「フランツ・クサーヴァー・シュヴァルツ」の版間の差分
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フランツ・クサーヴァー・シュヴァルツ(Franz Xaver Schwarz、1875年11月27日 - 1947年12月2日)はドイツの政治家。国家社会主義ドイツ労働者党財政全国指導者。同党の古参党員として党財政に大きな役割を果たした。親衛隊の名誉指導者でもあり、親衛隊での最終階級は親衛隊上級大将。
略歴[編集]
ギュンツブルクにパン屋の息子として生まれる。八人兄弟のうちの七子だった。職業訓練学校を出たあと、1900年から1925年にかけてミュンヘン市の役所で働いた。その後、ギュンツブルク地区の裁判所で公証人として働く。第一次世界大戦では歩兵隊の少尉として従軍した。戦後の1922年にナチス党に入党。1923年のビアホール一揆にも参加した。1925年、党員番号が6番になる。1925年3月、ナチス党の会計の部署に配属される。出獄後のアドルフ・ヒトラーが合法的選挙活動できるようナチス党の財政を立て直しをはかった。ミュンヘンの党本部「褐色の家」を用意したのもシュヴァルツである。1933年にはフランケン地方選出のナチス党議員となった。この地位は敗戦まで保持した。
1933年、首相となったばかりのヒトラーから財政全国指導者(Reichsschatzmeister)に任じられ、ナチス党の財政の全権を任された。7月には親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーから親衛隊大将位を授与された。1935年11月のシュヴァルツの60歳の誕生日には総統ヒトラー自らが出席。シュヴァルツの党財政に果たした役割を評価した。シュヴァルツは党の政治には直接携わらず、財政など党活動のサポートにだけ優秀な人物とみられていた。たとえばヨーゼフ・ゲッベルスは日記の中でシュヴァルツについて「必要のない男だ」と書いたり、別の部分では「最も信用のできる男であり、立派な党人だ」と書いたりしている。
1942年4月20日には親衛隊上級大将に昇進。この親衛隊上級大将の地位はシュヴァルツを入れて四人にしか授与されていない(ヨーゼフ・ディートリヒ、パウル・ハウサー、クルト・ダリューゲ)。
ドイツ敗戦後はアメリカ軍によって逮捕された。レーゲンスブルク近郊の留置所に収容されていたがしばしば体を壊すようになり、1947年12月2日に同地で死去。
文献[編集]
- Charles Hamilton著『LEADERS & PERSONALITIES OF THE THIRD REICH VOLUME1』(R James Bender Publishing)340ページ。ISBN 9780912138275