「東京大学大学院医学系研究科・医学部」の版間の差分

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新制大学としての東京大学医学部の設置は1951年度からなったが、これは所謂医学進学過程をもたない専門学部のみの医科大学(医学部)であった。そして、1951年度より新制東京大学の入学試験は[[教養学部]]各科類の他に医学部の入学試験も併せて行われた(1951年度の入学者104名の内訳は、東大教養学部64名、他大学教養部8名、旧制高校32名。尚、志願者は688名であり、内訳は、東大教養学部183名、他大学教養部176名、旧制高校306名、他大学旧制予科23名。)。これはあくまで入学試験であり、医学部進学希望者を含む理科二類からの入学希望者も平等に入学選抜試験を受けなければならない所謂医学部のみの公募であった。そのため、理科二類から医学部入学を希望して果たせなかった者は、他の学部へ進路を転換するか、次年度に望みを託して浪人することになり、新たな進学問題を内に孕んでいたといえる。この医学部の公募制は1962年度に理科三類が教養学部に設けられるまで続いた。
 
新制大学としての東京大学医学部の設置は1951年度からなったが、これは所謂医学進学過程をもたない専門学部のみの医科大学(医学部)であった。そして、1951年度より新制東京大学の入学試験は[[教養学部]]各科類の他に医学部の入学試験も併せて行われた(1951年度の入学者104名の内訳は、東大教養学部64名、他大学教養部8名、旧制高校32名。尚、志願者は688名であり、内訳は、東大教養学部183名、他大学教養部176名、旧制高校306名、他大学旧制予科23名。)。これはあくまで入学試験であり、医学部進学希望者を含む理科二類からの入学希望者も平等に入学選抜試験を受けなければならない所謂医学部のみの公募であった。そのため、理科二類から医学部入学を希望して果たせなかった者は、他の学部へ進路を転換するか、次年度に望みを託して浪人することになり、新たな進学問題を内に孕んでいたといえる。この医学部の公募制は1962年度に理科三類が教養学部に設けられるまで続いた。
  
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* 健康総合科学科(4年制)
 
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公共健康医学専攻には通常の2年コースの他、医療関連の実務経験を有する者を対象とする1年コースが置かれている。
 
公共健康医学専攻には通常の2年コースの他、医療関連の実務経験を有する者を対象とする1年コースが置かれている。
 
* 分子細胞生物学専攻([[4年制博士課程]])
 
* 分子細胞生物学専攻([[4年制博士課程]])

2013年6月1日 (土) 14:25時点における最新版

東大理Ⅲ女子

東京大学大学院医学系研究科は、東京大学大学院に設置される研究科の一つである。また、東京大学医学部は、東京大学に設置される学部の一つである。

「東大理Ⅲ」の名称で知られる、日本の大学受験における最難関学部である。

医学部医学系研究科は一体となって運営されているため、この記事で合わせて解説する。

沿革[編集]

東大理Ⅲ女子

医学部には1877年の東京大学((旧)東京大学)設立と同時に医学科、製薬学科(1887年に薬学科に改称された後、1958年薬学部として独立)が設置され、1953年に衛生看護学科が設置された。衛生看護学科は看護婦養成を目的としており、入学者を女子に限定していた(衛生看護学科は前期課程とは別枠で入学者を募集していた)が、1965年に保健学科と改称し、健康科学の教育・研究を主体とする学科になった。さらに1992年には、健康科学・看護学科と、2010年には、健康総合科学科と改称された。

1962年に前期課程に理科三類がおかれるまでは、医学科は理科二類または理科一類の学生の中から選抜試験を行って学生を受け入れており、上で述べたように衛生看護学科も別枠募集であったため、通常の進学振分けを行う学科は薬学科のみという、東大内では少し変わった学部であった。なお、現在はすべての学科で通常の進学振分けを行っている。

大学院に関しては、1953年に新制大学院として生物系研究科医学専門課程が設置されたが、1965年に医学系研究科に改組され、保健学専門課程が新設された。1987年には専門課程が専攻に改称された。

医学系研究科には4年制の医学博士課程として、第一基礎医学専攻、第二基礎医学専攻、第三基礎医学専攻、第一臨床医学専攻、第二臨床医学専攻、第三臨床医学専攻、第四臨床医学専攻、社会医学専攻の8専攻が設置されていたが、大学院重点化に伴い、1995年から1997年にかけて現在の9専攻に改組された。また、1992年に国際保健学専攻が設置され(1996年重点化)、1996年には保健学専攻が大学院重点化によって健康科学・看護学専攻に改組された。1999年には医学科・歯学科・獣医学科以外の学部卒業者を対象とする医科学専攻修士課程が設置され、医学博士課程と合わせて6年間の一貫教育を行うようになった(ただし、博士課程への入学試験は存在する)。さらに2007年には、専門職大学院公衆衛生大学院)として公共健康医学専攻が設置された。

理科三類の創設[編集]

東大理Ⅲ女子

新制大学としての東京大学医学部の設置は1951年度からなったが、これは所謂医学進学過程をもたない専門学部のみの医科大学(医学部)であった。そして、1951年度より新制東京大学の入学試験は教養学部各科類の他に医学部の入学試験も併せて行われた(1951年度の入学者104名の内訳は、東大教養学部64名、他大学教養部8名、旧制高校32名。尚、志願者は688名であり、内訳は、東大教養学部183名、他大学教養部176名、旧制高校306名、他大学旧制予科23名。)。これはあくまで入学試験であり、医学部進学希望者を含む理科二類からの入学希望者も平等に入学選抜試験を受けなければならない所謂医学部のみの公募であった。そのため、理科二類から医学部入学を希望して果たせなかった者は、他の学部へ進路を転換するか、次年度に望みを託して浪人することになり、新たな進学問題を内に孕んでいたといえる。この医学部の公募制は1962年度に理科三類が教養学部に設けられるまで続いた。

1958年5月に東京大学に設置された大学制度審議会の第三回会合において、教養学部のあり方に関し、専門諸学部から見解が開陳された。そこで掲示された問題点の多くは進学振分けに際して不利益を被っている学部から出されている。医学部に関する指摘を抜粋すると、「理科二類では医学部入学のための腰かけ在籍者が多く、学科によっては定員われを生じている。」(農学部)、「公募制に二重手間など若干支障あり」(医学部)という指摘がなされた。その後、検討が加えられ、最終的に1961年4月28日の専門委員会において「東京大学教養学部の科類別および募集人員について」が採択された。これは5月2日の学部長会議で一部修正されて、5月9日正式発表となった。ここにおいて、「(一)東京大学教養学部の科類別については、東京大学制度審議会を設けて四年にわたり慎重に審議した結果、従来の文科一類、文科二類、理科一類、理科二類の分類を変更し、昭和三十七年度より新しい科類別に従って、入学試験を実施することとする。(中略)(三)医学部医学科に進学を希望する者に対しては、従来入学の二年後に改めて選抜試験を実施したが、三十七年度教養学部入学者よりはこれを実施せず、他学部に準じる進学振分けの方法による。」とされ、現行の科類区分が成立した。この進学制度の改革により、医学部医学科へはほとんどが理科三類から進学することとなり、それまで行われていた医学部公募制は制度上もなくなった。なお、理科二類から約10名、理科一類から1名が医学部医学科に進学できる。

教育と研究[編集]

組織[編集]

医学部[編集]

東大理Ⅲ女子
  • 医学科(6年制)
  • 健康総合科学科(4年制)

医学系研究科[編集]

東大理Ⅲ女子

公共健康医学専攻には通常の2年コースの他、医療関連の実務経験を有する者を対象とする1年コースが置かれている。

  • 分子細胞生物学専攻(4年制博士課程
    細胞生物学・解剖学講座、生化学・分子生物学講座
  • 機能生物学専攻(4年制博士課程)
    生理学講座、薬理学講座
  • 病因・病理学専攻(4年制博士課程)
    病理学講座、微生物学講座、免疫学講座
  • 生体物理医学専攻(4年制博士課程)
    放射線医学講座、医用生体工学講座
  • 脳神経医学専攻(4年制博士課程)
    基礎神経医学講座、認知・言語医学講座、臨床神経精神医学講座
  • 社会医学専攻(4年制博士課程)
    社会予防医学講座、法医学・医療情報経済学講座
  • 内科学専攻(4年制博士課程)
    器官病態内科学講座、生体防御腫瘍内科学講座、病態診断医学講座
  • 生殖・発達・加齢医学専攻(4年制博士課程)
    産婦人科学講座、小児医学講座、加齢医学講座
  • 外科学専攻(4年制博士課程)
    臓器病態外科学講座、感覚・運動機能医学講座、生体管理医学講座
  • 健康科学・看護学専攻(修士課程博士課程
    健康科学講座、予防看護学講座、臨床看護学講座
  • 国際保健学専攻(修士課程・博士課程)
    国際社会医学講座、国際生物医科学講座
  • 医科学専攻(修士課程)
  • 公共健康医学専攻(公衆衛生大学院)(専門職学位課程
    疫学保健学講座、行動社会医学講座、医療科学講座

附属施設[編集]

  • 医学部附属病院(東大病院)
  • 医学系研究科附属疾患生命工学センター
    • 分子病態医科学部門
    • 構造生理学部門
    • 再生医療工学部門
    • 臨床医工学部門
    • 健康・環境医工学部門
    • 動物資源学部門
    • 放射線分子医学部門
    • 研究基盤部門(動物資源研究領域、放射線研究領域、医工情報研究領域)

研究[編集]

21世紀COEプログラム[編集]

医学系研究科では、以下の3件が文部科学省21世紀COEプログラムに採択されている。

  • 生体シグナル伝達機構の領域横断的研究(2002年度)
  • 脳神経医学の融合的研究拠点(2003年度)
  • 環境・遺伝素因相互作用に起因する疾患研究(2003年度)

グローバルCOEプログラム[編集]

医学系研究科では、以下の3件が文部科学省のグローバルCOEプログラムに採択されている。

  • 生体シグナルを基盤とする統合生命学(2007年度)
  • 疾患のケミカルバイオロジー教育研究拠点(2008年度)
  • 次世代型生命・医療倫理の教育研究拠点創成(2008年度)

教育[編集]

医学科では、3-6年生のことをそれぞれM1-M4と呼び(他学科ではM1-M3は修士課程学生を表す)、医学科に内定した2年生をM0と呼ぶ。また、鉄門系サークル(鉄門倶楽部参照)では理科三類1年生、2年生をそれぞれC1、C2と呼んでいる。

医学科は基本的にすべての授業科目が必修であり、単位制を採用していない(健康科学・看護学科および東京大学の他の学部はすべて単位制である)。

また医学科生を対象として、2003年度より「Ph.D.-M.D.コース」が、2008年度より「MD研究者育成プログラム」が行われている。どちらも基礎医学研究者を早期養成するための制度であるが、前者ではM2あるいはM3から大学院医学系研究科博士課程に飛び入学する(大学院修了後に学部に再入学することも可能である)のに対し、後者ではM1から通常の医学科カリキュラムと平行して基礎系の各研究室で研究を行い、卒業と同時に医学系研究科博士課程に入学する(医師国家試験が受験可能)。

同窓会[編集]

鉄門倶楽部
医学部医学科の同窓会である。1899年に創設され、元々は東京帝国大学医科大学のボート競技の応援団体であったが、その後組織が拡大されて、医学部医学科同窓生の親睦を目的とした事業・行事を行う機構になった。医学科卒業生が正会員であり、医学科生が準会員である。卒業生以外では、東京大学医学部医学科教員となれば、鉄門倶楽部規約5条に規定される会員になることができる。東京大学医学部の学部内サークルには、鉄門野球部などのように「鉄門」で始まる名前を持つものが多く、「鉄門系サークル」と総称されている。これらのサークルは鉄門倶楽部から支援を受けており、医学科生および教養学部理科三類生のみが入部できる。鉄門倶楽部は、同窓生としての縦のつながりがとても強い。東大内では「医学部医学科」を意味する鉄門であるが、医学界では「東大出身者」を意味する。
東京大学保健学同窓会
医学部健康科学・看護学科の同窓会である。1984年に発足した「医学部保健学科同窓会」を発展させ、1995年に発足した。前述のように医学部には同窓会「鉄門倶楽部」が存在したが、こちらは医学科の同窓会であり(医学科は6年制であることもあって)縦のつながりが強いため、保健学科(現 健康科学・看護学科)には独立した同窓会が設立された。健康科学・看護学科およびその前身である衛生看護学科、保健学科の卒業生が正会員であり、同学科の学生・教員も会員になることができる。

施設[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

テンプレート:東京大学