「片貝ガス田」の版間の差分
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+ | [[ファイル:Koshijihara Niigata Japan.jpg|thumb|240px|1975年(昭和50年)に撮影された{{国土航空写真}}。ガス田開発前の越路原丘陵。プラント(緑枠):親沢プラント(井戸は省略)。プラント(赤枠):越路原プラント。発電所(紫枠):越路原発電所。井戸(赤丸):上から北朝日原基地、朝日原基地、(左)十楽寺基地、(右)八島基地、越路原基地。プラント(青枠):片貝ガス田 片貝鉱場。井戸(青丸):片貝ガス田(一部)。右上の街は「長岡市来迎寺」、右中は「小千谷市片貝町」。]] | ||
'''片貝ガス田'''(かたかいガスでん)とは、[[新潟県]][[小千谷市]][[片貝町 (小千谷市)|片貝]]地区一帯に広がる[[ガス田]]のこと。[[長岡市]]越路地域一帯に広がる[[南長岡ガス田]]は片貝ガス田と一体の鉱床のため「'''南長岡・片貝ガス田'''」と呼ばれることがある。 | '''片貝ガス田'''(かたかいガスでん)とは、[[新潟県]][[小千谷市]][[片貝町 (小千谷市)|片貝]]地区一帯に広がる[[ガス田]]のこと。[[長岡市]]越路地域一帯に広がる[[南長岡ガス田]]は片貝ガス田と一体の鉱床のため「'''南長岡・片貝ガス田'''」と呼ばれることがある。 | ||
2018年2月16日 (金) 22:37時点における最新版
片貝ガス田(かたかいガスでん)とは、新潟県小千谷市片貝地区一帯に広がるガス田のこと。長岡市越路地域一帯に広がる南長岡ガス田は片貝ガス田と一体の鉱床のため「南長岡・片貝ガス田」と呼ばれることがある。
天然ガスを採掘している貯留層の利用は、当初の地下2,000m付近から4000~5,000m付近の大深度へ拡大中。埋蔵量は国内最大級とされる。
丘陵上に設置された櫓の上から吹き上がるガスフレアは、関越自動車道上からも確認することができる。
特長[編集]
- 世界でも屈指の規模を誇る4,000mを超える井戸が支える大深度ガス田である。
- 貯留層は大深度に位置する破砕された花崗岩層であり、生物起源のガスでは無い可能性がある。
歴史[編集]
- 1960年 石油資源開発が片貝ガス田を発見。
- 1961年 石油資源開発が地下1,000~2,000mのガス層で生産を開始。
- 1977年 石油資源開発が深部の掘削を開始し、地下4000~5000mで原油、天然ガスを確認。
- 1984年 石油資源開発が4,000~5,000mのガス層で生産を開始。
- 1979年 帝国石油が片貝ガス田の北に隣接する鉱区で南長岡ガス田を発見。
- 1984年 帝国石油が南長岡ガス田で商業生産開始。
二酸化炭素の圧入実証試験[編集]
帝国石油は、2000年に南長岡ガス田(南長岡鉱山)の岩野原基地で地下約1,100mの帯水層まで井戸を掘り、地球環境産業技術研究機構と協力して2003年から2004年までの約1年半で約1万トンの二酸化炭素を圧入する実証試験を日本で初めて行った。[1]
そのため、新潟県中越地震及び新潟県中越沖地震の原因として、この実験による誘発地震の可能性を指摘する説が存在する[2][3]。
産出量[編集]
- 片貝ガス田
- 南長岡ガス田
- 原油(コンデンセート) 約110,000kl
- 天然ガス 約7.7億m³[4]
脚注[編集]
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- ↑ 帝国石油のプレスリリース(2003年7月7日)
- ↑ 島村英紀 人間が起こした地震http://shima3.fc2web.com/sekou9701damzisin.htm
- ↑ 島村英紀『日本人が知りたい巨大地震の疑問50 東北地方太平洋沖地震の原因から首都圏大地震の予測まで』サイエンス・アイ新書』2011年
- ↑ 石油鉱業連盟のページ(2004年度)
参考文献[編集]
- 新潟第四紀グループ(編) 『越路の大地 上巻』 越路町教育委員会、1993年。
関連項目[編集]
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