「もしあの年の高校野球で○○だったら/2000年代」の版間の差分
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目次
2000年[編集]
2000年春[編集]
- 敦賀気比の出場辞退がなかったら
史実では、仲澤(中日-ソフトバンク)が無免許・飲酒運転して出場辞退しますが。仲澤は退部しました。
- 不祥事自体がなくて、仲澤も健在なら、エース内海(巨人)と共に活躍して優勝か。悪くてもベスト4かと。
- ちなみに、夏も同様かと。
- 仲澤不在なら、逆に良くてベスト4、抽選(対戦相手)によっては初戦敗退も。
- その年のドラフトでは内海にオリックス以外からも複数の球団が1位指名するも史実通り入団拒否し東京ガスへ。
- いずれにせよ、2015年春よりも前に優勝できていた可能性はある。
- 智弁和歌山が出場していなかったら
前年の秋季近畿大会で初戦敗退に終わり選抜出場は絶望的かと思われたが、国体優勝などが評価されて逆転で選出された。もし智弁和歌山が選出されていなかったら。
- 変わりに選抜に出場したのは高田商だった(同じベスト8の上宮はコールド負けである上に大阪府から出場校が3校になってしまうため)。
- 補欠1位に智弁和歌山、補欠2位に上宮だった。
- 智弁和歌山の選抜準優勝はなく、場合によっては夏の優勝もなかった。
- 智弁和歌山の代わりに柳川か国士舘が決勝に進出していた。
2000年夏[編集]
- 智弁和歌山が準々決勝で敗れていたら
- 智弁和歌山の100本安打の最多記録達成はなかった。
- 2008年の大阪桐蔭の99安打が最多記録だった。
- 智弁和歌山の低迷が少し早まっていた。
- ジョックロックはあまり有名にならなかった。
- 柳川はベスト8の壁を破っていた。
- 優勝したのは柳川か光星学院だった。
- 優勝校が違っていたら
- 東海大浦安
- 東京ディズニーランドで東海大浦安の甲子園優勝に関するイベントがあった。
- 光星学院
- 東北勢初優勝、さらに引き分け再試合の三沢以来の青森県勢の決勝進出となって青森は大盛り上がり。
- この年に深紅の大優勝旗が白河の関を越え、その後2004年まで大優勝旗の行方は「津軽海峡越え」と言われるようになっていた。
- 青森は光星学院の1強となり、青森山田は史実ほど強豪にならなかったかもしれない。
- 柳川
- 香月投手は高卒でプロ入りしていた。
- この世代(1982年度生まれ)のプロ野球選手は「香月世代」と呼ばれていた。
- 00年代は福岡は柳川が盟主だった。
2001年[編集]
2001年春[編集]
- 宜野座が初戦で敗退していたら
- 21世紀枠がこの年限りで廃止されていたかもしれない。
- 21世紀枠が存続すれば、21世紀枠の初勝利は2005年の一迫商、初のベスト8以上進出は2009年の利府だった。
2001年夏[編集]
- 優勝校が違っていたら
- 近江
- 近畿地区は6県全て優勝達成。
- 近畿最後の県勢初優勝で滋賀は大盛り上がり。
- 横浜
- 「春夏連覇したらその後優勝できない」ジンクスが5年早く破られてた。
- 松山商
- 大正・昭和・平成に続いて、21世紀でも優勝していた。
2002年[編集]
2002年夏[編集]
- 明徳義塾が高知大会準々決勝で負けていたら
- この年の甲子園で初優勝した明徳義塾は、準々決勝の岡豊戦で9回裏にノーアウト満塁のピンチを招き、延長戦の末辛勝しました。この年最も明徳義塾を苦しめたチームとして話題になることもありますが、もし明徳義塾がこの試合に負けていたら?
- 明徳義塾は現在でも甲子園での優勝経験はなかった。
- さらに連続出場も4年で止まり、戦後初の7年連続出場を達成したのは2011年の智弁和歌山になっていた。
- そのまま明徳に勝った岡豊が甲子園に初出場していたか、高知が21年ぶりに出場していた。
- 岡豊が出場していたら、甲子園では初戦敗退か、よくて初戦突破が精一杯だっただろう。
- 初戦の相手が史実の明徳と同じ酒田南だったら接戦で勝てていたかもしれない。
- それでもこの大会以降、岡豊は高知の実力校の1つとなり2010年の選抜あたりにも出場していかもしれない。
- 岡豊を「おこう」と読むことが知れ渡っていた。
- 高知が出場していたら、明徳義塾が出場辞退した2005年より3年早く復活していた。
- 高知大会を優勝しての夏の甲子園出場は5年早く実現。
- こちらも甲子園では初戦敗退だったか、場合によっては2勝はできていた。
- この年の甲子園で1~2勝していた場合、高知が甲子園でなかなか勝てなくなることはなく、2007年の春夏どちらかではベスト8以上に進出していた。
- 岡豊が出場していたら、甲子園では初戦敗退か、よくて初戦突破が精一杯だっただろう。
- 優勝したのは智弁和歌山か常総学院だった。
- 常総だった場合は翌年は夏連覇を達成していた。
- あるいは翌年は東北が優勝していた。
- 常総だった場合は翌年は夏連覇を達成していた。
2003年[編集]
2003年夏[編集]
- 倉敷工対駒大苫小牧戦がノーゲームにならかったら
- 2003~05年まで駒大苫小牧は3連覇し、06年は4連覇をかけて決勝に臨んだ。
- あるいは倉敷工業に普通に勝ったので、悔しがる事もなくその後の強豪化はなかった。
- 2007年世代までは普通に強豪になってたと思う。
- 2003年の優勝はないでしょ。よくてベスト8だっただろう。
- いずれにせよ、北海道勢夏50勝目は駒大苫小牧が取るものの、1年早く到達していた。
- 東北が優勝していたら
- 悲願の白河の関越え。
- 仙台市は大盛り上がり。
- 2004年夏の駒大苫小牧優勝の時には「白河の関に続いて津軽海峡越え」と言われていた。
- もちろん、常総学院の木内監督の最後の夏を有終の美で飾れなかった。
- 選手たちも号泣していた。
- 号泣している選手を木内監督が慰めていた。
- 選手たちも号泣していた。
- 茨城県勢のその後の低迷もなかったかもしれない。
- ダルビッシュ有の知名度がさらに上昇していた。
2004年[編集]
2004年春[編集]
- 愛工大名電が優勝していたら
- 夏も出場したが初戦敗退する可能性もある。
- 翌年の選抜も優勝し、2連覇を達成する。
- 済美は初出場で春夏準優勝。
- 東北高校が準決勝に進出していたら
- 決勝に進出してもプレッシャーに潰されて敗戦、愛工大名電が優勝していた。
- 準決勝でクセ者の明徳さえ倒せれば決勝戦は案外普通に勝って優勝したんじゃないかと思う。
2004年夏[編集]
- 優勝校が違っていたら
- 北海道勢の甲子園優勝はほど遠いものとなっていたかもしれない。
- それどころか「白河の関越え」も程遠いものとなっていた。
- 済美
- 済美は高校野球史上初の初出場春夏連覇という快挙を達成していた。
- 東海大甲府
- 山梨県勢初優勝で山梨は大盛り上がり。
- ただし実際の北海道ほどではない。
- 千葉経済大付
- 春夏連続で初出場初優勝校が出ていた。
- その後も千葉の常連校になっていたかもしれない(史実では2008年以来出場なし)。
- 東北
- ダルビッシュは有終の美を飾ることが出来た。
- 場合によっては駒大苫小牧との対戦が実現していた。
- 優勝旗についてはとりあえずは「白河の関」は越えるが「津軽海峡越え」については達成できなかったことになる。
2005年[編集]
2005年春[編集]
- 神村学園が優勝していたら
- 前年の済美に並ぶ創部以来最速優勝タイ記録。
- 愛工大名電は2年連続選抜準優勝。
- 愛工大名電のバント野球が史実以上に批判され、倉野光生監督は辞任する可能性もあった。
2005年夏[編集]
- 明徳義塾が出場していたら
開幕2日前に不祥事で出場辞退した明徳義塾。もし出場していたら?
- 日大三に負けて夏の大会初の初戦敗退を喫していた。
- 皮肉なことに2011年の選抜で明徳が日大三に敗れてしまい、馬淵監督は就任以来初の初戦敗退を喫してしまった。
- 日大三に勝ってたらベスト4くらいまで行けたかもしれない。
- 明徳義塾が低迷することはなかった。
- 逆に高知が低迷していた。
- 中田亮二はプロ志望届を提出し、この年のドラフトで指名されていたかも。
- 明徳義塾が大会初日のカードを引いていたら
- 代替出場校に配慮し5日目くらいに変更されていた。
- 大会が5~6日順延になった。
- 優勝校が違っていたら
- 全般
- 夏連覇は1948年の小倉以来達成校なしになっていた。
- 田中将大は甲子園優勝投手になれなかった。
- 逆に翌2006年夏は優勝していたかもしれない。
- 京都外大西
- 本田は1983年のPL学園桑田以来の1年生優勝投手になっていた。
- その後の窃盗事件で、最も汚点を残した甲子園優勝投手になっていた。
- 優勝投手となることで周りの目が厳しくなり、大学を中退したり、事件を起こすこともなかったかもしれない。
- 大阪桐蔭
- 辻内と平田の評価がさらにあがっていた。
- 辻内のプロ野球人生は…あまり変わらなかったかな。
- 宇部商業
- 準優勝した1985年夏以上の名チームになっていた。
- 山口県は大盛り上がり。さらに宇部商は名実ともに山口ナンバー1の学校になっていた。
- 夏の出場回数だけなら山口県最多ですが?
- ただ史実同様2006年夏で玉国監督が退任していた場合、その後の凋落も史実通り、あるいは史実以上になっていた。
- エースの好永はプロ入りしていたかもしれない。
- 全試合1人で投げていたことを考えると、多球団競合の可能性は低いと思うけれども。
- 駒大苫小牧-大阪桐蔭が同じ展開で進み、対戦が準決勝ではなく決勝だったら。
- 翌年の早稲田実-駒大苫小牧の延長15回引き分け再試合ほどではないものの、間違いなく球史に残る名勝負の1つになっていた。
- プロでは田中VS辻内(1軍登板なしに終わったが)・平田・中田の対決も斎藤VS田中の対決並に注目された。
- 2004年の駒大苫小牧-済美から、2007年の佐賀北-広陵まで4年連続決勝戦は名勝負になっていた。
- そのため2008年の決勝のワンサイドゲームの落胆が史実以上になっていた。
2006年[編集]
2006年春[編集]
- 駒大苫小牧が出場していたら
- 駒大苫小牧は夏春連覇し、06年夏は夏3連覇と夏春夏3連覇をかけて決勝に臨んだ。
- 駒大苫小牧に勝てる相手は横浜と早稲田実業くらいか?
- 実は初戦で早稲田実業と対戦していた。
- 代替出場の北海道栄が早稲田実業と対戦したため。
- 「優勝したのは横浜だが真の日本一は駒大苫小牧だ」と言われることはなかった。
- 6月に青森で行われた横浜vs駒大苫小牧の練習試合はなかった。
- 優勝校が違っていたら
- 全般
- 6月に青森で行われた光星学院50周年記念試合には横浜ではなくこの大会の優勝校が呼ばれていた。
- 清峰
- 長崎県勢初の甲子園優勝が3年早く実現していた。
- 夏も福井商に勝って3回戦までは進んでいたかもしれない。ただし3回戦で早稲田実に敗れる。
- その場合早実は春の優勝校と前年夏の優勝校の両方に勝ったことになる。
- 案外優勝で気が抜けて、県予選敗退もしくは初戦敗退に終わっていたかもしれない(現に、2009年夏は県予選で敗退している)。
- 岐阜城北
- 岐阜県勢として1940年春の岐阜商以来66年ぶり、戦後初の優勝になっていた。
- 2007年の大垣日大の準優勝はあまり盛り上がらず。
- もしかしたら夏も出場していた。
- 尾藤竜一はこの年にドラフト指名されていた(史実では早稲田大学中退後、2009年に育成選手として巨人入りした)。
- PL学園
- 「春夏連覇したらその後優勝できない」というジンクスはPL学園が破っていた。
- 前田健太の評価があがっていた。
- それによって田中将大の評価が少し下がっていたかもしれない。
- ドラフトで複数球団が競合し、広島以外の球団に指名されていたか。
- 決勝のカードが違っていたら
- 横浜-PL学園
- 1998年夏の伝説の名勝負の再戦となり大いに注目された。
- それが実際の決勝と同じ21-0のようなワンサイドゲームだったら、高校野球ファンの落胆は大きかった。
- 「春夏連覇したらその後優勝できない」というジンクスは準決勝の時点で破られていた。
2006年夏[編集]
- 駒大苫小牧が優勝していたら
- 駒大苫小牧は中京商(現・中京大中京)以来の3連覇を達成していた。
- 春も優勝していた場合、春夏連覇、夏春連覇、史上初の夏春夏連覇を達成していた。
- 「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手の注目度が現実より下がっていた。
- 意外と彼は高校卒業後早大に進学せずプロ入りしていたかも。
- 逆に田中将大がさらに注目を集めていた。
- 斎藤が早稲田大学に入学しても、六大学野球の放映権料が上がることは無かった。
- 2010年ドラフトで日本ハムは斎藤を指名していなかったかも。
2006年秋明治神宮大会[編集]
- 報徳学園が優勝していたら
- 神宮枠で初出場した室戸の選抜ベスト8はなく、室戸は未だに甲子園未出場だった。
- 2008年以降に21世紀枠で初出場していかもしれない。その場合も2007年並の成績を残せたかは疑問。
- 近江が神宮枠で翌年春の選抜に出場していた。
- 滋賀県勢初の選抜アベック出場が実現していた。
- 選抜では近江は1勝くらいだっただろう。
- 夏は2回戦で今治西を破り、ベスト8くらいまで進出していた。
- 報徳学園、高知ともに選抜では史実とあまり変わらず初戦敗退していた。
2007年[編集]
2007年夏[編集]
- 広陵が優勝していたら
- 広陵は夏の甲子園として初めての優勝を飾っていた。
- 3度目の夏の決勝で3度目の正直を果たした。
- 佐賀北の逆転満塁ホームランも無かった。
- いや、もしくは逆転を許した後に逆転していたかも。
- 広陵が1回戦で敗退していたら
- 決勝が佐賀北VS駒大苫小牧となっていた場合、佐賀北の逆転満塁ホームランも無かったかもしれない。
- 駒大苫小牧が勝った場合その後の広陵の史実通りの対戦相手を見れば少なくとも準決勝の常葉菊川戦までは普通に勝ち進めたと思われる。場合によれば決勝は常葉菊川vs佐賀北になって常葉菊川が春夏連覇を達成していた可能性も。どちらが決勝に上がろうが佐賀北戦は普通に勝ってどのみちその準決勝が後々事実上決勝戦的な扱いになっていた。
- 満塁ホームランが9回裏に出ていたら
- 甲子園史上初の逆転サヨナラ満塁ホームラン(しかも釣り銭なし)となり史実以上の大騒ぎになっていた。
- 下手すると前年の引き分け再試合の決勝戦も霞んでいた。
- 佐賀北vs広陵が同じ展開で進んだものの,対戦が決勝ではなく準決勝だったら
- 佐賀北の逆転満塁ホームランはあまり記憶に残らなかっただろう。
- もしもう一試合の長崎日大vs常葉菊川で長崎日大が勝利していたら,ここの「佐賀vs長崎」に書いてあることが現実のものとなり,佐賀北の逆転満塁ホームランは間違いなく埋もれてしまう。
- 佐賀北vs長崎日大の決勝が史実の準決勝と同じ展開だったら、「決勝より準決勝がインパクトに残った大会」となっていた。
- もしもう一試合の長崎日大vs常葉菊川で長崎日大が勝利していたら,ここの「佐賀vs長崎」に書いてあることが現実のものとなり,佐賀北の逆転満塁ホームランは間違いなく埋もれてしまう。
- 文星芸大付vs興南が延長戦になっていたら
- その日の第1試合~第3試合のうち2試合が延長戦(うち1試合は延長15回引き分け)になったために試合開始が甲子園史上最も遅い18時30分開始になったこの試合ですが、もしこの試合も延長戦になっていたら?
- これに近いことが現実化していた。
- さすがに24時は過ぎないだろうが、21時越えは確実、下手すると22時も。
- 延長15回でも熱闘甲子園開始までには間に合いそうだが、編集が間に合わず詳細は翌日に回された可能性も。
- 試合時間短縮と選手の健康管理を考慮し、翌2008年から延長戦が12回までに短縮されていたかもしれない。
2008年[編集]
2008年夏[編集]
- 開幕が7月まで前倒しされていたら
2008年夏の高校野球は、北京五輪との日程重複を極力避けるため、開幕日が8月2日に設定されましたが、もし7月中に開幕ということがあれば…
- 当然、史上初の7月開幕となっていた。
- 現実の8月2日でも最も早い開幕となるため、7月開幕となれば初のこととなる。
- 仮に北京五輪開幕日(8月8日)までに全日程を終了させようと思ったら、記念大会で会期が17日になるため、7月23日から開幕ということとなっていた。
- ちなみに、北京五輪閉幕(8月24日)を待っての開幕では、閉幕日が9月10日となってしまうため、現実的ではない。
- 予選も6月から行う県が続出していた。
- 8月2日開催でも予選はいつもどおりだった県がほとんどだったが、7月開幕となれば前倒しをせざるを得なくなる。
- むしろ、地区大会は実施せず、春季都道府県大会の優勝校で代表校を決めていたに違いない。
- というより、この年の春季都道府県大会・地方大会は中止になっていたかと。
- 優勝校が違っていたら
- 常葉菊川
- 静岡県勢は1926年以来82年ぶり2度目の優勝を飾っていた。長らく優勝していないだけあって、県民は大喜び。
- 森下監督のセクハラ報道を払拭することが出来た。
- 静岡県は「サッカーばかりではなく野球も頑張ってる」と言われていた。
- 浦添商
- 2年連続の公立校による全国制覇となっていた。
- 学校は違えど、春夏とも同一県勢による優勝だった。
- 2010年の興南の春夏連覇は現実ほど注目されないかも(この時点で沖縄勢が夏優勝してたので)。
- 史上初の別の学校による同一都道府県春夏連覇となっていた。
- 決勝戦のカードが違っていたら
- 大阪桐蔭 vs 横浜
- 事実、準決勝で対戦したが、横浜が優勝していたら2006年の初戦のリベンジを達成したことになる。
- 2006年の初戦:横浜 6-11 大阪桐蔭
- 松坂大輔や上地雄輔など、横浜男子はOB・現役関係無く大喜び。
- 大阪桐蔭 vs 浦添商
- 1991年以来の大阪勢 vs 沖縄勢の対決になっていた。
- もし浦添商が優勝した場合、1991年のリベンジを果たしていた。
- 常葉菊川 vs 浦添商
- 両校とも初優勝(常葉菊川は2007年に紫紺旗を獲得済み)を懸けた一戦なので、注目が集まる。
2009年[編集]
2009年春[編集]
- 花巻東が出場していなかったら
花巻東は2008年の秋季東北大会準決勝で光星学院に6-3で敗れ選抜当確圏内の決勝進出を果たせなかった。しかし同じ岩手県勢で決勝に進出した一関学院が光星学院に7-1で敗れたため、県大会でも直接勝ってる花巻東が準決勝敗退ながら逆転で選出された。もし一関学院が選出され花巻東は出場できなかったら…
- 花巻東のセンバツ準優勝はなかった。
- 岩手県勢初の決勝進出もなかった
- 一関学院でも行けていただろうか?
- 万一一関学院が決勝に進んだ場合、勝算があったかも気になるが…
- 菊池雄星の注目度は現実より下がっていた。
- ドラフト一巡目で指名されることは変わりないが、メジャーからつめかけることはなかった。
- むしろ注目度が下がった結果、実史よりプロで活躍できてたかもしれない。
- 逆に一関学院の菊池翔太の評価が上がっていたかもしれない。
- 夏に花巻東が出場していたら、各新聞の評価はBランクくらいだった。
- 2回戦か3回戦迄が精一杯、ベスト4進出などなかった。
- 初戦(長崎日大)に勝っていたら上位に進出したのではないかと。
- 長崎県勢は今も春夏通じて優勝経験のないままの可能性もある。
- 倉敷工が金光大阪に敗れていたら
倉敷工は金光大阪戦で明らかなサヨナラスクイズをアウトと誤審されました。この試合は倉敷工が勝利を収めましたが、もし敗れていたら…?
- 翌日のスポーツ紙には誤審が史実以上に大きく報道されていた。
- 金光大阪は誤審問題で本来の力が出せず、2回戦で大敗した可能性も。
- 優勝校が違っていたら
- 全般
- 長崎県勢は今も春夏通じて優勝経験のないまま。
- 花巻東
- 春夏通じて東北勢としては初の優勝となっていた。
- 選抜ではあるが、優勝旗がこの時初めて白河の関を越えた。
- 東北勢にとって今後の課題は夏の大会を優勝することになっていた。
- 菊池雄星の評価が実際より上がるとともに、今村猛の評価は下がっていた。
- 史実通り夏出場できなければ外れ1位か2位指名になっていた可能性も。
- 利府
- 同じく東北勢初優勝になるとともに、21世紀枠の出場校の初優勝にもなっていた。
- エース投手のブログでの発言が史実以上に騒動になっていた。
- 優勝剥奪にはならないだろうが、「こんな学校が東北勢初優勝とか喜べない」なんて意見があったかも。
- 同年夏の甲子園出場はなかったかもしれないが、夏の初出場は史実(2014年)より早く果たしていた。
- 場合によっては宮城は仙台育英・東北の2強から利府を加えた3強時代に突入していた。
- 報徳学園
- 甲子園は大盛り上がり、しかし関西以外は盛り上がらない。
- 1991年夏の大阪桐蔭同様、ベスト4で唯一優勝未経験の県じゃない学校の優勝という形になり、優勝未経験の県の怒りを買っていた。
- 後の2013年夏の前橋育英もベスト4で唯一優勝未経験の県じゃない学校の優勝だったため、(史実以上に)優勝未経験の県の怒りを買っていたかもしれない。
2009年夏[編集]
- 日本文理が優勝していたら
- 最大7点差をひっくり返しての逆転優勝に、当然新潟はお祭り騒ぎ。
- それでも高校野球板ではやっぱり非難轟々。
- 中京大中京のエース・堂林はヒーローインタビューの時以上に号泣していただろう。
- 世紀の逆転劇に文句なしでノミネートされてた
- 花巻東-明豊戦の掲載はなかったかも
- 優勝旗は白河の関を越えたかで揉める(新潟市は福島県白河市どころか福島市より北)。
- 結局は「白河の関を経て越えない限りは、白河の関を越えていない」という結論に至るだろう。
- かなりの確率でここの大学が関連校だと勘違いされていた。(実際には無関係)
- 日本文理高校の話題は愛知県のスポーツ界最大の禁句になっていた。
- 広島県における佐賀北高校以上。
- 決勝のカードが違っていたら
- 岐阜商業vs中京大中京
- 東海地方だけが大盛り上がり。
- 日本文理vs花巻東
- 北信越勢は久々の、東北勢は初めての優勝を賭けて戦うために両地方は大盛り上がり。
- 春に続き夏も「どっちが勝っても春夏通じて初優勝」になっていた。
- 岐阜商業vs花巻東
- 両地方は大盛り上がり。ただし盛り上がりの度合いでは東北のほうが上。
- 日本文理の「土壇場の追い上げ」がなかったら
- スポーツ紙などでは「中京大中京圧勝」の見出し。
- 準優勝校であるはずの日本文理の扱いは現実以上に小さい。
- やっぱり文理は籤運だったといわれる。
- 「6点差、9回、2アウト、2ストライク、ランナーなし」は絶望を意味するキーワードとなっていた。
- 花巻東・菊池雄星の背筋痛が無かったら
- 中京大中京を相手に1、2点差ぐらいの接戦を演じていた。
- プロでは…、これはあまり変わらなかったかな。
- 9回表に日本文理逆転→9回裏に中京大中京再逆転サヨナラだったら
- 箕島-星稜の「奇跡は二度起きた」、智弁和歌山-帝京の「魔物は二度笑った」に続く新たな呼び名ができていた。
- 少くとも2006年夏の智弁和歌山-帝京は名勝負としてはかなり霞む。
- 場合によっては2007年夏決勝の佐賀北-広陵も。
- 世紀の逆転劇にはもちろんノミネート。
- 敗れた日本文理の選手も泣いていたかもしれない。
2009年秋明治神宮大会[編集]
- 優勝校が違っていたら
- 東海大相模
- 一二三投手の秋の時点での評価がさらに上がっていた。
- 一方で葛西投手はドラフト候補にすらなっていなかった。
- 翌年の神宮大会は大垣日大が優勝していたかもしれない。
- 桐蔭学園が神宮枠で翌年春の選抜に出場していた(三重は出場できなかった)。
- 帝京
- 伊藤投手が1年生ながら秋の時点ではナンバー1投手になっていた。
- 日大三は神宮枠扱いで選抜出場となり、桐蔭学園が関東5校目で出場していた(結果的には東海大相模が優勝した場合と同様)。
- 今治西
- 済美が翌年の選抜に神宮枠で出場していた。
- 選抜では今治西は史実と同様初戦敗退、済美は1~2勝あげ、夏の甲子園には済美が出場し、この項目のようになっていたかもしれない。
- 意外にも甲子園未出場の公立ということもあって岡豊が神宮枠に選ばれていたかもしれない。
2010年[編集]
2010年春[編集]
- 開星が向陽に勝っていたら
- 開星の野々村直通監督の例の発言はなく、夏も野々村監督で出場。
- 2年生の中には次の相手になるはずだった日大三と二度対戦した人が出る(翌年の夏の二回戦で実際に対戦しており、11-8で日大三が勝利している)ことになる。
- 日大三が優勝していたら
- 夏に東海大相模が優勝していた場合、2010~2011年にかけての高校野球は日大三(2010春)-東海大相模(2010夏)-東海大相模(2011春)-日大三(2011夏)というように優勝していた。
2010年夏[編集]
- 興南が準決勝で敗れていたら
- 沖縄県勢悲願の夏の甲子園優勝と史上6校目の春夏連覇は達成できず。
- それでも島袋洋奨投手たちの評価は下がらない。
- 翌日の決勝では東海大相模の一二三慎太投手は三連投で疲労していたため、興南の対戦相手である報徳学園が優勝していた。
- それでも東海大相模が優勝していたら、東海大相模は史上5校目の夏春連覇を達成していたことになる。
- 東海大相模の沖縄出身である双子の大城健二・卓三選手は、出身地の高校と決勝対決という経験は出来なかった。
- 開星のセンターが1回戦で落球しなかったら
- おそらく開星が2回戦進出していたと思われる。
- その後3回戦の興南戦までは勝ち進めたと思う。
- 東海大相模が優勝していたら
- 東海大相模は2011年春とともに夏春連覇を果たしていた。
2011年[編集]
2011年春[編集]
- 優勝校が違っていたら
- 九州国際大付
- 春のセンバツは2008年以来4季連続で九州・沖縄勢が優勝していた。
- 福岡県勢としては春は初優勝となっていた。
- 福岡県も春夏両方を制覇した県となっていた。
- 日大三
- 夏も優勝していたら春夏連覇を達成していた。
- 2010年~2012年は3年連続で春夏連覇校が出現したことになっていた。
- さらに神宮と国体も優勝したので、1998年横浜以来の全国大会4冠も達成。
- 鹿児島実
- 九国同様九州勢が選抜4年連続優勝を達成していた。
- 夏も出場できていたかもしれない。そして初戦で能代商と対戦していたら(史実では神村学園と対戦)、秋田の連敗は継続していたかも。
- 能代商が鹿児島実と対戦して勝っていたら、史実で神村学園に勝って連敗を止めたとき以上の大騒ぎだった。
- 決勝カードが異なっていたら
- 東海大相模-日大三
- 史上初の甲子園決勝での町田-相模原決戦として東京と神奈川の県境付近で大盛り上がりだった。
- 日大系列校と東海大系列校の最強の学校の初対戦としても話題になった。
- 九州国際大付-鹿児島実
- 1994年夏以来17年ぶり(選抜では初)の九州勢同士の決勝戦となり、九州だけで大盛り上がりだった。
- 相手の県は違うものの、鹿児島県勢にとっては1994年に佐賀商との九州対決で優勝を逃したので、そのときのリベンジと言われた。
- 開催中止になっていたら
- 東日本大震災の影響を鑑み、大会直前まで開催中止も検討されていました。
- 震災のなか奮闘する被災地の球児たちがクローズアップされることはなかった。
- この大会に初出場しその後甲子園出場がない大館鳳鳴、佐渡、創志学園、総合技術、城南は「幻の甲子園出場」になっていた。
- 創志学園の創部からの甲子園初出場最速記録もなくなり、最速出場記録は現在でも遊学館(最速優勝は済美)だった。
- 「最速で甲子園初出場するはずだった学校」として参考記録になっていた。
- 前橋育英は甲子園デビューが2年5ヶ月遅れた。
- 史実通り2013年夏の甲子園で優勝していたら、春夏通じて初出場初優勝になっていた。
- 「震災による大会中止で甲子園初出場が消えた悔しさをバネにしての初出場初優勝」と言われたかもしれない。
- 史実通り2013年夏の甲子園で優勝していたら、春夏通じて初出場初優勝になっていた。
- 三好匠・高城俊人のドラフトにも影響が出ていた。
- 明徳義塾の初戦敗退は未だに1987年春の1回だけだった。
- 組み合わせ抽選後に中止が決定した場合、2005年夏にこの大会の初戦と同じ「日大三-明徳義塾」のカードが組まれたあと明徳義塾が出場辞退したことがあったことも合わせ、「日大三-明徳義塾」の対戦が組まれるとそのカードは幻になるというジンクスができていた。
- それでも「第83回」としてカウントされ、翌2012年は「第84回」として開催された。
- 実際、夏は米騒動の影響で中止された1918年及び戦争の影響で中止された1941年の両年とも、回数にカウントされている。
- 2015年夏以降は創志学園が「甲子園にあと一歩で出れない不運のチーム」として有名になっていた。
- この大会以降2012年・2015年の夏の県大会決勝で2度負け、2015年夏は2点リードの9回に逆転負けだったため。
- 2016年春のセンバツに悲願の初出場を果たした。
- ただし出場回数は中止になった2011年もカウントして「5年ぶり2回目」になっていただろう。
- 創志学園が1勝でもしていたら
- 間違いなく校歌は知れ渡っていた。
- 実際はNHKでの放送が震災ニュースのため2回攻撃前の校歌のシーンが放送されず、試合は負けたため校歌を聞けなかった人がほとんど。
- 入場行進が中止されていたら
- 大会は開催されたものの入場行進は自粛されたとしたら
- 入場行進曲は使われず。
- 場合によっては創志学園の有名な選手宣誓もなかった。
- この大会の入場行進曲が幻になった代わりに、2013年の入場行進曲がいきものがかりの「風が吹いている」になっていたかもしれない。
- 選手宣誓が別の学校だったら
- キャプテンは新3年生で1993年~1994年生まれなので、「阪神・淡路大震災の年に生まれた」という宣誓文はなかった。
- 新2年生が選手宣誓という珍記録は誕生しなかった。
- 大垣日大が東北と対戦していなかったら
- 大垣日大に全国から苦情電話が多発することはなく、2回戦で大敗することもなかった。
- 場合によっては優勝している。
- 夏の甲子園にも出場し、ベスト8くらいまでは進出していた。
- 一方で東北と初戦で対戦した学校がやはり大垣日大と同じ目に遭っていた。
2011年夏[編集]
- 光星学院が優勝していたら
- 東北勢悲願の春夏通じての甲子園初優勝となっていた。
- 真紅の優勝旗が初めて白河の関を越えていた。
- 東北にとってはとても明るいニュースになっていただろうね。
- 大阪出身の生徒が多いことも話題になっていた。
- 地元青森はもちろんのこと大阪人も大喜びしていた。
- 沖縄出身者も多かったので沖縄でも。
2012年[編集]
2012年春[編集]
- 優勝校が異なっていたら
- 高崎健康福祉大高崎
- 間違いなく校歌が全国的な話題になり、CDの一般発売もありえた
- 光星学院
- 東北勢悲願の春夏通じての甲子園初優勝となっていた。
- そのかわり夏は出場できなかった可能性も。
- 浦和学院
- 監督の采配に対する批判が減っていた。
- 2013年春に春2連覇を達成していた。
- 同年6月に発生した同行野球部員の痴漢事件を報じた見出しが「センバツ優勝校の恥!浦学野球部員まさかのタッチアウト!」となり,史実よりも批判が大きくなる。
- 地球環境が一勝でもしていたら
- 通信制学校として初出場でしたが一回戦で履正社に敗退しました、仮に一勝でもしていたら?
- サッカー部だけでなく野球部にも入部希望者が殺到し、学校は施設改良を余儀なくされる。
- どっちにしろ次(愛工大名電戦)で大敗していた。
- 兵庫代表が一般枠で出場していたら
- 2011年の秋季近畿大会で兵庫県勢3校は初戦で全滅(しかも1位校と2位校はコールド負け)しましたが、兵庫が開催地であることから初戦敗退でも兵庫代表が出場するのではないかと噂されました。結果的に一般枠での出場はなく、21世紀枠で洲本が選ばれたことにより兵庫代表の選抜出場が実現しましたが、もし一般枠で兵庫代表が出場していたら。
- 出場するのは3校で唯一コールド負けを免れた育英か、県1位の報徳学園。
- 報徳学園だった場合は、田村伊知郎投手が注目された。
- どっちにしろ2003年に近畿大会初戦敗退ながら出場した近大付並に批判されていた。
- 21世紀枠は一般枠で出場した宮崎西が選出され、創成館が一般枠で出場していた。
- 創成館は1年早く甲子園初出場していた。
2012年夏[編集]
- 光星学院が優勝していたら
- 2011年夏、2012年春と2回連続で決勝戦に進出しながら準優勝に終わっているので、「3度めの正直」と言われていた。
- それ故に光星学院の選手、地元八戸市の喜びもひとしおだったと思われる。
- マスコミなどは「春のリベンジを果たした」と報じていた。
- 同年のドラフト会議では北條(光星学院)と藤浪(大阪桐蔭)に対する評価が現実とは異なっていたかも。
- どちらかが阪神に入団していなかった可能性もある。
- 決勝戦のカードが違っていたら
- 大阪桐蔭vs桐光学園
- 大阪桐蔭の藤浪投手と桐光学園の松井投手の直接対決が話題になっていた。
- もし桐光学園が優勝した場合、松井投手への注目度は現実以上のものになっていた。
- 逆に花巻東の大谷投手への注目度は下がっていた。
- もし桐光学園が優勝した場合、松井投手への注目度は現実以上のものになっていた。
- 東海大甲府vs光星学院
- 山梨県勢としては初めての決勝進出となっていた。
- どちらが優勝しても春夏通じて初優勝ということになっていた。
- ゆえに両地方は大盛り上がりしていた。
- 大阪桐蔭vs日大三
- 2012年春と2011年夏の優勝校が対決する決勝戦ということで注目を集めていた。
- 大阪桐蔭の春夏連覇か日大三高の夏2連覇かということが話題になっていた。
- 高校野球の決勝戦では久しぶりの大阪vs東京の東西対決となっていた。
- 夏では1976年以来36年ぶり、春も含めても1987年以来25年ぶりということになっていた。
- 花巻東高校が出場していたら
- かねてから注目されていた大谷投手の花巻東高校は地区決勝で敗退し甲子園の出場は叶いませんでした。もし、出場していたら?
- 高野連会長の「花巻東の大谷君を甲子園で見れなかったのが残念」という発言は当然なかった。
- プロやメジャーリーグのスカウトの注目は俄然高まっていた。
- 数球団の競合は確実。日本ハムに加えて巨人・阪神・ソフトバンク以外のどこかが確実に指名に乗り出していた。
- 特に優勝でもしていたら白河の関越えに加え、同校の2009年春の準優勝及び同年夏4強の雪辱として一躍注目の的となり、先輩・菊池の6球団をも上回る、7~8球団競合もあり得た。もしかしたらドラフト史上最多となる9球団競合も…
- 藤浪・東浜は競合にはならず、そのまま阪神およびソフトバンクの一本釣りとなった可能性もある。
- メジャーに行く道を選んだ場合でも、争奪戦は史実以上のものとなっていた。
- 数球団の競合は確実。日本ハムに加えて巨人・阪神・ソフトバンク以外のどこかが確実に指名に乗り出していた。
- 大阪桐蔭の藤浪投手や桐光学園の松井投手との対決が実現していたかもしれない。
2013年[編集]
2013年春[編集]
- 済美高校が優勝していたら
- 安楽選手への注目が俄然上昇していた。
- 浦和学院の監督森士氏への批判がさらに増え、最悪辞任もありえた。
- 夏もベスト8進出くらいはしていたかもしれない。
- 大阪桐蔭が全く同じ展開で敗退したものの、敗れた試合が◯◯だったら
- 1回戦、または初戦となる2回戦
- 近畿勢は初戦で全滅していた(戦後初)。
- それも危険なラフプレーで初戦全滅確定ということで、2ちゃんねるではなんJ民や関東住人の高校野球ファンを中心に大騒ぎ。
- 2ちゃんねるのニュース板の見出しは「森ルールで近畿全滅決定」。
- なんJも史実以上の祭り状態。
- 高校野球板の最弱スレではネタ王者に認定されていたかもしれない。
- 決勝戦
- 危険なラフプレーで目前だった3連覇が消えたということで、こちらも史実以上の大騒ぎ。
- 「史上最悪の準優勝校」として、こちらも高校野球板の最弱スレではネタ王者に認定されていたかもしれない。
- 1992年春以来21年ぶりに本塁憤死で試合が終わった決勝戦になっていた。
2013年夏[編集]
- 優勝校が違っていたら
- 延岡学園
- 宮崎県勢初の決勝進出で優勝となり、地元は大盛り上がりになっていた。
- 高校サッカーで鵬翔が県勢初優勝したことも相まって、県民の喜びは尋常なものではなかった。
- 九州勢は全県春夏通じて少なくても一回は優勝したことになる。
- あまちゃんのテーマを始めて応援歌に使いそのまま優勝したことであまちゃんの視聴率がもっと上がった可能性も
- 日大山形
- 東北勢初優勝となり山形県だけでなく東北全体で大盛り上がりになっていた。
- 学校は違うものの1985年夏の東海大山形の29-7の大敗が取り上げられ、「ここまで長い道のりだった」と言われていた。
- 花巻東
- 同じく東北勢初優勝となり岩手県だけでなく東北全体で大盛り上がりになっていた。
- OBの菊池雄星や大谷翔平からお祝いのメッセージが寄せられていた。
- しかし高校野球板では同校のサイン盗み疑惑も相まって大荒れ。しまいにゃ「花巻東は優勝旗を辞退しろ」の署名活動にすらなっていたかもしれない。
- 富山第一
- 富山県勢初優勝、北陸勢初優勝、北信越勢としても85年ぶり、春夏通じて59年ぶりの優勝となり北信越全体で大盛り上がりとなっていた。
- 史実通り5ヶ月後の高校サッカー選手権でも優勝していたら野球とサッカーの両方で大盛り上がりだった。
- 決勝戦のカードが違っていたら
- 花巻東vs日大山形
- どちらが勝っても白河の関を越えるため、注目が集まった。
- 日大山形が優勝した場合、山形県勢初の決勝進出で優勝のため地元は大盛り上がりになっていた。
- しかし花巻東が優勝していた場合、サイン盗み疑惑もあり相当な批判にさらされていただろう。
- 東北の他の4県勢が何度決勝に上がっても優勝できなかったのに、岩手or山形県勢が初の決勝で優勝旗をかっさらったので、優勝校を輩出した県の県民は鼻高々だった。
- 岩手は2009年春に準優勝していますが…
- あ、↑は夏に限った場合です。
- 岩手は2009年春に準優勝していますが…
- 日大山形vs富山第一
- 県代表の決勝初進出(共通)、白河の関越え(山形)、初出場初優勝(富山)の3つが含まれる極めて珍しい決勝となっていた。
- どちらが勝ってもメディアの取り上げ方は双方とも大きかった。
- 北陸勢が今まで一度も優勝していないことも後付けで報道される。
- どちらが勝ってもメディアの取り上げ方は双方とも大きかった。
- 前橋育英vs富山第一
- 「サッカーじゃないの?」という声があちこちから聞こえた。
- どちらが勝っても初出場初優勝という極めて珍しい決勝となっていた。
- 日大山形vs延岡学園
- 両チームとも春夏通じて初の決勝ということで、どちらが勝ってもメディアの取り上げ方は双方とも大きかった。
- 日大山形サイドからすれば、ある意味「2009年春のリベンジ」をかけて戦い・応援に臨んでいたと思われる(東北勢初優勝を九州勢に阻まれた為)。
- 駒大岩見沢が甲子園に出場していたら
- この年を最後に廃校が決まっていたかつての常連校駒大岩見沢がもし甲子園に出場していたら?
- マスコミが大きく取り上げていた。(主にお涙頂戴)
- 対戦相手はものすごく戦いずらかった。
- もし優勝していたら2003年の常総学院(木内監督勇退)、2004年の駒大苫小牧(北海道勢初優勝)を超える大騒ぎ。
- その場合翌年の優勝旗返還がどうなるか注目される。
- まんまこれになる。
- 常総学院が準決勝に進出していたら
- 準々決勝で9回まで2-0とリードしながら、まさかのアクシデントで敗退した常総学院。もし準決勝に進出できていたら?
- 力関係からして、常総学院が優勝していたと思われる。
- その場合、木内監督勇退後初優勝となっていた。
2013年明治神宮大会[編集]
- 日本文理が優勝していたら
- もちろん「8点差からの大逆転」が注目されることはなかった。
- 8点差から追い上げられるも1点差で逃げ切って8-7の勝利だったら、「2009年夏の甲子園決勝と逆の展開を日本文理がやられるも優勝した」と言われていた。
- 新潟県勢初の全国タイトル、北信越勢22年ぶりの神宮大会優勝&初の神宮枠獲得となり新潟の高校野球ファンの間で一部盛り上がった。
- しかし甲子園と違って県民には知られない。
- 翌年春の選抜には地球環境か北陸が神宮枠で出場していた(創成館は出場できなかった)。
- 負けた試合のスコアと対戦相手の成績では地球環境が有利だが、地域性では北陸が有利なため、本来すんなり決まるはずだった北信越の選抜選考が一転して出場校決定当日まで揉めることになっていた。
2014年[編集]
2014年春[編集]
- 履正社が優勝していたら
- 夏に大阪桐蔭が優勝すれば、史上初の別の学校での同一都道府県春夏連覇になっていた。
- 夏の大阪桐蔭の優勝も合わせ、PL学園の影がさらに薄くなっていた。
- 同年秋の廃部発表を残念に思わない人が増えていた。
2014年夏[編集]
- 星稜が石川大会決勝で負けていたら
- 0-8から9回の大逆転サヨナラ勝ちで甲子園出場を決め日本中で話題になった星稜でしたが、もし小松大谷に逃げ切られていたら。
- 石川大会決勝が全国で話題になることはなかった。
- youtubeやニコニコ動画にupされることもなかった。
- アメリカでもニュースになることなど勿論ない。
- 「追いつかない程度の反撃」で8-7で小松大谷の勝利だったらyoutubeにupくらいはされてたかもしれないが、ここまで話題にはなっていない。
- 小松大谷の新聞での評価は軒並みCランク、2ちゃんねるでは最弱候補にあげられていた。
- 小松大谷はおそらく初戦で敗退してた可能性が高いので、北信越勢の全校初戦突破はなかった。
- 場合によっては両校のエースだった岩下大輝(星稜→ロッテD3位)と山下亜文(小松大谷→ソフトバンク育成)のドラフト指名状況が変わっていた。
- 翌年に小松大谷が星稜に対して9回裏4点サヨナラで勝利することは無かった。
- 星稜の大逆転劇が甲子園で起きていたら
- 世紀の逆転劇に文句なしでノミネートされてた。
- 大垣日大-藤代と日本文理-富山商のどちらかは掲載されなかった。
- 全国での盛り上がりは史実以上だった。
- 実況板は祭り状態で下手すると鯖落ちしていた。
- 閉会式での高野連会長の講評でも間違いなく取り上げられる。
- 翌年から白球の記憶でも取り上げられたかもしれない。
- 済美が愛媛大会で優勝していたら
- それでも済美は甲子園に出場できただろうか?
- 2005年の明徳義塾みたいに不祥事の影響で出場辞退していた可能性が高い。
- さらに甲子園に出場できたとしても、上甲監督は指揮をとれなかっただろう。
- 別の監督が就任して経験不足が響き、初戦で敗退していた。
- 出場辞退だった場合、閉会式で高野連会長が「とりわけ残念なのは安楽投手の済美高校が出場辞退してしまったことであります」と言っていた。
- 2012年の大谷投手の件と違って出場辞退という結果なのでこの発言への批判は少なかっただろう。
- 優勝校が違っていたら
- 三重
- 三重県勢としては夏に限れば1955年の四日市高校、春を含めても1969年の三重高校以来の優勝となるので、久しぶりの全国制覇に県内は大盛り上がりとなっていた。
- 同校OGである西野カナから優勝をお祝いするメッセージが寄せられていた。
- 敦賀気比
- 北信越としては春夏通じて初の甲子園優勝ということになり、県内はもちろん北陸全体で大盛り上がりとなっていた。
- 史実通り2015年春も優勝していたら、昨年夏優勝からいきなり夏春連覇を達成していた。
2015年[編集]
2015年春[編集]
- 優勝校が違っていたら
- 全般
- 北陸は今でも優勝未達成の地域のまま。
- 松本の二打席連続満塁HRも無かっただろうから、彼が急に注目される事もなかっただろう。
- 平沼の注目度も史実より低かった。
- 夏の福井予選で敦賀気比が福井工大福井にスレスレで勝ってもそれほど大きく扱われる事は無かった。
- 東北が北海道に続いて北陸にまで先を越されることはなかったため、このコピペは存在しなかった。
- 東海大四
- 史実通りの対戦カードの場合、松本が打たなければ接戦に持ち込んで勝てたかもしれない。
- 北海道が春夏ともに優勝経験地域になってしまう為、更に後れを取った東北の高校に対するプレッシャーが史実よりも高くなっていた。
- むしろ北陸にはまだ先を越されなかったため東北に対する風当たりは史実より小さい。
- 夏の優勝校が史実通りだった場合、学校は違えど同じ東海大学系列の高校が春夏連覇したことになっていた。
- 大阪桐蔭
- 間違っても準決勝が史実のようなワンサイドゲームになる事は無かった。
- 勢いに乗ってそのまま夏の大会にも出られたと思われる。
- その場合恐らくベスト8くらいまでは行けていたかも。
- 準決勝の相手が静岡だったら可能性は高かったかもしれない。
- 裏金問題で高校野球板が荒れに荒れていた。
- 1983年春の池田以来32年ぶり5校目の夏春連覇達成で、同時に中京商以来となる春夏連覇と夏春連覇の両方を達成した学校になっていた。
- 兵庫代表が出場していたら
- 2014年の秋季近畿大会で兵庫県勢3校は2011年に続いて初戦で全滅し、33年ぶりの兵庫県勢の選抜出場なしとなりましたが、もしこの成績から1校でも選抜出場が実現していたら?
- 一般枠で出場
- おそらく県1位で立命館宇治に7-11で負けた神戸国際大付が初戦敗退から逆転選考される。
- 6校目に選出された近江が落選し、代わりに神戸国際大付が選出された。
- あるいはベスト4の龍谷大平安か奈良大付のどちらかが落選し神戸国際大付をねじ込むという、強引な逆転選考が行われたかもしれない。
- もし落選したのが奈良大付だったら、悲劇の落選により悲願の甲子園初出場はまたもおあずけという形になっていた。
- いずれにしても2003年の近大付以上に批判されたことは確実。
- 21世紀枠で出場
- 姫路南が近畿地区推薦に選ばれ、そのまま選抜出場の3枠にも入って選抜出場。
- あるいは姫路南ではなく近畿大会に出場した津名が兵庫県推薦に選ばれ、近畿地区推薦・最終選考も通って選抜に出場していた。
- 津名は過去に賭けトランプにより推薦辞退したことがあるので、推薦取り消し経験のある学校の初の21世紀枠での選抜出場になっていた。
- こちらも推薦取り消し経験のある学校が選ばれたことによる批判があった。
- 津名は過去に賭けトランプにより推薦辞退したことがあるので、推薦取り消し経験のある学校の初の21世紀枠での選抜出場になっていた。
2015年夏[編集]
- 早稲田実業がもっと早く敗退していたら
- 西東京予選で敗退していたら「清宮が出るにはまだ早い」と言われていた。
- 但し決勝で東海大菅生に負けていた場合はこの限りではない。
- あの決勝自体菅生が完全アウェーのような状態だったので、勝ってしまった場合は根拠のない誹謗中傷に晒されていたかもしれない。
- 但し決勝で東海大菅生に負けていた場合はこの限りではない。
- メディア上でオコエや小笠原などが取り上げられる機会がもう少し多かった。
- 日大三が出場していたら、早稲田実と同じ位置までは行けただろう(場合によっては優勝も)。
- 優勝校が違ってたら
- 仙台育英
- 春夏通じて初の東北勢の甲子園優勝ということで、宮城県のみならず東北中が盛り上がっていた。
- 「真紅の優勝旗が初めて白河の関を越えた」と言われていた。
- 加えて2011年の東日本大震災を乗り越えて東北に悲願の初優勝をもたらした、と報道されていた。
- 2013年の東北楽天ゴールデンイーグルス日本一に続いて被災地に希望を与え、東北の人は涙していただろう。
- むしろそれよりも「100年目の挑戦で遂に白河の関が開いた」という表現の方が広く浸透していたと思う。第1回の準優勝校が秋田中だった事を考えると尚更。
- 仙台育英の監督が敗戦後に「延長10回が勝負だと思っていた」と言っていたので、9回表に小笠原がいきなりホームランを打っていなければ十分可能性はあったと思う。
- 早稲田実業
- 清宮フィーバーは現実以上の盛り上がりをみせていた。
- 清宮が決勝で無安打だったとしても、スポーツ新聞では「やっぱり清宮はすごい」の1点張りだったに違いない。
- 2006年のハンカチ王子フィーバーのことが引き合いに出されていた。
- 2015年の新生児の男児の名前に「幸太郎」が増える。
- ただ2006年以降の「祐樹」もランキングが上昇したわけではないので、あまり変わらないかもしれないが。
- 2015年夏は1年生ばかりが目立った大会という印象を受けていた。
- 敦賀気比
- 2015年春まで春夏通じて優勝のなかった福井県、ひいては北陸勢がいきなり春夏連覇したということが大注目されていた。
- 2010年の興南(沖縄)以来の快挙となっていた。
- ほとんどの試合で平沼の調子が試合を左右していた+平沼自身が3年だったので、ここで優勝しても3連覇は無理だと予想する人が多かったと思う。
- 関東一
- 活躍の程度にもよるがオコエが史実以上に注目を浴びていた。
- ただし下記のように決勝の相手が早稲田実業の場合は注目度はやや下がっていたか。
- おそらく今年のドラフトの最注目選手としてどの球団がくじを当てるのかが話題になっていた。
- 決勝戦のカードが違っていたら
- 早稲田実業vs関東一
- 夏としては史上初の東京勢同士の対決となっていた。
- 清宮vsオコエの対決が大いに注目されていた。
- 甲子園は開場早々満員になっていただろう。
- スポーツ新聞各社が一番誌面作りに悩むカードになっていた。
- 早実が勝ったら1面が清宮一点張りなのは言うまでもないが、関東一が勝ったら「清宮の夏、終わる」「オコエ大勝利」の半々に分かれていそう。
- テレビ朝日で決勝の中継があったかもしれない。(この年は中継がなかった)
- 興南vs東海大相模
- 2010年夏と同じ組み合わせだったので、同年の試合が引き合いに出されていた。
- 現実と同じく東海大相模が優勝したら、「5年前の雪辱を果たした」と言われていた。
2016年[編集]
2016年夏[編集]
- 開催期間がリオデジャネイロオリンピックと被らないように変更されていたら
- 1・2回戦は7月30日~8月7日、3回戦以降は8月22日~8月27日に行われる。
- 史上初めて中断期間が設けられた大会になる。
- 2回戦終了後は勝ち残った学校の選手も一度故郷に帰る。
- 中断期間中は甲子園球場で阪神タイガースの試合が行われる。
- 7月に大会が始まるのも史上初となっていた。
- 2008年のように都道府県予選の開幕が繰り上げられ、一部地区では春季大会が中止になる。
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