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'''出口辰夫'''(でぐち たつお、[[大正]]12年([[1923年]])- [[昭和]]30年([[1955年]])[[1月30日]]<ref>出典は、『愚連隊伝説』[[洋泉社]]、1999年、ISBN 4-89691-408-2のP.183</ref>もしくは昭和30年(1955年)1月10日<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.165</ref>)は[[日本]]の[[ヤクザ]]。[[稲川会|稲川組]](後の稲川会。組長は[[稲川聖城|稲川角二]]、後の稲川聖城)幹部。[[宮崎県]][[えびの市]]出身。
 
'''出口辰夫'''(でぐち たつお、[[大正]]12年([[1923年]])- [[昭和]]30年([[1955年]])[[1月30日]]<ref>出典は、『愚連隊伝説』[[洋泉社]]、1999年、ISBN 4-89691-408-2のP.183</ref>もしくは昭和30年(1955年)1月10日<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.165</ref>)は[[日本]]の[[ヤクザ]]。[[稲川会|稲川組]](後の稲川会。組長は[[稲川聖城|稲川角二]]、後の稲川聖城)幹部。[[宮崎県]][[えびの市]]出身。
  

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[[image:Tatsuo Deguchi.jpg|thumb|200px|出口辰夫]] '''出口辰夫'''(でぐち たつお、[[大正]]12年([[1923年]])- [[昭和]]30年([[1955年]])[[1月30日]]<ref>出典は、『愚連隊伝説』[[洋泉社]]、1999年、ISBN 4-89691-408-2のP.183</ref>もしくは昭和30年(1955年)1月10日<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.165</ref>)は[[日本]]の[[ヤクザ]]。[[稲川会|稲川組]](後の稲川会。組長は[[稲川聖城|稲川角二]]、後の稲川聖城)幹部。[[宮崎県]][[えびの市]]出身。 ==来歴== [[大正]]12年([[1923年]])、出口辰夫は、宮崎県[[西諸県郡]]飯野町(現:[[宮崎県]][[えびの市]])で生まれた。実家は農家で、5人兄弟の四男だった。 [[昭和]]13年([[1938年]])、出口辰夫は加久藤尋常小学校高等科2年を卒業した。出口辰夫は、加久藤尋常小学校高等科卒業後、すぐ上の兄とともに、[[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]潮田に住む次兄夫婦のもとに預けられた。出口辰夫は、ここで夜学の工業高校に進学した。 まもなく、出口辰夫は川崎の「薄田拳闘クラブ」に通い、本格的にボクシングを始めた。 このころから、出口辰夫は、喧嘩三昧の生活を送るようになり、[[愚連隊]]の世界に入っていった。出口辰夫は、[[少年院]]で<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.89</ref>、[[井上喜人]]と知り合い、兄弟分となった。 太平洋戦争中に、召集令状が届くが、肺浸潤により兵役不合格となった。 このころから、出口辰夫は肺結核を患っており、痛みを紛らわせるために、ヘロインを常用していたと云われている。 昭和21年([[1946年]])、出口辰夫と井上喜人は、恐喝事件により、[[横浜刑務所]]に収監された。出口辰夫は懲役1年で、井上喜人は懲役3年だった<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.85</ref>。その後、井上喜人は[[群馬県]][[前橋刑務所]]に移送された<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.90</ref>。 昭和22年([[1947年]])、出口辰夫は出所した。出所後、出口辰夫は賭場荒らしに明け暮れ、これをシノギとした。このころ、[[塚越辰雄]]を[[舎弟]]とした。 横浜の愚連隊で一大勢力となったころ、[[吉水金吾]]と知り合い、兄弟分となった。[[吉水金吾]]の紹介で、[[林喜一郎]]と知り合い、兄弟分となった。このころ、出口辰夫、吉水金吾、井上喜人、林喜一郎は「'''横浜愚連隊四天王'''」と呼ばれるようになった。 昭和23年([[1948年]])、出口辰夫と井上喜人の舎弟・[[田中敬]]は、一銭も持たずに[[浅草神社]]裏の旅館の2階の賭場に出かけた<ref name="k">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.83~P.85</ref>。賭場で、出口辰夫は、45口径の[[S&W]]USアーミーM19174と38口径の[[コルト]]38ディテクティブスペシャルを抜き、田中敬は、38口径のコルト38ポリスポジティブを抜いた<ref name="k">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.83~P.85</ref>。出口辰夫は、盆の上にS&WUSアーミーM19174を置き、5千円を貸すように要求した<ref name="l">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.86</ref>。賭場の代貸しらは、出口辰夫と田中敬に逆らえなかった<ref name="l">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.86</ref>。 同年、出口辰夫と田中敬は、一銭も持たずに、[[神奈川県]][[湯河原町]]の旅館「静山荘」の2階の賭場に出かけた<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.86~P.87</ref>。賭場で、出口辰夫は、45口径の[[S&W]]USアーミーM19174と38口径の[[コルト]]38ディテクティブスペシャルを抜き、田中敬は、38口径のコルト38ポリスポジティブを抜いた<ref name="m">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.87</ref>。出口辰夫は、盆の上にS&WUSアーミーM19174を置き、5千円を貸すように要求した<ref name="m">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.87</ref>。[[稲川聖城|稲川角二]](後の稲川聖城)が、100円札の束を、出口辰夫に渡し、賭場荒らしを止めるように諭した<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.87~P.88</ref>。出口辰夫と田中敬は、賭場荒らしを止めて、「静山荘」から出た<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.88</ref>。 同年8月13日、井上喜人が前橋刑務所から出所した<ref name="n">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.89</ref>。 同年8月16日夜、[[浅草]]の料亭で、井上喜人の出所祝いが行われた<ref name="n">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.89</ref>。井上喜人の放免祝いの席で、出口辰夫は、井上喜人に、一緒に稲川角二の舎弟になることを提案した<ref name="o">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.93</ref>。井上喜人は、出口辰夫の提案には賛同しなかったが、稲川角二に会うことだけは了承した<ref name="o">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.93</ref>。 このころ、横浜市では、[[鶴岡町]]の[[雨宮光安]]と[[伊勢崎町]]の[[秋山繁次郎]]と[[神奈川]]の[[滝沢栄一]]と[[高島町]]の[[高橋橋松]]と[[鶴見]]の[[山瀬惣十郎]]と海岸の[[外峯勇]]と[[鶴屋町]]の[[漆原金吾]]が兄弟分となり、[[京浜兄弟会]]を結成した<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.92</ref>。 その後、出口辰夫と井上喜人は、稲川角二の本拠だった湯河原の「島田旅館」を訪ね、稲川角二に会った<ref name="o">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.93</ref>。稲川角二は、井上喜人に出所祝いを渡した<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.95</ref>。井上喜人は稲川角二から出所祝いに感激し、出口辰夫は稲川角二に「出口辰夫と井上喜人を稲川角二の舎弟にして欲しい」と頼んだが、稲川角二は「兄弟分も舎弟も持つ気はない」と返答した<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.96</ref>。出口辰夫と井上喜人は、稲川角二に、稲川角二の若衆にしてくれるように頼んだ<ref name="p">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.97</ref>。稲川角二は、出口辰夫と井上喜人を、稲川角二の若衆とした<ref name="p">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.97</ref>。出口辰夫と井上喜人の舎弟や子分(田中敬や[[佐藤義雄]])で、出口辰夫の舎弟・[[堀越辰雄]]以外の者100数十人全員が、稲川角二の傘下に入った<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.97と『愚連隊伝説』[[洋泉社]]、1999年、ISBN 4-89691-408-2のP.208</ref>。 同年暮れ、[[御殿場]]の賭博小屋で揉め事が起ったため、出口辰夫は、友人の[[愚連隊]]の首領・[[趙春樹]]とともに、揉め事の起った賭博小屋に行った<ref name="γ">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.288</ref>。賭博小屋には、稲川角二、稲川角二の若衆・[[長谷川春治]]、稲川角二の若衆・[[森田祥生]]がいた<ref name="γ">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.288</ref>。稲川角二は、出口辰夫から趙春樹を紹介された<ref name="γ">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.288</ref>。 昭和24年([[1949年]])春、鶴岡政次郎の自宅で、[[山崎家一家]]・[[石井秀次郎]]総長は、鶴岡政次郎に引退する意思を伝え、網島一家の誰かを石井秀次郎の跡目にして欲しいと頼んだ<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.97~P.98</ref>。鶴岡政次郎は、石井秀次郎に稲川角二を薦めたが、石井秀次郎は難色を示した<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.98</ref>。鶴岡政次郎は、石井秀次郎に「自分に良い考えがある」と頼んだ<ref name="q">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.99</ref>。 石井秀次郎が鶴岡政次郎に跡目を相談した翌日、鶴岡政次郎は、稲川角二と横山新次郎の2人に、山崎家一家五代目を継ぐように言った<ref name="q">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.99</ref>。稲川角二と横山新次郎は、2人で山崎家一家五代目を継ぐことを了承した<ref name="q">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.99</ref>。 同年春、熱海市の海岸通りの「鶴屋旅館」2階大広間で、稲川角二と横山新次郎の山崎家一家の跡目披露が行われた<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.100</ref>。[[水戸]]の[[金成豊彦]]、[[日本橋蛎殻町|蠣殼町]]の[[鈴木伊之助]]、[[鶴見]]の[[辻本孝太郎]]、五代目[[小金井一家]]・[[渡辺国人]]総長、[[楠原三之助]]、鶴見の[[松尾組]]・[[松尾嘉右ェ門]]組長らが出席した<ref name="r">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.101</ref>。山崎家一家五代目跡目披露の前に、稲川角二は、森田祥生、長谷川春治、出口辰夫、井上喜人、田中敬ら30数人と親子の盃事を行った<ref name="r">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.101</ref>。 同年4月<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.108</ref>、稲川角二は熱海市咲見町<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.110</ref>で「[[稲川会|稲川組]]」(後の稲川会)を結成した。稲川組組事務所の看板を「稲川興業」とした<ref name="s">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.111</ref>。稲川角二は、浪曲や歌謡ショーなどの興行を手がけた<ref name="s">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.111</ref>。 同年6月、稲川角二は、[[広沢虎造]]、[[寿々木米若]]、[[東家浦太郎]]、[[松平国十郎]]らを招き、稲川組結成を記念した興行を行った<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.108~P.111</ref>。不良朝鮮人4人が稲川組結成記念興行に来て、木戸口で森田祥生と長谷川春治と言い争いになった<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.111~P.112</ref>。稲川組と不良朝鮮人4人は、稲川組結成記念興行が終わった翌日の午後7時に、決闘をすることになった<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.112</ref>。 稲川組結成記念興行が終わった翌日の午後7時、稲川組組事務所には、森田祥生、長谷川春治、出口辰夫、井上喜人、森田敬ら稲川組組員60人近くが待機したが、不良朝鮮人グループの襲撃はなかった<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.113~P.114</ref>。出口辰夫の提案で、井上喜人ら30人近くが稲川組組事務所に残って不良朝鮮人グループの殴り込みに備え、出口辰夫、森田祥生、長谷川春治ら残り30人近くが、不良朝鮮人グループの根城の[[糸川]]の遊郭に殴り込むことにした<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.114</ref>。出口辰夫、森田祥生、長谷川春治ら30人は、糸川の遊郭で、リーダーを含む不良朝鮮人グループ4人を拘束し、トラックで[[錦ヶ浦]]に行き、トラックごと不良朝鮮人4人を海に突き落とそうとした<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.115~P.118</ref>。不良朝鮮人グループのリーダーが「不良朝鮮人グループは熱海から出て行く」ことを約束したため、出口辰夫、森田祥生、長谷川春治は、不良朝鮮人4人の殺害を中止した<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.120</ref>。 不良朝鮮人グループのリーダーが熱海からの撤退を約束した翌日、不良朝鮮人グループ10数人は、3台の車に分乗して、[[熱海警察署]]の車2台に保護されながら[[熱海駅]]に行き、熱海から去った<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.121</ref>。 昭和25年([[1950年]])1月26日、鶴岡政次郎は、[[千葉県]][[千葉市]]の博徒・[[吉村二郎]]から[[千葉競輪場]]の警備の応援要請を受けた<ref name="l">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.122</ref>。吉村二郎は、鶴岡政次郎の配下だった<ref name="k">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.123</ref>。吉村二郎は、千葉競輪場に出没する関根組の残党らしい愚連隊のハイダシ(もしくはハリダシ)に手を焼いていた<ref name="k">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.123</ref>。 同年1月27日昼下がり、横浜の野毛の国際劇場裏の鶴岡政次郎の自宅で、鶴岡政次郎は、稲川角二に千葉競輪場の警備を指示した<ref name="l">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.122</ref>。 同日夜、稲川角二は、[[小田原]]の井上喜人を、熱海の稲川角二の自宅に呼び、千葉競輪場の警備を命じた<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.124</ref>。 同年1月28日昼、井上喜人は、井上喜人の舎弟・田中敬ら10人を連れて、小田原を発って、千葉市に向かった<ref name="t">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.125</ref>。 同年1月29日、井上喜人、田中敬ら11人は、吉村二郎と吉村二郎の若衆とともに千葉競輪場の警備をした<ref name="t">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.125</ref>。 同年1月31日、千葉競輪前節3日間が終わった<ref name="t">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.125</ref>。 同日、井上喜人は、吉村二郎に挨拶に行き、吉村二郎から大阪での用事を頼まれて了承した<ref name="t">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.125</ref>。井上喜人は、千葉競輪場の警備を田中敬に任せて、大阪に向かった<ref name="t">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.125</ref>。 同年2月1日午後、愚連隊風の男3人が、千葉競輪場の警備員詰所に押しかけ、吉村二郎にハイダシをかけ、数千円を受け取った<ref name="t">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.125</ref>。愚連隊風の男3人は吉村二郎に金額の不満を言ったため、田中敬ら稲川組組員10人は愚連隊風の男3人を殴り倒した<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.125~P.126</ref>。吉村二郎は、関根組の残党の報復を恐れて、田中敬たちの暴行を止めた<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.127</ref>。その後、吉村二郎は、田中敬ら稲川組組員10人に、熱海に引き上げるように迫ったが、田中敬は「稲川角二の命令でない限り引き上げない」と返答した<ref name="u">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.128</ref>。 同年2月2日、湯河原の「若葉旅館」2階で、稲川角二は、吉村二郎から電話をもらい、田中敬ら稲川組組員10人を熱海に引き上げさせるように頼まれた<ref name="u">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.128</ref>。稲川角二は、田中敬ら稲川組組員10人の引き上げを拒否した<ref name="u">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.128</ref>。稲川角二は、出口辰夫、森田祥生、長谷川春治ら稲川組組員100人超を率いて、千葉競輪場に向かった<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.129~P.130</ref>。稲川組組員は、それぞれ日本刀をバットケースに隠し、拳銃をグローブに隠して稲川角二に同行した<ref name="v">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.129</ref>。千葉競輪場の第8レースが行われるころ、愚連隊40~50人が千葉競輪場の中にある欅の木の下に集合した<ref name="v">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.129</ref>。稲川角二ら100人超の稲川組組員が、千葉競輪場に到着すると、愚連隊は全員逃げ出した<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.130~P.131</ref>。稲川角二は、千葉競輪場で吉村二郎にハイダシをかけていた愚連隊が関根組の残党ではないと推測した<ref name="w">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.131</ref>。 昭和26年([[1951年]])12月初旬、[[吉水金吾と林喜一郎の抗争事件]]が勃発した<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.146</ref>。{{Main|吉水金吾と林喜一郎の抗争事件}}吉水金吾と林喜一郎の抗争事件を切っ掛けに、稲川角二は、横浜の愚連隊の首領・[[吉水金吾]]と横浜の愚連隊の首領・[[林喜一郎]]を、稲川角二の若衆にした<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.144</ref>。 昭和30年([[1955年]])1月7日、出口辰夫は、出口辰夫の舎弟・[[川上三喜]]を連れて、[[石塚一家]]・[[石塚儀八郎]]総長の代貸・[[石井隆匡]]の賭場で遊んだ<ref name="C">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.163</ref>。出口辰夫の負けが込んだので、石井隆匡の舎弟・[[宮本広志]]が、出口辰夫に「今日はもう回銭がなくなったので、このあたりで博打を止めた方がいいのではないか」とアドバイスした<ref name="C">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.163</ref>。出口辰夫は、宮本広志の発言に激怒した<ref name="D">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.164</ref>。このとき、石井隆匡の賭場に入ってきた井上喜人が、出口辰夫をなだめて、川上三喜に出口辰夫を連れて帰るように指示した<ref name="D">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.164</ref>。川上三喜は、出口辰夫の身体を支えて(このとき、出口辰夫は[[ヒロポン]]中毒になっていた)、石井隆匡の賭場から出て行った<ref name="D">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.164</ref>。井上喜人は、出口辰夫の非礼を、石井隆匡に詫びた<ref name="D">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.164</ref>。宮本広志ら石井隆匡の舎弟は、出口辰夫を殺害しようと話し合った<ref name="E">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.167</ref>。しかし、石井隆匡は、出口辰夫への報復を認めなかった<ref name="E">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.167</ref>。 昭和30年([[1955年]])1月30日、出口辰夫は病気で死去した。[[享年]]34<ref>出典は、『愚連隊伝説』[[洋泉社]]、1999年、ISBN 4-89691-408-2のP.183</ref>、もしくは33<ref>出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.165</ref>。 その後、横須賀市で、出口辰夫の葬儀が行われた。施主は稲川角二だった<ref name="E">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.167</ref>。石井隆匡、宮本広志も出口辰夫の葬儀に参列した<ref name="E">出典は、[[大下英治]]『首領 昭和闇の支配者 三巻』[[大和書房]]<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.167</ref>。 == エピソード == *[[野村秋介]]は若年のころ、出口辰夫の舎弟であった。 ==脚注== <references /> ==出口辰夫関連の書籍== *[[山平重樹]]『愚連隊列伝 モロッコの辰』[[幻冬舎]]<アウトロー文庫>、1996年、ISBN 4-87728-681-0 *[[三枝 豪]]『モロッコの辰―横浜愚連隊物語』[[大陸書房]]、1990年、ISBN 4-47976-037-7 *山平重樹、[[天龍寺弦]]、[[田丸ようすけ]]『実録 風雲ヤクザ伝 モロッコの辰 出口辰夫 ハマの覇王編』[[竹書房]]、2005年、ISBN 4-8124-6123-5 *山平重樹、天龍寺弦、田丸ようすけ『実録 風雲ヤクザ伝 モロッコの辰 出口辰夫 終結・四天王!!編』竹書房、2005年、ISBN 4-8124-6138-3 *山平重樹、天龍寺弦、田丸ようすけ『実録 風雲ヤクザ伝 モロッコの辰 出口辰夫 遥かなるモロッコ編』竹書房、2005年、ISBN 4-8124-6286-X ==出口辰夫関連の映画・オリジナルビデオ== *『[[修羅の群れ]]』([[1984年]]、[[東映]])、出水辰雄のモデルは、出口辰夫。出水辰雄役は、[[北島三郎]] *[[和泉聖治]]監督『[[Morocco 横浜愚連隊物語]]』([[1996年]]、[[ムービー・ブラザース]])、主人公・出口辰夫役は[[柳葉敏郎]] *和泉聖治監督『[[Morocco 横浜愚連隊物語2]]』(1996年、ムービー・ブラザース)主人公・出口辰夫役は柳葉敏郎 *『[[修羅の群れ|修羅の群れ 第1部 怒涛編]]』([[2002年]]、[[GPミュージアム]])、出口辰雄のモデルは、出口辰夫。出口辰雄役は、[[寺島進]] *『[[修羅の群れ|修羅の群れ 第2部 風雲編]]』(2002年、GPミュージアム)、出口辰雄のモデルは、出口辰夫。出口辰雄役は、寺島進 ==参考文献== *『愚連隊伝説』[[洋泉社]]、1999年、ISBN 4-89691-408-2 {{DEFAULTSORT:てくち たつお}} [[Category:ヤクザ]] [[Category:稲川会]] [[Category:宮崎県出身の人物]] [[Category:1923年生]] [[Category:1955年没]]