「長崎高資」の版間の差分
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*[[太平記]] | *[[太平記]] |
2014年12月21日 (日) 14:20時点における最新版
長崎 高資(ながさき たかすけ、永仁6年(1298年)~正安3年(1301年)? - 元弘3年/正慶2年5月22日(1333年7月4日))は、鎌倉時代末期の武士。北条氏得宗家の被官である御内人・内管領。長崎円喜の嫡男(次男)。鎌倉幕府の実権を握って父と共に権勢を振るい、幕府滅亡に導く悪役として知られる。
生涯[編集]
正和5年(1316年)頃、父・円喜から内管領の地位を受け継ぎ幕府の実権を握った。『保暦間記』によれば、元亨2年(1322年)頃におきた奥州安藤氏の内紛に際し、当事者双方から賄賂を受け取り、その結果紛争の激化(安藤氏の乱)を招き、幕府の権威を低下させたという。
嘉暦元年(1326年)には、出家した執権北条高時の後継をめぐり得宗家外戚の安達氏と対立し、高資は高時の子邦時が長じるまでの中継ぎとして北条一族庶流の金沢貞顕を執権としたが、高時の弟泰家らの反対により貞顕はまもなく辞任して剃髪、赤橋守時を執権とした(嘉暦の騒動)。嘉暦元年時点で、それまで御内人が就任する事はなかった幕府の評定衆となっている(『金沢文庫古文書』)。
元弘元年(1331年)には高資の専横を憎む高時はその排除を図ろうとしているという風説が広まり、高時側近が処罰される。高時は自らの関与を否定し処分を免れた。専横を極めた高資に対しては得宗家であっても無力であった。
元弘3年/正慶2年(1333年)5月、新田義貞に鎌倉を攻められた際、子の高重や北条一族とともに鎌倉東勝寺にて自害して果てた。