「智辯学園和歌山小学校・中学校・高等学校」の版間の差分

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*和歌山県の誘致により開校したため、他の[[私学]]に比べて[[授業料]]の面で優遇されている。
 
*和歌山県の誘致により開校したため、他の[[私学]]に比べて[[授業料]]の面で優遇されている。
 
*硬式野球部の強さが有名であるが、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の[[全国高等学校クイズ選手権]]では歴代3位の11回出場を果たしている(和歌山県の最高記録は[[和歌山県立田辺高等学校|田辺高校]]の準優勝)。これは鹿児島県の[[ラ・サール高校]]に並ぶ出場記録である。
 
*硬式野球部の強さが有名であるが、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の[[全国高等学校クイズ選手権]]では歴代3位の11回出場を果たしている(和歌山県の最高記録は[[和歌山県立田辺高等学校|田辺高校]]の準優勝)。これは鹿児島県の[[ラ・サール高校]]に並ぶ出場記録である。
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== 韓国への修学旅行 ==
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どうやら奈良智辯の修学旅行が問題視されているみたいだな。奈良智辯と智辯和歌山はその名の通り兄弟校で、修学旅行先も同じだ。
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俺は和歌山の卒業生だがその修学旅行の実態がどんなものだったか、思い出しながら語ろうと思う。ちなみに俺は1990年代の卒業生ね。
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いきなりうろ覚えで悪いが修学旅行の日程は一週間ほどだ。5泊8日かだったと思う。不思議な泊数だろう?どういうことか。船中2泊だ。つまり、出発した日とその次の日は船の中で眠るという事だ。
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初日は大阪か神戸の港から下関へ向かう。2日目は下関から韓国へ向かう。この2泊はどちらも船中泊だが、風呂に入ることは禁止。俺は当然男だったのでまだ我慢できたが、女子はその時どんな胸中だったんだろうな?
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初日の船は日本から日本へ向かう船だからなのかは分からないが、それなりに普通の船だった。2日目の船は、俺たち生徒の間では「奴隷船」と呼ばれていた。客室が船の底深くにあり、ドアを締め切るので全く風通りがなく、蒸しぶろ状態の中で、成長期の男たちが体を縮めて雑魚寝する様子はまさに奴隷船だった。ちなみに当然だが、どちらの船中泊も2等船室だ。
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ああ、でも初日の船では、4人部屋を与えられてる生徒も居たな。俺は2等船室だったが、別のクラスの友人は4人部屋でベッドで寝てたと思う。なぜおれが2等船室で、友達が部屋なのか、その時は疑問にも思わなかったし、確認もしなかったがその友人は上級クラスだった気がする。
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智弁学園和歌山は、高校野球が強いというイメージが強いが実は和歌山でナンバーワンの進学校だ。進学クラスは6クラスあり、理系4クラス、文系2クラスに分かれ、さらに成績の上位下位で分割されている。俺は理系の下位クラス、その友人は上位クラスだったと思う。だが、旅行の船中で4人部屋を与える基準に成績が使われているのかは今でも知らない。
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じゃあ野球部って勉強もできるの?って思う奴もいるかもしれないので捕捉しとく。野球部員はスポーツコースの生徒しか入部できない。さらに言うなら一般生徒と野球部とは応援に行く以外では全くと言っていいほど無縁だ。野球は野球、勉強は勉強に特化させる学校という事だな。
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と言うもののこの船中2泊というのが本当に地獄で今でも色々と覚えている。何せどちらも長旅のうえ、先述したように進学校なので校則はかなり厳しい。どういう事かと言うと、遊び道具になるようなものは、ほぼ全部持ち込み禁止なのだ。精々トランプとウノぐらいだったかな。もちろん修学旅行出発前に体育館に集められ、荷物のチェックがある。俺はトランプを改造して何とか麻雀が出来ないかと苦心したが、結局めんどくさくてあきらめた。トランプの柄で麻雀をするのは、直観的でないしややこしかった。
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トランプとウノも友達と遊べば最初は面白いが結局飽きる。そして船の中で特にすることがない。だが自由時間とはならないのがこの学校の不思議なところで、具体的な時間は覚えていないがかなり早く消灯させられた記憶がある。19時~20時ではなかったかな。次の日、朝一番に到着するとはいえあまりにも早く、当然誰も寝れない。
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さすがに厳しい先生も、消灯が過ぎてもトランプで遊んでる俺たちのことは許してくれていたし、3時や4時に目覚めた生徒が割と大声で遊んでいても黙認してくれていて、ありがたいと思った記憶がある。
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簡単に言ってるが、さっき説明した通りこの船室は蒸し風呂状態だ。2日間風呂に入れず、蒸し風呂で汗まみれになった育ちざかりの17歳男子が体を窮屈に折りたたんで、寝れないのに寝ようとしてるのは、本当に地獄だった。
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そして何より恐ろしいのは、この時点で生徒のほぼ全員が「帰りたい」と思ってるにもかかわらず、まだ韓国に到着してすらないという事だった。今大人になった俺が、冷静にこの旅の意味を考えても全く理解が及ばないのが恐ろしいところだ。
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船旅についてもう一つ補足するなら、下関から韓国に向かう船は毎年間違いなく大揺れするという事だった。何せ小さい船なのだ わずかな風でもたいそう揺れると先輩に脅された。運よく俺たちの船は揺れることはなかったが、俺の一つ下の後輩が乗った船は揺れたらしい。もちろん船酔いで吐くやつも多かったのは言うまでもない。
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3日目にようやく韓国に到着する。この時点で生徒たちは精神的にボロボロ、肉体的にはかなり不潔な状態だ。もちろん今日はホテルでゆっくりとはならない むしろ旅はここからが本番なのだ。だが船旅の過酷さが身に染みていた俺たちは、簡素なバスの移動でも船よりマシだと笑い合ってた記憶がある。
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ここから最終日まではすべて韓国のホテルで宿泊する。日中は交流のある高校を訪れ、変なダンスで歓迎してもらった後、プレゼント交換をしたり、あとは普通に神社仏閣といった観光地を回る旅行だった。
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途中で免税店にも寄ったし、小遣いの範囲内なら割と観光地先での買い物も自由だった気がする。ただし、ジュースを買っている友達は先生に見つかり取り上げられた。その先生はそのジュースを生徒に買ってもらったと嬉しそうに同僚の先生に報告して、うまそうに飲んでいた。
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韓国のホテルは正直、結構ひどいものだった記憶がある。まずベッドで寝た記憶がない。だが座敷に布団というわけでもなく、クッションフロアのような床に布団を敷いて寝るものだった。
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水曜どうでしょうの「韓国食い道楽の旅」を見たことがあるやつは居るだろうか?どうでしょう班が「麗水(ヨス)」という町で宿泊したホテルの床が、俺が止まったホテルの床と全く同じだった。知りたい人が居るとは思わないが、知りたければ「韓国食い道楽の旅」を見てくれ。
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何日目のホテルだったか忘れたが、突然先生に言われた言葉を覚えている。「このホテルは失踪者が出てる。ある朝起きたら、1室の宿泊者全員が消えていたという事件があったんだ。お前たちもそうならないとは限らないから、充分に気をつけなさい」
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何があって失踪したのかは不明だと言われた。今でも、俺はあの時どうすれば失踪しないよう気を付けられたのか全く分からない。ちなみに、どこのホテルでも朝は地獄だった。トイレから悪臭が漂ってくるからだ。
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食事に関して言えば、まぁどこでもそこそこ食えたかなと言う記憶がある。と言っても毎回キムチが登場して、俺はキムチが大嫌いなのでうんざりしていたけどな。
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一度だけごちそう扱いなのか、石焼ビビンバが食える店で食事した。(これは事前に渡されるスケジュール表にもはっきりと「ビビンバ食べる」的なことが書かれてた)まぁ美味しかったけど、日本の焼肉屋で食うものとそう変わらなかった気がする。
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韓国についてからは正直、細かいことはほとんど覚えていないが、基本的にバスで移動→観光地への繰り返しだったと思う。ホテルについてからは2時間ほど自由時間があるが、当然外出は禁止。ひたすら部屋でダウトとか大富豪をやって遊んでいたが、自由時間をちょっとでも超えるとすげー怒られた記憶がある。まぁ進学校なので普段からそれぐらい厳しい学校だったから、俺たちもまぁ仕方ないなぐらいで大人しく謝ってた
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最終日はホテルをチェックアウトして、そのまま空港へ向かった。そう、帰りは船ではなく飛行機なのだ わずかに時間で関空へ降り立ち、そこから1時間ほどで和歌山へ帰る。改めて行きの船は何だったんだと愚痴りながら俺たちの修学旅行は終わった。
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何かいろいろバスガイドさんが歴史を語ってた気がする。観光に行く先も神社仏閣っぽいのが多かった気がする。気がするってのは、ほとんど何も覚えてないからで、そういう意味では何の意味もない旅行だったな。精神修行にはなったかも。
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修学旅行の感想文みたいなの書かされるんだけど、半数以上が船旅がどれだけ辛かったかって言う愚痴だった記憶がある
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智弁は辯天宗っていう宗教校だよ。宗教っていう学科が週に一回あって、その授業ではお経を読んで、お経の内容はブッダについて勉強する。月に一度感謝祭ってのがあって、全校生徒が集まってお経を読み、校長のありがたい話を聞いたりする。
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あと、高校一年生の時に錬成会ってのがある。どこかにある辯天宗の総本山っぽいところにいって2泊か3泊かするんだけど、そこの坊主が死ぬほど怖い。掃除中に雑談してるだけで、すっとんできてほうきでしばかれて、両手を上にあげた状態で一時間立たされたりする。修学旅行もつらかったが、錬成会もなかなか地獄だった。
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北海道とか、京都とか、沖縄に修学旅行に行ったって話を聞くたび、すごく悲しくて羨ましい気持ちになるよ。ぶっちゃけ、先生も行きたくないと思ってたと思うんだよね……
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ただ町並みは汚かった。ゴミとかが汚水の水たまりに浮いてる感じ。ホテルのトイレはホントに最悪だったね。日本でどんな安いホテル探してもあそこまで酷いのはなかなか見つからないんじゃないかっていう。
  
 
== 硬式野球部 ==
 
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*[[2000年]] - 選抜大会で準優勝、選手権大会で優勝
 
*[[2000年]] - 選抜大会で準優勝、選手権大会で優勝
 
*[[2002年]] - 夏 選手権大会で準優勝
 
*[[2002年]] - 夏 選手権大会で準優勝
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*[[2021年]] - 夏 選手権大会で準優勝
  
 
== 沿革 ==
 
== 沿革 ==
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[[Category:私立中高一貫校]]
 
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[[Category:和歌山県の小学校]]
 
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2021年9月28日 (火) 18:12時点における最新版

智辯学園和歌山小学校・中学校・高等学校(ちべんがくえんわかやましょうがっこう・ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、和歌山県和歌山市にある、私立小中高一貫校である。

宗教法人辯天宗を母体とした学校法人智辯学園が経営する。奈良県にある智辯学園中学校・高等学校智辯学園奈良カレッジ小学部・中学部・高等部とは兄弟校。

また、韓国オーストラリアアメリカ合衆国の学校と姉妹校関係にある。

概要[編集]

  • 和歌山県下一の進学校であり、難関といわれる大学への進学実績は全国有数である。
  • 東大京大国公立大学医学部医学科防衛大学校防衛医科大学校の合格者数は、和歌山県内では群を抜いている。
  • 小学校からの12年一貫教育、中学校からの6年一貫教育のほかに、高校からの編入コース及びスポーツコースがある。学力によって、文系理系ともに能力別クラス編成を実施している。また、高等学校に設置されていたINCコース(旧国際コース)は2008年度より生徒募集を停止している。
  • 新宗教系列の学校としてこれほどの進学実績を示しているのは日本でこの学校だけである。(系列の智辯学園中学・高等学校【奈良県】もかなりの進学実績を残しているが、和歌山校ほどではない。)
  • 中学校では運動部、文化部それぞれが設置されているが、高校では硬式野球部以外の運動部は無い(少林寺拳法部も文化系扱い)。高校で唯一の運動系部活動である硬式野球部は部員全員がスポーツコースに在籍している。
  • アメリカ合衆国にあるトーマス・ジェファーソン高校、オーストラリアメルボルン)のセント・レナーズカレッジとは学生交換プログラムを実施している。
  • 和歌山県の誘致により開校したため、他の私学に比べて授業料の面で優遇されている。
  • 硬式野球部の強さが有名であるが、日本テレビ全国高等学校クイズ選手権では歴代3位の11回出場を果たしている(和歌山県の最高記録は田辺高校の準優勝)。これは鹿児島県のラ・サール高校に並ぶ出場記録である。

韓国への修学旅行[編集]

どうやら奈良智辯の修学旅行が問題視されているみたいだな。奈良智辯と智辯和歌山はその名の通り兄弟校で、修学旅行先も同じだ。

俺は和歌山の卒業生だがその修学旅行の実態がどんなものだったか、思い出しながら語ろうと思う。ちなみに俺は1990年代の卒業生ね。

いきなりうろ覚えで悪いが修学旅行の日程は一週間ほどだ。5泊8日かだったと思う。不思議な泊数だろう?どういうことか。船中2泊だ。つまり、出発した日とその次の日は船の中で眠るという事だ。

初日は大阪か神戸の港から下関へ向かう。2日目は下関から韓国へ向かう。この2泊はどちらも船中泊だが、風呂に入ることは禁止。俺は当然男だったのでまだ我慢できたが、女子はその時どんな胸中だったんだろうな?

初日の船は日本から日本へ向かう船だからなのかは分からないが、それなりに普通の船だった。2日目の船は、俺たち生徒の間では「奴隷船」と呼ばれていた。客室が船の底深くにあり、ドアを締め切るので全く風通りがなく、蒸しぶろ状態の中で、成長期の男たちが体を縮めて雑魚寝する様子はまさに奴隷船だった。ちなみに当然だが、どちらの船中泊も2等船室だ。

ああ、でも初日の船では、4人部屋を与えられてる生徒も居たな。俺は2等船室だったが、別のクラスの友人は4人部屋でベッドで寝てたと思う。なぜおれが2等船室で、友達が部屋なのか、その時は疑問にも思わなかったし、確認もしなかったがその友人は上級クラスだった気がする。

智弁学園和歌山は、高校野球が強いというイメージが強いが実は和歌山でナンバーワンの進学校だ。進学クラスは6クラスあり、理系4クラス、文系2クラスに分かれ、さらに成績の上位下位で分割されている。俺は理系の下位クラス、その友人は上位クラスだったと思う。だが、旅行の船中で4人部屋を与える基準に成績が使われているのかは今でも知らない。

じゃあ野球部って勉強もできるの?って思う奴もいるかもしれないので捕捉しとく。野球部員はスポーツコースの生徒しか入部できない。さらに言うなら一般生徒と野球部とは応援に行く以外では全くと言っていいほど無縁だ。野球は野球、勉強は勉強に特化させる学校という事だな。

と言うもののこの船中2泊というのが本当に地獄で今でも色々と覚えている。何せどちらも長旅のうえ、先述したように進学校なので校則はかなり厳しい。どういう事かと言うと、遊び道具になるようなものは、ほぼ全部持ち込み禁止なのだ。精々トランプとウノぐらいだったかな。もちろん修学旅行出発前に体育館に集められ、荷物のチェックがある。俺はトランプを改造して何とか麻雀が出来ないかと苦心したが、結局めんどくさくてあきらめた。トランプの柄で麻雀をするのは、直観的でないしややこしかった。

トランプとウノも友達と遊べば最初は面白いが結局飽きる。そして船の中で特にすることがない。だが自由時間とはならないのがこの学校の不思議なところで、具体的な時間は覚えていないがかなり早く消灯させられた記憶がある。19時~20時ではなかったかな。次の日、朝一番に到着するとはいえあまりにも早く、当然誰も寝れない。

さすがに厳しい先生も、消灯が過ぎてもトランプで遊んでる俺たちのことは許してくれていたし、3時や4時に目覚めた生徒が割と大声で遊んでいても黙認してくれていて、ありがたいと思った記憶がある。

簡単に言ってるが、さっき説明した通りこの船室は蒸し風呂状態だ。2日間風呂に入れず、蒸し風呂で汗まみれになった育ちざかりの17歳男子が体を窮屈に折りたたんで、寝れないのに寝ようとしてるのは、本当に地獄だった。

そして何より恐ろしいのは、この時点で生徒のほぼ全員が「帰りたい」と思ってるにもかかわらず、まだ韓国に到着してすらないという事だった。今大人になった俺が、冷静にこの旅の意味を考えても全く理解が及ばないのが恐ろしいところだ。

船旅についてもう一つ補足するなら、下関から韓国に向かう船は毎年間違いなく大揺れするという事だった。何せ小さい船なのだ わずかな風でもたいそう揺れると先輩に脅された。運よく俺たちの船は揺れることはなかったが、俺の一つ下の後輩が乗った船は揺れたらしい。もちろん船酔いで吐くやつも多かったのは言うまでもない。

3日目にようやく韓国に到着する。この時点で生徒たちは精神的にボロボロ、肉体的にはかなり不潔な状態だ。もちろん今日はホテルでゆっくりとはならない むしろ旅はここからが本番なのだ。だが船旅の過酷さが身に染みていた俺たちは、簡素なバスの移動でも船よりマシだと笑い合ってた記憶がある。

ここから最終日まではすべて韓国のホテルで宿泊する。日中は交流のある高校を訪れ、変なダンスで歓迎してもらった後、プレゼント交換をしたり、あとは普通に神社仏閣といった観光地を回る旅行だった。

途中で免税店にも寄ったし、小遣いの範囲内なら割と観光地先での買い物も自由だった気がする。ただし、ジュースを買っている友達は先生に見つかり取り上げられた。その先生はそのジュースを生徒に買ってもらったと嬉しそうに同僚の先生に報告して、うまそうに飲んでいた。

韓国のホテルは正直、結構ひどいものだった記憶がある。まずベッドで寝た記憶がない。だが座敷に布団というわけでもなく、クッションフロアのような床に布団を敷いて寝るものだった。

水曜どうでしょうの「韓国食い道楽の旅」を見たことがあるやつは居るだろうか?どうでしょう班が「麗水(ヨス)」という町で宿泊したホテルの床が、俺が止まったホテルの床と全く同じだった。知りたい人が居るとは思わないが、知りたければ「韓国食い道楽の旅」を見てくれ。

何日目のホテルだったか忘れたが、突然先生に言われた言葉を覚えている。「このホテルは失踪者が出てる。ある朝起きたら、1室の宿泊者全員が消えていたという事件があったんだ。お前たちもそうならないとは限らないから、充分に気をつけなさい」

何があって失踪したのかは不明だと言われた。今でも、俺はあの時どうすれば失踪しないよう気を付けられたのか全く分からない。ちなみに、どこのホテルでも朝は地獄だった。トイレから悪臭が漂ってくるからだ。

食事に関して言えば、まぁどこでもそこそこ食えたかなと言う記憶がある。と言っても毎回キムチが登場して、俺はキムチが大嫌いなのでうんざりしていたけどな。

一度だけごちそう扱いなのか、石焼ビビンバが食える店で食事した。(これは事前に渡されるスケジュール表にもはっきりと「ビビンバ食べる」的なことが書かれてた)まぁ美味しかったけど、日本の焼肉屋で食うものとそう変わらなかった気がする。

韓国についてからは正直、細かいことはほとんど覚えていないが、基本的にバスで移動→観光地への繰り返しだったと思う。ホテルについてからは2時間ほど自由時間があるが、当然外出は禁止。ひたすら部屋でダウトとか大富豪をやって遊んでいたが、自由時間をちょっとでも超えるとすげー怒られた記憶がある。まぁ進学校なので普段からそれぐらい厳しい学校だったから、俺たちもまぁ仕方ないなぐらいで大人しく謝ってた

最終日はホテルをチェックアウトして、そのまま空港へ向かった。そう、帰りは船ではなく飛行機なのだ わずかに時間で関空へ降り立ち、そこから1時間ほどで和歌山へ帰る。改めて行きの船は何だったんだと愚痴りながら俺たちの修学旅行は終わった。

何かいろいろバスガイドさんが歴史を語ってた気がする。観光に行く先も神社仏閣っぽいのが多かった気がする。気がするってのは、ほとんど何も覚えてないからで、そういう意味では何の意味もない旅行だったな。精神修行にはなったかも。

修学旅行の感想文みたいなの書かされるんだけど、半数以上が船旅がどれだけ辛かったかって言う愚痴だった記憶がある

智弁は辯天宗っていう宗教校だよ。宗教っていう学科が週に一回あって、その授業ではお経を読んで、お経の内容はブッダについて勉強する。月に一度感謝祭ってのがあって、全校生徒が集まってお経を読み、校長のありがたい話を聞いたりする。

あと、高校一年生の時に錬成会ってのがある。どこかにある辯天宗の総本山っぽいところにいって2泊か3泊かするんだけど、そこの坊主が死ぬほど怖い。掃除中に雑談してるだけで、すっとんできてほうきでしばかれて、両手を上にあげた状態で一時間立たされたりする。修学旅行もつらかったが、錬成会もなかなか地獄だった。

北海道とか、京都とか、沖縄に修学旅行に行ったって話を聞くたび、すごく悲しくて羨ましい気持ちになるよ。ぶっちゃけ、先生も行きたくないと思ってたと思うんだよね……

ただ町並みは汚かった。ゴミとかが汚水の水たまりに浮いてる感じ。ホテルのトイレはホントに最悪だったね。日本でどんな安いホテル探してもあそこまで酷いのはなかなか見つからないんじゃないかっていう。

硬式野球部[編集]

  • 硬式野球部は高校野球の強豪として知られている。1979年創部。全国(阪神甲子園球場)大会では、春選抜夏選手権を通じて優勝3回、準優勝3回を経験している。また、選手権大会には過去16回出場しているが、和歌山大会の決勝戦ではいまだに負けたことがなく、決勝戦では16連勝中である。また劣勢な試合にも強く、第88回選手権大会の帝京戦のような絶望と思われた状況から、大逆転したケースも数多く存在する。
  • 同校が甲子園大会で全国制覇を達成したのは、春選抜は1994年第66回大会の1回、夏選手権は1997年第79回大会2000年第82回大会の2回で、春夏合計3回である。
  • 高嶋監督の意向で1学年10名までしか取らない。そのため、最大30名しか部員がいない。また、和歌山県外の出身者は1学年1~2名に制限されている。県外選手の制限の理由は、和歌山県代表である以上は地域の理解が必要であることなどが挙げられている。部員が少数であることなどの理由の詳細は、『高嶋仁#少数精鋭の理由』を参照のこと。
  • 甲子園出場時の約束事として、選手権では3年生全員がベンチ入り出来、試合にも出場させる。甲子園練習日にはベンチ入り出来なかった選手も一緒に練習している。
  • 高校野球では原則として新字体を用いることになっていることから「智和歌山」と表記される。しかし紀三井寺球場では「智辯学園」と、テレビ和歌山では「智辯」と表示される。
  • また甲子園球場のスコアボードには、かつて2008年まで最大三文字の表示だった時は「和智弁」または「智弁」と記されていた。2009年以降、甲子園のスコアボードは最大で四文字が表示可能となったが、従来通り「和 智 弁」と三文字のみで記されている。
  • 強打の智弁和歌山」と呼ばれ、本塁打や得点などの打撃関係で様々な記録を保持している。特に2000年は、春はチーム大会最多塁打(当時)101、夏はチーム大会最多安打100、最高打率(当時).414、最多本塁打11、最多塁打157、1イニング最多本塁打3を記録し、「高校野球史上最強打線」と呼ばれるほどであった。ちなみに、夏初優勝した97年も当時のチーム最高打率を更新する.406を記録している。ただし、ランナーが出ると送りバントで進めるシーンが多いことも特徴である。
  • 2002年の夏の大会では、兄弟校である奈良五條の智弁学園と3回戦で春夏通じて初めての対戦となり、同じユニフォーム同士(肩の校章と県名の部分は除く、胸文字の太さとユニフォームのカラーもやや異なる)の対決ということなどで話題となった。帽子は和歌山側を赤に切り替えて試合に臨む(この帽子は1980年代後半にこういう事態を予測して用意されたものであると1989年に全国高校野球大会直前のNHKの特別番組で公開された。)という話もあったが、実際には両校とも通常時と同じ帽子が使用された。また、甲子園のスコアボードには、和歌山側は「和智弁」、奈良側は「智弁」と表示された。なお智弁対決は1995年の秋季近畿大会で一度実現しており、この時は5-0で智弁和歌山が勝利している。
  • 創部2年目に高嶋仁が監督に就任。長く指揮を執り、智弁和歌山の名を高めたが、2008年9月に暴力事件を起こし、謹慎。鈴木幸雄が臨時監督に就いた。2008年12月9日に、高嶋は監督に復帰した。
  • 一時は高嶋監督の不祥事によって恥をかくこともあったが、2008年3月に悪事放任・隠蔽・逆切れ学校の分際で甲子園に土足で上がり込んできた丸子修学館を初戦敗退かつ複数の選手が負傷して退場させられるという状況に追い込んだ胸のすく部でもある。

甲子園での戦績[編集]

沿革[編集]

  • 1978年4月 - 智辯学園和歌山中学校・高等学校が開校
  • 2002年4月 - 智辯学園和歌山小学校が開校

外部リンク[編集]