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*[[ダウンタウンDX]] 22時~22時54分 ([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系) | *[[ダウンタウンDX]] 22時~22時54分 ([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系) | ||
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=== スペシャル番組 === | === スペシャル番組 === | ||
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** 絶対に笑ってはいけないスパイ24時(2010年12月31日 - 2011年1月1日) | ** 絶対に笑ってはいけないスパイ24時(2010年12月31日 - 2011年1月1日) | ||
絶対笑っていけない刑務所(2014年12月31日から2015年1月1日) | 絶対笑っていけない刑務所(2014年12月31日から2015年1月1日) | ||
+ | 笑っていけない名探偵。(2015年12月31日から2016年1月1日。日本テレビ。) | ||
* [[キングオブコント|オロナミンC キングオブコント]]2008・2009(2008年10月5日・2009年9月22日、TBS) | * [[キングオブコント|オロナミンC キングオブコント]]2008・2009(2008年10月5日・2009年9月22日、TBS) | ||
* [[爆笑 大日本アカン警察]](2009年12月28日・2010年3月29日、フジテレビ) | * [[爆笑 大日本アカン警察]](2009年12月28日・2010年3月29日、フジテレビ) | ||
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2024年4月12日 (金) 21:23時点における最新版
ダウンタウン(DOWN TOWN)は、浜田雅功と松本人志から成る日本のヤンキー集団。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)所属。
目次
メンバー[編集]
来歴・人物[編集]
1982年4月4日コンビ結成。お互い小学校からの同級生であり、デビュー直後から独自の感性から作り出された漫才が評価され、後輩芸人にも多大なる影響を与えた。1987年から放送開始した自身がメインを務めた平日夕方の帯番組「4時ですよーだ」(毎日放送)で関西地区で大ヒット番組と成長を遂げ、番組人気と並行して女子中高生などの若年層からアイドル的な支持を獲得する。1988年から放送開始した「夢で逢えたら」(フジテレビ)では全国的に人気に火が付き東京進出を成し遂げる。1989年後半から1990年初頭にかけて「お笑い第三世代」と呼ばれたとんねるず、ウッチャンナンチャンらと共に次世代のお笑いタレントの代表的なコンビとなった。1989年から現在も放送中の長寿番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ)がスタート。1991年からは「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)もスタート。「ごっつええ感じ」では、作り込んだシュールなコントが視聴者に受けてダウンタウンとして一躍有名となった。1990年代中期からは松本は独自の笑いの感性を活かして、オリジナル・コントビデオ作品や書籍などを数々と発表、一方浜田は俳優業・音楽業などのお笑いとは違った活動にも精力的に幅を広げた結果、老若男女の年齢層から支持を得た。現在もテレビ番組のメイン業を中心に第一線で活躍している。
経歴[編集]
吉本入り~快調なスタート[編集]
1982年3月、日生学園第二高等学校を卒業した浜田が競艇選手になる為に受験するが落第、一方松本は兵庫県立尼崎工業高等学校卒業と同時に印刷工の就職が内定した。競艇選手の夢が破れた浜田は、その年に吉本興業が開校した新人タレント養成所「吉本総合芸能学院」(通称:NSC)の1期生募集ポスターを見つけ、就職先が内定していた同級生の松本を誘い、同年4月4日にNSC1期生として入学。入学後すぐに漫才の才能が認められデビュー2ヶ月目にはテレビ初出演となった毎日放送の「素人名人会」で名人賞を獲得、その1ヵ月後には「第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞を受賞、その大会で審査員を務めていた香川登志緒に大絶賛され、大賞受賞の功績としてNSC在学生では異例の早さで「なんば花月」の舞台を5日間であるが特別出演する。同年8月には、当時フジテレビの平日お昼の人気番組だった「笑ってる場合ですよ」の素人・アマチュア芸人の勝ち抜けコーナー「お笑い君こそスターだ!」に「まさし・ひとし」で出場し5週勝ち抜きグランドチャンピオンとなり、NSC同期生の中では注目されるコンビとして成長を遂げる。
劇場回りの日々~下積み時代[編集]
NSC在学中から注目されるコンビであり、NSC1期生卒業後には吉本興業が1983年度の第2期生を開校するに当ってNSCからニュースターを生み出す為、1期生からトミーズ、ハイヒール、銀次・政二(現在は解散)、そしてダウンタウンの「ノーブランド芸人」と呼ばれる4組で 「新人ゴリ押し作戦」が行われた。だが松本と浜田以外の同期生が新人ながらレギュラー番組や関西若手漫才賞レースで活躍していたが、この頃の2人は花月の劇場回りの日々を送っており、この年の関西の若手漫才賞レース「第13回NHK上方漫才コンテスト」「第4回ABC漫才・落語新人コンクール」(現:ABCお笑いグランプリ)に出場するも落選の連続であり、一部の芸人達からは評価されていたが新人賞レースではNSC1期生で若手漫才師の有望株であったトミーズが賞を連覇していた。地道な芸能活動と共に、1983年4月21日に大阪・難波の阪急ファイブ8F・オレンジルームでハイヒール、銀次・政二と共に「花月ような笑いからかけ離れた笑い」「アンチ吉本・アンチ花月」とテーマを掲げたコントライブ「ごんたくれ」(全3回)の第1回公演を開催させる。この「ごんたくれ」は後の心斎橋筋2丁目劇場の笑いの原型を開拓させたイベントでもあった。この時期に「松本・浜田」「ひとし・まさし」などで活動していたがコンビ名をダウンタウンに改名、同年6月6日になんば花月上席(6月6日 - 6月10日)で劇場デビューを果たす。1984年、ダウンタウンは再び新人賞レースに出場。前年に本選で落選した「NHK上方漫才コンテスト」の第14回大会では優秀賞(同年度の最優秀賞はトミーズが受賞)、同時期には前年、大賞をNSC同期生のトミーズに敗れた「ABC漫才・落語新人コンクール」第5回大会で漫才の部・最優秀新人賞を獲得、見事2大会で受賞を果たし、レギュラー番組も獲得するも花月の劇場回りの日々は続いていた。
「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」誕生[編集]
当時の花月三館(なんば花月・うめだ花月・京都花月)は漫才ブームが過ぎ去り、客層が若年層よりも年配層が多くを占めており納得する笑いが取れず模索していた時期に、養成所時代から2人のマネージャー的存在であった大崎洋(現在は吉本興業代表取締役社長)が才能はあるが注目度が低かったダウンタウンに対して「彼ら(ダウンタウン)の場を作ってやらんといかん」と大崎が発起人となり、当時大阪・心斎橋に南海電気鉄道が賃貸契約していた劇場「南海ホール」で笑いのターゲットを若年層に絞り、ダウンタウンを中心に集まった若手芸人と共に、1984年7月12日「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」(通称「心劇」)を毎週末に開場する。
「紳竜解散」、芸人としての転換期[編集]
1985年春、ダウンタウンは大きな転換期を迎える。同年4月に吉本興業が出版・発売している雑誌マンスリーよしもと4月号にて『ダウンタウンはどうして売れないのか?』という異例でもある特集記事が組まれた。その1ヵ月後のうめだ花月上席(5月1日 - 5月20日)で漫才出番があったダウンタウンの漫才を舞台袖で出番待ちをしていた紳助・竜介の島田紳助が2人の漫才を見て自分達に限界を感じて、当日に吉本興業本社に出向きコンビ解散を告げる。同年5月20日に、紳助・竜介解散会見にて紳助の口から「阪神・巨人やサブロー・シロー、ダウンタウンには勝てない」と紳助は当時無名に近かったダウンタウンの名前を挙げ、この発言がキッカケで徐々に知名度が上がるようになる。
その直後の1985年秋、太平サブロー・シローがメインを務めた関西テレビの深夜番組「今夜はねむれナイト」内の3分程度のコントコーナー『ダウンタウン劇場(シアター)』でテレビレギュラー番組を獲得、ラジオ大阪では若者向けのラジオ番組「おっと!モモンガ」の金曜日メインパーソナリティーに抜擢され、南海ホールでの定期的ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」も徐々に反響を呼ぶようになり、多くの若者から支持を受けるようになった。
「心斎橋筋2丁目劇場」オープン[編集]
1986年初頭には、南海ホールで定期的に開催していたライブ「心斎橋筋2丁目劇場」は、入場出来ない程の観客が詰めかけるようになり、劇場からは非常階段、130R、今田耕司、東野幸治などの新たな芸人達が活躍するようになっていた。同時期に南海ホールの経営が吉本興業になった際「大阪にもスタジオアルタのようなホールを創ろう!」と企画が持ち上がって、総工費約2000万円をかけて改装するのが決定し、同年4月12日に南海ホールとしては最終公演となる「心斎橋筋2丁目劇場」が開催された。
同年5月16日に正式に「心斎橋筋2丁目劇場」(通称「2丁目」「2丁目劇場」)としてリニューアルオープンする。笑いに敏感な大阪の若者達が連日劇場に足を運ぶようになり、オープンから3ヶ月後の同年8月6日に大阪城野外音楽堂で当時の2丁目劇場主要メンバーで行ったライブ「おさわがせ2丁目探険隊 来てもた大阪城」を開催すると、約1000人もの観客が集まり大成功を収めた。
「4時ですよーだ」、アイドル的に人気爆発[編集]
2丁目劇場とダウンタウンがさらに世間で注目されるようになった番組が誕生する。1987年4月6日、毎日放送でダウンタウンがメインで平日夕方の帯番組「4時ですよーだ」が放送開始。この番組を機にメインであったダウンタウンの人気が爆発、同年9月27日には大阪厚生年金会館(現:オリックス劇場)で「DOWNTOWN SCANDALS」というコンサートを開催すると会場は若年層の女性ファンで超満員であった。その人気に肖って、当時の吉本若手タレントでは珍しく写真集の発売や歌手としてデビューアルバムも発売させる。このダウンタウン人気で吉本総合芸能学院の1987年度(第6期生)・1988年度(第7期生)の生徒数が第6期生以前よりも増加する現象も起こった。関西で爆発的な人気を獲得したダウンタウンは東京での活躍にも幅を広げる。1988年10月13日に、フジテレビ系で若手お笑いタレントを総称した俗称「お笑い第三世代」の、ウッチャンナンチャン、野沢直子、清水ミチコと共にコント番組「夢で逢えたら」が関東ローカル(後に全国ネット)としてスタートさせる。同時期にはダウンタウンの東京進出の足掛かりとなった2丁目劇場東京公演「おでかけでっせ、ラフォーレまっせ」をラフォーレ原宿で不定期に開催させる。
東京進出~数々の人気番組誕生[編集]
吉本興業側から東京進出命令が下り、1989年9月29日に「4時ですよーだ」が最終回を迎え、10月には本格的に東京進出を遂げる。東京進出後の同年10月3日、日本テレビ系で「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」が深夜枠で放送開始(後に日曜23時台に降格)、「ガキの使い」は数々の企画と過激なものからシュールなものまで様々なバリエーションの企画が受け、現在では大晦日に番組の人気企画笑ってはいけないシリーズを放送している。だが東京進出初頭は「ガキの使い」のようなに人気番組も誕生する一方では、「全員出席!笑うんだってば」(日本テレビ)、「紳助のとんでもいい夢」(日本テレビ)、「ダンス!ダンス!ダンス!」(フジテレビ)とレギュラー番組を獲得するが半年で終了する番組も多かった。この東京進出以前にもダウンタウンは大阪時代に「笑ってる場合ですよ!」「ひょうきん予備校」「欽ドン!ハッケヨーイ笑った!」「ひょうきんミニ放送局」「初詣!爆笑ヒットパレード」(以下、フジテレビ制作)などの東京発のバラエティ番組にもレギュラー・ゲスト出演していたが、本格的には進出はしなかった。
1991年12月8日、3度の特番放送を経てフジテレビ系の日曜夜20時台のゴールデンタイムで「ダウンタウンのごっつええ感じ」が放送開始。「ごっつええ感じ」ではダウンタウンが得意とするシュールなコントで全国的に不動の人気を獲得し、全盛期には視聴率20%を越える人気番組と成長する。1993年10月21日、読売テレビ制作の全国ネット番組「ダウンタウンDX」や1994年10月17日、フジテレビで音楽番組「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」(~2012年12月17日放送終了)も放送開始、お笑いだけではなくコンビとしても多方面での活躍をしていた。
個人として多方面の活躍~ごっつええ感じ打ち切り[編集]
浜田は東京進出後に数々のドラマに出演・主演などの俳優業にも分野を広げ(ADブギ、人生は上々だ、竜馬におまかせ!など)、1995年3月15日には浜田は小室哲哉と音楽グループ「H Jungle with t」を結成し、第1弾シングル「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」を発売するとオリコンチャートで7週連続1位を獲得し、同年の大晦日放送第46回NHK紅白歌合戦にも出演。一方松本はお笑いの活動を続け、1994年には入場料1万円のライブ「寸止め海峡(仮題)」、1995年には日本武道館で初のお笑い芸人の1人単独ライブ「松風'95」が行われ独自の笑いを生み出し続けていった。
全国的にダウンタウンとして安定期を迎えた1997年11月8日、9月下旬に放送予定だった「ごっつええ感じ」の特番が、前日の土曜日にプロ野球・ヤクルトスワローズが優勝までのマジックナンバーが「1」となり、フジテレビ側は急遽、スペシャルの放送を翌週に変更し、セ・リーグ優勝決定試合に差し替えた。しかし、その変更の連絡すらなかったことに松本が激怒し、番組改編期でもない11月に打ち切りとなった。その直後に激怒した松本に対してバッシングを受け、プロ野球関係者からも「野球関係者に対する侮辱ですよ」と批判された(詳細はダウンタウンのごっつええ感じ#突然の番組終了参照)。
2000年代[編集]
2001年4月21日に日本テレビ系で浜田主演のドラマ「明日があるさ」が放送開始。このドラマの主要メンバーで構成された音楽グループ「Re:Japan」を結成し、「明日があるさ」をリリースすると、同年の大晦日放送の「第52回NHK紅白歌合戦」にも出場した。
2001年10月12日、不祥事で打ち切りとなった「ごっつええ感じ」が「ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル」として一夜限りの復活を遂げるが、視聴率は9.0%と裏番組に惨敗する。この「ものごっつええ感じスペシャル」は民放各局での同時間帯最低視聴率という不本意な記録し、これを機にダウンタウンとして10年間もの間、地上波テレビ放送ではコントを披露しなくなる。
2004年7月26日放送の「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」でゲストであった槇原敬之がSMAPに楽曲提供した「世界に一つだけの花」の話題になった際に浜田が「マッキー俺に作ってくれへんか?」の発言をキッカケに、作詞に松本人志、作曲・バックコーラスに槇原敬之、 唄を浜田雅功として同年11月17日に「チキンライス」を発売する。
2010年代[編集]
2011年11月5日、NHK総合で松本出演のコント番組「松本人志のコントMHK」のレギュラー放送第1回目のゲストとして相方である浜田とコントを披露。ダウンタウンとしてコントを披露するのは2001年放送の「-ものごっつええ感じスペシャル」以来である。
2012年、コンビ結成30周年を迎えた。
2012年4月8日、吉本興業100周年特別公演にダウンタウン、今田耕司、東野幸治、木村祐一、130Rなどで、かつて花月で行われていた興行「ポケットミュージカルス」を復活。公演内容は「ごっつええ感じ」の男性陣で構成された人気コントキャラエキセントリック少年ボウイオールスターズによる「「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ」や浜田が「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」を熱唱するという豪華なラインナップとなった。
2013年2月5日~3月2日、吉本興業100周年記念公演「吉本百年物語 アンチ吉本 お笑いレボリューション」で、ダウンタウンが若手時代に活躍していた劇場『心斎橋筋2丁目劇場』を舞台化。この公演でダウンタウンを間慎太郎(浜田雅功)、趙珉和(松本人志)が演じる。
2013年3月29日、読売テレビ制作・日本テレビ系で放送されている「ダウンタウンDX」のテレビ放送では未放送である、ダウンタウンの前説をDVD化した『ダウンタウンの前説 vol.1』(2004年~2006年までの前説集)『ダウンタウンの前説 vol.2』(2007年~2008年までの前説集)を発売。
評価と影響[編集]
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- 島田紳助は養成所時代からダウンタウンを評価していた(詳細は#島田紳助参照)。紳助はダウンタウンの芸風に対して「ダウンタウンはしっかりとした漫才ができているうえでの芸風だが、初めからダウンタウンと同じような芸風でやろうとしている芸人が多い」と過去に指摘していた。さらに松本のボケは野球でいうチェンジアップだと評している。 真っ直ぐで速い球を投げれるがあえてタイミングをはずして笑いを起こすというのはかなり高度な技術だと語っている[1]
- 渡辺正行は自身の笑いに限界を感じたのはダウンタウンだと語っている。1985年9月に大阪・扇町ミュージアムスクエアでコント赤信号主催の単独ライブ『激笑コント 上方漫才を越える日』が行われた際に、吉本興業側からダウンタウンの出演依頼を頼まれて幕間ゲストとして出演した。この公演でダウンタウンのシュールなネタを舞台袖で見ていた渡辺は「こういうシュールな芸が関西でも受けるようになったのか…」と衝撃を受け、自分達は勝てないと実感したという[2]。このライブで松本は書籍「ダウンタウンの理由」にて「あの時は、『赤信号さんを絶対食うたろ』と思ってました。ああいう所で受けんと、俺らの存在価値はなんやねんってことになるわけですよ。(中略)若い観客の前でもアカンかったらダメ人間ですからね。ここって所では、絶対にハズさなかったですよ」と語っている。
- ダウンタウンに影響を受けた芸人は関西を中心に非常に多く。ナインティナイン、雨上がり決死隊、千原兄弟、T・K・Oといった、芸人が多大なる影響を受けており、関東ではとんねるず、関西ではダウンタウンと言っても過言ではないと言える。
主なネタ[編集]
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カモシカの足
- デビュー後初めて作った漫才ネタ。NSCに在学して3ヶ月弱で出場した若手漫才師の登竜門的なコンクール「第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で披露した際に、大会の審査員であった喜劇・漫才作家で活躍していた香川登志緒から唯一ダウンタウンに握手を求める程に絶賛され、同大会で福笑い大賞を受賞したネタでもある。
誘拐
- ダウンタウンの代表的なネタ。松本が誘拐犯、浜田が誘拐された子供の親という配役で、誘拐犯役の松本が浜田演じる誘拐した子供の自宅に電話を掛け、「お前の家に小学校2年生の息子おるやろ?…ウチには6年生がおるねん」などの不条理な台詞に浜田がツッコミ入れるネタ。この誘拐ネタは、2010年11月14日放送の「M-1グランプリプレゼンツ MANZAIカバーズ」(朝日放送)で東京ダイナマイトによりカバー漫才された。
クイズ
- 「誘拐」ネタ同様にダウンタウンの代表的なネタ。配役は松本がクイズの出題者、浜田が回答者という設定の漫才。「花子さんがみかんを買いました…さて、どうでしょう?」などの不条理な松本の出題(ボケ)に対し、浜田が激怒しながらツッコミを入れるネタ。出題内容や進行が異なる数パターン存在する。
ヤンキー
- デビュー当時から披露されていたネタ。ヤンキーが良くする仕草について、浜田が唾を吐く仕草をしていると松本が「アイツらは用心深いから道に迷った時の為に目印を付けている…」という台詞に浜田がツッコミ入れ、再び浜田がヤンキーのする仕草で腰を下げて、座りタバコをするとそのまま舞台上を走り回り観客に対して印象付けるネタでもある。このネタは1985年1月19日放送の日本テレビのお笑いオーディション番組「お笑いスター誕生!!」での末期のコーナー「第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ」(詳細はお笑いスター誕生!!#オープントーナメント サバイバルシリーズ参照)のAブロック1回戦で披露され、Aブロックでの最高得点97点を獲得した。
刑事
- 松本がベテラン刑事役、浜田が新人刑事役兼犯人役として披露されるコント。このコントは複数の人物が登場するために、ダウンタウンとして披露するのは少ないが、複数で披露する際には浜田演じる犯人役を今田耕司で演じるのが多かった。
森の妖精
- 山登りに来た学生の浜田(配役として2人の場合もあり)が妖精役の松本に出会い、浜田が「こんにちは!妖精さん」と通り過ぎようとしたら何故かその妖精に激怒され説教されるコント。山登りに来た学生役として浜田以外に新人時代の頃に披露された際にはNSC同期生の前田政二も出演していた。[3]この「森の妖精」コントは、1992年4月26日放送の「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)で「Angelちゃん」としてリバイバルされた(この時の配役は、妖精役/松本・山登りに来た学生役/浜田・今田)。
二人羽織
- 「ダウンタウンのごっつええ感じ」のオープニングとして「探偵物語」(松本が浜田にやられるパターン)「傷だらけの天使」(浜田が松本にやられるパターン)のドラマのオープニングをパロディーした内容で1993年5月9日・6月6日放送分で計2回放送された。この二人羽織コントはかつてレギュラー出演していた「今夜はねむれナイト」(関西テレビ)のコントコーナー「ダウンタウン劇場(シアター)」で「傷だらけの天使」(松本が浜田にやられるパターン)のパロディーで同様の内容で披露された。
ローリングサンダーマン
- 浜田演じる少年が困っていると、雷と共にアリスの「冬の稲妻」のサビ部分が鳴り、松本演じるスーパーマン風の格好をした異世界からやって来た正義のヒーローローリングサンダーマンが現れる。その後も少年が困る度にローリングサンダーマンに助けられていたが、次第にローリングサンダーマンは少年の家に住み着いていたばかりか肝心なときに助けてくれなくなり少年に呆れられるというネタ。
「あ」研究家
- 浜田が進行役を務め「あ」について研究家である松本が登場し、「思い出した時の「あ」」「高い所から落ちた時の「あ」」「考え事をしていて誰かに呼ばれた時の「あ」」などを松本が演じるコント。「あ」以外にも「フィリピン」研究家、「み」研究家なども披露されている。このネタは2006年7月11日放送の「お笑い芸人親子で漫才王座決定戦スペシャル」(フジテレビ)で松本が母と共に披露したり、2007年1月4日放送の「史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ」(TBS)で松本とタカアンドトシのトシと共に披露された。
- 野球部
- 医者
- グルメ
- 怖い話
- 童謡シリーズ
- 「ジャックと豆の木」
- 「赤頭巾ちゃん」
- SM
- 仕事人
- キララとウララ
- はみがき体操
- お姉さん
- 子供電話相談室
etc…
交流関係[編集]
同期・仲間[編集]
先輩[編集]
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- とんねるず、ダウンタウンは同世代(とんねるずの方が2年先輩)だが、共演は、1987年5月3日放送の「さんま・鶴瓶のラ・テ 二元生放送 ヤンタン・とんねるず野球大会」(毎日放送)と1994年10月3日放送の「FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル」(フジテレビ)のみである。
- NSC出身者などの弟子経験のない芸人に対して否定的であったやすしとダウンタウンが初共演したのは、ダウンタウンがNSC在学中であった1982年12月12日放送の「ザ・テレビ演芸」(テレビ朝日)内の若手芸人の勝ち抜けコーナーであった。この番組出演にあたり、やすしが無類の飛行機好きだったので「ライト兄弟」と番組スタッフ側から名付けられて出演したが、披露した漫才ネタが親を揶揄するなど過激なネタで、披露後にやすしから「そんなもん漫才やない!チンピラの立ち話」と本番中に激怒された。その後松本の著書『遺書』では「チンピラの立ち話で結構!チンピラが立ち話をしていて聞いてみたら面白かった。それこそオレが目指す漫才である。先輩芸人の漫才とはこうあるべきという押し付けが漫才を衰退させる」とやすしを批評した。後年、松本はビートたけしと対談した1998年発売の「コマネチ!」で「最後の方はやすし師匠はめちゃくちゃやさしかったですね」と語っていた。
- さんまとダウンタウンの共演は、かつてさんまが朝日放送で放送していたコメディ番組「さんまの駐在さん」にダウンタウンもレギュラー出演していたが、浜田がこの収録を無断で欠席した為に降板させられた。その後再び共演したのはダウンタウンのメイン番組であった「4時ですよーだ」第1回放送のゲストにさんまが出演している。また後年にはさんまが「ダウンタウンDX」のスペシャル版にVTRゲストした際に、松本はさんまに直接お礼の電話をしたという[4]。近年ではフジテレビ夏の大型生放送特番「FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」にて「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」本番収録中のスタジオにさんまが突如に乱入し、トークを繰り広げた。松本は2007年6月1日放送の「さんまのまんま」(関西テレビ)にゲスト出演するなどしている。
- 下積み時代に二人が世話になった先輩芸人は少ないが、唯一太平サブロー・シローには世話になっていた。サブロー・シローがパーソナリティーを務めていたワイドラジオ番組「おっと!モモンガ」(1984年4月 - 10月、ラジオ大阪)のリニューアルの際に、番組側が新たな出演者を探している時に2人から「次はダウンタウンにやらしたってくれ!」「こいつら面白いからやらしてやってくれ!」と番組側に直談判してくれ、ダウンタウンは1985年10月11日から「おっと!モモンガPart2 おもしろREVOLUTION』の金曜パーソナリティーを務め、これがダウンタウン初のラジオレギュラー番組となった。松本は書籍『松本坊主』で「ものすごくいい勉強になった、『ガキの使い』のフリートークの原形みたいなものだった」と振り返っている。
後輩[編集]
島田紳助[編集]
- 紳助はダウンタウンの芸風には養成所時代から才能を認めていた。漫才ブーム隆盛当時、一般の芸風としてボケとツッコミを早口で捲し立てる「掛け合い喋繰り」が幅を利かせていたが、その中において松本と浜田の妙に間の開くシュールな漫才スタイルは異質な存在であった。この喋りのテンポが遅い点を指摘した紳助は芸風の方向性を松本に問いただすと、問われた松本は模索中ながらもある程度の確信がある旨を明かす。後に紳助は、ダウンタウンの漫才(の方向性が正しかった事)に衝撃を受け、同時にそれまで培った漫才がすでに通用しなくなっている現状を自覚する事になる。これが漫才を引退するきっかけとなり、紳助・竜介を解散した紳助は、記者会見の席上で解散の理由について、「うめだ花月で巨人・阪神とか、サブロー・シローとか、ダウンタウンを見てると(自分達は)明らかに負けている。それが悔しくて辛い」と述懐した。紳助は1984年7月10日放送の上岡龍太郎司会の『エキスタ寄席』(朝日放送)で『紳助・竜介の影響を受けた若手漫才師』というテーマでハイヒール、銀次・政二そしてダウンタウンが出演した際に、紳助は上岡から「この3組で怖い(芸人として)の誰?」と聞かれた際に「技術的にはここ(ダウンタウン)が1番上」とデビュー3年目のダウンタウンを評価していた。
- 紳助は2011年8月23日に芸能界引退を発表。この引退記者会見の席上で「前もって(引退について)言ったのは、ダウンタウンの松本だけです。ダウンタウンの漫才を見て『紳竜』は終わりだなと思った。芸能界終わる時も、まずアイツには伝えとかなアカンと思いまして、松本だけには伝えました。松本は『兄さん、やっぱり(吉本を)辞めんといてください』と言ってくれました」と語られた。
ウッチャンナンチャン[編集]
- ウッチャンナンチャン(以下、ウンナン)とダウンタウンは同世代である(但し、ダウンタウンが1982年デビューで3年先輩になる)。ウンナンとダウンタウンが出会ったのは、かつて日本テレビ系で放送されていたお笑いオーディション番組『お笑いスター誕生!!』で末期に行われた、出場者達がトーナメント形式で賞金を争う「オープントーナメントサバイバルシリーズ」での選考オーディションでダウンタウンが審査員の前で漫才を披露しているのを当時共にオーディションに参加していたウンナンは2人の漫才を見ていたという。その後フジテレビ系の深夜番組『冗談画報』で出演経験があったウンナン、ダウンタウンと野沢直子、清水ミチコそして番組スタッフなどが集結して始まったコント番組『夢で逢えたら』(フジテレビ)の共演がきっかけで2組とも公私共に仲が深まった。1990年代前期まではダウンタウンとウンナンが一緒に仕事をしたり、また互いの番組に共演も多かった。レギュラー出演していた『笑っていいとも!』では出演する曜日こそ違っていたが、年末の特大号で共演するときは楽屋が一緒だった。また、内村がフジテレビで放送していたコント番組『笑う犬』が日曜夜20時台に移行する際に内村は、日曜夜20時台は過去に『ごっつええ感じ』(1991年12月 - 1997年11月)の枠だった為「それなら松ちゃんに許可をもらわなきゃ」とわざわざ松本に連絡を取ったという。「そんなこといちいち俺に聞かなくてもいいのに…」と思っていた松本は、「ウッチャンはいい子すぎる」と語られていた。
- コンビ同士としての共演は1998年6月6日放送の『いろもん豪華特別版』(日本テレビ)を最後に10年以上実現していない。但し、個人それぞれの出演では実現している。2003年に開催された『M-1グランプリ2003』では松本と南原がお笑い第三世代代表として決勝戦の審査員を務め、しかも、隣同士の席順であったために、貴重なツーショットとなった。その後第6回・第10回のM-1決勝戦でも、南原と隣の席で審査員を務めた。いずれの最終審査でも2人とも同じコンビに投票した。(第3・10回:笑い飯、第6回:チュートリアル)また、ミュージシャンとして内村はポケットビスケッツ、NO PLAN、南原はブラックビスケッツの一員として『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に度々出演している。2009年1月3日放送の『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ2009』では、内村と松本が「即興コンビ」を組み、『夢で逢えたら』以来のコントを披露し、見事優勝にあたる「ベストカップル賞」を受賞した。
- 松本は自身の著書「松本坊主」でウンナンの2人を「ウッチャンナンチャンは同じ釜の飯を食った戦友」「ウンナンがおれへんかったら、ダウンタウンは(全国区で売れるのが)もう少し時間がかかったんちゃうかなあって思いますよ」と語っている。
作品[編集]
- 夕陽家族(1989年10月8日)
- 生きろ・ベンジャミン/いとしのゴルゴ(松本ヴァージョン)(1991年2月21日)
- 生きろ・ベンジャミン/えっ!さよなら(浜田ヴァージョン)(1991年2月21日)
- Grandma Is Still Alive(1994年7月21日) ※GEISHA GIRLS名義
- 少年(1995年5月19日) ※GEISHA GIRLS名義
- 「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ(1997年9月25日) ※エキセントリック少年ボウイオールスターズ名義
- 日影の忍者勝彦(1998年5月25日) ※日影の忍者勝彦オールスターズ名義
- 明日があるさ(2001年3月28日) ※Re:Japan名義
- この曲で2001年に2度目の紅白歌合戦出場を果たした。
- 明日があるさ UnderGround 2step Remix(2001年7月4日) ※Re:Japan名義
- bittersweet samba ~ニッポンの夜明け前(2002年3月13日) ※Re:Japan名義
以上がダウンタウン関連のシングル。
2004年11月「浜田雅功と槇原敬之」という音楽ユニットのクリスマスソング『チキンライス』の作詞は松本が担当したりと、共同作業もある。
- GOBU-GOBU(1988年10月21日)
- CBSソニーより発売されたミニアルバム。歌手デビュー作でもある。所ジョージが詞曲を提供している。
- 万力の国(1991年3月21日)
- 夢で逢えたら メモリアルアルバム(1992年9月18日)
- 同番組のサントラ盤
- GEISHA "Remix" GIRLS(1994年8月19日)
- THE GEISHA GIRLS SHOW - 炎の おっさんアワー(1995年5月19日)
- THE GEISHA GIRLS "Remix" SHOW 続・炎のおっさんアワー(1995年6月21日)
- 坂本龍一プロデュースにより、ニューヨークでCDデビューした際には、"THE GEISHA GIRLS"というユニット名がつけられた。
- 日本においては、下町にも住宅地があり、山の手にも繁華街があることが多いため、ダウンタウンを単に「下町」と訳すと意味が違ってくるためこの名になった。
- ただ、この命名の理由についてはあくまで便宜的なものであり、実際の命名のきっかけとなった出来事がある。これは、『ガキの使い』のトーク収録に坂本龍一が観覧に訪れており、後日のトーク収録にてこのことについて触れられた。そこから「坂本プロデュースでCDデビューしよう」と及び、「ユニット名は?」との浜田のフリに対し、松本が思わず発した「坂本龍一プロデュース、ゲイシャガールズ!」と発したことが直接のきっかけ。
- この収録のあと、乗り気になった番組スタッフがニューヨークにある坂本の事務所にプロデュース依頼のオファーを出し、坂本が「ダウンタウンの2人が(レコーディングで)N.Y.に来られるのなら」という条件付きでこれを快諾、ダウンタウンと坂本龍一らによる『THE GEISHA GIRLS』が結成されることになった。アメリカの人気DJ、オービー・トライスも参加している。
- ダウンタウンのごっつえぇ感じ 音楽全集(1997年12月15日)
- 番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』のサントラ盤
- look up to the sky ~明日があるさ~(2002年3月27日) ※Re:Japan名義
- 坂本九の楽曲「見上げてごらん夜の星を」をダウンタウンがカバーしている
- ダウンタウン物語(1988年)
- OH! MY ハレルヤ(1988年)
- ダウンタウンホラー・大魔神怒る(1989年)
- ウッチャンナンチャンがゲスト参加したコメディ。
- ダウンタウンの流(1991年)
- 漫才、ショートコントを収録。
- ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1-10(1995年 - 1998年)
- 同テレビ番組から傑作コントを厳選。
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! Vol.1~7(1995年 - 1998年)
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 10周年記念傑作トークベストセレクションVol.1~4(1999年)
- 明日があるさ(2001年)
- The Very Best Of ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1~5(2003年)
- Vol.1「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 浜田チーム体育館で24時間鬼ごっこ! +名作&傑作トーク集」(2004年8月25日、よしもとR and C)
- Vol.2「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 松本一人ぼっちの廃旅館1泊2日の旅! +名作&傑作トーク集」(2004年9月29日)
- Vol.3「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 松本チーム絶対に笑ってはいけない温泉旅館の旅!+名作&傑作トーク集」(2004年10月27日)
- Vol.4「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 抱腹絶倒列伝! 新作トーク集 +15年間の罰ゲームの系譜他」(2004年11月25日)
- Vol.5「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 絶対笑ってはいけない温泉宿1泊2日の旅 in 湯河原+名作 & 傑作トーク集」(2005年6月29日)
- Vol.6「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 負 山崎vsモリマン 男と女の真剣勝負! 笑の神が降りた奇跡の名場面集」(2005年7月27日)
- Vol.7「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 笑魂投入伝! 傑作トーク集!!」(2005年9月21日)
- Vol.8「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 放送800回突破記念永久保存版 松本・山崎・ココリコ絶対に笑ってはいけない高校」(2006年11月29日)
- Vol.9「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 放送800回突破記念永久保存版 笑神降臨伝!傑作トーク集!!」(2007年1月31日)
- Vol.10「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 ダウンタウン結成25年記念永久保存版 浜田・山崎・遠藤絶対に笑ってはいけない警察24時」(2007年12月19日)
- Vol.11「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 ダウンタウン結成25年記念永久保存版 唯我独笑伝!傑作トーク集!!」(2008年1月30日)
- Vol.12「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 絶対笑ってはいけない病院24時」(2008年12月26日)
- Vol.13「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 絶対笑ってはいけない新聞社24時」
出演[編集]
ダウンタウンとしての出演番組を記載。ピンでの出演作品は浜田雅功と松本人志の出演の項目を参照。
現在放送中のレギュラー番組[編集]
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 22時56分~23時26分 (日本テレビ系)
- ダウンタウンDX 22時~22時54分 (読売テレビ制作・日本テレビ系)
スペシャル番組[編集]
過去に出演したテレビ/ラジオ番組/CM[編集]
- ダウンタウン物語(1987年 - 1988年、毎日放送/関西ローカル)
- 花王名人劇場 よしもとマネージャー物語(1987年10月18日、関西テレビ)
- 桂三枝の大当り!初春長屋(1988年1月4日、関西テレビ/関西ローカル)
- THE 吉本興業殺人事件(1988年12月27日、ABCテレビ「火曜スーパーワイド」枠)
- ウッチャンナンチャンのコンビニエンス物語(1990年、テレビ東京)※ゲスト出演
- 世にも奇妙な物語「逆転」(1992年、フジテレビ)※カメオ出演
- 竜馬におまかせ!(1996年、日本テレビ)※浜田主演、松本は町娘役でゲスト出演
- 伝説の教師(2000年、日本テレビ)※松本主演、浜田は最終回にゲスト出演
- 明日があるさ(2001年、日本テレビ)
- ABOBAゲーム(1984年 - 1985年、ABCテレビ)※初レギュラー番組
- 今夜はねむれナイト(1985年10月 - 1987年3月、関西テレビ/関西ローカル)
- 紳助の今夜はねむれナイト(1987年4月 - 9月、関西テレビ/関西ローカル)
- なげやり倶楽部(1985年10月 - 1986年1月、読売テレビ/関西ローカル)
- さんまの駐在さん(1985年、ABCテレビ/関西ローカル)
- ひょうきん予備校(1986年10月 - 1987年9月、フジテレビ/関東ローカル)
- 欽ドン!ハッケヨーイ笑った!(1986年11月 - 1987年2月、フジテレビ)
- 4時ですよーだ(1987年 - 1989年、毎日放送/関西ローカル)
- 週刊ダウンタウン・おいしいとこスペシャル(1987年10月 - 1989年3月、『4時ですよーだ』の総集編)
- ひょうきんミニ放送局(1987年 - 1988年、フジテレビ/関東ローカル)
- ダウンタウンのゆーたもん勝ち!(1988年4月 - 9月、毎日放送/関西ローカル)
- 働けダウンタウン(1988年 - 1989年、毎日放送/関西ローカル)
- 夢で逢えたら(1988年 - 1991年、フジテレビ)
- Boy Meets Girl 恋々!!ときめき倶楽部(1988年 - 1989年、日本テレビ/関東ローカル)
- DAY BREAK(1988年 - 1989年、中部日本放送/中京ローカル)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(1989年 - 1993年、フジテレビ)
- 笑っていいとも!増刊号(1989年 - 1993年、フジテレビ)
- 笑っていいとも!特大号(1989年 - 1993年、フジテレビ)
- ツキイチダウンタウン(1989年4月 - 9月、毎日放送/関西ローカル)
- ききわけのない悪魔たち(1989年 - 1990年、テレビ東京)
- ダウンタウンスペシャル(1989年 - 1990年、毎日放送/関西ローカル)
- 全員出席!笑うんだってば(1989年10月 - 12月、日本テレビ)
- ビレッジ吉本(1990年、TBS)
- 紳助のとんでもいい夢(1990年4月 - 10月、日本テレビ/関東ローカル)
- DANCE DANCE DANCE(1990年 - 1991年、フジテレビ)
- ダウンタウンの素(1990年 - 1992年、毎日放送/関西ローカル)
- 夕焼けの松ちゃん浜ちゃん(1990年 - 1991年、ABCテレビ/関西ローカル)
- 松ちゃん浜ちゃんの純情通り3番地(1991年 - 1992年、ABCテレビ/関西ローカル)
- 世界の常識・非常識!(1991年4月 - 11月、フジテレビ)
- 夢の中から(1991年 - 1992年、フジテレビ)
- ダウンタウンのごっつええ感じ(1991年 - 1997年、フジテレビ)
- 摩訶不思議 ダウンタウンの・・・!?(1992年 - 1993年、ABCテレビ/関西ローカル)
- 生生生生ダウンタウン(1992年 - 1993年、TBS)
- ダウンタウン也(1993年4月 - 9月、TBS)
- ダウンタウン汁(1993年 - 1994年、TBS)
- 発明将軍ダウンタウン(1993年 - 1996年、日本テレビ)
- かざあなダウンタウン(1995年 - 1996年、テレビ朝日)
- ダウンタウン・セブン(2001年 - 2003年、毎日放送)
- WORLD DOWNTOWN(2004年4月 - 9月、フジテレビ)
- 考えるヒト〜公募の錬金術or考えるヒトコマ〜(2004年 - 2005年、フジテレビ)
- HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP(1994年 - 2012年、フジテレビ)
- 4時ですよーだスペシャル(1987年 - 1989年、毎日放送/関西ローカル)
- 天神祭ですよーだ(1987年8月27日/関西ローカル)
- 4時ですよーだスペシャルIN天王寺博(1987年11月2日/関西ローカル)
- 4時ですよーだ年忘れスペシャル 師走でおわす(1987年12月8日/関西ローカル)
- 4時ですよーだ新春初笑いスペシャル お正月ですよーだ(1988年1月3日/関西ローカル)
- 4時ですよーだスペシャル 淡路で大の字ダウンタウン(1988年9月18日/関西ローカル)
- 4時ですよーだスペシャル 文化の日でドンジャラホイ(1988年11月3日/関西ローカル)
- 4時ですよーだ 好きやねんスペシャル(1988年12月12日/関西ローカル)
- 4時ですよーだスペシャル 笑ろて暮れや!(1988年12月28日/関西ローカル)
- 4時ですよーだ新春スペシャル お正月ですよーだ(1989年1月2日/関西ローカル)
- 4時ですよーだスペシャル 黄金週間だ!パッパラパーズンズンズン(1989年5月1日/関西ローカル)
- 4時ですよーだアトミッカスペシャル ~ダウンタウンのそこが知れない~(1989年9月27日/関西ローカル)
- 4時ですよーだ永久保存版スペシャル ~明日に向かって笑え~(1989年9月28日/関西ローカル)
- 4時ですよーだファイナルスペシャル~涙の向こうにツッコミが見える~(1989年9月29日/関西ローカル)
- '87MBS超ワイド祭り第3部 2丁目ですよーだ(1987年8月29日、毎日放送/関西ローカル)
- 2丁目おでかけ探検隊(1987年9月16日、毎日放送/関西ローカル)
- 2丁目真夜中探検隊(1987年9月26日、関西テレビ/関西ローカル)
- ダウンタウン劇場(1987年11月8日・1988年12月30日・1993年3月13日、関西テレビ/関西ローカル)
- 出演していた『今夜はねむれナイト』内で放送していた「ダウンタウン劇場」のコント集を放送していた。
- ダウンタウン&寛平のホノルルマラソン(1988年1月7日、読売テレビ/関西ローカル)
- 2丁目ヒミツ倶楽部(1988年1月14日、関西テレビ/関西ローカル)
- この番組でウッチャンナンチャンと初共演した。
- ダウンタウンの2丁目十番勝負!(1988年3月19日、読売テレビ/関西ローカル)
- JRふれあいスペシャル グルメでライブ・おいしいがな!(1988年4月9日、毎日放送/関西ローカル)
- 2丁目爆笑ライブ見るまえに跳べ!!(1988年5月3日、朝日放送/関西ローカル「ABCホリデーワイド」枠)
- 激突!!おおさかNo.1決定戦 ダウンタウンvs寛平・淡海(1988年6月4日、読売テレビ/関西ローカル)
- ダウンタウンと小川菜摘で司会
- 2丁目おでかけ探検隊in韓国(1988年8月14日、読売テレビ/関西ローカル)
- 激笑トーク 紳助VS吉本ニューウェイブ -君はヨシモトを信じますか-(1988年8月26日、毎日放送/関西ローカル)
- よみうりテレビ夏まつり'88 新社屋初放送 開局30周年記念新たなる出発!YTVの顔勢揃い&新社屋サバイバルクイズ!!(1988年8月27日、読売テレビ/関西ローカル)
- 「新社屋サバイバルクイズ!!」のコーナーに出演。
- 朝まで働けダウンタウン(1988年・1989年・1990年12月29日、毎日放送/関西ローカル)
- ダウンタウンのスチャラカ騒動(1989年3月21日、朝日放送/関西ローカル「ABCホリデーワイド」枠)
- 朝まで働け紳助+ダウンタウン(1989年3月25日、毎日放送/関西ローカル)
- ダウンタウンのそらアンタたまには帰ってくるで!(1990年5月6日、毎日放送/関西ローカル)
- ダウンタウンの笑わしたる隊(1990年8月16日、中部日本放送/中部ローカル)
- クイズ・アメリカ物語(1990年9月8日、日本テレビ)
- クイズ・オセアニア物語(1991年2月10日)
- クイズ・ハリウッド物語(1991年6月29日)
- 逸見政孝とダウンタウンで司会
- シンデレラナイト ときめきパフォーマンス(1990年9月12日、テレビ西日本)
- ウッチャンナンチャン&ダウンタウンスペシャル〜SHA.LA.LA.の使いやあらへんで!!〜(1990年12月29日、日本テレビ)
- ダウンタウンのごっつええ感じ マジでマジであかんめっちゃ腹痛い(1991年1月3日、フジテレビ)
- ダウンタウンのガキの遊びやあらへんで!!~ダウンタウン改造計画~(1991年2月11日、日本テレビ/関東ローカル)
- ウッチャンナンチャン&ダウンタウンのびっくりさせまSHOW!!今夜決定ドッキリびっくりグランドチャンピオン!!(1991年4月8日、日本テレビ)
- 火曜ワイドスペシャル ダウンタウンのごっつええ感じ(1991年5月28日・7月23日、フジテレビ)
- ダウンタウンの熱闘!!全九州お笑い選手権(1991年7月28日、テレビ西日本/九州ローカル)
- '91 FNN年末報道スペシャル ニュースが目にしみる(1991年12月22日、フジテレビ)
- ダウンタウンの激笑歳末セール オマエら大人をなめんなよ!!(1991年12月26日、テレビ朝日)
- ダウンタウンスペシャル 男ットコ前やなー!(1991年 - 1993年、日本テレビ)
- ダウンタウンスペシャル 男ットコ前やなー!(1991年12月27日)
- ダウンタウンスペシャル 男ットコ前やなー!2(1992年4月11日)
- ダウンタウンスペシャル 男ットコ前やなー!3(1992年10月2日)
- ダウンタウンスペシャル 男ットコ前やなー!4(1993年4月1日)
- ダウンタウンスペシャル 男ットコ前やなー!5(1993年10月5日)
- ダウンタウンの正月からかなわんな(1992年1月3日、TBSテレビ)
- ダウンタウンの偽もんにだまされたらアホやでェ!!(1992年2月19日、テレビ朝日)
- リトル4 芸能界ゴルフ王への道・入門編(1992年4月12日、フジテレビ)
- 24時間テレビ15 「愛は地球を救う」(1992年8月29日-30日、日本テレビ)
- 緊急生放送!笑いの竜巻(ハリケーン)笑都を直撃じゃ(1992年10月1日、TBS)
- ダウンタウンの1億2千万人のスーパー電リク(1992年10月7日・12月23日・1993年3月31日、TBS)
- 初詣!爆笑ヒットパレード(1993年・1995年・2000年、フジテレビ)
- 第26回初詣!爆笑ヒットパレード・第2部(1993年1月1日)
- 第28回初詣!爆笑ヒットパレード・第3部 ダウンタウンのめっちゃめでたい新年会(1995年1月1日)
- 第33回初詣!爆笑ヒットパレード(2000年1月1日)
- ダウンタウンのハッピーニューイヤーンバカーン(1993年1月2日・6月10日、日本テレビ)
- きよし・ダウンタウンのおめでとう!新春吉本大マンザイ(1993年1月3日、関西テレビ)
- ダウンタウンの大挑戦 復活!なつかしのヒット番組総まくり(1993年1月4日、テレビ朝日)
- 夢で逢えたら伝説スペシャル~NYで野沢直子を探すドキドキの48時間と大総集編~(1993年4月10日、フジテレビ)
- 金曜テレビの星! ダウンタウンいたーいスペシャル!!アジアの国からコニャニャチワ(1993年8月20日、TBS)
- ダウンタウンのイタい奴っちゃなァー芸能界まるごとウタわしたろかァ!?(1993年10月9日、フジテレビ)
- スーパー電波バザール 年越しジャンボ同窓会(1993年12月31日、日本テレビ)
- お年玉スペシャル 笑う正月!ハッスルかましてよかですか!?(1994年1月1日、フジテレビ)
- ダウンタウンのお勉強新年会 スターになる年'94(1994年1月3日、関西テレビ)
- ダウンタウンの裏番組をブッ飛ばせ!!'94(1994年10月4日・12月31日、日本テレビ)
- YOKOWAZA特番とんずらスペシャル 松ちゃん浜ちゃんの笑いは格闘技だ!昔のVも見せたろか!!(1995年1月3日、フジテレビ)
- 水曜特バン! 一攫千金バラエティ ダウンタウンのアジアパー1(1995年3月15日、テレビ朝日「水曜特バン!」枠)
- FNS番組対抗!ザ・秋の祭典スペシャル(1995年9月25日、フジテレビ)
- Aブロック「ダウンタウンのごっつええ感じ」(THE TEAM FIGHT)の司会を担当
- ダウンタウンの今夜は150分アニメデモミー賞(1997年4月1日、フジテレビ)
- 疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI真夏の27時間ぶっ通しカーニバル〜REBORN〜(1997年7月26日-27日、フジテレビ)2015年1月11日のワイドナでぷよぷよ対決のシーン放送された
- ダウンタウンの滅多に見れへん!1998年大賞(1998年12月30日、テレビ朝日)
- 2丁目劇場ファイナル ダウンタウンですよーだ(1999年3月13日、毎日放送/関西ローカル)
- ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル (2001年10月12日、フジテレビ)
- “LAUGH & PEACE”笑いはニッポンを救う。(2002年10月5日、日本テレビ)
- 芸能界あの頃みんな若かったスペシャル(2003年3月14日、フジテレビ「金曜エンタテインメント」枠)
- ダウンタウンのバラエティ50年史(2003年8月2日、日本テレビ)
- 謎を解け!まさかのミステリー(2004年12月3日・12月17日、日本テレビ)
- 謹慎中の島田紳助の代理司会
- クイズ!ヘキサゴン(2004年12月8日、フジテレビ)
- 謹慎中の島田紳助の代理で浜田雅功が司会、松本人志が解答者として出演
- 史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ(2005年 - 、TBS)
- お笑い芸人親子で漫才王座決定戦スペシャル(2006年 - 2008年、フジテレビ「カスペ!」枠)
- ダウンタウンがキャスターやりますスペシャル(2006年・2007年、テレビ朝日「ドスペ!」枠)
- ダウンタウンvs魔術師Dr.レオン!! 絶対見破るぞ史上最強マジックSP(2006年・2007年、日本テレビ)
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越しスペシャル (2006年 - 2009年、日本テレビ)
- 絶対に笑ってはいけない警察24時!!(2006年12月31日 - 2007年1月1日)
- 絶対に笑ってはいけない病院24時!!(2007年12月31日 - 2008年1月1日 )
- 2008年第1部 山崎VSモリマン 大晦日対決SP(2008年12月31日)
- 2008年第2部 絶対に笑ってはいけない新聞社24時!(2008年12月31日 - 2009年1月1日)
- 絶対に笑ってはいけないホテルマン24時(2009年12月31日 - 2010年1月1日)
- 絶対に笑ってはいけないスパイ24時(2010年12月31日 - 2011年1月1日)
絶対笑っていけない刑務所(2014年12月31日から2015年1月1日) 笑っていけない名探偵。(2015年12月31日から2016年1月1日。日本テレビ。)
- オロナミンC キングオブコント2008・2009(2008年10月5日・2009年9月22日、TBS)
- 爆笑 大日本アカン警察(2009年12月28日・2010年3月29日、フジテレビ)
- 7時ですよーだ(2010年9月2日、毎日放送/関西ローカル)
- 素人名人会(1982年6月6日、毎日放送/関西ローカル))※テレビデビュー
- 「松本人志・浜田雅功」の本名で出演。
- 笑ってる場合ですよ!(1982年8月20日-26日、フジテレビ)
- 「ひとし・まさし」名義で出演。
- ザ・テレビ演芸(1982年12月12日、テレビ朝日)
- 「ライト兄弟」名義で出演。
- '84ABC漫才・落語新人コンクール(1984年1月16日、ABCテレビ/関西ローカル「ABCホリデーワイド」枠)
- 第14回NHK上方漫才コンテスト(1984年3月、NHK総合/関西ローカル)
- 第19回上方漫才大賞(1984年、関西テレビ/関西ローカル)
- 笑わなあかん夜(1984年5月7日、毎日放送/関西ローカル)
- エキスタ寄席(1984年7月10日、ABCテレビ/関西ローカル)
- THAT'S MANZAI(1984年、ABCテレビ/関西ローカル)
- 新春マンザイ最前戦(1985年1月、サンテレビ/関西ローカル)
- お笑いスター誕生!!(1985年1月19日・1月28日・3月16日・3月23日、日本テレビ)
- パーティー野郎ぜ!(1985年、テレビ朝日)
- サブロー・シローの爆笑最前線(1985年、関西テレビ/関西ローカル)
- お笑い春の祭典(1985年4月28日、TBSテレビ/関東ローカル)
- BK芸能チャンネルスペシャル(1985年5月8日、NHK総合)
- お笑い花月劇場 初恋うつむきかげん(1985年5月19日、ABCテレビ/関西ローカル)
- 100万円争奪!爆笑エンターティナー全員集合(1985年6月29日、読売テレビ/関西ローカル)
- 初詣!爆笑ヒットパレード(1986年 - 1992年、1月1日、フジテレビ)
- たけし・さんまの第19回初詣!爆笑ヒットパレード!! (1986年1月1日)
- 「ダウンタウン」名義としてフジテレビ初出演。
- 第20回初詣!爆笑ヒットパレード(1987年1月1日)
- 第21回初詣!爆笑ヒットパレード 完全4元生放送 お笑い超豪華決定版(1988年1月1日)
- 第22回初詣!爆笑ヒットパレード 4時間半3元生中継(1989年1月1日)
- 第23回初詣!爆笑ヒットパレード 5元生放送(1990年1月1日)
- 第24回初詣!爆笑ヒットパレード(1991年1月1日)
- 第25回初詣!爆笑ヒットパレード(1992年1月1日)
- お笑いオールスター吉本まつり 発表!!花月大賞(1986年1月6日、ABCテレビ/関西ローカル)
- '86ABC漫才・落語新人コンクール(1986年1月15日、ABCテレビ/関西ローカル「ABCホリデーワイド」枠)
- 冗談画報(1986年3月26日・1987年8月5日、フジテレビ/関東ローカル)
- 第21回上方漫才大賞(1986年、関西テレビ/関西ローカル)
- 追う男(1986年7月12日、NHK総合「ドラマ人間模様」枠)
- ワンシーンでダウンタウンの漫才音声のみが流された。
- お笑い新鮮組(1986年8月11日、読売テレビ/関西ローカル)
- 河田町プッツン意思表示(1986年9月9日、フジテレビ「火曜ワイドスペシャル」枠)
- エンドレスナイトスペシャル(1986年12月31日、関西テレビ)
- 第15回日本放送演芸大賞(1987年1月3日、関西テレビ)
- オール吉本新春バラエティー(1987年1月3日、ABCテレビ/関西ローカル)
- 花王名人劇場 おもしろ文珍CLUB 新しい時代 - 新しい笑い(1987年1月25日、関西テレビ)
- 第7回花王名人大賞(1987年3月29日、関西テレビ)
- 第22回上方漫才大賞(1987年、関西テレビ/関西ローカル)
- さんま・鶴瓶のラ・テ 二元生放送 ヤンタン・とんねるず野球大会(1987年5月3日、毎日放送/関西ローカル)
- あどりぶランド(1987年8月12日、毎日放送/関西ローカル)
- 花王名人劇場 独占中継!よしもと笑いの殿堂今日オープン(1987年11月1日、関西テレビ)
- なんばグランド花月開場記念 爆笑スーパーライブ(1987年11月7日、毎日放送/関西ローカル)
- 初笑い浪花の陣(1988年1月3日・1989年1月3日・1990年1月2日、ABCテレビ/関西ローカル)
- 花王名人劇場 生中継!オールスター勢揃い 今年も笑っていただきます(1988年1月3日、関西テレビ)
- 楽天的テレビ 寝るまえに跳べ!(1988年4月5日、ABCテレビ/関西ローカル)
- 花王名人劇場 DokiDokiスペシャル 元気印はピット'IN(1988年4月10日、関西テレビ)
- 第23回上方漫才大賞(1988年4月29日、関西テレビ/関西ローカル)
- ときめきタイムリー(1988年4月30日、読売テレビ/関西ローカル)
- ヤンタン対仲村トオル 野球大会 ‐メンバー集合で生放送‐(1988年5月2日、毎日放送/関西ローカル)
- 花王名人劇場 やすしきよしのドキドキ生放送!オール爆笑マンザイ(1988年6月19日、関西テレビ)
- 素敵!KEI-SHU5(1988年2月11日・8月9日・10月3日、関西テレビ/関西ローカル)
- 花王名人劇場 売れっ子漫才・ルーツ発見!(1988年8月28日、関西テレビ)
- お笑い秋の祭典(1988年、テレビ朝日/関東ローカル)
- 花王名人劇場 感謝をこめて10周年記念特別番組 勢揃い!漫才オールスター(1988年10月9日、関西テレビ)
- ノックは無用!(1988年10月22日、関西テレビ/関西ローカル)
- CLUB紳助(1988年10月22日、ABCテレビ)
- 花王名人劇場 1万人が笑った!マンザイ大爆発!(1988年11月13日、関西テレビ)
- 加古川チャリティショー(1988年12月25日、サンテレビ/関西ローカル)
- '88笑って笑って大みそか(1988年12月31日、フジテレビ)
- 所&邦子の笑いもん勝ち!(1989年1月3日、TBS/関東ローカル)
- 春だ!春だよ!笑売繁盛!(1989年1月4日、毎日放送/関西ローカル)
- 第10回ABCお笑い新人グランプリ(1989年1月16日、毎日放送/関西ローカル「ABCホリデーワイド」枠)
- 第49回ホリデーワイド午前の部 西川きよしの爆笑春一番!!(1989年3月23日、朝日放送「ABCホリデーワイド」枠)
- 遊々!文珍クラブ(1989年3月26日、ABCテレビ/関西ローカル)
- 春満開!超人気NEWマンザイ!お笑いスター総登場(1989年4月5日、日本テレビ)
- すばらしき仲間II(1989年4月16日、中部日本放送)
- 第24回上方漫才大賞(1989年5月3日、関西テレビ/関西ローカル)
- ワイドYOU(1989年5月4日、日本テレビ)
- 秋全開!超人気NEWマンザイ!お笑いスター総登場PART2(1989年10月4日、日本テレビ)
- 緊急UFOソ連現地取材特報!! ビートたけしVS矢追純一 UFO対談(1989年12月31日、日本テレビ)
- タケちゃんの笑って逃げきる大晦日〜バラエティ30年史〜(1989年12月31日、フジテレビ)
- 不眠不休のデスマッチ 5時間10分笑えますか!?(1989年12月31日、日本テレビ/関東ローカル)
- オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!(1990年・1991年、TBS)
- 女はダバダ…(1990年1月14日、フジテレビ)
- どちら様も!!笑ってヨロシク(1990年2月7日、日本テレビ)
- 邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(1990年2月21日・28日、フジテレビ)
- 第1回有名人顔面相似形大賞(1990年3月8日、日本テレビ)
- 知ってるつもり?!「榎本健一」(1990年、3月18日、日本テレビ)
- スーパークイズスペシャル(1990年 - 1991年・1993年、日本テレビ)
- 4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!(1990年4月11日・1991年4月3日)
- 秋は人気番組でSHOW by ショーバイ!!(1990年10月3日)
- 10月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!世界まる見えマジカルで笑ってヨロシク!!(1991年10月2日)
- 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』チームとして出場
- 秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!(1993年10月6日)
- 『発明将軍ダウンタウン』からのクイズ出題と番宣をかねてVTR出演
- 所さんのまっかなテレビ(1990年5月21日、日本テレビ)
- ウワサの吉本新喜劇 東京大決戦(1990年5月27日、関西テレビ)
- スター爆笑Q&A(1990年6月18日、日本テレビ)
- プロ野球ニュース(1990年7月9日、フジテレビ)
- ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!野望の王国スペシャル情熱の嵐で舞い上がれもうハラわれそう!(1991年4月6日、フジテレビ)
- ナンバラバンバン’91春 に夢で逢えたらキャラの「なにわのどてら兄弟」に扮して出演
- 木曜スペシャル 地球の怒り!これが世界の天災だ!(1990年7月12日、日本テレビ「木曜スペシャル」枠)
- FNSの日(1990年 - 1993年・1995年)⇒27時間テレビ(2001年・2008年、フジテレビ)
- FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90(1990年7月21日-22日)
- FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91(1991年7月20日-21日)
- FNSの日スーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ(1992年7月18日-19日)
- FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ(1993年7月24日-25日)
- FNSの日・1億2500万人の超夢列島〜そのうちなんとか…23時間(1995年7月15日-16日)
- FNS ALLSTARS 27時間笑いの夢列島(2001年7月21日-22日)
- FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!(2008年7月26日-27日)
- 『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』本番収録中のスタジオに突如、明石家さんまが乱入(翌日、7月28日放送の『HEY!HEY!HEY!』ではCM中の様子も放映した)。
- LIVE笑ME!(1990年8月24日、日本テレビ)
- EXテレビ(1990年8月28日・10月16日・12月18日・1991年1月8日・5月14日、日本テレビ)
- MBS超ワイド祭り「ご贔屓いただいて40年」2部(1990年9月1日、毎日放送/関西ローカル)
- アッコのおかしな仲間(1990年9月8日、日本テレビ)
- なにわ笑いの王国 漫才王国 金も名誉も実力次第(1990年9月15日、NHK衛星第2テレビジョン)
- テレビ探偵団(1990年9月30日、TBS)
- 欽ちゃんの爆笑仮装コンテスト! 第31回全日本仮装大賞(1990年10月7日、日本テレビ)
- 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の企画で素人として出場
- 夜も一生けんめい。(1990年11月10日、日本テレビ)
- 上岡龍太郎にはダマされないぞ!(1990年12月12日、フジテレビ)
- クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!(1990年12月26日、日本テレビ)
- FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル(1991年‐1994年、フジテレビ)
- 秋の祭典(1991年9月30日・1992年9月29日・1993年10月4日・1994年10月3日)
- 春の祭典(1992年3月30日・1993年3月29日・1994年3月29日)
- 『ダウンタウンのごっつええ感じ』チームとして出場
- MOGITATE!バナナ大使(1991年1月11日、TBS)
- 吉本新喜劇 東京極楽公演(1991年4月12日、TBS)
- 笑いの王国(1991年9月29日、テレビ朝日/関東ローカル)
- 木曜スペシャル ズームイン!ザ・ワールド(1992年3月19日「木曜スペシャル」枠)
- アッコにおまかせ!(1992年10月25日、TBS)
- 春の人気番組勢揃い!!(秘)テレビの裏側大公開(1993年3月22日、日本テレビ)
- ダウンタウン・楽屋でのできごと
- ニュースステーション(1993年3月25日、テレビ朝日)
- 春満開!!志村けんはいかがでしょう特大版(1994年3月23日、フジテレビ)
- 志村けんのバカ殿様(1995年・1998年、フジテレビ)
- 志村けんのバカ殿様!新春スペシャル(1995年1月4日)
- 新春!初笑い!!志村けんのバカ殿様(1998年1月3日)
- ちいちい地井武男は53歳のアイドル(1995年7月9日、関西テレビ)
- 第46回NHK紅白歌合戦(1995年12月31日、NHK総合)
- 浜田雅功がH Jungle with tとして出場、松本人志がGEISHA GIRLSに扮して乱入
- 輝く日本の星!ダウンタウンを創る!(1996年11月6日・11月13日・12月11日、TBS)
- パパパパPUFFY(1997年10月8日・1998年3月21日、テレビ朝日)
- ミュージックステーション(1997年・1998年、テレビ朝日)
- エキセントリック少年ボウイオールスターズとして出演(1997年10月31日)
- 日影の忍者勝彦オールスターズとして出演(1998年6月5日)
- ミュージックステーションスペシャル SUPER LIVE'97(1997年12月26日)
- エキセントリック少年ボウイオールスターズとして出演
- 速報!歌の大辞テン(1997年11月5日、日本テレビ)
- 超コメディ60!(1998年5月7日、毎日放送)
- いろもん豪華特別版(1998年6月6日、日本テレビ)
- カウントダウンTV上半期スペシャル(1998年6月27日、TBS)
- 日影の忍者勝彦オールスターズとして出演
- BEST HIT TV 負けたくないし負けてないSP(2001年9月30日、テレビ朝日)
- 第43回輝く!日本レコード大賞(2001年12月31日、TBS)
- 第52回NHK紅白歌合戦(2001年12月31日、NHK総合)
- おっと!モモンガPart2 おもしろREVOLUTION(1985年10月 - 1986年5月、ラジオ大阪/関西ローカル)
- 「おっと!モモンガ」のリニューアル後の金曜日担当。
- 心斎橋お笑い探検隊(1985年10月 - 1986年3月、ラジオ大阪/関西ローカル)
- 真夜中のなか(1986年8月 - 1987年4月、MBSラジオ/関西ローカル)
- 2丁目ダウンタウン(1986年10月 - 1989年3月、ラジオ大阪/関西ローカル)
- ラジオ2丁目劇場(1987年 - 1989年、ラジオ大阪/関西ローカル)
- MBSヤングタウン(1987年8月 - 1991年10月、MBSラジオ/関西ローカル)- 木曜日担当
- 本来「MBS!ヤーングタウン!」とタイトルコールするところを、彼らのみ「MBS!(この部分は、YOUなど女性パーソナリティが担当)」に続けて淡々と「ダウンタウン」とつぶやいて話題となった。
- ロッテヤンスタNo1(1987年 - 1989年、ニッポン放送)
- コサキン無理矢理100%(1990年、TBSラジオ)※ゲスト出演
- 上方漫才の道(ラジオ大阪)- 数回出演。
- ミスタードーナッツ (1986年) - 所ジョージ、片桐はいりと共演
- 吉本興業 - なんばグランド花月(吉本会館NGKシアター)こけら落しのCM (1987年/関西ローカル)
- 日本旅行 - 「赤い風船」 (1987年/関西ローカル)
- 郵政省 - 保険業務 (1987年)
- 三洋電機 - 洗濯機 (1987年)
- HONDA - スクーター「DIO」 (1987年 - 1988年/関西ローカル)
- 大阪ガス - シャワーキャンペーン「 ビンビンシャワー」 (1988年/関西ローカル)
- 富士写真フイルム - (1988年)
- 4時ですよーだ好きやねんスペシャル招待告知 (1988年/関西ローカル 毎日放送のみ)
- ハウス食品 - インスタントラーメン 「好きやねん」 (1988年 - 1989年/関西ローカル)
- 松下電器産業 - VHSビデオカメラ「MACLORD VHS Movie NV-M10」 (1989年)
- サントリー - 缶紅茶「テス」(1989年 - 1990年)
- 興和新薬 - 鎮痒薬「ウナコーワ」(1990年)
- ユニベール - 求人情報サービス「ダイヤルピポQ」 (1990年 - 1991年/関東ローカル)
- トヨタ自動車 - 「60日間ウェルカム大作戦」「ウェルカム大作戦 Part.2」「ウェルカム(カーケア)大作戦」 (1991年 - 1994年)
- コナミ - ゲームソフト「スーパー桃太郎電鉄II」「桃太郎伝説外伝」「高橋名人の大冒険島」 (1991年 - 1992年)
- ロッテ - スナック菓子「SOYA」 (1992年/関東ローカル)
- ロッテ - チューインガム「FRESH」(1992年) - 加勢大周と共演
- すかんち - 「恋のミラクルサマー」(1992年)- ナレーションのみ
- 第一興商 - カラオケルーム店舗「ビッグエコー」 (1992年)
- フジテレビ - 哲学〜フジテレビ・秋のキャンペーン(1992年9月)[5]
- キリンビバレッジ - 炭酸飲料「OSMO(オズモ)」 (1992年 - 1993年)
- am/pm - 「おこめサンド」「とれたて弁当」とれたて安心二重丸シリーズ(1992年 - 1995年)
- ロッテ - チューインガム「フラボノガム」 (1993年)
- ロッテ - スナック菓子「ベーカリー家族」「POPOLI(ポポリ)」 (1993年 - 1994年)
- ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント - 映画「ロビン・フッド キング・オブ・タイツ」 (1993年)
- 日本コカ・コーラ - 缶コーヒー「Zotto(ゾット)」 (1996年)
- 日本コカ・コーラ - 缶コーヒー「GEORGIA(ジョージア)」『明日があるさ』CMドラマシリーズ (2000年 - 2002年)
- ドワンゴ - 着信メロディ「着と〜く」 「イロメロミックス」 (2004年 - 2006年)
- フィールズ - パチンコ幾「CR明日があるさ よしもとワールド」 (2005年)
- 間寛平、ココリコ、ロンドンブーツ1号2号、東野幸治、山田花子、藤井隆と共演
- 日本コカ・コーラ - 缶コーヒー「ジョージア」 『エメマンバトル』(2010年)
受賞歴[編集]
- 1982年 毎日放送 素人名人会 名人賞
- 1982年 第3回今宮こどもえびす新人漫才コンクール 福笑い大賞
- 1982年 フジテレビ 笑ってる場合ですよ! お笑い君こそスターだ! グランドチャンピオン
- 1984年 第5回ABC漫才・落語新人コンクール 漫才の部 最優秀新人賞
- 1984年 昭和58年度 第14回NHK上方漫才コンテスト 優秀賞
- 1985年 第2回花月大賞 花月新人賞
- 1986年 第21回上方漫才大賞 新人奨励賞
- 1987年 第15回日本放送演芸大賞 ホープ賞
- 1987年 第15回日本放送演芸大賞 最優秀ホープ賞
- 1987年 第22回上方漫才大賞 奨励賞
- 1987年 第7回花王名人大賞 最優秀新人賞
- 1988年 第23回上方漫才大賞 奨励賞
- 1989年 第24回上方漫才大賞 大賞
ライブ・コンサート・劇場公演[編集]
以下、「マンスリーよしもと」、「2丁目BOOK」、およびダウンタウンの証言などを元に極力矛盾が少なくなるように整合させた。
1982年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
---|---|---|---|
7月22日 - 7月23日 | 第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール | 今宮戎神社 | NSC在学中に出場し結成3ヶ月弱で福笑い大賞を受賞。奨励賞にはNGII(後に解散、村上ショージが組んでいた漫才コンビ)も受賞している。 |
8月1日 - 8月5日 | なんば花月 特別出演 | なんば花月 | 7月に開催された「第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞に輝いた功績でNSC在学生ながら松本・浜田で出演、初舞台を踏む。 |
10月31日 | Everyday.We Love The Rock'n Roll. | 大阪城野外音楽堂 | 明石家さんま、SHINSUKE-BAND、ビートたけしなどが出演した合同音楽ライブの前座として松本・浜田で出演した。 |
1983年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
---|---|---|---|
4月21日 | ごんたくれVOL.1 仮免漫才と笑説桃太郎くずし30分戦争 | 阪急ファイブ8F・オレンジルーム | NSC1期生の銀次・政二、ハイヒールと共に行こなった合同ライブ。 |
6月6日 - 6月10日[6] | なんば花月上席 フレッシュコーナー | なんば花月 | おかけんた・ゆうた(6月1日 - 6月5日)と共に出演、この舞台がNSC卒業後の劇場デビューとなる。 |
7月23日 | 第4回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール | 今宮戎神社 | 前年の受賞者としてゲスト出演する。今大会の福笑い大賞はNSC同期生の銀次・政二が受賞した。 |
8月20日 | NSCオールナイトデスマッチ演芸大会 | 吉本総合芸能学院 | NSC2期生の特別教室にNSC1期生卒業生としてゲスト出演する。 |
8月21日 - 8月30日 | 京都花月下席 吉本新喜劇「嘘のような話」 | 京都花月 | 池乃めだか主演の吉本新喜劇に出演。(作・演出:松本俊介) |
10月15日 | ごんたくれVOL.2 仮免卒業漫才プラスなるほど・ザ… | 阪急ファイブ8F・オレンジルーム | 「ごんたくれ」ライブの第2弾公演。 |
1984年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
---|---|---|---|
1月31日 | 京都花月特別興行 若手漫才受験必笑講座‐無情良品研究会‐ | 京都花月 | やすえ・やすよ、トミーズ、ハイヒール、おかけんた・ゆうた、恵子・麻衣、五所の家小禄、ガレッジ1と共に出演。 |
3月11日 - 3月20日 | 京都花月中席 ポケットミュージカルス | 京都花月 | 劇団インスタントと共に出演する。 |
3月30日 - 3月31日 | ごんたくれVOL.3 初心者漫才プラスことのほかクリニック | 阪急ファイブ8F・オレンジルーム | 「ごんたくれ」ライブの最終公演。 |
4月1日 - 4月10日 | 京都花月上席 特撰ヤングお笑いフェス | 京都花月 | やすえ・やすよ・大木こだま・ひびき・桂小枝と共に出演。 |
4月21日 - 4月30日 | なんば花月下席 特選新人漫才 | なんば花月 | ハイヒール・トミーズと共に出演。 |
5月1日 - 5月10日 | なんば花月上席 特選コーナー | なんば花月 | 大木こだま・ひびき・やすえ・やすよと共に出演。 |
5月21日 - 5月30日 | うめだ花月下席 特選コーナー | うめだ花月 | 大木こだま・ひびき・やすえ・やすよと共に出演。 |
5月31日 | うめだ花月特別興行 お笑い新撰組 | うめだ花月 | やすえ・やすよ・トミーズなどが出演。 |
6月21日 - 6月30日 | なんば花月下席 新結成 ダウンタウン笑劇場 | なんば花月 | (公演内容不明) |
6月30日 | 京都花月特別興行 パラノキッズの冒険 京都の夏 | 京都花月 | 劇団インスタントとの合同特別企画。 |
7月12日 - 7月14日 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 南海ホール | 南海ホールで毎週末開催されていたイベントの第1回公演。同公演では銀次・政二、ハイヒールと共にコントなどを披露した。 |
7月31日 | 京都花月特別興行 ナツナツ無印良品闇市 | 京都花月 | トミーズ、ハイヒール、銀次・政二、劇団インスタント、ザ・ポテト、ざっと31、大阪笑ルームと共に出演。 |
8月31日 | うめだ花月特別興行 のりお・よしおのダイナマイトショー | うめだ花月 | 西川のりお・上方よしお、やすえ・やすよ、今いくよ・くるよ、大木こだま・ひびき、京山福太郎と共に出演。 |
9月30日 | 心斎橋筋2丁目劇場 神戸公演 | 神戸国際会館 | (公演内容不明) |
10月21日 - 10月30日 | うめだ花月下席 ポケットミュージカルス | うめだ花月 | マブ(当時、吉本興業に所属していた歌手)と共に、当時世間を震撼された「グリコ森永事件」をコントで披露した。 |
1985年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
---|---|---|---|
1月1日 - 1月10日 | うめだ花月上席 ワイドショー | うめだ花月 | 桂三馬枝、ザ・パンチャーズ、池乃めだか、高石太、大木こだま・ひびきと共に出演。 |
1月11日 - 1月20日 | なんば花月中席 ワイドショーⅠ | なんば花月 | ザ・パンチャーズ、太平かつみ・ひろみ、高石太と共に出演。 |
1月24日 - 1月26日 | 心斎橋筋2丁目劇場 かかってきなさい・ダウンタウンショー | 南海ホール | 『かかってきなさい・ダウンタウンショー』とは不定期で行っていたワンマンライブ。同公演では漫才の他に、「ローリングサンダーマン」、「森の妖精」などのコントを披露。 |
1月31日 | 京都花月特別興行 爆笑!梅まつりこれが一番だ! | 京都花月 | バラエティショーと銘打った興行。月亭八方、紳助・竜介、ザ・ぼんち、笑福亭松之助、若井小づえ・みどり、桂小枝、ザ・パンチャーズ、桂文福、桂勝枝(現:桂きん枝)と共に出演。 |
3月21日 - 3月30日 | なんば花月下席 ワイドバラエティ | なんば花月 | ハイヒール、桂小枝、翠みち代、東京から来演の栗田貫一と共に出演。 |
3月31日 | なんば花月特別興行 陽春スーパーバラエティ 新鮮コント | なんば花月 | ハイヒール・前田政二と共に出演。 |
4月21日 - 4月30日 | なんば花月下席 吉本新喜劇「春色の幸」 | なんば花月 | 間寛平主演の吉本新喜劇に、ハイヒールと共にゲスト出演。(作・演出:橋本収) |
5月1日 - 5月10日 | うめだ花月上席 | うめだ花月 | この上席に出演していたオール阪神・巨人、太平サブロー・シロー、ダウンタウン3組の漫才を舞台の袖で見ていた同じ出番だった島田紳助が自身の漫才に限界を感じ紳助・竜介の解散を決意し、同年5月20日に解散記者会見でコンビ解散を発表した。 |
5月31日 | なんば花月特別興行 なんば花月スペシャル 初夏に笑えば | なんば花月 | 月亭八方、太平サブロー・シロー、オール阪神・巨人、桂文福、ハイヒール、ザ・パンチャーズ、桂三馬枝と共に出演。 |
5月31日 | 京都花月特別興行 五月まつり 私はこれで笑いました | 京都花月 | 紳助・竜介解散直後の島田紳助と共にコントを披露。 |
7月17日 | 心斎橋筋2丁目劇場 かかってきなさい!正直編 | 南海ホール | 南海ホールでの『心斎橋筋2丁目劇場』1周年を記念した公演。 |
7月31日 | 京都花月特別興行 ダウンタウンのちょっとかかって来なさい | 京都花月 | 前田政二と共にコントを披露。西川のりお・上方よしおがゲスト出演した。 |
8月31日 | なんば花月特別興行 夏休みファイナル ポケットミュージカルス サブロー・シロー版「ミスター・レディ、ミスター・マダム」 | なんば花月 | 太平サブロー・シロー主演の芝居に出演。 |
9月26日・9月27日 | 激笑コント 上方漫才を越える日 | 扇町ミュージアムスクエア | コント赤信号主催のライブに幕間ゲストで出演し、コントと漫才を披露した。 |
1986年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
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2月7日・2月14日 2月21日・2月28日 |
心斎橋筋2丁目劇場 2丁目探検隊 |
南海ホール | ハイヒール、非常階段、ピンクダック、まるむし商店、清水圭・和泉修、今田耕司、ホンコン・マカオ(後に解散、ほんこんが組んでいたお笑いコンビ)、リットン調査団などが出演。 |
4月12日 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 南海ホール | 南海ホールで行われた「心斎橋筋2丁目劇場」の最終公演。 |
5月10日 | 心斎橋筋2丁目物語 VOL.1 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 2丁目劇場のこけら落し公演。1986年5月から1987年3月まで月1回ペースで行われたNSC1期生を中心に道頓堀に集まる若者達の青春を描いたミュージカル風の芝居。(演出:湊裕美子 / 振り付け:泉五十四郎) |
5月16日 | 2丁目お笑い探検隊[7] | 心斎橋筋2丁目劇場 | ダウンタウン、ハイヒール、まるむし商店、おかけんた・ゆうた、ピンクダック(後に解散)、非常階段の6組で構成され毎回新作ネタを披露する定期的のライブ。 |
6月27日・6月28日 | 心斎橋筋2丁目物語 VOL.2 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 「心斎橋筋2丁目物語」第2回公演。 |
7月30日・7月31日 | 心斎橋筋2丁目物語 VOL.3 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 「心斎橋筋2丁目物語」第3回公演。 |
8月6日 | おさわがせ2丁目探検隊 来てもうた大阪城 | 大阪城野外音楽堂 | 2丁目メンバー総出演の約7時間のロングイベント。 |
8月29日・8月30日 | 心斎橋筋2丁目物語 VOL.4 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 「心斎橋筋2丁目物語」第4回公演。 |
9月26日・9月27日 | 心斎橋筋2丁目物語 VOL.5 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 「心斎橋筋2丁目物語」第5回公演。 |
11月1日・11月2日 | 虹の彼方 | 阪急ファイブ8F・オレンジルーム | 阪急ファイブ15周年記念公演として劇団☆新感線と共演した芝居。 |
12月20日・12月21日 12月24日・12月25日 |
心斎橋筋2丁目物語 VOL.6 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 「心斎橋筋2丁目物語」第6回公演。 |
12月28日 | 憂歌団withダウンタウン | 心斎橋筋2丁目劇場 | ブルース・バンドの憂歌団とのジョイントライブ。 |
12月31日 - 1月1日 | '87新春LIVE 551蓬莱2丁目劇場 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 2丁目劇場初のオールナイトイベント。イベントの途中で当時関西テレビ放送されていた「エンドレスナイト」の年末スペシャルの中継が入りトークやネタなどを披露した。 |
1987年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
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1月11日 - 1月20日 | なんば花月中席 ポケットミュージカルス | なんば花月 | おかけんた・ゆうたと共に出演。 |
3月7日・3月8日 | 心斎橋筋2丁目物語 VOL.7 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 「心斎橋筋2丁目物語」最終公演。 |
3月21日 - 3月31日 | なんば花月下席 | なんば花月 | おかけんた・ゆうたと共に「刑事」コントを披露。 |
5月4日・5月5日 | 心斎橋筋2丁目劇場 1周年記念ですよーだ ラジオが泣いた夜・放送されない公開生放送 | 心斎橋筋2丁目劇場 | 2丁目劇場開場1周年を記念してのスペシャルイベント。 |
6月6日 | 突撃!ぶっちぎり探険隊 | うめだ花月 | ダウンタウンなどの2丁目メンバー総出演の特別公演。 |
8月21日 | 551蓬来 2丁目おでかけ探険隊 お笑い世界歌謡祭in大阪城野外音楽堂 | 大阪城野外音楽堂 | 2丁目メンバーが仮装をして歌などを披露するイベント。会場には約3000人が入場した。この模様は毎日放送で『2丁目おでかけ探検隊』と題して同年9月6日に放送された。 |
9月27日 | DOWNTOWN SCANDALS | 大阪厚生年金会館 中ホール | 初のコンビでのコンサートで内容は漫才やコントではなく、サザンオールスターズや柳ジョージなどロックの名曲やオリジナル曲など22曲を熱唱した。アンコールでは2人は感極まり涙を流した。入場動員は1100人という当時の吉本若手タレントの単独コンサートでは異例の動員数であった。 |
1988年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
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5月21日 | おでかけでっせ、ラフォーレまっせ VOL.1 | ラフォーレ原宿 | 初の2丁目メンバーによる東京公演。第1回公演出演者は、ダウンタウン、ハイヒール、今田耕司、東野幸治、メンバメイコボルスミ11の5組。 |
6月25日 | おでかけでっせ、ラフォーレまっせ VOL.2 | ラフォーレ原宿 | 2丁目メンバーによる東京公演第2弾。 |
8月14日・8月27日 ・(開催日不明) | DOWNTOWN SCANDALS'88 | 京都会館第一ホール(8月14日) 大阪厚生年金会館 大ホール(8月27日) 和歌山県民文化会館(開催日不明) |
昨年行われた単独コンサート『DOWNTOWN SCANDALS』の第2弾。 |
8月11日 - 8月20日 | DOWNTOWN SPECIAL ダウンタウンのスチャラカ騒動 | なんばグランド花月 | (公演内容不明) |
8月16日 | よしもとニューエイジスペシャル太陽編 ジェイワンてっぺんライブ | 大阪球場 | ダウンタウン、清水圭・和泉修、野沢直子、西川弘志、島田紳助が出演したコンサート。このライブの模様は、同年8月26日に毎日放送で『激笑トーク 紳助VS吉本ニューウェイブ -君はヨシモトを信じますか-』と題して放送された。 |
11月27日 | 2丁目おでかけ探検隊inわかやま | 和歌山県民文化会館 大ホール | (公演内容不明) |
1989年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
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1月1日 - 1月6日 1月8日 - 1月10日 |
ダウンタウンスペシャルinNGK | なんばグランド花月 | 今田耕司、東野幸治と共に出演。 |
6月11日 | おでかけでっせ、ラフォーレまっせ | ラフォーレ原宿 | 『おでかけでっせ、ラフォーレまっせ』最終公演。 |
1990年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
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4月21日 | 吉本新喜劇・帝都・大東京公演 | 池袋サンシャイン劇場 | 吉本新喜劇の東京公演にゲスト出演。この模様は5月27日に関西テレビで『ウワサの吉本新喜劇・東京大決戦』と題して放送された。 |
1991年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
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2月25日 - 2月27日 | 吉本新喜劇東京極楽公演 再び、帝都でへたらして来たったで! | 新宿シアターアプル | 今田耕司、東野幸治、木村祐一、130Rと共に「刑事」コントを披露。この模様は4月12日にTBSテレビ(関西地区では毎日放送で6月7日に放送)で『吉本新喜劇・東京極楽公演』と題して放送された。 |
1993年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
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10月7日 | 吉本広小路小劇場 | 吉本広小路小劇場 | かつて名古屋にあった吉本の劇場「吉本広小路小劇場」のオープニングイベントに、『謎の漫才師ラ・マン・オンステージ』と題してダウンタウンが怪傑ゾロに扮して飛び入りゲスト出演した。 |
2012年[編集]
公演日 | タイトル | 会場 | 内容 |
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4月8日 | 吉本興業創立100周年記念特別公演初日 ポケットミュージカルス | なんばグランド花月 | 吉本興業100周年記念公演の初日に第4公演として、かつて花月三館(なんば花月・うめだ花月・京都花月)の演目として演じられていた『ポケットミュージカルス』を木村祐一、東野幸治、130Rの出演者で行われた。その公演を「伝説の一日」と題して、内容はかつてフジテレビで放送されたバラエティ番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」で誕生したキャラクター「エキセントリック少年ボウイ」や番組男性陣で構成されて歌った曲「オジャパメン」やココリコやロンドンブーツ1号2号をゲストに迎えてRe:Japanの「明日があるさ」で幕を閉め、アンコールには浜田がH Jungle with tとして発売し大ヒットした「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」披露した。 |
書籍[編集]
関連書籍[編集]
- タモリの、ダウンタウンも世紀末クイズ それ絶対やってみよう2(1991年、扶桑社)ISBN 4594008542
- タモリ・ウッチャンナンチャンのダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3(1992年、扶桑社)ISBN 4594009255
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 1~6(1995年 - 2003年、ワニブックス)
- 発明将軍ダウンタウン(1996年、日本テレビ放送網)ISBN 4820396064
- ダウンタウンの理由(1997年、集英社)ISBN 4087802388
- ダウンタウンのごっつええ感じ完全大図鑑(1998年、扶桑社)ISBN 4594024688
- ダウンタウンDXのお願い! 名前を呼んで!(1998年、ワニブックス)ISBN 4847012992
- ダウンタウンDXのスーパー国民投票結果発表(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013085
写真集[編集]
- ハレルヤ DOWN TOWN COMPOSITION 1988(1988年、ワニブックス)ISBN 4847020715
- 2丁目BOOK(1988年、データハウス)ISBN 4924442623
画像[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 1994年4月14日放送『ダウンタウンDX』
- ↑ 2013年1月27日放送『東西芸人いきなり!2人旅』
- ↑ 前田を加えたこのコントは1986年9月9日放送の「火曜ワイドスペシャル 河田町プッツン意思表示」(フジテレビ)でも披露されている。
- ↑ 2005年05月20日放送『放送室』
- ↑ チンパンジーのアフレコ、声のみの出演。関東のみの放送で、パターンは13通りあったという。
- ↑ 花月出番は通常10日毎に替わるが、けんた・ゆうたとダウンタウンは当時NSC初代校長であった富井善晴から「(出番を)半分ずつにせえ!」と言われこの出番となった。『4時ですよーだアトミッカスペシャル ~ダウンタウンのそこが知れない~』(毎日放送、1989年9月27日放送)より。
- ↑ 1987年1月2日公演でイベント名が『2丁目探検隊』となる。