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加藤 敦美(かとう あつみ)とは、1928年生まれの元予科練生。戦後に共産主義に傾倒し、以後今日まで反日、反米、反自民党活動を行う。中国、韓国の国益を第一とする。
朝日新聞に自信の幻覚・幻聴エッセイを投書することを生きがいとしている。
人物[編集]
錦州中学校4年生,16歳の時に海軍甲種飛行予科練習生(15期)に志願し,山口県防府市の海軍通信学校の予科練習生として入隊し,特別攻撃隊基地に配属されるところで,敗戦となった。
著書に「存在と非在の物語: 天皇制から共産主義へ」がある。その他にも靖国神社慰霊碑への記載について「第792号霊璽簿からの氏名抹消等請求控訴事件」という訴訟を起こしている。その中の一文で、
「天皇を神と思いこまされて命を召し上げられたすべての戦死者が,ヤスクニから解かれて屈辱の傷の癒されることを望む」と書いている。
大好きな朝日新聞への投書[編集]
「死者を讃える資格者いない」無職 加藤 敦美(京都市西京区 76歳)[編集]
死者は、死者をして死なしめよ。前の戦争で死ななかった者に死者を語る権利はない。まして死者を裏切って米国の「手先」となり、国民を犠牲にして保身をはかる者が、どうして死者を讃えられるのか。
戦前戦中の日本は、天皇が神であり、国民全員が生命をささげて「神の国」を完結すべきだとされた時代であった。海軍飛行余暇練習生(予科練)であった私も含めて、誰が降伏することなど思ったか。
「自分は生き延びて死者を賛美する」などと考えた人はいなかったはずだ。だからこそ現代の日本に、死者を讃える資格のある者などいないのである。
死を免れた者たちが許されるのは、多くの人々の命を奪った侵略戦争とファシズムの元を断つために生きることだけである。憲法9条が存続してきたのも、死者からの許しがそこにしかなかったからである。
中国および韓国の反対があってもなくても、首相の靖国神社参拝は許されないのである。(2005年10月22日大阪)