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七ツ館事件(ななつだてじけん)は、1944年5月29日に秋田県北秋田郡花岡町にあった藤田組の花岡鉱山(花岡鉱業所)の七ツ館坑で落盤事故が起き、坑内で作業をしていた日本人・朝鮮人の鉱夫22人ないし24人が生き埋めになった事件。
七ツ館坑[編集]
花岡鉱山の七ツ館鉱床は1929年に発見された[1]。七ツ館坑には独自の人道竪坑がなく、坑夫は連絡坑道を通って隣接する堂屋敷坑の人道竪坑から出入りしていた[2]。また鉱床が崩壊しないように残しておく柱がなく、採掘の終った坑道を砂利やセメントで埋め戻す処置をしていなかった[3]。
落盤事故[編集]
1944年5月29日に七ツ館坑は伏流水の異常出水によって突然崩落し、奔出した地下水によってポンプ座が浸水、連絡坑道と堂屋敷7番坑以下も水没した[4]。落盤・浸水により、坑内で作業をしていた日本人労働者11人ないし12人と朝鮮人労働者11人ないし12人が生き埋めとなった[5]。
事故発生後の数日間、七ツ館坑の奥まで敷かれていた軌道のレールをハンマーで叩く音が聞えていたが、救出作業は行なわれず、また戦時中には遺体収容作業も行なわれなかった[6]。
事件後、花岡鉱山は七ツ館坑の隣接坑での落盤事故の発生を回避するために、鉱床の上を流れていた花岡川の水路変更計画を立案し、花岡鉱山の選鉱場(鉱滓堆積ダム)の付帯工事を請け負っていた鹿島組が水路変更・改修工事も請け負うことになった[7]。
遺体の収容[編集]
戦時中に遺族や同僚が遺体の収容を要望した際には、花岡鉱業所は、鉱石の発掘が遅れ、戦争の遂行を妨げることを理由に拒否していたというが、戦後に刊行された社史(同和鉱業,1955)では「地盤の自然安定を見るまでは危険」だったため、とされている[8]。
同和鉱業(1955)に「戦後27年(1952年)に同坑土砂竪穴から坑内作業に移ることができて、今なお続行中である」と記されているというが[9]、石飛(1973,pp.66,67)および野添(1992,p.120)は、戦後も22人ないし24人は生き埋めになったまま、としている。
弔魂碑[編集]
花岡鉱業所は陥落した箇所を土砂で埋め、跡地に弔魂碑を建てたが、弔魂碑は後に信正寺の墓地に移された[10]。
付録[編集]
関連文献[編集]
- 松田解子『地底の人々』世界文化社、1953年 - 七ツ館事件をもとにした小説[11]
- 同和鉱業(1955) 同和鉱業株式会社事業史編纂委員会(編)『七十年之回顧』同和鉱業、1955年、NDLJP:2477447 (閉)
脚注[編集]
- ↑ 野添(1992)p.117
- ↑ 石飛(1996)p.58、野添(1992)p.117
- ↑ 石飛(1997)p.96、石飛(1996)p.58、野添(1997)p.117
- ↑ 石飛(1997)pp.95-96、野添(1992)p.117。-同和鉱業(1955)による。
- ↑ 石飛(1997)pp.95-98、野添(1993)p.7および野添(1992)pp.117-118。いずれも同和鉱業(1955)を出典としているが、石飛は11人・11人で合計22人、野添は12人・12人で合計24人としている。
- ↑ 野添(1992)p.118
- ↑ 大館郷土博物館(2014)、西成田(2002)pp.363-364、石飛(1996)p.58、野添(1993)p.8
- ↑ 野添(1992)p.118
- ↑ 野添(1992)p.117
- ↑ 石飛(1997)p.97、野添(1992)p.118
- ↑ 石飛(1996)p.58
参考文献[編集]
- 大館郷土博物館(2014) 大館郷土博物館 > バーチャル博物館 > 展示館2F > 花岡事件 2017年7月31日閲覧
- 西成田(2002) 西成田豊『中国人強制連行』東京大学出版会、2002年、4-13-026603-9
- 石飛(1997) 石飛仁『中国人強制連行の記録-日本人は中国人に何をしたか』〈三一新書1164〉三一書房、1997年、4-380-97008-6
- 石飛(1996) 石飛仁『花岡事件』〈FOR BEGINNERSシリーズ74〉、現代書館、1996年、4768400744
- 野添(1993) 野添憲治『花岡事件を見た20人の証言』御茶の水書房、1993年、4-275-01510-X