など、自然に恵まれた村であり、中世に通じた中道往還をはじめ、甲府精進湖有料道路などで各方面からのアクセスも比較的良好といった土地であり、少なくとも都市伝説の中でよく語られる「住民があれ」とか「よくわからない風習がある」とかいう類の閉鎖的な場所ではなかった(村自体は)。問題なのは、そこに進出してきたとある新興宗教であった。
オウム真理教の進出
かつての開拓民の手から離れた広大な草原の広がる土地に、オウム真理教は宗教施設や工業地帯の建設計画をもって上九一色村を宗教都市、そして工業都市にする構想を練り、現地に入った。訝しがる住民にオウム側は表向きは「町おこしをしましょう!」と呼びかけ、麻原彰晃は歌まで作成した [1]。
そして上九一色村の富士ヶ嶺地区にてオウム真理教幹部の早川紀代秀氏の指示により宿泊施設と工場(以降、サティアン)は建設に着工されていった。工業地帯は一気に造成され、工場は順次稼働を開始。パソコンの組み立てや薬品(表向きには農薬と言われていた)などを大量に生産していき、一部は上九一色村の名産品として紹介されたこともあった。しかし、工場の多くは非公開であり、また、その一見物々しい見栄えから近づくものもいなかったという。
大量に流入してきた信者の為に人口は増えたかのように見られたが、役所に住民票の届け出をしない為住民として扱われる(計上される)ことはなく、宗教法人の特例のため税金も控除され税収として金を落とされることはなく、年に一回のお布施として入ってくる資金(金額は未公表)以外では上九一色村にとってプラスになるものは少なかったという。
なお『出没!アド街ック天国』において上九一色村が取り上げられることが知らされた際、オウム真理教はイメージ向上のためサティアンを期間限定で一般向けに一部を除いて解放。そのため、サティアン付近のスポットが多く取り上げられ、コレクション(その街を歩く女性)のコーナーではオウムシスターズや多くの女性信者が登場した(教団幹部では石井久子と飯田エリ子が登場している)。ちなみに、「薬丸印の新名物」では麻原の顔や「修行するぞ」などの文字がプリントされたオウムトレーナーが認定された。後に、この放送分については後述の立入捜査後にイメージが悪化したこと、また多くのスポットが建物ごと取り壊され、当時の様相と全く異なるという理由で永久欠番扱いとなっている。
オウム全盛期の終焉
警視庁から大勢の警官らが聖地巡礼に訪れ、それに便乗する形でマスコミ関係者も上九一色村に大勢訪れた。カナリアを連れてコスプレをしながらやってきた化学班の警官達が名産品である薬品欲しさに工場から薬品を「サンプル」と言って持ち出した事から、事件に使われたサリンが上九一色村で作られたことが明らかになり、多くのオウム幹部が逮捕された。また、これを受けて上九一色村の名産品からも「農薬」の項目が抹消されている。なおこの出来事は奇しくも地下鉄サリン事件の発生から二日後であった。
この聖地巡礼の際に明るみに出た事実によって、オウムに続いて上九一色村の開発に乗り出そうとしていた会社は相次いで計画を凍結した。代表的なものとして、富士急行は同社の所有する河口湖線を上九一色駅(仮称)まで延伸する計画を立てていたが中止している。名残として河口湖駅から少し伸びた線路が留置線として残されている。
連日の報道において、一時的な集客効果とその後の恒久的な知名度の向上の二つにおいてオウム真理教は多大な貢献をしたが、イメージは大幅にダウンしていった。それは、当時家庭において悪ガキをしつける際に「上九一色村に連れて行くぞ!」と怒鳴ると一瞬で黙ってしまうと語られていた程であった。
富士ガリバー王国
イメージ回復のためにオウム真理教は信者からのお布施で1996年に差し押さえられていた一部の土地の3分の2を再購入。取り壊されたサティアンで偶然残って見逃されていた地下階にて、アンブレラ社[2]から持ち出した設備で巨人のガリバーを密かに育成していた(タイラントシリーズの派生と見られている)。その後、富士ガリバー王国の完成に合わせて地下からガリバーを水槽ごと地上に持ち出し、覚醒させる。しかし、ガリバーをアトラクションの試運転のために現地に入れる際に、入り口付近の土壌に残留したまま処理(除染)されていなかったサリンを吸引してしまい、そのまま死亡するアクシデントが発生。運営側は対応に焦ったが、広報部長のアイデアでその死骸を縄で拘束してアトラクションの一つとしてしまった。ガリバーを入れた目的は公表されていないが、ジャーナリストの江川詔子は「生きていればおそらく客を踏み潰してポアする気だったのではないか」と語っている。
従業員は全員オウム信者(全員出家)で構成され労働をワークの一環としていた為に人件費はほとんどかからなかった事もあり、経営は順調に行くかと思われた。しかし、付近に富士急ハイランドがあった事や強制捜査で明るみになった悪しきイメージを払底しきれなかった為に客足は伸びず、経営難により結局2001年に閉鎖。ちなみに、閉鎖の前年にオウム真理教は改組しアレフへと移行しており、オウム時代に行わなかった賠償費用の捻出の為に閉鎖したとも言われているが、真偽の程は定かでない。なお、ガリバー育成の件については幹部含む関係者の数人が逮捕されている他、サティアン跡地における富士ヶ嶺公園の整備と並行して2001年までに上九一色村内全てのエリアにおいてサリンの除染を完了させている。
合併による消滅
2006年に行われた市町村合併にて、生活圏の文化の隔たりや交通の便などの背景が理由となって甲府市と富士河口湖町に南北に分かれるという異例な形で分割併合されたが、地名としての「上九一色」の名前は一切引き継がれなかった。
こうして「上九一色村」は消滅していったが、良くも悪くも人々の記憶からは忘れられることは当分ない。
教訓
「宗教法人による町おこしの失敗例」となった上九一色村であるが、このような教訓も同時に残している。
- 一大事業と同時並行でなにか裏で悪事をやらかすと、それが明るみに出たときにすべてがおじゃんになる。
- それでも懲りずに悪事をやっていると、思わぬところで足をすくわれたり、尻拭いをする羽目になる。
脚注
- ↑ 熊本県・波野村の「オウム真理教進出反対」に抗議する歌(裏ゲーム・「上九一色村物語」より収録)を参照(詳細はこちら)>
- ↑ オウム真理教は石川県小松市に所在するオカムラ鉄工を乗っ取る事件を起こしており、その際に工場から機器を持ち出して武装化に必要な兵器の生産などを行っていたが、それと前後してアメリカのラクーンシティに所在していたアンブレラ社からも生物兵器製造用として設備を調達している(早川ノートの記述参照)。
関連項目
このページはアンサイクロペディアの記事・上九一色村を利用しています。 |