「アラブ音楽」の版間の差分
提供: Yourpedia
(http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=アラブ音楽&oldid=12117303 2007年4月25日 (水) 03:30版から転記) |
(→外部リンク) |
||
(他の1人の利用者による、間の1版が非表示) | |||
119行目: | 119行目: | ||
* [http://oudclub.com/arabic-maqam/maqamat2-1.htm Maqam] | * [http://oudclub.com/arabic-maqam/maqamat2-1.htm Maqam] | ||
* [http://leb.net/rma/Articles/maqamat.html Maqamat] | * [http://leb.net/rma/Articles/maqamat.html Maqamat] | ||
+ | {{jawp}} | ||
[[category:民族音楽|あらぶおんがく]] | [[category:民族音楽|あらぶおんがく]] | ||
124行目: | 125行目: | ||
[[category:アフリカの音楽|あらぶおんがく]] | [[category:アフリカの音楽|あらぶおんがく]] | ||
[[category:音楽史|あらぶおんがく]] | [[category:音楽史|あらぶおんがく]] | ||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− |
2010年8月19日 (木) 06:43時点における最新版
アラブ音楽(アラブおんがく)とは、アラビア語を話す人々の音楽である。地域的には西南アジア、北アフリカを中心とした広がりを持ち、国としては、シリア、イラク、レバノン、エジプト、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、イエメンなどになる。周辺のイラン、トルコの音楽などとも関わりを持つ。
単旋律的で、メロディーは中国音楽のような5音音階的なものではなく、7音音階的である。中立音程などと言われる音程の使用が特徴的。メロディーには太鼓などによるリズム伴奏が付く事も特徴の一つ。
近年では、アルジェリアのオラン地方に発するライがポピュラー音楽としての発展をとげ、中東のみならず欧州をはじめ世界中で親しまれている。
目次
歴史[編集]
ジャーヒリーヤ期[編集]
- 基本的に声楽。歌を意味するはアラビア語は「ギナーア」。口頭伝承の形で伝えられていった。
- 狭義の「ギナーア」・・・芸術的なもの
- ナスブ・・・世俗的なうた。
- シイル・・・詩。
- フダー(フダーア)・・・隊商(キャラバン)のらくだ追いのうた。
- ナウフ・・・いわゆる哭歌(なきうた)。葬式の時のうた。
- ムガンニー(男性)、ムガンニーヤ(女性)は「歌をうたう人」の意。
- シャーイルは詩人(巫)だが、詩(シイル)にはメロディがつくのが普通だった。広義には音楽家といえる。
- カイナ(複数形キヤーナ)と呼ばれる「芸者」・「歌姫」がいた。
ウマイヤ朝期[編集]
- ダマスカスの宮廷などで活躍した音楽家。
- イブン・スライジュ
- マアバド( ? - 743 )
- ガリーズ
- ワリード2世(カリフ)
- マーリク・アッターイー
- イブン・アーイシャ
- ユーヌス・アルカーテブ
- イブン・アルカルビー( ? - 763 )・・・キターブ・アルナガム(旋律の書)、キターブ・アルキヤーン(歌姫の書)の著者。
- イブン・ミスジャハ・・・アラブ古典音楽の整備に功。
- ハリール( ? - 791 )・・・音楽理論に関する著作があったと言われる(現存せず)
アッバース朝期[編集]
- バグダードの宮廷で活躍した音楽家。
- ハカム・アルワーディー
- イブン・ジャーミー
- イブラーヒーム・アルマウシリー
- イスハーク・アルマウシリー・・・イブラーヒーム・アルマウシリーの子。優れた音楽家として名声を博した。古典アラブ音楽を守る保守派として、ペルシャ音楽を取り入れようとしたイブラーヒーム・イブン・アルマハディーと対立。
- ザルザル
- イブラーヒーム・イブン・アルマハディー・・・カリフ、アミーンのおじ。ペルシャ音楽の取り入れをはかった。古典アラブ音楽を守る保守派としてのイスハーク・アルマウシリーと対立。
- ジルヤーブ(ズィルヤーブ)・・・イスハーク・アルマウシリーの弟子。
- 当時の哲学者は博く様々な事柄を考察の対象としたが、音楽理論に関する著作を残した哲学者も多い。
セルジューク朝期[編集]
モンゴルの征服[編集]
オスマン帝国期[編集]
- ハサン・エフェンディ Hatip Zakiri Hasan Efendi(1545年 - 1623年)
- ガージー・ギライ Gazi Giray(16世紀末)
- クリミア・ハン国のハン。作品にマーフル・ペスレヴ(Mahur pesrev)など。
- ソラックザーデ Solakzade(17世紀前半)
- 作品にニーシャーブール・ペスレヴ(Nişâbur pesrev)など。
- ハーフィズ・ポスト Hafiz Post(? - 1693/1694年)
- ブフーリーザーデ・ムスタファー・ウトリー Buhurizâde Mustafa Itrî(1640年 - 1711/1712年)
- ハーフィズ・ポストの弟子。
- アフメト・チェレビー Ahmed Çelebi(17世紀後半)
- 作品にセギャーフ・セマーイー(Segah semai)など。
- デルヴィーシュ・ムスタファ Derviş Mustafa(17世紀後半)
- 作品にニハーヴェンド・ペスレヴ(Nihavend pesrev)など。
- カンテミルオウル Kantemiroğlu(1673年 - 1723年)
- モルダヴィア(ルーマニア)公ディミトリイ・カンテミル Dimitrie Cantemir のトルコ名。公子としてイスタンブール滞在中に数々の曲を作曲。独自の楽譜を考案、自作曲を書き残した。のちにロシアに亡命。ラテン語で優れたオスマン帝国史書を残したことでも有名。
- タンブーリー・ムスタファ・チャヴシュ Tanburî Mustafa Cavuş(18世紀前半)
- シェリフ・チェレビー Şerif Çelebi(18世紀前半)
- 作品にラースト・ペスレヴ(Rast pesrev)など。
- セリム3世 Sultan III. Selim(1761年 - 1808年)
- オスマン帝国の第29代スルタン。オスマン古典音楽を数多く作曲し「セリム3世楽派」の祖とみなされた。
- ハマーミーザーデ・イスマイル・デデ Hamamizade İsmail Dede(1777/1778年 - 1845/1846年)
- オスマン古典音楽最高の作曲家で、「デデ・エフェンディ Dede Efendi」として知られる。オスマン帝国第31代マフムト2世の宮廷に仕えた。
- ハンパルスム・リモンジュヤン Hamparsum Limonicuyan(1768年 - 1839年)
- アルメニア人。ハンパルスム譜を考案。
- デッラールザーデ・イスマイル・エフェンディ Dellalzade Ismail Efendi(1797年 - 1869年)
- イスマイル・デデの最も著名な弟子で、師につぐ大作曲家。美声で知られ、宮廷声楽家になった。
- タンブーリー・オスマン・ベイ Tanburî Büyük Osman Bey(1816年 - 1885年)
- ゼカーイ・デデ Zekai Dede(1824年 - 1897年)
- ハジュ・アリフ・ベイ Hacı Arif Bey(1831年 - 1884年)
- シェウキ・ベイ Şevki Bey(1860年 - 1890年)
- レミ・アトル Lemi Atlı(1869年 - 1945年)
- タンブーリー・ジェミル・ベイ Tanburi Cemil Bey(1871年 - 1925年(1916年とも))
近現代[編集]
- アブドゥルワッハーブ
- ファイルーズ
- ウンム・クルスーム
- ラシード・タハ(Rachid Taha、アルジェリアのライ)
- ハーレド(Khaled、アルジェリアのライ)
- シェブ・マーミー(Cheb Mami、アルジェリアのライ)
音楽理論[編集]
楽器[編集]
関連項目[編集]
参考資料[編集]
- 平凡社音楽大事典 - 西アジア項
- New Grove Music Dictionary「Turkey項第4節Art music内3のComposers」
- CD「TURKEY SPLENDOURS OF TOPKAPI」(OPUS 111,1999年,OPS 30-266)
外部リンク[編集]
- アラブミュージック・コム - 日本人アラブ音楽グループによる解説と文献紹介。
- Resource page
- Arabic musical instruments
- The maqam
- Maqam
- Maqamat
このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・アラブ音楽を利用して作成されています。変更履歴はこちらです。 |