「旧宮家」の版間の差分

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'''旧宮家'''(きゅうみやけ)は皇族を離れた者とその男系子孫であるが、特に1947年(昭和22年)10月の皇籍離脱で皇族を離れた旧皇族(11 宮家 51 方)を指す。
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'''旧宮家'''(きゅうみやけ)は皇族を離れた者とその男系子孫であるが、特に1947年(昭和22年)10月の皇籍離脱で皇族を離れた旧皇族(11 宮家 51 方)を指す。「旧皇族」ともいう。
  
 
==概要==
 
==概要==
 
1947年(昭和22年)10月14日に、内廷皇族及び秩父、高松及び三笠のいわゆる3直宮を除く11宮家51方が皇族の身分を離れた。戦後、皇室の財産について採られた措置により、各宮家への贈賜されていた歳費等の打切りが行われた。
 
1947年(昭和22年)10月14日に、内廷皇族及び秩父、高松及び三笠のいわゆる3直宮を除く11宮家51方が皇族の身分を離れた。戦後、皇室の財産について採られた措置により、各宮家への贈賜されていた歳費等の打切りが行われた。
  
しかし、2021年12月6日、安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の有識者会議が、最終報告で、旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する案を提示し、旧宮家の現状に着目されている。
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しかし、2021年12月22日、安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の有識者会議が、最終報告で、旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する案を提示し、旧宮家の現状が着目されている。旧宮家の男系の血を引く子孫には、少なくとも10人の独身男子がいるとされている<ref>[https://www.dailyshincho.jp/article/2019/10071100/?all=1 旧皇族復帰プランで浮上]デイリー新潮</ref>。
  
 
==旧宮家現状==
 
==旧宮家現状==
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| 5 || 梨本宮 || 1870年 || 梨本徳彦(死去) ||第26代||男系断絶||18世
 
| 5 || 梨本宮 || 1870年 || 梨本徳彦(死去) ||第26代||男系断絶||18世
 
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| 6 || 久邇宮 || 1906年 || 伏見宮博明王 ||第26代||嫡流断絶見込(女子3名)||19世-20世
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| 6 || 久邇宮 || 1906年 || 伏見宮博明王 ||第26代||直系は女子3名/傍系に未婚男系男子1名||19世-20世
 
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| 7 || 賀陽宮 || 1892年 || 賀陽正憲 ||第5代||未婚男系男子2名||19世-20世
 
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| 8 || 東伏見宮 ||1903年 || 東伏見宮依仁親王 ||||男系断絶||
 
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| 9 || 東久邇宮 ||1903年 ||久邇邦昭 ||||||18世-20世
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| 9 || 東久邇宮 ||1903年 ||久邇邦昭 ||||未婚男系男子6名とされる||18世-20世
 
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| 10 || 朝香宮 ||1906年 ||朝香誠彦 ||||男系断絶見込||18世-20世
 
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| 11 || 竹田宮 ||1906年 ||竹田恒泰<ref>南北朝時代の北朝第3代崇光天皇の19世の子孫</ref>||||第3代||19世-20世
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| 11 || 竹田宮 ||1906年 ||竹田恒泰<ref>南北朝時代の北朝第3代崇光天皇の19世の子孫</ref>||第3代||未婚男系男子1名||19世-20世
 
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2021年12月30日 (木) 01:17時点における最新版

旧宮家(きゅうみやけ)は皇族を離れた者とその男系子孫であるが、特に1947年(昭和22年)10月の皇籍離脱で皇族を離れた旧皇族(11 宮家 51 方)を指す。「旧皇族」ともいう。

概要[編集]

1947年(昭和22年)10月14日に、内廷皇族及び秩父、高松及び三笠のいわゆる3直宮を除く11宮家51方が皇族の身分を離れた。戦後、皇室の財産について採られた措置により、各宮家への贈賜されていた歳費等の打切りが行われた。

しかし、2021年12月22日、安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の有識者会議が、最終報告で、旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する案を提示し、旧宮家の現状が着目されている。旧宮家の男系の血を引く子孫には、少なくとも10人の独身男子がいるとされている[1]

旧宮家現状[編集]

No 宮家 創始年 現当主 代数 状況 天皇家との距離
1 伏見宮 1456年 伏見博明 第26代当主 嫡流断絶見込(女子3名) 20世
2 山階宮 1864年 山階宮武彦(死去) 嫡流断絶 19世
3 閑院宮 1718年 閑院宮春仁王(死去) 第七代 男系断絶 18世
4 北白川宮 1870年 伏見宮博明王(死去) 第26代 嫡流断絶 20世
5 梨本宮 1870年 梨本徳彦(死去) 第26代 男系断絶 18世
6 久邇宮 1906年 伏見宮博明王 第26代 直系は女子3名/傍系に未婚男系男子1名 19世-20世
7 賀陽宮 1892年 賀陽正憲 第5代 未婚男系男子2名 19世-20世
8 東伏見宮 1903年 東伏見宮依仁親王 男系断絶
9 東久邇宮 1903年 久邇邦昭 未婚男系男子6名とされる 18世-20世
10 朝香宮 1906年 朝香誠彦 男系断絶見込 18世-20世
11 竹田宮 1906年 竹田恒泰[2] 第3代 未婚男系男子1名 19世-20世

参考文献[編集]

  1. 旧皇族復帰プランで浮上デイリー新潮
  2. 南北朝時代の北朝第3代崇光天皇の19世の子孫