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===「三代目・SMの女王」として===
 
===「三代目・SMの女王」として===
高倉美貴は日活の“三代目・SMの女王”として、1983年から1985年までの2年間に、5本のSM映画で主役を演じた。当初の契約では出演映画の数は4本であったが、日活と団鬼六の希望を受け容れて5作品に主演した。
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高倉美貴は日活の“三代目・SMの女王”として、1983年から1985年までの3年間に、5本のSM映画で主役を演じた。当初の契約では出演映画の数は4本であったが、日活と団鬼六の希望を受け容れて5作品に主演した。
  
「団鬼六 美女縄地獄」 (1983年)、「団鬼六 美女縄化粧」 (1983年)、「団鬼六 修道女縄地獄」 (1984年)、「団鬼六 縄責め」 (1984年)、「団鬼六 緊縛卍責め」 (1985年)  
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「団鬼六 美女縄地獄」 (1983年)、「団鬼六 美女縄化粧」 (1983年)、「団鬼六 修道女縄地獄」 (1984年)、「団鬼六 縄責め」 (1984年)、「団鬼六 緊縛卍責め」 (1985年)
  
===「売れない脇役女優としての人生」===
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===「売れない脇役女優として」===
 
1986年、日活が“本番の[[ハメ撮り]]を導入”するとポルノを引退し、引退後は一般の女優となった。
 
1986年、日活が“本番の[[ハメ撮り]]を導入”するとポルノを引退し、引退後は一般の女優となった。
  
しかし、当時は元ポルノ女優ということだけでテレビ局から敬遠されていたのだが、ましてや高倉美貴は“SM女優”であったがためテレビ局からますます敬遠されて、一般女優としては全く売れなかった。
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しかし、当時は元ポルノ女優ということだけでテレビ局から敬遠されていたのだが、ましてや高倉美貴は“SM女優”であったがためテレビ局からますます敬遠され、一般女優としては全く売れなかった。
  
 
こうして高倉美貴は、“売れない脇役女優”としての人生を送った。
 
こうして高倉美貴は、“売れない脇役女優”としての人生を送った。

2013年8月1日 (木) 14:58時点における最新版

高倉 美貴(たかくら みき)は日活ロマンポルノのSM女優、および一般女優。

「美貌の老舗の箱入り娘」[編集]

金沢の老舗の娘で、幼稚園から高校まで私立のお嬢様校に通っていた。典型的な地方の箱入り娘である。高校時代は映画部の部長を務めた。高校卒業後、デザイナーになるため上京。原宿のブティックに勤務していたが、その美貌により芸能事務所にスカウトされ、モデルとして芸能界デビューを果たした。

「団鬼六に見初められて」[編集]

そんな高倉美貴に目をつけたのが、日活のSM映画の原作者である巨匠・団鬼六であった。当時団鬼六は、公私にわたるSMパートナー、“二代目・SMの女王”麻吹淳子が病気のために引退してしまったため、麻吹淳子に代わる“三代目・SMの女王”を探していたところだった。

団鬼六は高倉美貴の美貌に魅せられ、“三代目・SMの女王”として高倉美貴に白羽の矢を立てた。当然のことながら、高倉美貴は団鬼六の要望を何度も断った。しかし団鬼六が粘り強く高倉美貴と彼女の母親を説得し、日活も高額の契約金を提示するなどして、ついに高倉美貴をSM女優として獲得することに成功した。

ここに「日活ロマンポルノ史上最も美しい女優」と言われたポルノ女優が誕生した。こうして高倉美貴も団鬼六の公私にわたるSMパートナーとしてマゾ調教され、“三代目・SMの女王”となった。

「三代目・SMの女王」として[編集]

高倉美貴は日活の“三代目・SMの女王”として、1983年から1985年までの3年間に、5本のSM映画で主役を演じた。当初の契約では出演映画の数は4本であったが、日活と団鬼六の希望を受け容れて5作品に主演した。

「団鬼六 美女縄地獄」 (1983年)、「団鬼六 美女縄化粧」 (1983年)、「団鬼六 修道女縄地獄」 (1984年)、「団鬼六 縄責め」 (1984年)、「団鬼六 緊縛卍責め」 (1985年)

「売れない脇役女優として」[編集]

1986年、日活が“本番のハメ撮りを導入”するとポルノを引退し、引退後は一般の女優となった。

しかし、当時は元ポルノ女優ということだけでテレビ局から敬遠されていたのだが、ましてや高倉美貴は“SM女優”であったがためテレビ局からますます敬遠され、一般女優としては全く売れなかった。

こうして高倉美貴は、“売れない脇役女優”としての人生を送った。

1995年、お笑い芸人・あのねのね原田伸朗と結婚し、芸能界を完全に引退した。

「後日談」[編集]

なお、団鬼六は高倉美貴がSM女優になった経緯について、講演会の席などで、「私は高倉美貴に、あなたのような清楚で美しい女性がSM女優になんかなっちゃいかんと断ったのだが、本人にどうしてもお願いしますと頼まれまして」と、ありもしない嘘を言いふらし続けた。

これについて高倉美貴は、団鬼六の話を全く否定しなかった。そのため長い間、高倉美貴は自ら希望してSM女優になった、と思われていた。