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[[1964年東京オリンピック]]では上下白、1968年[[メキシコシティオリンピック]]では白のシャツに紺のパンツとなり、1970年代以降は白と青が交互に基調とされるようになり、1992年からは青を基調としている。また1988年から1991年に赤が採用されたこともあった。1988年に[[横山謙三]]監督が日本代表監督に就任すると、監督の意向で日本代表のユニフォームを国旗の色である赤に変えた。胸には従来の日の丸ではなく三本足の[[八咫烏]]が付けられるようになったが、成績が振るわず、横山監督が更迭されると、元の青を基調としたユニフォームに戻された。以後赤を基調にしようとする動きはなくなったが、2012年の[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]のアウェイユニフォームには赤が採用された。
 
[[1964年東京オリンピック]]では上下白、1968年[[メキシコシティオリンピック]]では白のシャツに紺のパンツとなり、1970年代以降は白と青が交互に基調とされるようになり、1992年からは青を基調としている。また1988年から1991年に赤が採用されたこともあった。1988年に[[横山謙三]]監督が日本代表監督に就任すると、監督の意向で日本代表のユニフォームを国旗の色である赤に変えた。胸には従来の日の丸ではなく三本足の[[八咫烏]]が付けられるようになったが、成績が振るわず、横山監督が更迭されると、元の青を基調としたユニフォームに戻された。以後赤を基調にしようとする動きはなくなったが、2012年の[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]のアウェイユニフォームには赤が採用された。
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4輪[[モータースポーツ]]を統括する[[国際自動車連盟|国際自動車連盟(FIA)]]が、国別に車両の塗装色(ナショナルカラー)を指定していた時期がある。現在はその規定はない。現在でもナショナルカラーを使用しているのは[[フォーミュラ1|F1]]の[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]。
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元々は、[[1900年]]に開催された[[ゴードン・ベネット・カップ (自動車レース)|ゴードン・ベネット・カップ]]で各国国別に車体の色が決められたことが発祥とされる(アメリカの新聞「[[インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ|ニューヨーク・ヘラルド]]」紙の社長[[ジェイムズ・ゴードン・ベネット・ジュニア]]の発案)。このレースは国別対抗戦であり、参加した4か国はそれぞれ、アメリカ・赤ベルギー・黄、ドイツ・白、フランス・青と決められていた。
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== 関連項目 ==
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*[[国旗の一覧]]
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*[[コーポレートカラー]]
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*[[スクールカラー]]
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*[[フラッグ・キャリア]] その国を代表する[[航空会社]]としてナショナルカラーを[[コーポレートカラー]]としているところが多い。
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テンプレート:国の象徴

ナショナルカラーnational colours )とは、その国を体現すると見なされているである。基本的にはその国の国旗国章を元にした色がナショナルカラーとしてイメージされる。我々が最もよく目にするのは、スポーツにおける国別代表の「チームカラー」で、オリンピック競技やサッカーなどがその最たるものである。モータースポーツでもナショナルカラーの伝統があるが、これは若干異なっているので、別途解説する。

ナショナルカラーの由来[編集]

国の名誉を色で表現することはローマ時代から行われており、都市国家ローマを象徴する色は「紫」とされた。当時は貝紫色の染料が貴重だったこともあり、のちの帝政ローマ時代には皇帝の権威を表す色としても重視された。近代では国旗の色にそれぞれの歴史や建国の精神を表象させることが多く、フランスの青・白・赤ドイツの黒・赤・金など、国旗と「色の表象」は一体のものと解釈されることが通例である。

現代「ナショナルカラー」が言及される場合の多くは国際スポーツにおける識別標としてのチームカラーであり、各スポーツにおける国際連盟が各国代表(連盟)から個別に聴取し登録するものである。多くのチームカラーは国旗に使われる色が使われるが、例外もある。オーストラリアの黄色と緑は国の花ワトルの黄色い花びらと緑の葉から来ている。オランダのオレンジはオレンジ公ウィレムの「プリンスの旗」と呼ばれる、初期の三色旗(青、白、オレンジ)から採用している。、イタリアの青は旧イタリア王国やその前身にあたるサルデーニャ王国の国旗に由来し、さらには地中海アドリア海をイメージしている。ベネズエラのチームカラーはバーガンディ(ワインレッド)だが、これは国旗の3色(赤・青・黄色)を混ぜるとこの色になるためである[1]

チームカラーとナショナルカラーへのこだわりが見られるのは国際スポーツなどにみられる慣習であり、いくつかの国では自国の代表選手の識別色(チームカラー)には競技を問わず統一的なナショナルカラーを採用することがある。日本はそれぞれの競技の伝統的チームカラーを重視することがあり、サッカーやバレー、野球などの国際大会では日章旗デザインの採用などで名誉を表象させることが中心である。ナショナルカラーは国旗などのように条約(国際慣習法としての国旗掲揚権、工業所有権における1883年パリ条約、ハーグ陸戦条約)などで規定されるものではなく慣例上のものであり、他国のナショナルカラーと同一のものであっても外交上は問題はない(サッカーなど競技の運用上で問題がある場合はセカンドユニフォームを用意することがある)。

サッカー日本代表の「チームカラー」[編集]

サッカー日本代表#概要と特徴 も参照 基本色に青と白の二配色が定着しているが、これは正しくはチームカラーでありナショナルカラーと言うわけではない。この青は一般的に「日本の国土を象徴する海と空の青」を表すとされているが、これは後付の理由である。最初期の日本代表は選抜チームではなく原則的に大学やクラブなどの単独チームで構成されており、ユニフォームも各チームのものがそのまま使用されていた。日本代表としての初の国際試合は1917年極東選手権で、東京高等師範学校東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の海老茶色のシャツを使用していた。初の選抜チームで構成され優勝を果たした1930年極東選手権の日本代表は青(ライトブルー)のシャツを使用した。これは選手の大半を送り込んだ東京帝国大学にならったものと考えられている。これ以降青は日本代表のチームカラーとして定着した。

1964年東京オリンピックでは上下白、1968年メキシコシティオリンピックでは白のシャツに紺のパンツとなり、1970年代以降は白と青が交互に基調とされるようになり、1992年からは青を基調としている。また1988年から1991年に赤が採用されたこともあった。1988年に横山謙三監督が日本代表監督に就任すると、監督の意向で日本代表のユニフォームを国旗の色である赤に変えた。胸には従来の日の丸ではなく三本足の八咫烏が付けられるようになったが、成績が振るわず、横山監督が更迭されると、元の青を基調としたユニフォームに戻された。以後赤を基調にしようとする動きはなくなったが、2012年のロンドンオリンピックのアウェイユニフォームには赤が採用された。

モータースポーツのナショナルカラー[編集]

4輪モータースポーツを統括する国際自動車連盟(FIA)が、国別に車両の塗装色(ナショナルカラー)を指定していた時期がある。現在はその規定はない。現在でもナショナルカラーを使用しているのはF1フェラーリ

元々は、1900年に開催されたゴードン・ベネット・カップで各国国別に車体の色が決められたことが発祥とされる(アメリカの新聞「ニューヨーク・ヘラルド」紙の社長ジェイムズ・ゴードン・ベネット・ジュニアの発案)。このレースは国別対抗戦であり、参加した4か国はそれぞれ、アメリカ・赤ベルギー・黄、ドイツ・白、フランス・青と決められていた。


脚注[編集]

  1. ベースボールマガジン社『週刊ベースボール』2009年3月23日号 「ベースボール意匠学 WBCに見るナショナルカラー」62ページ

関連項目[編集]