「箱根丸 (1921)」の版間の差分
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− | *[[横光利一]] - | + | *[[横光利一]] - 高浜虚子と同便に乗船。「欧州紀行」([http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/56934_57608.html 青空文庫:56934])には船旅や「洋上句会」のことなどが綴られている。 |
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*[[1928年]]に、横浜からロンドンへ向かう便に乗り合わせた[[本間久雄]]が詞、[[弘田龍太郎]]が曲を作成した<ref>日本郵船(2004)p.35</ref>。 | *[[1928年]]に、横浜からロンドンへ向かう便に乗り合わせた[[本間久雄]]が詞、[[弘田龍太郎]]が曲を作成した<ref>日本郵船(2004)p.35</ref>。 | ||
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*[http://www.nyk.com/yusen/kouseki/200206/index.htm 日本郵船ホーム > 海風日記 > 「航跡」バックナンバー > 「箱根丸の歌」] 2017年9月20日閲覧。 | *[http://www.nyk.com/yusen/kouseki/200206/index.htm 日本郵船ホーム > 海風日記 > 「航跡」バックナンバー > 「箱根丸の歌」] 2017年9月20日閲覧。 | ||
*[http://www.nyk.com/yusen/kouseki/200812/index.htm 日本郵船ホーム > 海風日記 > 「航跡」バックナンバー > 戦争と壊滅] 2017年9月20日閲覧。 | *[http://www.nyk.com/yusen/kouseki/200812/index.htm 日本郵船ホーム > 海風日記 > 「航跡」バックナンバー > 戦争と壊滅] 2017年9月20日閲覧。 | ||
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2017年9月24日 (日) 15:18時点における最新版
箱根丸(はこねまる)は、日本郵船が所有していた貨客船。1921年に竣工し、欧州定期航路に就航。太平洋戦争中の1943年に沈没した。
建造[編集]
船主・船名[編集]
性能[編集]
- 総トン数
- 10,423トン[3]
航路[編集]
- 欧州定期航路に就航した[2]。
乗船した著名人[編集]
- フョードル・シャリアピン - 1935年10月に乗船[4]。
- 高浜虚子 - 1936年に欧州に外遊した際、往路は2月16日から3月27日まで、復路は5月8日から6月15日まで乗船。俳句好きだった箱根丸の機関長と親交を深め、乗客有志が開いた句会を指導、復路には船員の同好会も組まれた。『洋上雑記』にこのときの回想がある。[5]
- 横光利一 - 高浜虚子と同便に乗船。「欧州紀行」(青空文庫:56934)には船旅や「洋上句会」のことなどが綴られている。
箱根丸の歌[編集]
開戦前の引揚げ輸送[編集]
- 1941年7月に米・英・蘭が日本の在外資産凍結を実施した後、在外日本人が日本国内へ引揚げるため、同年9-10月に引揚げ船として海峡植民地・フィリピン方面へ派遣された[7]。政府徴用船としての扱いだったため、社旗を掲げず、煙突を黒く塗り潰して航海した[7]。
戦没[編集]
姉妹船[編集]
参考文献[編集]
- 野間(2008) 野間恒『増補 豪華客船の文化史』NTT出版、2008年、ISBN 9784757141889
- 松井(2006) 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年、ISBN 4303123307
- 日本郵船(2005) 日本郵船歴史博物館(編)『日本郵船歴史博物館 常設展示解説書』日本郵船、2005年
- 日本郵船(2004) 日本郵船株式会社広報グループ『航跡 日本郵船創業120周年記念』日本郵船、2004年
外部リンク[編集]
- 日本郵船ホーム > 海風日記 > 「航跡」バックナンバー > 「箱根丸の歌」 2017年9月20日閲覧。
- 日本郵船ホーム > 海風日記 > 「航跡」バックナンバー > 戦争と壊滅 2017年9月20日閲覧。