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'''金 正男'''(キム・ジョンナム、[[1971年]][[5月10日]] - [[2017年]][[2月13日]])は、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の第二代最高指導者[[金正日]]の[[長男]]である。
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<nowiki>'''金 正男'''(キム・ジョンナム、[[1971年]][[5月10日]] - [[2017年]][[2月13日]])は、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の第二代最高指導者[[金正日]]の[[長男]]である。
  
 
==プロフィール==
 
==プロフィール==

2020年1月8日 (水) 04:24時点における版

'''金 正男'''(キム・ジョンナム、[[1971年]][[5月10日]] - [[2017年]][[2月13日]])は、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の第二代最高指導者[[金正日]]の[[長男]]である。 ==プロフィール== ''この項目では、北朝鮮の人物について説明しています。韓国のサッカー選手については「金正男 (サッカー選手)」をご覧ください。'' ===出生=== 金正日を父に、[[成恵琳]]を母に北朝鮮の[[平壌]]で生まれる。出生当初、父・正日は息子の存在を外部に知られないようにしていた。また、正男のことを[[金日成]]主席は、かなり可愛がっていたという。[[スイス]]の[[ジュネーヴ]]の[[インターナショナルスクール]]などに[[留学]]歴があると言われている<ref>[http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=24&Itemid=2 金正日・金正男、愛憎の父子関係 ]North Korea Today</ref>が詳細は不明。なお、12歳から14歳までは[[ソビエト連邦]]の[[モスクワ]]で暮らしていたという<ref name=rosiannews>{{cite web |url = http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2012/02/17/0200000000AJP20120217001000882.HTML |title = 金正男氏 送金中断でホテル代にも困窮=露週刊誌 |date = 2012-02-17 |work = 聯合ニュース |publisher = yonhapnews |accessdate = 2012年4月26日 }}</ref> 。 母国語の[[朝鮮語]]の他に[[英語]]や[[フランス語]](それぞれ[[2007年]][[2月12日]]と[[2007年]][[11月13日]]に[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の夕方のニュースで記者とのやり取りが報道された)を話し、また[[ロシア語]]、[[中国語]]([[広東語]])もある程度話せるようである。[[日本語]]については、日本人記者の「日本語は分かりますか?」という朝鮮語の質問に、日本語で「日本語ワカリマセン」と答えたことが、ネット掲示板等で話題になった<ref>{{cite web |url = http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20111225/zsp1112251000000-n1.htm |title = 金総書記急死で“長男・金正男待望論”再燃か! |date = 2011-12-25 |work = zakzak |publisher = 産経デジタル |accessdate = 2012年1月11日 }}</ref>。 === 現在の職務と生活 === 現職はコンピュータ委員会委員長<ref>[http://news.pyongyangology.com/archives/2001/04/it_11.html 金正日の長男がIT政策の最高責任者]North Korea Today</ref>、 <!--[[朝鮮人民軍]]保衛局長、中将説もあるが確認されていない。-->ソフト産業の振興発展、光ファイバー情報ネットワーク「光明」の構築などを指導したといわれる<ref>[http://news.pyongyangology.com/archives/2001/07/post_1487.html 北、内部コンピューター網のホームページを初めて公開]North Korea Today</ref>。[[2007年]][[8月27日]]に[[大韓民国]]の「[[朝鮮日報]]」は、金正男が2007年6月帰国し、以前父親の金正日が所属していた組織指導部に所属していると報道した。ただこれに関しては、金正男は[[平壌]]に年に数回来ることはあるが、平壌で暮らしてはいないとする情報もある。 [[2007年]][[1月30日]]に在[[香港]]の複数の情報筋が、金正男と思われる男が、[[中華人民共和国]]の[[特別行政区]]である[[マカオ]]入りしたことを明らかにした。[[アメリカ]]の北朝鮮に対する金融制裁により、マカオの金融機関「[[匯業銀行|バンコ・デルタ・アジア]](BDA)」にあった約2400万ドルに上る北朝鮮関連口座が凍結されており、中朝関係筋は、北京で同日始まった金融制裁問題に関する米朝専門家会合に関連して、金正男がマカオ入りした可能性を指摘している。なお、[[エレベーター]]内の取材で「日本の[[拉致問題]]」の事を話すとノーコメントだった。 なお、同時に日本や韓国のメディアで、「金正男とその家族がマカオ市内に住居を構え長期間滞在し、[[マンダリン・オリエンタルホテルグループ|マンダリン・オリエンタルホテル]]などで[[ヨーロッパ]]の高級[[ブランド]]品などのショッピングを楽しんでいる」と報道された。 [[2011年]]現在も[[マカオ]]に滞在して活動しているとみられる。金正日の長男という立場でありながら、後継者問題(後述)に現北朝鮮の政治体制をゆるがしかねない批判あるいは意見を広く西側に向けて発信していることから、軍部を中心に北朝鮮側にとって疎まれる存在であるとみられている。近年では父親である金正日への接触はもちろん、公式非公式問わず北朝鮮への入国や北朝鮮指導部とも接触が報道されたことはない。同年12月17日の金正日の死去においても、テレビで初めて知らされたことが伝えられている。しかし金正男は直後に「金哲(キムチョル)」という名義のパスポートを使い、平壌直行便のある北京経由ルートを避けて本国に帰国、金正日の霊前との対面を果たし金正恩を含む家族とともに別れを告げたとみられる。数日後にはマカオに戻った<ref>{{cite web |url = http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111231-OYT1T00563.htm |title = 金正男氏、総書記死亡直後に帰国…国葬は不参加 |date = 2012-1-1 |work = Yomiuri Online |publisher = [[読売新聞]] |accessdate = 2012年5月1日 }}</ref>。なお、公式な葬儀への参列は確認されていない<ref>{{cite web |url = http://mainichi.jp/select/world/news/20111226dde007030005000c.html |title = 北朝鮮の金正日総書記が17日に死去、正恩氏が権力継承へ |date = 2011-12-26 |work = 毎日jp |publisher = [[毎日新聞]] |accessdate = 2011年12月30日 }}</ref>。 その後、ロシアメディアなどが、金正男氏が妻や子供は中華人民共和国の支援によりマカオ市内の高級マンションに住み、金正男本人は北朝鮮支援によるホテル住まいであることなどが伝えられていたが、北朝鮮本国で[[金正恩]]体制が確立された[[2012年]]に入り、ホテルの1万5000ドルの宿泊代を払えずに退去し、これは北朝鮮側からの送金停止によるものではないかと伝えられた<ref name=rosiannews />。さらに、4月22日に、[[金永日]][[朝鮮労働党]]書記が北京で[[戴秉国]]国務委員と会談した中で、マカオに住む金正男の身柄引き渡しを要求し、中華人民共和国側が拒否したと伝えられた<ref>{{cite web |url = http://jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012042400410 |title = 北朝鮮、正男氏引き渡し要求=中国は拒否-韓国紙 |date = 2012-04-24 |work = 時事ドットコム |publisher = 時事通信 |accessdate = 2012年4月26日 }}</ref>。しかし別のメディアでは、5月に平壌に戻って再度出国したと報じられるなど、現政権との関係については情報が錯綜している。 ==後継者問題== 長男であることから後継者候補であるとされてきたが、上述のとおり略奪愛の末にできた子であることから金正日は彼の存在を隠しており、金正日の料理人であった[[藤本健二]]は「将軍(金正日)や軍大将、党幹部らが集まる宴席で彼の姿を見たことはないし、噂話として語られたことは一度も無い」一方「[[金正哲]]や[[金正恩]]の話は将軍からよく聞きましたし、遊び相手でもありました。きっと彼は長男の存在を隠し通したかったのではないでしょうか」と否定的であった。 [[2007年]]2月25日に、日本や韓国のメディアで金正男が後継者問題について「関心が無く、させられてもやらない」と知人に述べていることが報道された<ref>[http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070226k0000m030037000c.html 北朝鮮:後継者問題「関心もなく、やらない」金正男氏語る][[毎日新聞]]</ref>。ニュースでも「色々な所に行って 後継者になったりするのか」、「後継者とは考えられない」という発言があった。 また、金正日に[[ロシア語]]を教えた金賢植によると、「正男は出生当時、出生が極秘にされたことから、後継者になるのは難しい」との見解を示した<ref>http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2008101200110</ref>。ところが、次男の[[金正哲]]を推す軍部の強硬派である[[李済剛]]が失脚し、正男を推す金正日の義弟の[[張成沢]]が権力を掌握、正男が後継者になる可能性が高まったとの報道もある。その後[[2008年]]9月には金正日の重病説が流れたこともあり、一部では後継者問題に再び火がついたという見方をされている。<ref>http://www.zakzak.co.jp/top/200810/t2008102140_all.html</ref>。 [[2009年]][[6月5日]]に、西側諸国のメディアで「金正男が滞在先のマカオから中華人民共和国(もしくはアメリカか韓国)に亡命する見込みが強まっている」との報道がなされた<ref>http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090605/kor0906050737001-n1.htm</ref> 三男の[[金正恩]]を後継とする体制づくりが急ピッチで進んでいるとされる。だが、[[6月9日]]にマカオで[[テレビ朝日]]の「[[報道ステーション]]」の単独インタビューに応じ、「政治には興味が無い。[[金正恩]]との関係は自分の弟であるという関係である。後継者については報道で知り、後継は父が決めたことだからそれに従う。マカオは旅行で滞在し亡命ではない」と語った<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=116421&servcode=500&sectcode=500 金正男氏「私は政治に興味がない」 中央日報]</ref>。しかし、「[[独立総合研究所]]」の[[青山繁晴]]によれば、かつて正男と同じ立場にあった父の異母弟の[[金平一]]は、後継者争いに敗れた後、去勢手術を受けさせられているとされる<ref>『[[サンデースクランブル]]』2009年6月7日放送</ref>。なおこの頃、金正恩によって暗殺されかねない状況にまで追い込まれたことがある。慌てた金正日が金正男暗殺阻止のため、中国政府に彼の身辺擁護を依頼したほどである<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=133425&servcode=500 キム・ジョンウン氏、金正男氏を暗殺しようとした]2010年9月30日 中央日報日本語版</ref>。 三男の金正恩が後継者として就任するのを反対している。反対している主な理由は、[[天安沈没事件]]と2009年に行われた[[デノミネーション|デノミ]]施策が金正恩指揮の下で行われたため<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=133912&servcode=500&sectcode=500 金正男「天安艦は金正恩の仕業」 父に抗議…KBS報道]2010年10月15日 中央日報日本語版</ref>。 2010年9月、金正恩への権力世襲について、韓国の民主平和統一諮問会議の李首席副委員長は、金正男と親密な関係者から、『正男が「滅びるのに。長続きすると思うか」と述べた』と聞いた<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201010/2010102600500 「正男氏、北朝鮮崩壊を示唆? - 親密な関係者に漏らす」] 2010年10月26日 [[時事通信社]]</ref>。 2010年10月9日、金正男は[[テレビ朝日]]のインタビューで、「個人的に'''3代世襲に私は反対します'''。ですが然るべき内部的要因があったならそれに従うべきだと思います」と述べている<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=FO6OKX1CB_c 長男・金正男氏重大発言「3代世襲に反対」(北京市内9日)] 2010年10月11日 テレビ朝日</ref>。 ==日本への密入国== 観光などを目的に偽造[[パスポート]]を使い[[日本]]に'''5度の'''不法入国をしていたことを本人が認めている。来日時に「[[東京ディズニーランド]]」にも出入りしていたと伝えられているほか、赤坂の韓国バーなどで[[朝鮮総連]]関係者や[[暴力団]]関係者と接触していた。また密輸資金の回収が過去数回の不法来日の目的ではないかとも報じられた。しかし、正男にそんな裏ルートのパイプ作りは容易ではなく、実際の目的は妻子を連れて観光することだけであった。[[朝鮮総連]]関係者や[[暴力団]]関係者と赤坂ほかで会合を開いたのも、ただ招聘に応じただけとみられている。この''赤坂会合''が彼の運命を狂わせてしまった。 [[2001年]][[5月1日]]に、「金正男と見られる男性」が[[成田国際空港|成田空港]]で[[地方入国管理局|入国管理局]]に拘束されるという事件が発生した。男は妻子を連れており、[[ドミニカ共和国]]の偽造パスポートを使用して中国名の『'''胖熊'''』<ref>[[ピン音]]: Pàng Xióng パンシォン - 『太った熊』の意。([http://www.atimes.com/atimes/Korea/FI02Dg01.html Death of Kim's consort: Dynastic implications] アジア・タイムズ 2004年9月2日付)</ref>という偽名で入国を図ったところを拘束・収容され、その際に背中に[[トラ|虎]]の[[刺青]]が施されていることが判明。同月3日に身柄拘束の事実が報道によって明らかとなったが、外交問題に発展することを恐れたことと、当時北朝鮮にいた日本人観光客の人命を保護するために政府([[小泉純一郎]]首相、[[田中真紀子]][[外務大臣 (日本)|外相]]ら)の判断により、[[退去強制]]処分(事実上の[[超法規的措置]])とされ、翌4日に、2階席を貸し切り状態にされた[[全日本空輸]]の[[ボーイング747-400]]型機で[[中華人民共和国]]の[[北京市]]に向けて出国した。なお同社の同路線は通常[[ボーイング767]]型機で運航されていることから、金正男とその家族の移送のために、予備機として成田空港にあったボーイング747-400型機に振り替えて運行されたものと思われる。5度目の来日の際には、「でじこグッズ」を買いたい、と秋葉原に出没したとも報じられた。 北京に移送される際の映像がテレビで何度も放映された<ref>これが西側のテレビ映像に捕らえられた初のケースといわれている</ref>。この男について、日本及び北朝鮮政府いずれからも、金正男本人かどうかの正式な発表はないが、[[大韓民国|韓国]]政府筋は「金正男本人」であるとした。この男は、「東京ディズニーランドに行きたかった」と弁明した。当初のニュースは「正男を日本から出すな!」の一点張り報道が目立ったが、長男のためにディズニーランドにいったことが発覚すると、日本国内メディアも正男への態度を改め取材をするようになった。 実際に、[[2009年]]1月24日に[[北京首都国際空港|北京国際空港]]に現れた金正男本人が、日本のマスコミにインタビューを受けた際のやり取りにおいて、2001年に日本に不法入国しようとした理由につき、「日本という国に興味があったので旅行にいきました」、「日本はとても清潔で美しい。また経済的にも非常に発展している国だと思います」と答え、日本へ入国した過去があることと、2001年5月に成田空港で拘束された「金正男とみられる男性」が、本人であることを事実上認めている。 本人は「日本には5回行きました。5回目に拘束されました」と述べた。 ==死去== 2017年の2月13日、マレーシアのクアラルンプール空港で二人の北朝鮮工作員に「目に液体をかけられ」殺害された。かけられた直後はフロントに体調の悪化を訴えるほどの意識があったが、その後容体が急変し死亡した。 ==備考== * [[2002年]]12月には、[[パリ]]郊外の[[ディズニーランド・パリ|ディズニーランド]]を訪れるために[[フランス]]入国を申請したがフランス政府に拒否された、とフランス紙に報じられた。 * [[2004年]][[9月25日]]には、[[北京首都国際空港|北京国際空港]]に現れ、居合わせた報道陣の問いに金正男本人だと認めた。渡航理由は不明だが、付き人もなく一人で北京市内のホテルに滞在したという。また同年[[12月3日]]、本人と思われる人物が複数の日本の[[新聞]]社に年末年始の挨拶の[[電子メール]]を送った事が報じられた。これが実際に本人からのものであるならば、先述の9月の北京国際空港での取材時に渡された名刺に書かれた[[メールアドレス]]を見て送ったのだろうと推測されている。 **このメール騒動について、北朝鮮問題に詳しい[[恵谷治]]は偽者説を、[[コリアレポート]]の[[辺真一]]は本物か周辺によるメール送信説を述べた。評論家の河信基は「後継者から外され、焦っている」と語る。北京を主に活動しているようである。 * 異母弟の[[金正恩]]とは一度も会ったことがないと発言している<ref>2011年2月28日放送の「[[情報7daysニュースキャスター]]」より</ref>。 * 尚、[[中央日報]]によると、金正男は金正恩によって暗殺されそうになったとする記事がある<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=133425&servcode=500 「キム・ジョンウン氏、金正男氏を暗殺しようとした」]</ref>。 * 2011年9月、正男の長男である[[キム・ハンソル]]が[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]の[[モスタル]]にある[[インターナショナル・スクール]]に入学し<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/09/29/2011092900744.html http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/09/29/2011092900744.html] - 朝鮮日報 2011年9月29日</ref>、[[フェイスブック]]に顔写真が公開されていると報道された<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/10/01/2011100100407.html 「僕は民主主義がいい」 金総書記の孫が顔写真公開] - 朝鮮日報 2011年10月1日</ref>。 * 2011年10月、フェイスブックのアカウントを取得したと報道された<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/10/01/2011100100408.html 金正男氏がフェイスブック開設か] - 朝鮮日報 2011年10月1日</ref>。 * 2012年1月20日、文藝春秋より「父・金正日と私:金正男独占告白」[[五味洋治]]/著 が出版された。2004年に名刺を交換した東京新聞の五味編集委員との150通にわたるメールのやりとりと、7時間のロングインタビューによって構成されている。この中で金正男は北朝鮮の三世代世襲制を批判し、また金正日も生前これを否定したことを語っている。この本の出版時期については金正男は、金正日の喪が明けたあとに考えたいとしていたが、五味によって半ば強行されている。 * 長男のハンソルはフランスで生活しているとされていたが、Youtubeで声明を発表し「安全な国家の下で生活している」ことをビデオメッセージの形で発表した。 ==脚注== {{Reflist}} ==関連文献== * 『北朝鮮はるかなり 金正日官邸で暮らした20年』(叔母の[[成恵琅]]著、[[萩原遼]]訳、[[文藝春秋]]上・下 2001年、[[文春文庫]]、2003年) {{DEFAULTSORT:きむ しよんなむ}} [[Category:北朝鮮の人物]] [[Category:平壌直轄市出身の人物]] [[Category:1971年生]] [[Category:全州金氏]] [[Category:存命人物]] [[Category:日本へ密入国した人物]] [[Category:金正日]] [[Category:金正恩]]