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1931年8月、神戸新聞、大阪時事新聞、京都日日新聞の3社が合併し[[三都合同新聞社]]が発足する。1933年、京都日日新聞社が三都合同新聞社から独立する。1942年、戦時報道統制により、京都日日新聞と京都日出新聞が合併し、「京都新聞」を創刊する。1946(昭和21年)3月、[[白石古京]]、京都新聞社長に就任。 | 1931年8月、神戸新聞、大阪時事新聞、京都日日新聞の3社が合併し[[三都合同新聞社]]が発足する。1933年、京都日日新聞社が三都合同新聞社から独立する。1942年、戦時報道統制により、京都日日新聞と京都日出新聞が合併し、「京都新聞」を創刊する。1946(昭和21年)3月、[[白石古京]]、京都新聞社長に就任。 | ||
− | 1949年(昭和24年)1月、新年号紙面に戦後、関西で初のカラー印刷。同年11月、戦後創刊の夕刊「京都日日新聞」を合併し「夕刊・京都新聞」として発行、朝夕刊制復活の口火を切る。1951年(昭和26年)6月、「[[京都放送]]」発足、12月からラジオ本放送。1957(昭和32年)10月、[[加登藤信]](写真部長) | + | 1949年(昭和24年)1月、新年号紙面に戦後、関西で初のカラー印刷。同年11月、戦後創刊の夕刊「京都日日新聞」を合併し「夕刊・京都新聞」として発行、朝夕刊制復活の口火を切る。1951年(昭和26年)6月、「[[京都放送]]」発足、12月からラジオ本放送。1957(昭和32年)10月、[[加登藤信]](写真部長)第1回[[新聞協会賞]]を受ける。1967(昭和42年)10月、「宝池を返せ」キャンペーンで社会部に新聞協会賞。1971年6月、白石社長、日本新聞協会会長に就任。 |
− | 1974(昭和49年) | + | 1974(昭和49年)8月、本社新館完成。1981年5月、[[白石古京]]、京都新聞社主に、[[白石英司]]同社長に。1982年11月、多色印刷システム完成。 |
1983年1月、[[白石英司]]社長急逝、2月[[坂上守男]]、京都新聞社長に就任。同年10月、新刷版システムに紙面移行完了、鉛版93年の歴史に幕。同年12月、電子編集システム始動、1985年2月、新しい新聞製作システム「LINKS」完成。 | 1983年1月、[[白石英司]]社長急逝、2月[[坂上守男]]、京都新聞社長に就任。同年10月、新刷版システムに紙面移行完了、鉛版93年の歴史に幕。同年12月、電子編集システム始動、1985年2月、新しい新聞製作システム「LINKS」完成。 | ||
− | 1989年、新聞広告賞の企画部門・奨励賞に京都新聞社の愛宕フォーラムが選ばれる。1993年3月、京都新聞創刊40,000号。1999年6月、[[野村栄太郎]]、京都新聞社長に就任。16年(2004) | + | 1989年、新聞広告賞の企画部門・奨励賞に京都新聞社の愛宕フォーラムが選ばれる。1993年3月、京都新聞創刊40,000号。1999年6月、[[野村栄太郎]]、京都新聞社長に就任。16年(2004)、[[滋賀新聞]]を毎週土曜日に発行する。2006年、[[京都新聞社]]、[[京都新聞COM]]、[[京都新聞印刷]]の3社による京都新聞グループ経営が本格的にスタートする。2007年3月、新印刷拠点「久御山工場」本格稼動する。2008年、本社印刷工場をリニューアルし、久御山工場とあわせ「新印刷2拠点体制」整う。同年6月、[[齊藤修]]、京都新聞社長に。2010年6月、[[白石方一]]京都新聞会長兼社長に。2014年4月、京都新聞ホールディングスに社名変更。2014年、新たに(株)京都新聞社を設立し、[[黒田清喜]]が社長就任する。2016年6月、[[永島宣彦]]が京都新聞社長になり、2018年、6月[[山内康敬]]が京都新聞社長に就任した。 |
== 会社概要 == | == 会社概要 == | ||
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*シェア:京都市内で朝刊52.0%、夕刊49.7% | *シェア:京都市内で朝刊52.0%、夕刊49.7% | ||
*発行部数:朝刊 455,763部、夕刊 202,187部 ※2016年4月現在(社)日本ABC協会調べ。 | *発行部数:朝刊 455,763部、夕刊 202,187部 ※2016年4月現在(社)日本ABC協会調べ。 | ||
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+ | == 京都新聞グループ == | ||
+ | *株式会社 [[京都新聞社]] | ||
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+ | *株式会社[[京都センター]] | ||
+ | *株式会社[[京都新聞折込サービスセンター]] | ||
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== 参考文献 == | == 参考文献 == |
2018年9月26日 (水) 21:34時点における最新版
京都新聞(きょうとしんぶん)は、京都府と滋賀県で主に発行されている地方紙である。
歴史[編集]
1879年(明治12年)6月、浜岡光哲が「商報会社」を設立。6月に「京都商事迅報」を創刊する。2ヵ月後に「商事迅報」と改題する。1881(明治14年) 10月、「京都新報」創刊される。1882年 京都新報を「京都滋賀新報」と改題する。紙面に見出しをつけた(関西で初めて)。1884年(明治14年)10月、京都滋賀新報を「中外電報」と改題する。 1885(明治18年)4月、中外電報の姉妹紙として「日出新聞」を発行する。1892年、中外電報を廃刊し、日出新聞のみとした。1897年、日出新聞を「京都日出新聞」と改題した。 1912(明治45年)2月、「京都夕刊新聞」創刊。 1916(大正5年)5月、京都夕刊新聞を「関西日日新聞」と改題し、1920年(大正9年) 10月、関西日日新聞を「京都日日新聞」と改題する。 1931年8月、神戸新聞、大阪時事新聞、京都日日新聞の3社が合併し三都合同新聞社が発足する。1933年、京都日日新聞社が三都合同新聞社から独立する。1942年、戦時報道統制により、京都日日新聞と京都日出新聞が合併し、「京都新聞」を創刊する。1946(昭和21年)3月、白石古京、京都新聞社長に就任。
1949年(昭和24年)1月、新年号紙面に戦後、関西で初のカラー印刷。同年11月、戦後創刊の夕刊「京都日日新聞」を合併し「夕刊・京都新聞」として発行、朝夕刊制復活の口火を切る。1951年(昭和26年)6月、「京都放送」発足、12月からラジオ本放送。1957(昭和32年)10月、加登藤信(写真部長)第1回新聞協会賞を受ける。1967(昭和42年)10月、「宝池を返せ」キャンペーンで社会部に新聞協会賞。1971年6月、白石社長、日本新聞協会会長に就任。
1974(昭和49年)8月、本社新館完成。1981年5月、白石古京、京都新聞社主に、白石英司同社長に。1982年11月、多色印刷システム完成。 1983年1月、白石英司社長急逝、2月坂上守男、京都新聞社長に就任。同年10月、新刷版システムに紙面移行完了、鉛版93年の歴史に幕。同年12月、電子編集システム始動、1985年2月、新しい新聞製作システム「LINKS」完成。
1989年、新聞広告賞の企画部門・奨励賞に京都新聞社の愛宕フォーラムが選ばれる。1993年3月、京都新聞創刊40,000号。1999年6月、野村栄太郎、京都新聞社長に就任。16年(2004)、滋賀新聞を毎週土曜日に発行する。2006年、京都新聞社、京都新聞COM、京都新聞印刷の3社による京都新聞グループ経営が本格的にスタートする。2007年3月、新印刷拠点「久御山工場」本格稼動する。2008年、本社印刷工場をリニューアルし、久御山工場とあわせ「新印刷2拠点体制」整う。同年6月、齊藤修、京都新聞社長に。2010年6月、白石方一京都新聞会長兼社長に。2014年4月、京都新聞ホールディングスに社名変更。2014年、新たに(株)京都新聞社を設立し、黒田清喜が社長就任する。2016年6月、永島宣彦が京都新聞社長になり、2018年、6月山内康敬が京都新聞社長に就任した。
会社概要[編集]
- 社名:株式会社 京都新聞社
- 代表取締役社長 主筆:山内康敬
- 所在地:京都市中京区烏丸通夷川上ル少将井町239
- 資本金:1億円
- 従業員数:437人
- 企業理念:京都新聞社は、言論報道を基本とした総合情報活動を通して、人間性豊かな社会の発展につくす。
- シェア:京都市内で朝刊52.0%、夕刊49.7%
- 発行部数:朝刊 455,763部、夕刊 202,187部 ※2016年4月現在(社)日本ABC協会調べ。
京都新聞グループ[編集]
- 株式会社 京都新聞社
- 株式会社 京都新聞COM
- 株式会社 京都新聞印刷
- 京都電子計算株式会社
- 京都新聞企画事業株式会社
- 京都トラスト株式会社
- 株式会社京都センター
- 株式会社京都新聞折込サービスセンター
- 京都新聞販売株式会社