「アーリアン学説」の版間の差分

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'''アーリアン学説'''(アーリアンがくせつ) は、[[インド・ヨーロッパ語族]]の諸言語を使う全ての民族を、共通の祖先[[アーリア人]]から発生したものとする学説。この場合、アーリア人という名前は拡大解釈される。この拡大解釈された意味でのアーリア人を'''アーリア人種'''(アーリアじんしゅ)と呼ぶことがある。
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<nowiki>'''アーリアン学説'''(アーリアンがくせつ) は、[[インド・ヨーロッパ語族]]の諸言語を使う全ての民族を、共通の祖先[[アーリア人]]から発生したものとする学説。この場合、アーリア人という名前は拡大解釈される。この拡大解釈された意味でのアーリア人を'''アーリア人種'''(アーリアじんしゅ)と呼ぶことがある。
  
 
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== インド・ヨーロッパ語族の発見 ==
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2018年12月16日 (日) 19:25時点における版

'''アーリアン学説'''(アーリアンがくせつ) は、[[インド・ヨーロッパ語族]]の諸言語を使う全ての民族を、共通の祖先[[アーリア人]]から発生したものとする学説。この場合、アーリア人という名前は拡大解釈される。この拡大解釈された意味でのアーリア人を'''アーリア人種'''(アーリアじんしゅ)と呼ぶことがある。 == インド・ヨーロッパ語族の発見 == [[1786年]]に、[[インド]]滞在中の法学者・言語学者[[ウィリアム・ジョーンズ (言語学者)|ウィリアム・ジョーンズ]]が[[サンスクリット|サンスクリット語]]と、[[ギリシア語]]や[[ラテン語]]との類似を指摘したことに始まる。ウィリアムはこの事実から[[ゴート語]]、[[ケルト語]]などインドや[[ヨーロッパ]]の言語が全て同じ言語から派生したとの学説を立てた。後に考古学者の[[トーマス・ヤング]]が同学説を支持し、インドや[[ヨーロッパ]]の諸語は共通する起源をもつ言語の集合であるとして、「インド・ヨーロッパ語族」と名付けた。この時点では、あくまでこの研究は言語類似性の問題で、[[人種]]や[[民族]]に関連する議論ではなかった。 ==「印欧語族」と民族主義との結び付き == しかし[[1859年]]に、[[ドイツ]]の[[フリードリヒ・マックス・ミュラー|マックス・ミュラー]]が、[[ヒンドゥー教]]の聖典『[[リグ・ヴェーダ]]』の翻訳を契機に、インド・ヨーロッパ諸語の原型となる言葉を話していた住民は共通した民族意識を持ち、彼らがインドからヨーロッパにまたがる広い範囲を征服して自らの言語を広めた結果としてインド・ヨーロッパ諸語が成立したとする仮説を唱えた。彼や彼の意見に同調するものはインド・ヨーロッパ語族を使用する人々を、アーリアン(アーリア人)と呼ぶべきだと主張した。これはサンスクリット語を話しインドに移住して支配した民族が、自らをアーリアと呼んでいたのがその理由である<ref>アーリア(ārya आर्य)は、[[サンスクリット|サンスクリット語]]で「高貴な」を意味する。</ref>。[[19世紀]]には、「[[アーリア人]]」は、上記のような想定された祖民族という趣から進んで、「インド・ヨーロッパ語族を使用する民族」と同じ意味に使われ、ヨーロッパ、[[ペルシャ]]、インドの各民族の共通の人種的、民族的な祖先であると主張された。通常、「アーリアン学説」と呼ばれるのはこの時代の理論である。 この理論は[[イギリス]]と[[ドイツ]]で特に盛んに主張されたが、その背景は大きく異なっている。イギリスの場合はインドの[[植民地支配]]において、「[[イギリス人]]による[[インド人]]支配」を正当化するために利用された。インドが[[イスラム教徒]]により支配される前は[[ヒンドゥー教徒]]が支配しており、ヒンドゥー教徒の支配階級はアーリア人またはアーリア人との[[混血]]を起源としていたためで、イギリス人は支配階級のヒンドゥー教徒とイギリス人が同じ民族であると主張する事で、自己を支配者として正当化しようとしたのである。 一方、ドイツでは作曲家[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]などが、アーリアン学説を肯定した上で[[ドイツ人]]が最も純粋なアーリア人の血を引く民族であると主張する事で、近代になって形成されたに過ぎない自民族の権威付けに用いた。この発想は後に[[ナチス]]と結び付き、[[ユダヤ人]]弾圧([[ホロコースト]])という最悪の結末に繋がってしまう。因みにナチスの御用学者であった[[ハンス・ギュンター]]の『北方人種』によれば[[日本人]]もアーリア人であり、遥かなる太古においてはドイツ人と日本人は同族だったとされているが、これは現在、当時の[[枢軸国|日独同盟]]政策との整合性を持たせるためのこじつけであると考えられている<ref>当時の日本の学会では、「[[アイヌ人]]コーカソイド説」と「アイヌ人[[縄文人]]説」があった。ハンス・ギュンターはその両説をあわせて、「アイヌ人は[[アーリア人]]であり、日本人はアイヌ人(縄文人)の子孫である。だから日本人はアーリア人である」としたのである。現在ではアイヌ人縄文人説が有力であり、[[コーカソイド]]説は否定されている。もちろんコーカソイド説の全盛期においても、この説は縄文人説とは矛盾するものであり、片方が正しければ片方が間違っているという性質のものであり、その両説を併せた「日本人=アーリア人」説は、荒唐無稽以外の何ものでもない。 参照:[[w:Honorary Aryan|名誉アーリア人]](英語)</ref>。 == 科学的な批判 == しかし、近年になって言語学を初めとする各分野から科学的な反証が行われ、アーリアン学説自体がその信憑性を大きく失いつつある。明確にアーリアン学説を[[疑似科学]]であると厳しく批判する学者が大勢を占めた今日では、半ば棄却された仮説と言える。 現在、「アーリア人」はインドに移住してきたインド・アーリア人、[[イラン]]に移住してきたイラン・アーリア人およびそれらの祖先のみを指す場合が多い。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * [[モーリス・オランデール]]『エデンの園の言語 アーリア人とセム人 摂理のカップル』 [[浜崎設夫]]訳 叢書ウニベルシタス・[[法政大学出版局]] 1995年、[[反ユダヤ主義]]の根源的批判 == 関連項目 == * [[優生学]]、[[人種差別]]、[[民族差別]] * [[ノアの方舟]]、[[アブラハムの宗教]] {{ナチ党}} {{DEFAULTSORT:あありあんかくせつ}} [[Category:民族の系統]] [[Category:白人優越主義]] [[Category:ナチス・ドイツ]] [[Category:仮説]] [[Category:エスノセントリズム]]