「諫早女児殺害事件」の版間の差分
細 (114.187.5.31 (トーク) による編集を Fromm による直前の版へ差し戻しました) |
細 (「諫早女児殺害事件」を保護しました: 度重なる荒らし ([編集=管理者のみに許可] (2015年11月19日 (木) 12:43(UTC)で自動的に解除) [移動=管理者のみに許可] (無期限))) |
(相違点なし)
|
2015年10月19日 (月) 20:43時点における最新版
諫早女児殺害事件とは、2001年に長崎県諫早市で発生した、無職・吉岡達夫(当時23歳)が諌早市北諌早小学校1年、川原和未子(なみこ)ちゃん(7歳)をいたずら目的で誘拐し、殺害した事件。
事件概要[編集]
2001年10月12日午後3時半頃、長崎県諫早市福田町の工務店経営・川原冨由紀さん(当時46歳)の長女・和未子(なみこ)ちゃん(当時7歳、市立北諫早小1年)が下校途中に行方不明になった。自宅から約500メートル離れた諌早市福田町の市道交差点で一緒に下校した同級生と別れた後、行方が分からなくなった。
翌13日、事件に巻き込まれた可能性が高いとして長崎県警は公開捜査に踏み切った。
その翌日の14日午前、自宅から約6キロ離れた同市湯野尾町の山林の林道わきの斜面で、和未子ちゃんはうつぶせになった遺体で発見された。遺体には首を絞められた跡があった。死因は首を絞められたことによる窒息死と分かり県警は捜査本部を設けて連日130人態勢で現場付近での聞き込みや車両の検問をして捜査を続けた。
同月26日夕、川原さんの親戚の男が長崎県警諫早署に出頭。諫早署捜査本部は殺人容疑で取り調べた。男は「連日事件が報道され逃げられないと思った」と供述した。
この親戚の男は、無職・吉岡達夫(当時23歳、長崎市本原町)。専門学校を出てプログラマーとなり、挨拶もきちんとする普通の性格で真面目に務めていたが2000年末に辞めてぶらぶらしていた。
諌早署捜査本部は27日午前2時28分、未成年者誘拐の容疑で逮捕した。その後、殺人容疑などで再逮捕した。
吉岡は1人で帰宅していた女児に「道を教えてよ」などと声を掛けて車に誘い込み、山林内で首を絞めて殺害し、付近に遺棄した。公判で検察側は無期懲役を求刑。長崎地裁は2002年9月、「浅ましく卑劣な犯行」として求刑通り無期懲役を言い渡し、吉岡は控訴しなかったため刑が確定した。現在、服役中。
被害者遺族は「小児愛症」という精神鑑定を元に、無職と両親に約1億8千万円の損害賠償訴訟を起したが、長崎地裁は両親が犯行を予測することは困難だったとして吉岡本人だけに約7千万円の支払いを命令した。
裁判[編集]
小1女児殺害で無期懲役。長崎地裁、吉岡被告に[編集]
2002年9月、殺人、死体遺棄などの罪に問われた長崎市本原町、無職・吉岡達夫(24)に、長崎地裁(山本恵三裁判長)は、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。
公判で検察側は「周到な準備をした計画的な犯行」とした上で「人間の尊厳に対する配慮はみじんもない」などと、犯行の卑劣さを厳しく指摘。弁護側は起訴事実はほぼ認めたが「直前まで確定的な殺意はなかった」と計画性を一部争っていた。
女児殺害受刑者に賠償命令。一部は月命日に分割払い[編集]
小学1年川原和未子ちゃんの遺族が、服役中の吉岡達夫(28)と両親に約1億8000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、長崎地裁大村支部(斉藤充洋裁判官)は2005年12月15日、総額約7000万円を支払うよう吉岡受刑者に命じた。両親への請求は退けた。
和未子ちゃんの両親と兄弟が2003年9月に提訴。「殺害の事実と責任を忘れないように」と一部の分割払いを求めていた。