「田中理恵 (体操選手)」の版間の差分
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2019年12月7日 (土) 11:07時点における最新版
田中 理恵(たなか りえ、1987年6月11日 - )は、日本の体操選手。和歌山県岩出市出身。和歌山県立和歌山北高等学校、日本体育大学卒業。2010年5月現在、日本体育大学大学院在学中。
身長156cm、体重46kg。兄は同じ体操選手の田中和仁。弟の田中佑典も同じ体操選手。コーチは元体操日本代表の瀬尾京子。
略歴[編集]
- 体操を始めたのは6歳のときから。理由は兄・和仁がとても綺麗な演技をしていて、そこに惹かれたのがきっかけ。両親も元体操選手という体操一家である。
- 高校時代は左足首の遊離軟骨の影響でまともな練習ができず、日体大入学後に手術。本格的に大会に出場できるようになったのは大学3年から。
- 2009年、全日本選手権で鶴見虹子に次ぐ2位に入賞し、一躍注目を集める。同年6月に行われたNHK杯では、初日終了時点で2位に付けたものの、二日目は一転して段違い平行棒と平均台での落下が響き、6位に順位を下げ、世界選手権代表をあと一歩のところで逃し、兄妹そろっての代表入りは実現しなかった。その直後にベオグラードで行われたユニバーシアードに出場。「楽しんで、3日間ノーミスで出来た。でも、その舞台が世界選手権じゃなかったのがすごく悔しかった」ことから現役続行を決意。周囲の勧めも有り、大学院進学を決めた。当初は大学卒業後、故郷・和歌山で高校の体育教員の道も考えていたという。
- 2010年の全日本選手権では4位入賞を果たし、NHK杯の出場権を獲得。世界選手権代表入りへ大きく前進した。同年6月のNHK杯では初日3位。最終日は総合4位(選考順位3位)となり、男子総合4位・種目別順位1位となった兄と共に、日本の体操界史上初となる兄妹同時の世界選手権代表入りを果たした。23歳で初の世界選手権代表であり、協会関係者も「ここ30年ではいないと思う」と言われるほど異例である。同年7月に行われたジャパンカップでは安定した演技で団体総合の銀メダル獲得に貢献。
- 同年10月、ロッテルダムにて行われた世界選手権でも団体5位入賞に貢献。個人総合も決勝進出を果たし、17位と健闘。最も美しい演技で観客を魅了した選手に贈られる『ロンジン・エレガンス賞』を受賞した。「ドーピングに呼ばれたのかと思ったら、受賞だと知って、びっくりした。めっちゃ嬉しい」と喜びを表した。なお、日本人選手がエレガンス賞を受賞したのは、2007年の冨田洋之以来2人目。
- 同年11月に行われた広州アジア大会にも出場。エースの鶴見が不振に陥る中、団体で銀メダル獲得に貢献。更に個人総合でも銅メダル、跳馬でも銀メダルを獲得した。なお日本人選手が跳馬でメダルを獲ったのは、1990年北京大会での瀬尾京子以来、20年振り。瀬尾は現在、自身のコーチも勤めている。また小沢茂々子(戸田市スポーツセンター)も同種目で銅メダルを獲得している。同年12月に行われた全日本種目別では跳馬と平均台で優勝し、初のタイトルを獲得した。