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==概要==
 
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1870年に創設され、1876年に開館した美術館で、毎年100万人以上の訪問者がある。[[古代エジプト]]美術、[[モネ]]やファン・[[ゴッホ]]を含む[[フランス]]絵画、東洋美術など世界有数の規模と質を誇る。"東洋美術の殿堂"と称さる。100年以上にわたる日本美術の収集は、アーネスト・フェノロサや岡倉天心に始まるが、現在では10万点を超える。海外にある日本美術コレクションとしては、世界随一の規模と質の高さといえる。
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[[1870年]]に創設され、1876年に開館した美術館で、毎年100万人以上の訪問者がある。[[古代エジプト]]美術、[[モネ]]やファン・[[ゴッホ]]を含む[[フランス]]絵画、東洋美術など世界有数の規模と質を誇る。"東洋美術の殿堂"と称さる。100年以上にわたる日本美術の収集は、アーネスト・フェノロサや岡倉天心に始まるが、現在では10万点を超える。海外にある日本美術コレクションとしては、世界随一の規模と質の高さといえる。
 
==岡倉天心=とフェノロサ==
 
==岡倉天心=とフェノロサ==
 
[[1904年]]に41歳でアメリカに渡った[[岡倉天心]]は、ボストン美術館の中国・日本美術部に迎えられ、1910年、47歳でボストン美術館中国・日本美術部長になる。東洋美術品の整理や目録作成を行い、また、ボストン社交界のクイーンと呼ばれた、大富豪イザベラ・ガードナー夫人と親交を深めた。天心はボストン美術館において中国、インド、日本での美術品収集を精力的に行った。[[富田幸次郎]]をボストン美術館に引き入れたのも岡倉天心であった。1895年、[[フェノロサ]]部長秘書のメアリ・スコット夫人との不倫が発覚して、フェノロサ部長は休職処分を受けた。フェノロサは、妻に提訴された裁判に敗訴し、賠償金支払いのために多額の負債を負った。また著書<ref>『浮世絵の巨匠展・解説目録』、1896年</ref>にボストン美術館所蔵の浮世絵の写真を無断で掲載したことが問題となって、免職となった<ref>フェノロサ 『日本浮世絵史』、2008年、新生出版、高嶋良二「訳者あとがき」、p. 156</ref>。フェノロサは、職探しのため日本を訪れ、岡倉天心に斡旋を依頼したが無視された。金に困り、手元に残した日本美術を後輩の美術品コレクターのフリアーに売却した。[[フリアー美術館]]の日本美術になったと思われる。
 
[[1904年]]に41歳でアメリカに渡った[[岡倉天心]]は、ボストン美術館の中国・日本美術部に迎えられ、1910年、47歳でボストン美術館中国・日本美術部長になる。東洋美術品の整理や目録作成を行い、また、ボストン社交界のクイーンと呼ばれた、大富豪イザベラ・ガードナー夫人と親交を深めた。天心はボストン美術館において中国、インド、日本での美術品収集を精力的に行った。[[富田幸次郎]]をボストン美術館に引き入れたのも岡倉天心であった。1895年、[[フェノロサ]]部長秘書のメアリ・スコット夫人との不倫が発覚して、フェノロサ部長は休職処分を受けた。フェノロサは、妻に提訴された裁判に敗訴し、賠償金支払いのために多額の負債を負った。また著書<ref>『浮世絵の巨匠展・解説目録』、1896年</ref>にボストン美術館所蔵の浮世絵の写真を無断で掲載したことが問題となって、免職となった<ref>フェノロサ 『日本浮世絵史』、2008年、新生出版、高嶋良二「訳者あとがき」、p. 156</ref>。フェノロサは、職探しのため日本を訪れ、岡倉天心に斡旋を依頼したが無視された。金に困り、手元に残した日本美術を後輩の美術品コレクターのフリアーに売却した。[[フリアー美術館]]の日本美術になったと思われる。
 
==日本美術==
 
==日本美術==
*雲龍図 [[曽我蕭白]]筆 江戸時代・宝暦13年(1763)
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代表作を挙げる。
*[[弥勒菩薩立像]] [[快慶]]作 鎌倉時代・文治5年(1189)
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*雲龍図 - 江戸時代・宝暦13年(1763) [[曽我蕭白]]筆
*[[平治物語絵巻]] 三条殿夜討巻 鎌倉時代・13世紀後半
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*[[龐居士・霊昭女図屏風]](見立久米仙人)  [[曽我蕭白]]筆
*鸚鵡図 [[伊藤若冲]]筆 江戸時代・18世紀後半
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*[[弥勒菩薩立像]] [[快慶]]作 - 鎌倉時代・文治5年(1189)
*[[吉備大臣入唐絵巻]] 平安時代・12世紀後半
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*[[平治物語絵巻]] 三条殿夜討巻 - 鎌倉時代・13世紀後半
*島図屏風 尾形光琳筆 江戸時代・18世紀前半
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*[[鸚鵡図]] -  [[伊藤若冲]]筆 江戸時代・18世紀後半
*四季花鳥図屏風 [[狩野永納]]筆 江戸時代・17世紀後半
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*[[吉備大臣入唐絵巻]] - 平安時代・12世紀後半
*[[法華堂根本曼荼羅]]奈良時代
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*[[四季花鳥図屏風]] [[狩野永納]]筆 - 江戸時代・17世紀後半
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*[[法華堂根本曼荼羅]] - 奈良時代
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*[[普賢延命菩薩像]] - 平安時代
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*[[白衣観音図]] - [[狩野元信]] 室町時代
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*[[金山寺図扇面]] - 伝狩野元信 室町時代
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*[[龍虎図屏風]] - [[長谷川等伯]] 江戸時代・慶長11年(1606)
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*[[東坡・潘閬図屏風]] - 雲谷等顔 安土桃山~江戸時代
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*[[十雪図屏風]] - 狩野山雪 江戸時代
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*[[松島図屏風]] - [[尾形光琳]] 江戸時代
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ボストン美術館(ぼすとんびじゅつかん, Museum of Fine Arts, Boston)はアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市にある美術館である。コレクションには約50万点の美術作品が含まれている。

概要[編集]

1870年に創設され、1876年に開館した美術館で、毎年100万人以上の訪問者がある。古代エジプト美術、モネやファン・ゴッホを含むフランス絵画、東洋美術など世界有数の規模と質を誇る。"東洋美術の殿堂"と称さる。100年以上にわたる日本美術の収集は、アーネスト・フェノロサや岡倉天心に始まるが、現在では10万点を超える。海外にある日本美術コレクションとしては、世界随一の規模と質の高さといえる。

岡倉天心=とフェノロサ[編集]

1904年に41歳でアメリカに渡った岡倉天心は、ボストン美術館の中国・日本美術部に迎えられ、1910年、47歳でボストン美術館中国・日本美術部長になる。東洋美術品の整理や目録作成を行い、また、ボストン社交界のクイーンと呼ばれた、大富豪イザベラ・ガードナー夫人と親交を深めた。天心はボストン美術館において中国、インド、日本での美術品収集を精力的に行った。富田幸次郎をボストン美術館に引き入れたのも岡倉天心であった。1895年、フェノロサ部長秘書のメアリ・スコット夫人との不倫が発覚して、フェノロサ部長は休職処分を受けた。フェノロサは、妻に提訴された裁判に敗訴し、賠償金支払いのために多額の負債を負った。また著書[1]にボストン美術館所蔵の浮世絵の写真を無断で掲載したことが問題となって、免職となった[2]。フェノロサは、職探しのため日本を訪れ、岡倉天心に斡旋を依頼したが無視された。金に困り、手元に残した日本美術を後輩の美術品コレクターのフリアーに売却した。フリアー美術館の日本美術になったと思われる。

日本美術[編集]

代表作を挙げる。


アクセス情報[編集]

  • 所在地:465 Huntington Ave, Boston, MA 02115 アメリカ合衆国
  • 見学所要時間:約3時間
  • 開館日:毎日
  • 開館時間:土曜日から火曜日は10:00-17:00、水曜日、木曜日、金曜日は10:00-22:00
  • 入場料:大人25ドル、シニア・学生23ドル。子供10ドル、6歳以下無料
  • 交通:グリーンラインEの電車でHealth Street Station行で「美術館前」の停留所下車。

参考文献[編集]

  1. 『浮世絵の巨匠展・解説目録』、1896年
  2. フェノロサ 『日本浮世絵史』、2008年、新生出版、高嶋良二「訳者あとがき」、p. 156