「オレンジピープル」の版間の差分
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− | '''オレンジピープル''' | + | '''オレンジピープル'''(おれんじぴーぷる)とは、1980年代に一世を風靡した[[スワッピング]]雑誌のこと。 |
1980年11月にフライング80社が創刊。 | 1980年11月にフライング80社が創刊。 | ||
− | + | 雑誌の読者である一般の夫婦、カップル、単独の男女が、雑誌内でスワッピング(交換セックス)のパートナーを探すための雑誌。 | |
まだインターネットがなかったこの時代、『オレンジピープル』はスワッピングを楽しむ者達にとって、出会いの場だった。 | まだインターネットがなかったこの時代、『オレンジピープル』はスワッピングを楽しむ者達にとって、出会いの場だった。 | ||
創刊翌年の1981年、雑誌が大ヒットして「スワッピングブーム」が発生。「スワッピングブーム」は1980年代前半を最盛期として、約10年間続いた。 | 創刊翌年の1981年、雑誌が大ヒットして「スワッピングブーム」が発生。「スワッピングブーム」は1980年代前半を最盛期として、約10年間続いた。 | ||
− | + | スワッピングがブームになった1980年、「女子大生ブーム」(川島なお美)、「漫才ブーム」(B&B(島田洋七)、ツービート(ビートたけし))、「校内暴力ブーム」(積木くずし・1982年ドラマ化・高部知子「民放ドラマ史上最高視聴率」)が発生。翌1981年、関西でブームになっていた「ノーパン喫茶」が東京を中心とする関東地方を制覇し全国に波及。同1981年、アダルトビデオが誕生し「アダルトビデオブーム」が発生。同1981年、女子大生デート嬢を中心とする新手の売春クラブ「愛人バンク夕暮れ族」が大ブームとなり、同年、「暴走族ブーム」と、高校生を中心に「ツッパリブーム」が発生。翌1982年、全国の暴走族の数が「史上最多」となる。ボートハウスのトレーナー、パンチパーマ、リーゼント、学生服ズボンのボンタン、暴走族グッツ、なめ猫、ツッパリ人形、矢沢永吉グッツ、横浜銀蝿(ロックバンド)が流行。東京・代々木公園前でブームになっていた若者達の集団ダンスブームの主役「竹の子族」(沖田浩之、竹ゆたか、野々村誠)は、暴走族・ツッパリ系の「ロックンローラー族」に駆逐され衰退していった。なお、この時代の暴走族として、チェッカーズ・藤井フミヤ、銀蠅ファミリー・嶋大輔、ヒロミがいる。 | |
− | + | このようにセックスと暴力に支配された過渡期のこの時代、オレンジピープルを舞台に、スワッピングを楽しむ素人のスワッピングサークルが乱立。夫婦やカップルの争奪戦だけでなく、読者である独身女性・既婚女性がスワッピングに“単独参加”するのも奪い合った。 | |
− | + | テレビ朝日の深夜番組『トゥナイト』に、スワッピングサークルの中心メンバーである弁護士と医者の二人が顔出しで出演し、「女性上位のサークルで夫婦間のマンネリ解消になります、妻が他の男性とプレイしたあとはかえって燃えます」とPRして、自分達のスワッピングサークルへの参加を呼びかけたことまであった。 | |
現在は、[[ハプニングバー]]や[[カップル喫茶]]が夫婦やカップルの交換セックスの場として定着したが、1980年代にはスワッピングは変態セックスのイメージが強く、社会に与えたインパクトは非常に大きかった。 | 現在は、[[ハプニングバー]]や[[カップル喫茶]]が夫婦やカップルの交換セックスの場として定着したが、1980年代にはスワッピングは変態セックスのイメージが強く、社会に与えたインパクトは非常に大きかった。 | ||
+ | なお、乱交セックスを楽しむ「ハプニングバー」は韓国では合法であり、首都ソウルでは芸能人もプレイをして画像・動画が流出するなど、ブームが続いている。 |
2017年4月7日 (金) 22:19時点における最新版
オレンジピープル(おれんじぴーぷる)とは、1980年代に一世を風靡したスワッピング雑誌のこと。
1980年11月にフライング80社が創刊。 雑誌の読者である一般の夫婦、カップル、単独の男女が、雑誌内でスワッピング(交換セックス)のパートナーを探すための雑誌。 まだインターネットがなかったこの時代、『オレンジピープル』はスワッピングを楽しむ者達にとって、出会いの場だった。 創刊翌年の1981年、雑誌が大ヒットして「スワッピングブーム」が発生。「スワッピングブーム」は1980年代前半を最盛期として、約10年間続いた。 スワッピングがブームになった1980年、「女子大生ブーム」(川島なお美)、「漫才ブーム」(B&B(島田洋七)、ツービート(ビートたけし))、「校内暴力ブーム」(積木くずし・1982年ドラマ化・高部知子「民放ドラマ史上最高視聴率」)が発生。翌1981年、関西でブームになっていた「ノーパン喫茶」が東京を中心とする関東地方を制覇し全国に波及。同1981年、アダルトビデオが誕生し「アダルトビデオブーム」が発生。同1981年、女子大生デート嬢を中心とする新手の売春クラブ「愛人バンク夕暮れ族」が大ブームとなり、同年、「暴走族ブーム」と、高校生を中心に「ツッパリブーム」が発生。翌1982年、全国の暴走族の数が「史上最多」となる。ボートハウスのトレーナー、パンチパーマ、リーゼント、学生服ズボンのボンタン、暴走族グッツ、なめ猫、ツッパリ人形、矢沢永吉グッツ、横浜銀蝿(ロックバンド)が流行。東京・代々木公園前でブームになっていた若者達の集団ダンスブームの主役「竹の子族」(沖田浩之、竹ゆたか、野々村誠)は、暴走族・ツッパリ系の「ロックンローラー族」に駆逐され衰退していった。なお、この時代の暴走族として、チェッカーズ・藤井フミヤ、銀蠅ファミリー・嶋大輔、ヒロミがいる。 このようにセックスと暴力に支配された過渡期のこの時代、オレンジピープルを舞台に、スワッピングを楽しむ素人のスワッピングサークルが乱立。夫婦やカップルの争奪戦だけでなく、読者である独身女性・既婚女性がスワッピングに“単独参加”するのも奪い合った。 テレビ朝日の深夜番組『トゥナイト』に、スワッピングサークルの中心メンバーである弁護士と医者の二人が顔出しで出演し、「女性上位のサークルで夫婦間のマンネリ解消になります、妻が他の男性とプレイしたあとはかえって燃えます」とPRして、自分達のスワッピングサークルへの参加を呼びかけたことまであった。 現在は、ハプニングバーやカップル喫茶が夫婦やカップルの交換セックスの場として定着したが、1980年代にはスワッピングは変態セックスのイメージが強く、社会に与えたインパクトは非常に大きかった。 なお、乱交セックスを楽しむ「ハプニングバー」は韓国では合法であり、首都ソウルでは芸能人もプレイをして画像・動画が流出するなど、ブームが続いている。