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金 兒(キム・ヨナ、1990年9月5日 - )は、大韓民国のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2010年バンクーバーオリンピック金メダリスト。2009年世界選手権優勝。2009年四大陸選手権優勝。ISUグランプリファイナル優勝3回。パーソナルベストはいずれもISUジャッジングシステムにおける女子シングル歴代最高得点。
目次
人物[編集]
1990年9月5日、富川市で生まれる。家族は両親と3歳上の姉。母国では「国民の妹」、「フィギュア・クイーン」、「フィギュアの妖精」と呼ばれる。カトリック教徒で、ステラという洗礼名を持つ。2009年3月より高麗大学校に在籍。IBスポーツ所属。
韓国のフィギュアスケート史上、初めてISUフィギュアスケート選手権を制した選手(2006年世界ジュニア選手権)。金の活躍により韓国ではフィギュアスケートがブームとなった。劣悪だった韓国フィギュアのインフラも改善され始め、韓国各地にアイスリンクの建設予定があるほか、金の故郷である軍浦市では1,500億ウォンをかけて「キム・ヨナアイスリンク」を建設する予定だという。世界選手権で初優勝した2009年度は米フォーブス誌に「韓国で最も影響力ある有名人」に選ばれ、年収は約7億1800万円に上り、バンクーバー五輪出場選手の収入ランキング1位になった。
韓国のフィギュアスケートを振興するため、後輩の強化・育成活動や、賞金等の寄付をしている。ボランティア活動や慈善活動も積極的に行っている。2010年のハイチ地震の際には、ユニセフ韓国委員会に1億ウォンの寄付を行っている。
韓国の金ファンに対しては、多くのファンが国際大会の度に競技場に来て大声援を送ってくれることに感謝の言葉を述べる一方で、過度の声援やマナーの悪さに苦言を呈することもある。
競技会の審判に対しては「着地場面を見たが全く問題はなかった。両目で確認したのでこれ以上言うことはない。少し腹立たしい程度で怒りがこみ上げるほどではない。ただ今回もまた始まったかという感じ」と発言する等、自らのジャンプに対する判定に常々違和感を感じていることを吐露している。
ジュニア時代から競ってきた浅田真央に対しては、その存在が良いモチベーションになっていると語っている一方で、過熱するライバル報道に負担を感じているとも語っている。
技術・演技[編集]
ISUジャッジングシステムのもとで行われた主要国際競技会において、女子シングル史上初めて200点台を出した選手(2009年世界選手権)。ショートプログラムとフリースケーティングのパーソナルベストも、それぞれ歴代最高得点。長野オリンピックのミシェル・クワンの演技に感動して表現力の強化に力を注いできた。表現力は非常に高く評価されており、演技構成点で8点台を出すことがある。
5種類の3回転ジャンプを跳ぶことができる。12歳までに5種類の3回転ジャンプをマスターした。ジャンプには定評があり、技の出来栄えを評価するGOEでは大きな加点を得ることが多い。特に、3回転フリップ-3回転トウーループのコンビネーションジャンプでは男子選手にも負けないと言われている。シン・ヒェスック元コーチによると、3回転フリップは初めての試みでいきなり着氷したという。スピンやスパイラルシークエンス、ステップではレベルの取りこぼしが少ない。
一方、ループは苦手としており、プログラムから外すこともしばしばである。聯合ニュースが報じたところによれば、2010年バンクーバーオリンピックまで3回転ループをプログラムに入れない意向であるという。
フリップは2008年中国杯で誤ったエッジからの踏み切りであると判定された。この判定に対し、ブライアン・オーサーコーチは「安藤美姫こそ減点対象だ」などと抗議した。2009-2010シーズンからフリップの矯正に成功している。
金に関連する騒動[編集]
「練習を妨害された」発言[編集]
2009年3月14日、韓国SBSのインタビューで「競争相手の選手に試合直前の練習を妨害された」と話した。中央日報と朝鮮日報の記事によれば、金は「これまで大会のたび、試合直前の公式練習中にジャンプの練習をすると進路を遮られた。特に今回の四大陸選手権では少しひどいという印象を受けた。そこまでしなければいけないのか思うことが多かった。しかしそれに負けたくないし、それに負ければ競技にも少し支障が出るかもしれないので、対処方法を考えている」などと述べた。金は日本人選手の具体名を挙げていないが、SBSの報道映像では、実際に四大陸選手権の6分間練習の時に金と日本人選手が交錯しそうになった場面と金が驚いてふくれっ面をする場面が映し出され、複数の韓国メディアが「日本の選手達が組織的に金の練習を妨害した」と断定して報じたことから、韓国では日本人選手バッシングが過熱状態になった。
この発言は、韓国人の金ファンがYouTubeにSBSの報道映像を利用した「日本人選手糾弾動画」を複数投稿する事態を生み、投稿された動画は韓国人を中心とした100万件以上の閲覧数を記録し、日本選手に対する誹謗中傷が1万件近く書き込まれるまでに至った。これに対して、日本人のスケートファンの側からSBSの報道映像を利用した「SBSの悪意のある編集映像」を告発する反論動画が複数投稿されたが、「SBSにより著作権侵害の申し立てがあった」として、Youtube運営によって次々と削除された。一方SBSは、韓国人が作成した「日本人選手糾弾動画」に対しては一切の著作権名目の削除要請をしなかったため、SBSの意図的な不作為によって、「日本人選手糾弾動画」が世界中に流布され続けている状態になっている。
この騒動に関して、識者は「練習はジャッジの見ている前でするから妨害するメリットは全く無い。世界選手権が近いのでキム・ヨナ選手も気が立っていたのでしょう」(渡部絵美)、「ぶつかること自体しょっちゅう。日本相手だから韓国メディアが過剰反応している」(伊藤みどり)、「練習では狭いリンクに6人もの選手がいるのだから試合前の6分間練習のうちただの1分も自分だけのものにすることは出来ない」(ジョアニー・ロシェット)とコメントしている。
日本スケート連盟は、ファンなどから「なぜ(韓国の報道等に)抗議しないのか」などの抗議が殺到したことを受け、妨害の事実を否定するとともに、金側から抗議を受けたことや国際スケート連盟から警告を受けたこともないと表明。さらに、大韓スケート連盟に報道の経緯説明を求める文書を送付し、国際スケート連盟にも報道への見解を問う文書を提出した。また、浅田真央も記者の質問に答え、故意の妨害を否定した。大韓スケート連盟は日本スケート連盟の求めに対し、「特定の国や選手を名指ししたのではなく、一般的に選手が遭遇する状況を共有しようとした」「われわれはこのような誤解が再び起きないことを望む」と回答した。
金は世界選手権のためにロサンゼルス入りした後、韓国メディアの取材に答えて「試合では全選手が競争するだけに、そうしたことが起こり得る。インタビューで特定の選手について言及したことはない。事がおかしな形で膨らんでしまったが、気を使わない」と述べた。同日の日本メディアの取材では、マネジメント会社が「競技に関する質問のみ」と通達し、その場に緊張感が漂ったという。
世界選手権終了後、金に上記のインタビューをしたSBSのリポーターは、東京スポーツの取材に対し「『日本人に~』というのはSBS側が付け加えたもの」と答え、今回の報道は「韓国ファンの反日感情を煽り、対決ムードを盛り上げようとしただけ」と暴露したが、SBSは上記の報道に対して一切の訂正も謝罪もしなかった。
この騒動により一部の日本のスケートファンの間での金に対する評判は失墜し、特にインターネット上では、金の言論や態度に対して批判的な視点で言及されることが多くなった。
韓国人による2ちゃんねるへのサイバーテロ事件[編集]
詳しくは韓国人による2ちゃんねるへのサイバーテロ事件を参照。
二重契約訴訟[編集]
詳しくはIBスポーツ#キム・ヨナをめぐる二重契約訴訟を参照。
イトゥク「金姸兒(キム・ヨナ)事件」[編集]
詳しくはスーパージュニア#イトゥク「金姸兒(キム・ヨナ)事件」を参照。
経歴[編集]
5歳でスケートを始めた。7歳の時にコーチから「才能がある」と言われ、本格的にスケートを始めた。決して裕福とはいえない家庭であったが、両親は費用を惜しまず金をアメリカなどにスケート留学させた。母親は金の運転手兼マッサージ師兼鬼コーチ兼英語の教師として、一日16時間練習に付き添った。2002年トリグラフトロフィーノービスクラスで国際競技会初優勝。だが小学校6年生頃には練習の辛さと足首の靭帯の怪我と父親の会社の経営悪化が重なり、スケートを辞めることを考えたという。2003年韓国選手権では史上最年少(12歳)での優勝を果たし、神童と呼ばれた。2004-2005シーズンよりジュニアクラスに上がり、ISUジュニアグランプリに参戦する。JGPブダペストで優勝、JGPハルビンで2位となる。JGPファイナルと世界ジュニア選手権では、いずれも浅田真央に次ぐ2位となる。2005-2006シーズン、JGPスケートスロバキア、JGPソフィア杯、JGPファイナルと勝ち続け、世界ジュニア選手権では浅田真央を抑えて優勝。
2006-2007シーズンからはISUグランプリシリーズに参戦。2戦目のエリック・ボンパール杯でGPシリーズ初優勝を飾り、GPファイナルでショートプログラム3位から逆転して初出場初優勝を果たした。しかし12月初旬から軽度の椎間板ヘルニアによる腰痛が酷くなり、国内選手権や冬季アジア大会を欠場した。世界選手権では、SPでISU歴代最高得点を記録して首位に立った。しかし、フリースケーティングでは得点が伸びず、総合順位は3位となった。2007年初めからカナダに拠点を移し、現在に至るまでブライアン・オーサーに師事している。オーサーのほか、デヴィッド・ウィルソンを振付師に、トレイシー・ウィルソンをスケーティングと表現力のコーチとするチームを組んでいる。なお、オーサーにとっては金妍兒がコーチ転向後初の教え子である。オフシーズンには弱点である体力を育てるため体力トレーニングに多くの時間を割いたという。
2007-2008シーズン、GPシリーズ中国杯、ロシア杯と2連勝。ロシア杯のフリーではISU歴代世界最高得点を記録した。GPファイナルでも2連覇を達成した。韓国で開催される四大陸選手権は怪我のため欠場した。世界選手権では、仙腸関節負傷のため事前に満足な練習ができず、痛み止めを打ちながらの出場だったが[1]、SPの出遅れたをフリーで追い上げる形で2年連続の3位に入った。
2008-2009シーズン、長年悩まされていた腰痛と股関節痛が完治し、万全の状態でシーズンに臨んだ。GPシリーズスケートアメリカ、中国杯は他の出場選手に大差をつけて連勝した。韓国で開催されたGPファイナルでは地元の大声援を受けたが、過剰な声援が負担となり2位に終わった。会場には多くのファンが押し寄せ、演技後には数え切れないほどのプレゼントがリンクに投げ込まれた。四大陸選手権はSPでISU歴代最高得点を更新し、そのまま逃げ切って初優勝。世界選手権で再びSPのISU歴代最高得点を更新。フリーも今季初めて130点台を出し、総合得点は史上初めて200点の大台を越して念願の初優勝。重圧を押しのけての世界王座獲得に表彰台では感涙で頬を濡らした。
2009-2010シーズン、GPシリーズエリック・ボンパール杯ではフリーと総合得点でISU歴代最高得点を更新し優勝。スケートアメリカではSPのISU歴代最高得点を更新して優勝。GPファイナルでは3度目の優勝を果たした。
バンクーバーオリンピックではSP・FSともにISU歴代最高得点を更新し優勝した。FSでは150点台をマーク、GOEの加点で17.4点を稼いだ。
主な戦績[編集]
大会/年 | 2001-02 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 | 2006-07 | 2007-08 | 2008-09 | 2009-10 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
オリンピック | 1 | ||||||||
世界選手権 | 3 | 3 | 1 | ||||||
四大陸選手権 | 1 | ||||||||
韓国選手権 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||
GPファイナル | 1 | 1 | 2 | 1 | |||||
GPスケートアメリカ | 1 | 1 | |||||||
GPエリック・ボンパール杯 | 1 | 1 | |||||||
GP中国杯 | 1 | 1 | |||||||
GPロシア杯 | 1 | ||||||||
GPスケートカナダ | 3 | ||||||||
世界Jr.選手権 | 2 | 1 | |||||||
JGPファイナル | 2 | 1 | |||||||
JGPソフィア杯 | 1 | ||||||||
JGPスケートスロバキア | 1 | ||||||||
JGPブダペスト | 1 | ||||||||
JGPハルビン | 2 | ||||||||
トリグラフトロフィー | 1 N |
詳細[編集]
2009-2010 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2010年2月14日-27日 | バンクーバー五輪(バンクーバー) | 1 78.50 |
1 150.06 |
1 228.56 |
2009年12月3日-6日 | 2009/2010 ISUグランプリファイナル(東京) | 2 65.64 |
1 123.22 |
1 188.86 |
2009年11月12日-15日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(レークプラシッド) | 1 76.28 |
2 111.70 |
1 187.98 |
2009年10月15日-18日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 1 76.08 |
1 133.95 |
1 210.03 |
2008-2009 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2009年3月23日-29日 | 2009年世界フィギュアスケート選手権 (ロサンゼルス) | 1 76.12 |
1 131.59 |
1 207.71 |
2009年2月2日-8日 | 2009年四大陸フィギュアスケート選手権(バンクーバー) | 1 72.24 |
3 116.83 |
1 189.07 |
2008年12月10日-14日 | 2008/2009 ISUグランプリファイナル(高陽) | 1 65.94 |
2 120.41 |
2 186.35 |
2008年11月5日-9日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | 1 63.64 |
1 128.11 |
1 191.75 |
2008年10月23日-26日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(エバレット) | 1 69.50 |
1 123.95 |
1 193.45 |
2007-2008 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2008年3月17日-23日 | 2008年世界フィギュアスケート選手権(ヨーテボリ) | 5 59.85 |
1 123.38 |
3 183.23 |
2007年12月13日-16日 | 2007/2008 ISUグランプリファイナル(トリノ) | 1 64.62 |
2 132.21 |
1 196.83 |
2007年11月22日-25日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | 1 63.50 |
1 133.70 |
1 197.20 |
2007年11月7日-11日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(ハルビン) | 3 58.32 |
1 122.36 |
1 180.68 |
2006-2007 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2007年3月19日-25日 | 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) | 1 71.95 |
4 114.19 |
3 186.14 |
2006年12月14日-17日 | 2006/2007 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | 3 65.06 |
1 119.14 |
1 184.20 |
2006年11月17日-19日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 1 65.22 |
1 119.32 |
1 184.54 |
2006年11月2日-5日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ビクトリア) | 1 62.68 |
4 105.80 |
3 168.48 |
2005-2006 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2006年3月6日-12日 | 2006年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(リュブリャナ) | 1 107.52 |
1 60.86 |
1 116.68 |
1 177.54 |
2005年11月24日-27日 | 2005/2006 ISUジュニアグランプリファイナル(オストラヴァ) | - | 1 57.51 |
1 116.61 |
1 174.12 |
2005年9月29日-10月2日 | ISUジュニアグランプリ ソフィア杯(ソフィア) | - | 1 53.45 |
1 99.98 |
1 153.43 |
2005年9月1日-4日 | ISUジュニアグランプリ スケートスロバキア(ブラチスラヴァ) | - | 1 58.63 |
1 110.20 |
1 168.83 |
2004-2005 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2005年2月26日-3月3日 | 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(キッチナー) | 1 102.98 |
6 48.67 |
2 110.26 |
2 158.93 |
2004年12月2日-5日 | 2004/2005 ISUジュニアグランプリファイナル(ヘルシンキ) | - | 2 51.27 |
3 86.48 |
2 137.75 |
2004年9月16日-19日 | ISUジュニアグランプリ ハルビン(ハルビン) | - | 4 38.87 |
1 92.35 |
2 131.22 |
2004年9月1日-5日 | ISUジュニアグランプリ ブダペスト(ブダペスト) | - | 1 47.23 |
1 101.32 |
1 148.55 |
プログラム[編集]
シーズン | SP | FS | EX |
---|---|---|---|
2009-2010 | 『ジェームズ・ボンド』より 作曲:ジョン・バリー 振付:デヴィッド・ウィルソン |
『ヘ調の協奏曲』より 作曲:ジョージ・ガーシュウィン 振付:デヴィッド・ウィルソン |
タイスの瞑想曲 作曲:ジュール・マスネ ドント・ストップ・ザ・ミュージック (Don't Stop the Music) by リアーナ |
2008-2009[2][3] | 『死の舞踏』より 作曲:カミーユ・サン=サーンス 振付:デヴィッド・ウィルソン |
『シェヘラザード』より 作曲:ニコライ・リムスキー=コルサコフ 振付:デヴィッド・ウィルソン |
ゴールド 作曲:Linda Eder オンリー・ホープ |
2007-2008[2] | オペレッタ『こうもり』より 作曲:ヨハン・シュトラウス2世 |
ミュージカル『ミス・サイゴン』より 作曲:Claude-Michel Schonberg |
ジャスト・ア・ガール by ノー・ダウト ワンス・アポン・ア・ドリーム ミュージカル『ジキル&ハイド』より オンリー・ホープ |
2006-2007[2] | ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より 作曲:Craig Armstrong |
あげひばり 作曲:レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ |
リフレクション 映画『ムーラン』より ボーカル:クリスティーナ・アギレラ |
2005-2006[2] | ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より 作曲:Craig Armstrong |
パパ、見守ってください 映画『愛のイエントル』より 作曲:ミシェル・ルグラン、演奏:イツァーク・パールマン & ジョン・ウィリアムズ |
ワン・デイ・アイル・フライ・アウェイ 映画『ムーラン・ルージュ』より ボーカル:ニコール・キッドマン |
2004-2005[2] | 吹雪 作曲:ゲオルギー・スヴィリードフ |
パパ、見守ってください 映画『愛のイエントル』より 作曲:ミシェル・ルグラン、演奏:イツァーク・パールマン & ジョン・ウィリアムズ |
ベンのテーマ 映画『ベン』より 作曲:Walter Scharf、ボーカル:マイケル・ジャクソン |
2003-2004[2] | 吹雪 作曲:ゲオルギー・スヴィリードフ |
歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー |
- |
スポンサー等[編集]
メディア出演等[編集]
テレビコマーシャル[編集]
- CJグループ - 「IVY Club」(学校制服)
- 国民銀行 - 「夏の少年と冬の少女」(企業イメージCM)
- LG生活健康 - 「シャフラン」(液状柔軟剤)
- 韓国ロッテ - 「アイシス」
- LGエレクトロニクス - 「DIOS」(冷蔵庫)
- 毎日乳業 「ESL 低脂肪乳」 - (牛乳)
- 韓国P&G - 「ウィスパー・セーフTゾーン」(生理用ナプキン)
- LG生活健康 - 「Lacvert」(基礎化粧品)
- 現代自動車 「ガチョウの夢」 - (企業イメージCM)
- サムスン電子 「Hauzen-風の女神」 - (エア・コンディショナー)
モデル[編集]
- 「allure」(2007年5月号)
- 「ceci」(2008年5月号)。
その他[編集]
- 韓国ナイキ 「NIKE WOMAN - This is love」(スポーツウェア)
- 韓国3M 「Nexcare - ネクスケア」(救急絆創膏、防水パット)
- Tous Les Jours 「金妍兒のパン」(パン)
- ロマンソン 「J.estina」 (イヤリング)
関連書籍[編集]
- 朴美喜『아이의 재능에 꿈의 날개를 달아라』2008年、ISBN 9788993094145
- エッセイ集「キム・ヨナの7分ドラマ」2010年1月28日
関連CD[編集]
- 金妍兒 Fairy on the ICE - プログラム・ミュージック 2003-2008 (Universal Music)
表彰[編集]
- 大韓民国国会大賞スポーツ部門大賞(2006年12月)
- 2006年度コカ・コーラスポーツ大賞MVP(2007年 2月)
- 大韓体育会最優秀賞競技部門(2007年2月)
- 大韓民国体育賞競技部門最優秀選手(2009年10月)
広報大使[編集]
- 冬季五輪平昌招致広報大使(2010,2014,2018年)
- 「韓国訪問の年」広報大使(2010-2012年)
- 地上波テレビデジタル化広報大使(2009-2012年)
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 金妍兒公式サイト(英語、韓国語に対応)
- テンプレート:isu name