「大宅壮一」の版間の差分
提供: Yourpedia
テネレッツァ大先生をよろしくね (トーク | 投稿記録) (→著書) |
(著書を表示するときは、オリジナル初版を表示すること。著書追加。年代順に配列。) |
||
19行目: | 19行目: | ||
== 著書 == | == 著書 == | ||
− | * | + | *『社会問題講座〈11~13〉』,新潮社,1927 |
− | * | + | *『日本の遺書』ジープ社,1950 |
+ | *『人間裸像』,板垣書店,1950 | ||
+ | *『実録・天皇記』鱒書房,1952 | ||
+ | *『蛙のこえ』鱒書房,1952 | ||
+ | *『世界の裏街道を行く〈〔第1〕〉中近東・欧洲篇』文藝春秋新社,1955 | ||
+ | *『無思想人宣言』鱒書房,1956 | ||
*『昭和怪物伝』角川書店,1957 | *『昭和怪物伝』角川書店,1957 | ||
− | * | + | *『僕の日本拝見』中央公論社,1957 |
+ | *『女傑とその周辺』文藝春秋新社,1958 | ||
+ | *『わが青春放浪記』 春陽堂書店,1958 | ||
+ | *『大学の顔役』文藝春秋新社,1959 | ||
+ | *『日本の人物鉱脈』文藝春秋新社,1959 | ||
+ | *『日本新おんな系図』中央公論社,1959 | ||
+ | *『フルシチョフ遠征従軍記』新潮社,1960 | ||
+ | *『日本のいちばん長い日』KADOKAWA,1973 | ||
*『炎は流れる (明治と昭和の谷間)』文春文庫,1975 | *『炎は流れる (明治と昭和の谷間)』文春文庫,1975 | ||
− | * | + | *『青春日記』中央公論新社,1979 |
− | + |
2018年7月29日 (日) 12:08時点における版
大宅 壮一(おおや そういち、1900年9月13日 - 1970年11月22日)は日本の評論家。
大阪府三島郡富田村(現高槻市)の醤油屋に1900年、父・八雄、母・トクの三男として生まれる。少年時代は各種少年雑誌に投稿し、懸賞メダルを多数獲得する。旧制富田尋常小学校、高等小学校を卒業。旧制茨木中学(現・大阪府立茨木高等学校)入学するが、1918年(大正7年)、18歳(4年生)の時、米騒動に際して米騒動を煽動するような演説をおこない、大阪・茨木中学を放校処分となる。専門学校入学者検定試験に合格し、旧制高等学校入学資格を得る。1919年(大正8年)、第三高等学校(現・京都大学)に入学。1922年(大正11年)、東京帝国大学(現・東京大学)文学部社会学科入学。その後、大学は中退する。その後、26歳で雑誌『新潮』に評論を発表し、文芸評論家としてデビューする。時代の風潮を鋭く明快に斬る社会評論で人気を博した。週刊新聞『時局新聞』の編集顧問にも名を連ねる。一年余の短命であったが、痛烈な大宅の評論のほかに作家・漫画家によるユニークで直截な評論・小説・画があり、近代文学史・思想史・ジャーナリズム史研究に活用される。
1931年、大宅昌と結婚する。 1967年(昭和42年)1月に「大宅壮一東京マスコミ塾」(略称・大宅マスコミ塾)を開く。 1970年(昭和45年)11月22日、東京女子医科大学病院で死去。
流行語
大宅壮一の生み出した流行語には次のものがある。
著書
- 『社会問題講座〈11~13〉』,新潮社,1927
- 『日本の遺書』ジープ社,1950
- 『人間裸像』,板垣書店,1950
- 『実録・天皇記』鱒書房,1952
- 『蛙のこえ』鱒書房,1952
- 『世界の裏街道を行く〈〔第1〕〉中近東・欧洲篇』文藝春秋新社,1955
- 『無思想人宣言』鱒書房,1956
- 『昭和怪物伝』角川書店,1957
- 『僕の日本拝見』中央公論社,1957
- 『女傑とその周辺』文藝春秋新社,1958
- 『わが青春放浪記』 春陽堂書店,1958
- 『大学の顔役』文藝春秋新社,1959
- 『日本の人物鉱脈』文藝春秋新社,1959
- 『日本新おんな系図』中央公論社,1959
- 『フルシチョフ遠征従軍記』新潮社,1960
- 『日本のいちばん長い日』KADOKAWA,1973
- 『炎は流れる (明治と昭和の谷間)』文春文庫,1975
- 『青春日記』中央公論新社,1979