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{{日本医師会会長|2代: 1931年-1943年}}
 
{{日本医師会会長|2代: 1931年-1943年}}

2009年12月20日 (日) 03:44時点における最新版

北島 多一(きたじま たいち、明治3年6月21日1870年7月19日) - 昭和31年(1956年10月11日)は、細菌学者医学博士。第2代日本医師会会長石川県金沢市生まれ。

人物[編集]

1894年東京帝国大学医科大学を首席で卒業と同時に伝染病研究所に入る。北里柴三郎の右腕として手腕を発揮し、北里の死後、北里研究所所長に就任。伝染病研究所が内務省から文部省に移管され東京大学に合併される時、移管に反対して北里柴三郎所長が辞任。この時、志賀潔を始めとする研究所の職員全員が一斉に辞表を提出。伝研騒動といわれるこの間に、慶應義塾大学医学部主事になり、慶應医へ移った北里を支える。蛇、ハブの抗毒血清の製造に成功する。1953年文化功労者1956年勲三等瑞宝章受章。

親族[編集]

著書[編集]

  • 1922年(和暦??年) - 『マラリアの予防』 内務省衛生局

外部リンク[編集]

日本医師会

出典[編集]

テンプレート:日本医師会会長

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