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2020年1月13日 (月) 01:27時点における最新版
宇佐美 貴史(うさみ たかし、1992年5月6日 - )は、京都府長岡京市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。妻はタレントの宇佐美蘭。
目次
来歴[編集]
生い立ち[編集]
京都府長岡京市出身。両親揃ってのガンバ大阪サポーターである家庭に男三人兄弟の末っ子として生まれ、上2人の兄がサッカーをしていたことに影響され、1歳半の頃から自然とボールに触れ始め、3歳ぐらいになると一人で公園に行き、ボールを蹴っていたという。5歳になった1997年、地元の長岡京サッカースポーツ少年団(長岡京SS)に入団すると、小1のときに小4、小2のときには小5のチームに飛び級し、小4から卒業するまで毎年200点前後、合計600点以上の得点を挙げるなど、地元では「天才少年」として知れ渡っていた。
ユース時代[編集]
2005年、長岡京SSからガンバ大阪ジュニアユースに入団。同年6月、韓国で開催されU-13日本ユース選抜として出場したMBC国際ユース大会決勝戦では、5人抜きドリブルを披露するなど高木善朗の2得点を演出する圧巻の活躍を見せた。2006年の高円宮杯第18回全日本ユース選手権では、大会得点王となる10得点を挙げる活躍で、G大阪JYの高円宮杯ユース選手権初優勝に貢献。2007年、中学3年次でガンバ大阪ユース(高校生年代)に飛び級で昇格すると、唯一の中学3年生ながらレギュラーに定着し、同年の第31回日本クラブユースサッカー選手権優勝に貢献。2008年の高校1年次には背番号「10」を背負い、同年12月の第16回Jユースカップ決勝セレッソ大阪U-18戦では、2点ビハインドの状況からPKを獲得し、逆転後には4点目のダメ押しミドルシュートを決めるなど2得点に絡む活躍でG大阪ユースの6年ぶり4度目のJユースカップ優勝に貢献するなど、数多くの活躍を見せたことからG大阪下部組織の「史上最高傑作」と称された。また、この頃からシュート、パスといったアタッキング能力全般に定評があり、各年代の日本代表チームにおいても、常にその世代の中心選手として、2007年の豊田国際ユースサッカー大会や2009年のコパ・チーバスなど数多くの大会で得点王や最優秀選手を獲得した。この世代には宇佐美を始め、宮吉拓実、高木善朗、宮市亮、柴崎岳といった逸材が揃っていることから、「プラチナ世代」と称されている。
ガンバ大阪時代[編集]
2009年、ガンバ大阪のトップチームにクラブ史上初となる高校2年次での飛び級で昇格(同期昇格は2学年上の大塚翔平と菅沼駿哉)。背番号は安田理大のプロ1年目と同じ「33」。5月20日、ACLグループリーグ第6節のFCソウル戦にて先発メンバーに名を連ね、稲本潤一が1997年に記録した17歳171日のG大阪史上最年少デビュー記録を更新する17歳14日での公式戦初出場を果たし、後半19分に公式戦初得点も記録した。5月24日、J1第13節の鹿島戦でJリーグ初出場を果たす。しかし、同年11月にU-17日本代表として出場したFIFA U-17ワールドカップでは、3試合で無得点と結果を出すことができず、日本代表もグループリーグ3連敗のグループ最下位で敗退した。また、G大阪でもシーズン通して控えメンバーにすらほとんど入ることができず、リーグ戦の出場も初出場の鹿島戦以降はJ1第16節名古屋戦、第17節清水戦のみとなり、2009年の公式戦出場はわずか4試合に留まった。
2010年、開幕当初は前年同様なかなか出場機会を得られなかったが、主力選手にケガ人が続出したことで、この年初めてスタメンで起用された4月10日のJ1第6節大宮戦では、平井将生の同点ゴールをアシストするなど、プロ入り初のフル出場で開幕から5試合連続未勝利が続いていたチームのリーグ戦初勝利に貢献。4月24日、J1第8節FC東京戦でリーグ戦初得点を挙げ、ACLグループリーグ第5節の水原三星戦では、ロスタイムに決勝点を挙げチームの逆転勝利に貢献。同年10月にU-19日本代表として出場したAFC U-19選手権では、グループリーグ第2戦のベトナム戦でハットトリックを達成する活躍を見せるも、日本代表は準々決勝で敗退。一方、G大阪ではシーズン中盤から高校3年生ながら遠藤保仁・二川孝広・橋本英郎・明神智和らの代表経験者で構成されたG大阪の「黄金の中盤」に割って入り、主に左サイドハーフ、または2トップの一角として起用され、2004年に森本貴幸が記録した高校生Jリーガーのシーズン最多得点(4得点)を更新する7得点を挙げる活躍を見せ、G大阪所属選手・G大阪下部組織出身者としても初となるJリーグベストヤングプレーヤー賞(新人王)を受賞し、G大阪の公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』では、選手とサポーターが選ぶシーズンMVPに選出された。 なお、2010年のJ1リーグで放ったシュート数は日本人選手トップを記録した。また、AFCアジアカップ2011の予備登録メンバーにも選出された。
2011年、背番号をかつて松波正信や播戸竜二が付けていた「11」に変更。ポジションは左MFやトップ下などの中盤を担当することになった。しかし、中盤でのゲームメイクに徹するあまり、本来の持ち味である突破力や決定力を発揮できず、開幕から公式戦8試合連続無得点が続き、スタメンを外されることもあったが、日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督が視察に訪れた5月15日のJ1第11節福岡戦で、2011年のリーグ戦初得点を挙げると、6月のキリンカップに出場する日本代表に初選出された。キリンカップでA代表初出場とはならなかったが、本人は初めての代表合宿で大きな経験を得られたと語っている。6月27日、ドイツ・ブンデスリーガの名門バイエルン・ミュンヘンへの完全移籍のオプション付きとなる1年間の期限付き移籍が決定した。7月13日、移籍前のラストゲームとなったJ1第4節神戸戦では、有終の美を飾る1得点1アシストの活躍を見せた。
ブンデスリーガ時代[編集]
2011年7月18日、現地ミュンヘンで入団会見が行われた。背番号は「14」。8月13日、リーグ戦第2節VfLヴォルフスブルク戦でブンデスリーガ初出場を果たした。10月26日、ヴォルフスブルク戦以来の公式戦出場となったDFBポカール2回戦のFCインゴルシュタット04戦で移籍後初得点を決め、12月7日のUEFAチャンピオンズリーググループリーグ最終戦マンチェスター・シティ戦では、日本人最年少となるCL初出場を果たした。2012年4月21日、第32節ブレーメン戦では移籍後初のスタメンフル出場を果たした。5月19日、CL決勝チェルシー戦では、日本人初のCL決勝ベンチ入りするも、出場機会は訪れずチームもPK戦の末敗れた。最終的に2011-12シーズンの公式戦出場は、わずか5試合に留まり、バイエルンのハイレベルなポジション争いに割って入ることはできなかった。また、バイエルンが完全移籍のオプションを行使しなかったため、1シーズン限りでの退団が決定した。
2012年5月23日、ブンデスリーガ・TSG1899ホッフェンハイムへの完全移籍のオプション付きとなる1年間の期限付き移籍が発表された。2012年8月、U-23日本代表として出場したロンドンオリンピックでは4試合に出場するも無得点に終わり、チームもあと一歩でメダル獲得を逃した。9月16日、移籍後初先発となったリーグ戦第3節SCフライブルク戦でブンデスリーガ初得点を決めた。11月、1年半ぶりにA代表に選出されるも出場機会はなかった。クラブではシーズン当初こそレギュラーとして起用されたが、クラブは極度の成績不振で監督交代が相次ぎ、シーズン終盤は出番が減少していった。2013年4月24日、2012-13シーズン限りでホッフェンハイムを退団することが発表された。
ガンバ大阪復帰[編集]
2013年6月18日より古巣のG大阪に復帰が決定。復帰初戦となった7月20日のJ2第25節神戸戦で、いきなり2得点を挙げる活躍で、首位攻防戦の勝利に貢献。以後同じくこの年に加入したブラジル人FWロチャと2トップを組みゴールを量産し、8月には5試合5得点の活躍を見せ、月間MVPを受賞した。遠藤保仁とツートップを組んだシーズン終盤もペースを落とすことなく得点を重ね、J2第38節徳島戦では、プロ入り初の4得点のハットトリックを達成。J2優勝に王手をかけた第41節山形戦でも2得点の活躍を見せるなど、11月は4試合4得点をあげ2度目の月間MVPを受賞。最終的にリーグ全42試合の半分以下の18試合で試合数を上回る19得点を記録。途中加入ながら得点ランク2位につける得点力を発揮し、G大阪のJ2優勝と1年でのJ1復帰に貢献した。
2014年、ポジション登録をFWに変更。開幕前の2月中旬、練習で左足を負傷し、全治8週間の左腓骨筋腱脱臼と診断されプロ入り初の長期離脱となってしまった。
人物・エピソード[編集]
- ガンバ大阪でユースチーム在籍中にトップ昇格した選手としては稲本潤一、新井場徹、家長昭博に次いで4人目。高校2年生進級時での正式なトップチーム昇格(プロ契約)はG大阪では初めてのケースであった。
- ジュニアユース在籍が2年間、ユース在籍も2年間と共に飛び級で昇格している。これをG大阪の育成普及部長(当時)である上野山信行は「いい選手にはいい環境を与える。これは当然のことです」と語っている。
- G大阪時代の2010年に2度、通勤用に乗っていた自転車の盗難被害に遭ったことがある。1度目は4月上旬に盗まれ、約2か月後に発見されたが、11月に再び盗難に遭った。それでも、この年の年末に自動車の運転免許を取得し、それからはマイカーで通勤していた。
- ジュニアユース時代から過ごしたG大阪への想いは強く、2011年7月12日の移籍前最後の練習では、集まったサポーターからの激励に感極まり涙した。
- 両親はJリーグ発足時からの熱狂的なG大阪サポーターであり、特に松波正信のファン。その影響もあって、自身も物心がつく前からのG大阪サポーターであり、実家には子供の頃にG大阪の選手と一緒に撮った写真が飾られている。
- 長兄は宇佐美と同じく長岡京SSからG大阪下部組織に入った家長昭博と元チームメイトで、本田圭佑とも中学からの知り合いであり、宇佐美もその頃から本田と面識がある。
- 2011年6月27日、バイエルン・ミュンヘンへの移籍と同時に1歳年上の幼なじみであるタレント宇佐美蘭(旧姓・田井中蘭)との入籍を発表。またこれにより妻が所属している芸能事務所セント・フォースと、スポーツ選手ではバドミントン日本代表の潮田玲子についで2人目、男性としては全分野を通して初となるマネジメント契約を締結した。
- 長岡京市立長岡中学校時代の同級生に競泳ロンドンオリンピック日本代表の高橋美帆がいる。中学校1年次のクラスの水泳の授業では水泳の苦手な宇佐美に高橋がアドバイスしたこともあったという。
- バイエルン時代、フランス代表のフランク・リベリーから、サッカー選手としての心構えに対する多くのアドバイスを貰ったことを『週刊サッカーダイジェスト』で隔週連載されている自身のコラム『宇佐美日記』で度々取り上げていた。また、移籍前にはリベリーから「才能に恵まれた選手だが、経験が少なすぎる。成長するために出場機会を増やすべきだ」とアドバイスを送られた。
所属クラブ[編集]
- ユース経歴
- 1997年 - 2004年 長岡京サッカースポーツ少年団
- 2005年 - 2006年 ガンバ大阪ジュニアユース(長岡京市立長岡中学校)
- 2007年 - 2008年 ガンバ大阪ユース(向陽台高等学校)
- プロ経歴
- 2009年 - ガンバ大阪
- 2011年7月 - 2012年5月 バイエルン・ミュンヘン(レンタル移籍)
- 2012年5月 - 2013年5月 TSG1899ホッフェンハイム(レンタル移籍)
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | G大阪 | 33 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
2010 | 26 | 7 | 2 | 0 | 4 | 2 | 32 | 9 | |||
2011 | 11 | 14 | 4 | - | - | 14 | 4 | ||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2011-12 | バイエルン | 14 | ブンデス1部 | 3 | 0 | - | 1 | 1 | 4 | 1 | |
2012-13 | ホッフェンハイム | 33 | 20 | 2 | - | 1 | 0 | 21 | 2 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | G大阪 | 39 | J2 | 18 | 19 | - | 2 | 1 | 20 | 20 | |
2014 | J1 | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 43 | 11 | 2 | 0 | 4 | 2 | 49 | 13 | |
日本 | J2 | 18 | 19 | - | 2 | 1 | 20 | 20 | |||
ドイツ | ブンデス1部 | 23 | 2 | - | 2 | 1 | 25 | 3 | |||
総通算 | 84 | 32 | 2 | 0 | 8 | 4 | 94 | 36 |
その他の公式戦
テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |2009||rowspan="3"|G大阪||rowspan="2"|33||1||1 |- |2010||4||2 |- |2011||11||7||1 |- テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |2011-12||バイエルン||14||1||0 |- !通算!!colspan="2"|AFC |12||4 |- !通算!!colspan="2"|UEFA ||1||0 |}
経歴[編集]
- 公式戦初出場・初得点 - 2009年5月20日 ACLグループリーグ第6節 vsFCソウル(万博記念競技場)
- Jリーグ初出場 - 2009年5月24日 J1第13節 vs鹿島アントラーズ(万博記念競技場)
- Jリーグ初得点 - 2010年4月24日 J1第8節 vsFC東京(万博記念競技場)
- ブンデスリーガ初出場 - 2011年8月13日 第2節 vsVfLヴォルフスブルク(フォルクスワーゲン・アレーナ)
- ブンデスリーガ初得点 - 2012年9月16日 第3節 vsSCフライブルク(バーデノーヴァ・シュタディオン)
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- ガンバ大阪ジュニアユース
- ガンバ大阪ユース
- 日本クラブユース選手権U-18:1回(2007年)
- Jユースカップ:1回 (2008年)
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2013年)
- 天皇杯:1回(2009年)
個人[編集]
- ユース時代
- 高円宮杯全日本ユース選手権U-15 得点王(2006年)
- 日本クラブユース選手権U-15 得点王(2006年)
- メニコンカップ(クラブユース東西対抗戦) 敢闘賞(2006年)
- 豊田国際ユースサッカー大会 最優秀選手賞、得点王 (2007年)
- 第9回 Franco Gallini 記念国際サッカー大会 最優秀選手賞 (2007年)
- プリンスリーグU-18(関西) 得点王(2008年)
- コパ・チーバス2009 得点王 (2009年)
- 第10回ビジャレアル国際ユースサッカー大会 得点王 (2009年)
- 第10回 Manel Fornè Pons ユースサッカー大会 最優秀選手賞 (2009年)
- プロ時代
- Jリーグベストヤングプレーヤー賞(2010年)
- Jリーグ月間MVP:2回(2013年8月、2013年11月)
- その他受賞
- 日本プロスポーツ大賞 新人賞(2010年)
代表歴[編集]
出場大会[編集]
- U-13日本代表
- U-14日本代表
- U-15日本代表
- 2007年 - AFC U-16選手権・予選(4試合2得点)
- U-16日本代表
- 2008年 - AFC U-16選手権 (ベスト4 / 4試合2得点)
- U-17日本代表
- 2009年 - FIFA U-17ワールドカップ (グループリーグ敗退 / 3試合0得点)
- U-18日本代表
- U-19日本代表
- 2010年 - AFC U-19選手権(ベスト8 / 3試合3得点)
- U-20日本代表
- U-22日本代表
- U-23日本代表
- 2012年 トゥーロン国際大会(グループリーグ敗退 / 2試合2得点)
- 2012年 - ロンドンオリンピック(4位 / 4試合0得点)
- 日本代表
CM[編集]
- アディダス(2011年)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- http://www2.gamba-osaka.net/club/player39.htmlガンバ大阪による公式プロフィール
- 宇佐美貴史オフィシャルサイト
- 宇佐美貴史 オフィシャルブログ (2011年7月30日まで)
- テンプレート:FIFA player(英語)
テンプレート:ガンバ大阪のメンバー テンプレート:Jリーグベストヤングプレーヤー賞 テンプレート:2009 FIFA U-17ワールドカップ 日本代表 テンプレート:ロンドンオリンピック サッカー日本代表